<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
在りし日の、君を想う 〜My dear friend〜
いよいよ、その日がやって来る。
シノンはその日、朝から子ども達と一緒に台所を駆け回っていた。
カレンダーが示す日付は、11月11日。子ども達が描き込んだのだろう、色とりどりの花やケーキの絵が、その日を中心に広がっている。
シノンにとっても、子ども達にとっても、大切な日。
大切な『兄』──スラッシュの、誕生日だ。
当日は大切な『兄』と、兄の大切なひとである『姉さん』のためのもの。
毎年の恒例通り、シノン達がスラッシュの誕生日を祝うのは、当日ではなく後日になってからだ。
その約束も、既に取り付けてある。それが、明日、12日。
そのようなわけで、11日である今日は明日のための準備に費やされているという話である。
「シノン! チョコレート溶けたよ!」
「よし、チョコレートはばっちり。生地班はどうかな、ダマがなくなるまでしっかり混ぜてー!」
「これ混ざってるのかわからねえよ、シノン! 腕が棒になりそうだ! いや、きっとなる。おれの腕が棒にー!」
「ならない、ならない。味見をするためならそれ相応の代価を払うって言ったでしょ? 大丈夫、いい感じ……テーブル班は?」
聖都エルザードのベルファ通りから少し離れたスラム街。様々な工房や店がひしめき合って存在している──そんな一角に建っているのが、シノンや子ども達が住んでいる孤児院だ。
ここが賑やかなのはいつものことだが、今日は殊更に、朝からお祭り騒ぎの様相を呈していた。
無論、『本番』は明日である。それでも、準備そのものが楽しくて楽しくて仕方がないと子ども達の顔にはっきりと書いてあるのを、シノンは知っている。
台所から一歩出て、居間へ。着々と飾り付けが進んでいる様子を見ながら、シノンはふと、窓辺のテーブルの上に置いてある鉢植えに目をやった。
毎年、贈ろう、贈ろうと考えては、その度に贈るのをやめて──今年こそ贈ろうと思った、プレゼント。
それが今、シノンの目の前にある。
ふわりと良く枝を張った、鮮やかな黄色の花。他にも色はたくさんあったが、太陽のような、豊穣を表すような色をシノンは選んだ。
クッションマム。
花言葉は、『友への記憶』
スラッシュには、とても大切な友人がいたのを知っている。
そして、その友人が探していたものを、スラッシュもまた、探しているのだということを。
だが、そのことを詳しく聞いたことはなかった。
もちろんスラッシュのことだから、聞けばきっと話してくれるだろうとは思っていた。
けれど、逆に、あまり触れて欲しくないことなのかもしれないということも、同様に思っていた。
シノンにだって、誰にも触れられたくないことの一つや二つは、やはり、ないとは言えない。それは例えば、胸の奥のとても深いところの扉の奥に、何重にも鍵を掛けてしまっておくようなものだ。
──それは、例えどんなに大切な人であっても、無闇に開けて欲しくないもの。
スラッシュにとって『友人』にまつわる思い出というのは、もしかしたらそのようなものなのかもしれないと、シノンはずっと思っていた。だから、聞くことが出来ないでいた。
しかし、そうではないと気づいたのは、半年前。
彼がずっと中断していた探しものを探すことを、再び始めたからだった。
きっと、必要だったのは、足を止めるための僅かな時間。
在りし日の思い出に心を馳せて、気持ちを整理するための時間。
だから、今年こそはこの花を贈ろうと思った。心から、聴きたいと願ったからだ。
大切な『兄』が、大切にしていた、彼の友人のことを。
背中を押したい、などと偉そうなことは決して言えないけれど、彼の言葉で、聴きたいと思ったのだ。
シノンは微かに笑みを浮かべながら、オレンジの小さな花をそっと撫でる。ほのかな香りが、鼻腔を擽った。
※
いよいよ、その日がやって来た。
昼は孤児院で例年通り、子ども達と一緒に盛大に彼の誕生日を祝った。毎年のことながら、一杯に溢れた子ども達の元気な笑顔を見て、スラッシュがとても嬉しそうに目を細めていたのを、シノンはちゃんと見ていた。
そして、夜も大分更けた頃。シノンは約束通り、孤児院の斜め向かいにある彼の工房の扉を叩いた。クッションマムの鉢植えと、チャイの材料をぶら下げて。
「……シノン?」
「うん、あたしだよ、兄貴」
相変わらず、何に使うのか良くわからない物が所狭しと手を広げ足を伸ばしている、ぜんまいや螺子や油などの、独特の匂いが染み込んでいる──そんな、どこか懐かしさすら覚える世界の中に、スラッシュの姿がある。
スラッシュはシノンが抱えている鉢植えに軽く目を瞬かせながら、それは?と言うように首を傾げてきた。
「これ……あたしからのプレゼント。クッションマムっていう、花なんだけど」
シノンはカウンターの上に鉢植えを置き、隅の方から椅子を引っ張り出してきて座った。長居をするつもり──何かとても、シノンにとって大切な話をするためにやって来たのだということを、スラッシュも悟ったようだった。
「それで……どうしたんだ?」
それとなく続きを促してくるスラッシュに、シノンは一瞬、息を詰まらせる。
聞いていいのだろうか。もし駄目だったらどうしよう。でも、聴きたい。
「兄貴は、知ってるかな。クッションマムの花言葉」
知らないと言うように、スラッシュは静かに首を左右に振る。
シノンは穏やかな笑みを浮かべて、その言葉を口にした。確かめるように、大事なもののように──事実、とても大事なのだが──そっと。
「──『友への記憶』……って、いうんだって」
「友……?」
「な、何て言えばいいのかな、その……兄貴の話、色々、聴きたくて」
「……ああ……『探しもの』の、ことか」
与えられた言葉から、連想することは容易だったらしい。ふと吐息を緩めて笑みを浮かべるスラッシュを、シノンは、じっと見つめる。
──ああ、やっぱりそうだったんだ。シノンはそう確信した。心の底からの安堵を覚えて、大きく頷く。
「うん……兄貴と、その、お友達の話」
※
「そうだな……どこから、話せばいいか……」
シノンが持参した茶葉とスパイスで作った特製のチャイ。そのカップの表面に視線を落としたまま、スラッシュは、まるで思考が翼を手に入れたかのように深く考え込んでいるようだった。
もちろん、シノンはそれを急かしたりはしない。ただじっと、時折チャイの香りと味を確かめるように口に含み、カップを揺らしたりしながら、紡がれるであろう言葉を待ち受ける。
シノンの知らない、彼の過去。それが垣間見えるような表情はやはり、シノンの知らないスラッシュの顔だった。
彼はどのような旅を続けて、ここまで来たのだろう。彼はその目で、どのような世界の姿を見てきたのだろう。
年はそう変わらないけれど、歩いてきた道は全然違う。
これから聴くことになる言葉を聴いたら、少しは、近づくことが出来るだろうか。
シノンもスラッシュと同様に、思考そのものをどこかに飛ばしてしまっていることに気づいたのは、スラッシュが不意に顔を上げてシノンを見たからだった。
「……雰囲気が、少し……シノンに似ていたかもしれない」
唐突に、彼の口から転がるように零れたその言葉は、シノンをきょとんとさせるのに十分な効果を持っていた。
こちらを見ているスラッシュの目が何とも楽しげな色に満ちているので、それは尚更のことだった。
「あたしに?」
「そう……あいつは、とても真っ直ぐだった。ただ純粋に、ひたむきに……俺は、そんなあいつに……そうだな、──憧れていた」
スラッシュにとって『友人』という存在がどれほど大切なものであったか、それだけでも良くわかるような気がした。
「兄貴は、そのひとが……大好きだったんだね」
「……ああ」
スラッシュは穏やかな笑みを浮かべたまま、しっかりと頷く。シノンもそれにつられるように、微笑んで、頷き返す。
──あたたかいのは、何も指先に伝わるチャイのカップのぬくもりのせいだけではない。
「あとは、そうだな……風が良く似合うと、そう思っていた。風と共に生き、風を追って世界を旅する……あいつは、根っからの探求者だった」
風と聞いて、殊更照れくさいような、くすぐったいような──そんな気持ちになるのを、シノンは抑えることが出来そうになかった。
スラッシュの口から、いつになく言葉が溢れている。それが、シノンはとても嬉しかった。何だか今日は喜んでばかりだけれど、本当に、嬉しいと思ったのだ。
「今でも思うさ……決して、追いつけないのではないかと。だから、見たいと思ったんだ。あいつが……最期まで探していたものを」
「……聴かせてよ、今まで、どんなものを探して、見つけて、見て来たのか」
御伽噺にも似たたくさんの話を、手製のチャイと一緒に。
揺らめくランプの灯りまでもが、まるで話の続きを催促しているかのようだった。
──そして今日も、静かに夜は更けてゆく。
尽きることのない話の種を、いくつも蒔いて咲かせながら。
Fin.
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