<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


冬季神(とうきしん)への捧げもの

 千獣と四季管理人グンナルは聖獣界ソーンを出て、舗装されていない道を歩いていた。
 空は灰色の雲に覆われていたが、空気がいくら冷えども雪が降る気配はなかった。
「黒山羊亭を出たのが昼ですから、ミニ変化の洞窟に着く頃には日が落ちてますね」
 防寒服を着込み、リュックサックを背負ったグンナルが言った。
 彼の腰のベルトにはホルスターがあり、収められた閃雷銃は仕事の危険さを物語っているかのようだった。
「冬季、神に、……会える、かな……?」
 千獣はグンナルに貸してもらったコートを着心地悪そうに羽織っている。
「会えないと困りますね。雪を楽しみにしている人たちがいますし、聖獣王様にも期待されてますから」
 グンナルは道から逸れて、脇にある薄暗い森に足を踏み入れた。
「ここから行きましょう。近道ですから」
「……近道、なの……?」
 千獣は首をかしげた。
 それも無理のない話で、森には人が通った形跡はまったくなく、足の踏み場のないくらい草木が茂っていた。魔物が出ても不思議ではないだろう。
「2年前に来たときには大丈夫でしたよ。そのときは春でしたけど」
 グンナルが草をわけてずんずん先に進んでいくので、仕方なく千獣は後を追った。
 森の中は夜を思わせるほど、暗く、闇に包まれていた。ここでは灰色の雲から漏れていた陽光も、わずかしか届かない。木々が密集しているせいか、先ほどまで肌を撫でていた冷風も感じられなくなっていた。
 いつ危険が迫っても不思議ではない。そう思った千獣はグンナルから離れないようにしようと、彼のリュックサックのひもをつかんだ。
「な、なな、なんだ!?」
 グンナルはびくりと体をふるわせて、背後を見た。彼の目線の先にはひもを持った千獣の姿があった。
「……離れ、たら……危な、い、から……」
 グンナルは顔を赤くした。
「すいませんでした。驚いてしまって」
 2人が再び歩きはじめた。
 すると突然、前方で枯れ葉を踏むガサガサという音がした。
 グンナルは足を止め、音がした方を睨み、息を飲む。
 千獣は目を細めて前方を確認する。
「……女の、人、が……いる……」
 千獣は赤い瞳は髪の長い女性の姿を捉えていた。
 女性はグンナルが肉眼で確認できるくらい近くにやってきて、丁寧に会釈をした。どうやら冒険者らしく、腰に剣を携えて男らしい格好をしていた。彼女は急いでいるのか、言葉を交わすことなくどこかに去って行ってしまった。
「冒険者も使う道らしいですね。安心しました」
 グンナルは胸を撫で下ろした。
 千獣はそのとき女冒険者のことは気にも止めず、何者かが自分たちをつけねらっているような嫌な気配に集中していた。しかしそれは長くは続かず、すっと消え去ってしまった。
「行きましょう」
 冒険者を見て心強くなったのか、グンナルは先ほどより軽やかな足取りで先へ進みはじめた。

 どのくらい歩いただろうか。森からではよく確認できないが、おそらく日は落ちたのだろう。
 空気は徐々に寒くなり、森はほとんど完全に闇に染まってしまった。木々は輪郭がわかるくらいだ。千獣はグンナルの荒い呼吸音と、草をかき分けるカサカサという音に耳を傾けていた。
 突然、千獣は全身に自分たちをつけねらうような気配を感じ、立ち止まった。毛が逆立っている。
「どうしたんです?」
 グンナルの不安げな声。
「また、あなたたちですか」
 前方から女性の声がした。言葉から、先ほどの冒険者であることが予想できる。
 グンナルは立ち止まって耳を澄ませた。女冒険者であろう人物の足音が徐々に大きくなってきていることがわかる。こちらに近づいているのだろう。
「……気を……つけて……」
 千獣がそうグンナルにささやくと、彼はホルスターの閃雷銃に手をかけた。
 女冒険者の姿が微かな光に照らされ、三日月のように半分だけ浮き上がった。にっこりと微笑む彼女の唇から、鋭い牙がのぞいていた。
「ネクロバンパイア」
 グンナルが言った。
「人間の方から来て頂けるなんて光栄ね。それとも間違えて私の縄張りに入ったお馬鹿さんなのかしら?」
 ネクロバンパイアは笑う。
「僕が来ていない間に住処になっていたようですね……縄張りを犯したこちらに非がありますが、ここで死ぬわけにはいきません」
「……うん……」
 グンナルはホルスター閃雷銃を抜き、引き金を引いた。雷鳴を思わせる鋭い光が銃口から飛び出し、ネクロバンパイアの頬を傷つけ、一瞬森を眩しく照らし出した。グンナルは木の陰に隠れ、千獣はネクロバンパイアに向かって跳び、獣化させた太い腕を振り上げた。ネクロバンパイアは後方に飛び、それを受け流す。
 地に着いた千獣はすぐに跳躍し、獣化させた足の爪で木の側面に着地する。十分に曲げた膝の力で再び空を飛び、暗闇の中、気配で探り当てたネクロバンパイアの左肩を太い腕で叩く。
「っ! この娘っ!」
 千獣はとんぼ返りをして、地面に着地する。閃雷銃が発砲され、再び森が明るくなった。その瞬間、牙を剥いたネクロバンパイアが鋭い爪を構えて突進してきた。千獣は後方に逃げようと体勢を整えるが、遅い。爪は目の前まで迫っている。
 再び、稲妻が森を駆け、ネクロバンパイアの爪を1本えぐり飛ばした。グンナルの閃雷銃だ。
 ネクロバンパイアのさっと身を引いて、2人から距離を置いた。左腕はだらんとして、動かないようだった。
 グンナルは千獣の耳元でささやいた。
「ネクロバンパイアの弱点は銀。あいにく今は持ち合わせていません。あいつは負傷しているように見えますが、銀で傷を受けない限り再生してしまいます。長期戦になるとこちら不利になる可能性が高いでしょう。ミニ変化の洞窟は近いはずですから、任務遂行を優先して、用が済んだら逃げましょう」
「……うん……」
 グンナルは閃雷銃を発砲し、ネクロバンパイアの注意をそらした。
「行きましょう」
 閃雷銃の光を背に、グンナルは走り出した。
「……場所は、わかる、の……?」
「僕の方向感覚が正しければ、ほぼ間違いないはずです」
 千獣は感覚を鋭くし、洞窟特有のじめじめとした気配を探った。洞窟の場所はさほど苦労することなく見つけることができ、グンナルの予想がほとんど当たっていることがわかった。洞窟はここから50メートル離れた場所にある。
 千獣はグンナルの前に出て、走った。
「……洞窟は、こっち……」
 千獣はグンナルの手をとり、方向修正をしつつ、俊敏な動きで彼を洞窟へと導いて行く。念のためネクロバンパイアの気配を探ったが、まだ先ほどの場所から動いていないようだった。
 まもなく2人の前に洞窟が現れ、それとほぼ同じくして森から抜け出した。
「ミニ、変化の、洞窟で……間違いないですね」
 グンナルは息を荒げながらそう言うと、早足で洞窟の中へと向かう。千獣もネクロバンパイアの気配が近くにないことを確認してから、後に続いた。
 洞窟内は森よりもさらに深い闇で覆われて、2人の足音がこだまし、幾重にも重なって響いていた。壁画がうっすらと浮かび上がっている。
 ごつごつした地面の上は進み辛かったが、それでもネクロバンパイアに比べれば苦はなかった。
 まもなく出口が前方に現れ、さらにその先に、ぼんやりではあるが湖を見ることができた。
 ミニ変化の洞窟を抜けた途端、千獣とグンナルの体が縮んで可愛らしい人形のように3頭身になった。2人は突然のことに体がついていけず、転んでしまう。
「大丈夫ですか?」
 そう尋ねたグンナルは顔から倒れ込んでおり、一方千獣は膝をついただけでけろっとしている。
 千獣がグンナルを立たせようと手を差し出したとき、全身に寒気が走った。
「町に逃げれば良かったものの……」
 振り返ると、そこには同じく3頭身になったネクロバンパイアがいた。しかし彼女は体の不便さに臆することもなく、にやりと笑っている。負傷した箇所は回復しつつあった。
「私がミニ変化の洞窟に来ないとでも思ったか? 人間どもを不慣れな場所に追い込むのが私のやり方なんだよ!」
 ネクロバンパイアは叫ぶと、3頭身とは思えない俊敏さで2人に襲いかかってきた。
 鋭い爪がグンナルに振り下ろされる。そのとき、千獣がとっさにかばい、左腕を切裂かれた。
「……っ」
 傷口から、わずかではあるが血が流れている。千獣は腕を獣化させ、ぶるんと横に振った。ネクロバンパイアは後ろに飛んでそれを避ける。彼女は少し離れた場所で2人をあざ笑う。
 千獣は、立ち上がったグンナルにささやいた。
「……援護は、任せた、から……」
 言い終わると同時に千獣はネクロバンパイアに向かって走り出した。短い足でのトロトロした走りは、徐々に加速していく。体を使うこつがわかってきたのだろう。
 ネクロバンパイアとの距離が一気に狭まり、太い獣の腕で殴りかかる。
「無駄だ」
 ネクロバンパイアは空中に跳んで回避する。その瞬間、眩しい光が彼女に突進し、顔面を傷つけた。閃雷銃だ。
 光で目が眩んだネクロバンパイアは体勢を崩したまま着地した。顔には火傷に似た傷がある。千獣は構えていた拳を彼女の腹に思い切り叩き込む。
「ぐがっ!」
 ネクロバンパイアはふらふらしながら後退し、座り込んで咳き込んだ。
 追い打ちをかけるように、閃雷銃が発砲され、ネクロバンパイアの手足を切裂いた。
「……!」
 ネクロバンパイアは表情を歪め、戦意を無くしたのか立ち上がろうとしない。
 千獣はグンナルに攻撃をやめさせた。
「……もう、襲わ、ない……?」
 千獣が優しい声で尋ねた。するとネクロバンパイアは何も言わず、負傷した体を引きずりながら森の方へ歩き去って行った。
 千獣が振り返ると、グンナルは安堵の息をついて閃雷銃をホルスターに戻していた。
「助かりました……」
 生きた心地がしないというような言い方だった。
 千獣は力の抜けた様子のグンナルの手を引いて、湖に向かった。

 湖はひっそりとして、水面は静かに揺れていた。辺りの草花が夜風でなびいている。
 湖の真上に、たんぽぽの綿毛に似た白い光が浮かんでいた。
「冬季神様」
 グンナルは恭しく一礼すると、リュックサックを下ろして中から水筒を出した。
「……雪が、降ら、ない、から、それ……あげる、の……?」
「そうです」
 グンナルは水筒の蓋を開けた。
「……雪って……何か、あげ、ないと……降らない、もの、なの……?」
「そういうわけじゃないんです。ただ、そういうときもあるというだけで」
 千獣は首を傾げた。
「……変、なの……」
 グンナルは水筒から雪の塊を出して千獣に見せた。
「これは去年の雪です」
 そのとき、湖の真上に浮かんでいた白い光が近づいてきた。グンナルが雪を差し出すと、光はそれを体内に取り込んで、湖の上に戻って行く。
「四季を司る神たちは全能ではありません。いつかは死が訪れます。冬季神の場合、今年の冬が終わった頃に亡くなられて、若い者に冬季神の座が引き継がれました。新任の冬季神は雪を降らせる時期や降らせ方、降らせる意味を知らないことがあります。僕の役目は前任の冬季神が降らせた雪を通じて、新任の冬季神にそれらを教えることです」
 グンナルは水筒をリュックサックに仕舞った。
「さあ、帰りましょう。冬季神は賢いですから、雪を渡せばあとは大丈夫です」
「……うん……」
「今度は安全な道で」
 2人は湖を後にし、ミニ変化の洞窟に入った。3頭身だった体が元の大きさに戻り、軽い足取りで洞窟を出た。
 空は分厚く鉛色の雲に覆われていた。辺りは闇に覆われている。
「……あ……」
 空を見上げた千獣が声を上げた。彼女の赤い瞳が捉えたのは雲の落ちてくる白い粒。雪だ。
「上手くいったみたいですね」
「……きれ、い……」
 2人は降り始めたばかりの小さな雪たちを長い間、見上げ続けた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

整理番号:3087
PC名:千獣
性別:女性
年齢:17歳(実年齢999歳)
職業:獣使い

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■         ライター通信          ■
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