<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
『血書 ―無垢と同胞殺し―』
双子は血が欲しいと懇願した。
けれど大人はそれを咎めるばかりだった。
双子は次に、自分の指を噛み切ることを覚えた。
皮膚を歯で食い込ませ、血の流れ出るところで、止める。
もう一度その部分を唇に当てると、熱い味がする。
一旦唇を離し、その部分を見遣る。
安心感を覚える。
唾液の滴る中に、依然血の滲み出る様を確認する。
そして今度はお互いの指を啜り合うようになった。
やがて、お互いの指を噛み切るまでになった。
噛み切る瞬間の、皮膚に食い込む感触にも、魅了されていった。
血の滲み出る瞬間、お互いに笑みを堪えるのに必死だった。
双子の血の対象は、他者に移っていった。
しかし、他者は双子の嗜好を嫌悪した。
だから双子は、殺すことを覚えた。
殺せば動かなくなることを知った。
動かなくなれば、楽しみが叶うことを知った。
――ベルファ通り。
雲が流れ、満月が露になる。
石畳の上。死体が転がっている。目の届く範囲で、十数人。
いずれもが、背中に大きな裂傷。
そして、指に噛み傷。
黒い血が漂い、鼻を突く臭いが篭る。
エルザード城の兵士たちが、警備に当たり、死体の回収に追われる。
兵士たちの叫び声と、駆けずり回る鎧の軋みが、響く。
その中一人だけ、エスメラルダは、屍を見下ろし、佇む。
月明かりを背に、その双眸は、睨みつけるように、歪んで、影を象る。
じっと見つめる。流れぬ血を。
「あの人だけ、違う」
「うん。あの人だけ、動かない」
「動かないけれど、生きている感じがする」
「生きているけれど、満たされていない感じがする」
「あの人も、血が欲しいのかな?」
「とても怒った顔をしている」
「あたしたちに先を越されたからかな?」
「でも、あたしたちの先を越した人は今までいなかったよ」
「次はあの人の血をいただきましょうか?」
「あたしは周りの兵士たちからがいい」
「どちらも同じよ」
「同じだね」
「いきましょう」
「いきましょう」
エスメラルダは夜空の闇を見遣った。
通りの屋根の上に、僅かに煌く刃物のような形が見えた。
大きな鎌のようだった。刃先から、黒い雫が滴った。
だが姿はすぐに掻き消えた。
エスメラルダの背後で。
誰かの倒れる音がした。
兵士たちが取り乱し、士気を促す叫び声と、悲鳴が、入り混じる。
そして刃が。
エスメラルダを捉えた――
+
○記憶
いつもどのように出来事が記憶になっていくのか、不思議だった。血を嗅ぐと体が反応する。ただし、それを本能と呼ぶにはあまりにも理由に乏しい。血の記憶があるのか。けれど何であれ、「誘われた」のではなく、私の意思に基づいた行為ならば、それはやがて出来事として想起され、そしてもっと後になって、価値を置くことのできる記憶となっている――そう思った。
+
エスメラルダの眼前で血しぶきが上がり、即座に少女の黒いシルエットに戻る。大鎌を振り下ろした双子の片割れは、目を丸くして、場違いに無邪気にはしゃぐ。――千獣、とエスメラルダの声が震えていた。千獣の細い左腕に刃が食い込み、赤い血の流れる様を見遣る。大鎌を手にする片割れだけでなく、もう片割れも千獣に気付く。
「すごい!」
「すごい!」
「それに倒れないよ」
「この人も違うみたい」
双子は一寸違わぬ容姿をしていた。相違を指摘することは不可能のように思われるほど。そして双子のやりとりは、あたかも一人の人間の子どもがおしゃべりしているかのようだ。およそ対話ではなく、独語のような。
千獣は無言で刃を引き抜く。血が舞う。それを見てもう一人の片割れが千獣に刃を振りかざし――
今度はゆらりとかわす。双子は空振りにも、あれっ、と無邪気に声を上げるだけだった。
「……何、を……」
双子の反応など構わず、千獣がポツリと呟く。
「……分から、ない……。何を……して、いる……のか」
双子は不思議そうに眺めるだけだった。
千獣は傷に苦痛を感じることはない。けれど、その右腕から流れる血からは、じわりと熱を感じることができる。
+
○千獣の記憶
その熱は毛むくじゃらだった。その血はとても怖かった。
幼かった頃、眠る場所はいつも、私よりもずっと大きな、狼のような獣の体だった。私が懐に潜り込むと、後足を這わせてきたり、尻尾を被せてきた。尻尾は狼のお腹ほどには熱を持っていなかったのだけれど、その尻尾の動きが、狼の意思であることはなんとなく分かっていた。でもなぜこの狼は私に対して、こんなことをするのだろう、それが頭に浮かんでいた。けれど、なぜと問う途端、眠気に襲われ、そのまま眠ってしまうのだった、と思う。
目が覚めれば、そんなことお構いなしに、陽が所々に射す森を駆ける、そういう日常が始まる。食べることを教わったことはない。だが、食べる肉の噴き出る赤い水が、いやに鼻につく臭いだったという印象はよく残っている。
その赤い水が自分の中にも流れていることを知ったのも、幼い頃のことだったと思う。確か、私と一緒に眠っていた狼と同じぐらいの大きさの獣だった。そいつは荒い息をしながら、私の脇腹を喰いちぎった。私は戦慄を覚え、両手で傷をかばうように押さえ、草の上を転がった。私の転げた草葉が茶色く染まっているのが辛うじて見えて、その直後に、自分の両手がぬるぬるとしていることに気付いた。とっさのことだったから、私は思わず、その赤く染まった掌を、しっかりと、見た。
その後、私が尚も生きていたいきさつはよく分からない。目を覚ますと、黒い枝葉の合間から満月が覗いていて、一緒に暮らしていた狼が私を見下ろしていた。そして狼と目が合うと、私の頬を舐めてきたのだった。とても熱く感じたが、血の臭いはなぜかしなかった。感覚が鈍っていたのかもしれない。けれど、とても不思議だった。
群れのルールや、そのぬくもりは、こうして覚えていったのだろう。けれど、血の臭いを嗅ぐと体が反応することは、幼いころも今も、変わっていないのだと思う。
+
千獣は双子の話を聞きながら、記憶を掘り起こした。その横で、まともじゃない、とエスメラルダは呟いた。それが双子のことなのか千獣のことなのか、千獣には分からなかったが。
――しかし双子は狂気とは無縁だ。むしろ、純粋無垢。
+
○双子のルール
双子が成長していったいきさつは、驚くべきことではない。少なくとも、私にはそう感じられた。双子の語ったこと、そしてそこから思うことは、こうだ。
普通の人間がそうであるように、双子はお互いに語らい、笑い合い、慰め合って成長した。だが敢えて考えるところがあるとするならば、双子は「双子」であるという事実。
双子には上下関係がない。教える者と教えられる者。与える者と与えられる者。支配する者と支配される者。その関係は曖昧で、役割に明確な線引きがない。双子自身がその事実に気付いたのは、おそらく、自分の血を飲んだ時。そしてお互いの血を交換するようになった時、確信に変わっていったのかもしれない。一方が血を与える時、与える側は乳を与える「母」となり、指を舐めるのは乳を飲む「子」となる。一時的な母子の関係。そしてその逆もあったはず。子どもたちは母であり子であった。
確固たる役割を持ち得なかった双子は、適切な「親」の役割となる存在を受け入れず、そのせいで人間の理想とする「子ども」から徐々に離れていき、双子だけの「ルール」を作りあげ、二人の「ルール」のみに従い、結果――目の前にいる殺人鬼となっていった。
しかし――この双子を「獣」とか「狂気」とかで呼ぶことはできないだろう。生きる存在として、人間も動物も、獣のはず。双子にとっての糧とは、血と、もしかしたら、双子を否定した者たち全て……。双子たちにとっての「飢え」とは、おそらく、双子のルールを犯すこと。だから「食べる」に過ぎない。生きる手段として。それが『自然』なのだ。少なくとも双子にとって。――その点では私とて同じことなのかもしれない。森の中で生きるために、生を殺めた。数え切れないほど。
けれどもう一つ、確かめておこうと思った。なぜ、獲物が、「同じ」人間なのか。
+
尚も切りつけてくる双子を、千獣はゆらりとかわしながら静かに見つめている。
「――なぜ……する……こんな、こと……を」
だが、この問いを発した途端、双子の瞳に憎悪の色が現れる。
「同じだ」
「やっぱり同じだ」
「『なぜ』は嫌い!」
「『なぜ』は嫌い!」
「あたしたちのしたいことをみんな『なぜ』と言った!」
「あたしたちが嬉しくてもみんな『なぜ』と言った!」
片割れの振り下ろす刃が、千獣の腹に突き刺さる。エスメラルダは一瞬目を背ける。血が滲み出、呪符の織り込まれた包帯が濡れていく。
睨みつけてくる双子に、千獣は目を細めた。
+
――『なぜ』と問えば、双子が憤ることは、なんとなく分かっていた。
双子にとっての、或いは双子のルールにとっての『自然』とは、血を求めることであり、そこに理由なんてない。双子にはそれが純粋な欲なのだ。
+
○再び、千獣の記憶
あの後――狼に頬を舐められた後。狼の向こうに見えた満月が、とても綺麗だった。綺麗に見える理由などなかった。綺麗に見えたことを、『なぜ』と問うことに、何の意味も見出せない。それが『自然』だったのであり、私の純粋な心だったのだと思う。
いつだったか。月の見えた夜のこと。欠けていたか満月だったもよく覚えていない。私は月を目指して手近な木によじ登り、黒く揺れる上葉を掻き分け、腰を掛ける太い枝を探した。どうしてもその月を見たかったのではない。ただ引き寄せられ、無性に、上を見遣った。そんな些細な動機だったから、すぐ後になってその欲求が消えて、腰掛けた枝が思ったより細いとか、もたれかかった幹が湿っぽく濡れていて、雨でも降っていたのだろうか、でも葉は濡れていない、などと興味が他所へ流れ、さらに際限なく思念が溢れてくるのだった。これも理由なんてなく、生きていれば必ず無秩序に現れてくる。これが『自然』というものだ。
双子が血を求める思念も、おそらくこのように現れてきている。双子にとっては『自然』で、そして理由など考えるまでもない、生の本能。だから『なぜ』と問うことは不可能だ。双子にとっては誰が何と言おうと『善』でしかないのだから。『善』のためには、自分たちと同じ人間だって殺す。
これではっきりした。ならば、なおさらそんなことは関係ない。本当は双子の考えなどどうでも良い。最初から決めていた。私は『自然』のままに私の『善』を貫くまでだ。私の『悪』とは――同胞殺し。
+
双子の叫びが止んだ瞬間。
千獣の右腕が突然獣の姿を象る。そして双子の驚愕の声すら許さず――
乾いた衝撃音の中、双子は通りの石壁めがけて吹き飛ばされ、二人とも仰向けに倒れ、そのまま動かなくなる。大鎌が重い金属音を立て、転がる。
……その後は沈黙だけだった。今この場に立っているのはエスメラルダと千獣。石畳は相変わらず黒く汚れ、双子の出現で置き去りにされたままの死体が所々に占めている。
「殺したの……?」
エスメラルダが問う。
「気を、失う――だけ……。生きて、いる……」
双子を遠くからじっと眺め、そして、双子が殺めた死体をいくつか見遣って、もう一つ呟く。
「……人間って……よく、分から……ない――」
満月には灰色の雲が薄く覆っていた。今日は月に誘われなかった。
+
分かっているのは、双子が次に目を開いた時、頬を舐めてくれる存在がいないこと、それだけだ。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【3087 / 千獣 / 女性 / 17歳 / 異界職】
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■ ライター通信 ■
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ご無沙汰しております。ライターとしてのお目通りとなり、光栄です。しかしながら若干の不安を残しつつ、となっております。
不安要素とは、一人称と三人称が混ざっているので、少々読みにくいのではないかという点、そして、千獣さんの設定では、たとえ頭の中の言葉であったとしても、ここまで言語化しても良いのだろうか、という点です。特に後者においては、文面の内容に私の拡大解釈があるのは間違いないと思うので、今後の千獣さんのプレイングに影響が出ないとも限りませんから、食い違いや誤解などありましたら、是非お知らせいただきたいと思っています。
後は……作品で語ったことが全て、でしょうね。これ以上は控えておきましょう。内容も文体も実験的だったのですが、ご参加下さり、とても嬉しかったです。ありがとうございました。また機会があればお会いしたいと思います。
PURE RED(ライター)
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