<東京怪談ノベル(シングル)>
天使の贈り物
ライア・ウィナードは北国へ向かう船の上にいた。甲板を渡る潮風は冷たく鋭かったが、明るい日差しがその威力を肌に心地よい程度に弱めている。冬の風は独特の澄んだ衣となってその裾で海面をなで、船を静かに押し進めていた。
住まいである蝙蝠の城を出、ライアが船に身をゆだねていることには一つの理由がある。背に白鳥の翼を持つウインダー(有翼人)ではあるが、海を渡るといった長距離飛行はさすがに疲労が大きいため、わざわざ移動手段に船を選んだ。そうまでして遠出しなければならなかった理由――それは海の向こう、北国にあるサンタクロースの住む村を訪れるためだった。じきにやってくるクリスマスに備え、彼女はどうしてもサンタクロースに頼みたいことがあったのである。
船旅はやや退屈ではあったが順調で、穏やかだった。船員も乗り合わせた客たちも平凡だが気が良く、陸に上がった時には微笑を交わし合って互いの旅の無事を祈ったほどである。だが、このあとに起こることを計算に入れるとすると、それはあまりにも順調すぎる滑り出しだったのかもしれない。まさか平穏と非日常の釣り合いを取ろうと、運命という名の者がちょっとしたいたずらを仕掛けていようとは、この時のライアに知る術もなかった。
「残念ながらサンタクロースのじいさんは不在だよ。」
のどかな景色の割にはどこか浮き足立った様子の窺える村に入り、サンタクロースの住居はどこかと尋ねたライアに、村人はすっかり困り果てた顔でそう言った。
「どこかへ出かけているの?」
長い髪を揺らしライアが首をかしげると、村人は「それが……。」と歯切れ悪く言葉尻を濁し、頭をかく。それから一面雪に覆われて白くなった丘の方を指差し、そこに見える木の小屋にライアの注意を向けさせると、
「子供たちにさらわれたんだ。」
と途方に暮れた声音で呟いた。
「ほんの少し前のことさ。いたずら小僧どもがやってきて、じいさんのあの小屋に押し入ったんだよ。奴らはじいさんをソリに乗せて、あっという間に逃げ出したのさ。村の連中が何人も出て追いかけているんだが、どうにもてこずっていてね。」
それを聞いてライアは、村がどこかそわそわとした空気に包まれていた理由を悟った。彼らは前代未聞の誘拐事件に戸惑っていたのである。
しかし、子供相手に大の大人たちがてこずるというのはどうにも納得のいかない話だった。
「そんなに子供たちはソリを操るのが上手だったの? 村の人たちが苦戦するほどに?」
ライアのこの言葉に村人は、ああ、と唸り肩をすくめて答える。
「サンタのじいさんをさらったのはただの子供じゃない、小さな悪魔たちだったんだよ。ただの子供ならここまで骨を折ることはないんだがね……小さくても悪魔は悪魔、それなりに悪さには秀でているってことさ。」
村人は少しばかり言い訳がましく言って、深々とため息をついた。一方ライアは、丘の上の小屋から続くソリのあとをじっと目で追いながら何やら思案していたが、やがて意を決したらしく一つ頷いて村人の方を振り返る。そして、きっぱりとした口調でこう宣言した。
「私が連れ戻すわ。」
「お嬢さんが?」
驚いて声をあげた村人の目の前でライアはたたんでいた背中の翼を大きく広げ、数度羽ばたくと軽やかに空に舞い上がる。そしてすっかり目を丸くしている村人を残し、未だくっきりと雪の上に見えるソリのあとを追って澄んだ冬の空を駆けていった。
村人は呆然とその後ろ姿を見送り、「サンタクロースは飽きるほど見たが、天使を見たのは生まれて初めてだ。」と、ぽつりと呟いた。
村の外の景色は、たとえて言うなら白く塗りつぶされたキャンバスである。何も描かれていないのではなく、混じり気のない色なき色で描かれ、完成された芸術作品だった。一面真っ白の大雪原は目がくらむほどの銀世界で、距離を測る物がないせいか空と地面との距離を曖昧にし、両者を遥か遠くに感じさせたかと思えば、うっかりすると雲一つない青い空に頭をぶつけてしまうのではという気にさせる。普段は荘厳な城に暮らしているライアにとってその感覚は、しかし恐怖よりも解放感に近いもののように思われた。障害物のない白と青の間の世界は、鳥と等しく彼女にも友好的である。地面を滑るソリでは決して出ない速さで、ライアはキャンバスに残された細い筆のあとを追いかけた。
どれくらい空を駆けただろうか。さほど長くはない時が過ぎ去り、間もなくライアは雪の上に鮮やかな赤色を見つけた。ライアの髪と同じく雪に映えるサンタクロースの服の赤である。ソリに積み込まれた白い袋に荷物のように入れられているが、口から少しだけ服がのぞいていたのだ。そして、本来トナカイの手綱を握っているはずの彼に代わり御者を務めているのは、小さな子供たちである。
ライアは雪の上を滑っていくソリの方へと下降し、「待ちなさい!」と声をあげた。これに驚いて子供たちは口々に叫び声を発したが、頭上を振り仰ぎライアの姿を認めると、ぷんすか腹を立てて「驚かすなよ!」と怒鳴る。
「ぼくらは忙しいんだ、あっちに行ってくれ!」
「そうとも、ぼくらは大事な使命の途中なんだ。」
しかし、当然ながらこれでそうですかとおとなしく引き返す者はいない。
「貴方達がやっているのは悪い事よ。」
ソリと同じ速さで上空を飛びながらライアが言うと、小悪魔たちはけらけらと声をあげて笑いながら「悪い事こそぼくらの仕事さ!」とやり返した。
「ぼくらがいい事をやってみろ、悪魔の名折れだ。」
「天使の仕事がなくなるよ、お姉さん!」
子供たちはそう言ってバカにしたようにそろって舌を出してみせる。そればかりか小さな指を一本ライアに差し向けて、花火のような魔法を威嚇するように放ち、ライアを驚かせた。さしたる害はないが、人間である村人たちにはそれなりの足止めの効果をあげたに違いない。彼らの何とも小憎らしい態度に説得は効果なしと判断したライアは、サンタクロースの入った袋を取り返そうとソリに近づいた。
――その時。ライアの影に驚いたのかトナカイは悲鳴にも似た声をあげ、雪を蹴ると、そのまま勢いを落とすことなく空へと舞い上がった。今度はまぎれもない悲鳴を小悪魔たちがあげて、ソリは白い世界から青色の世界へと急上昇する。ライアは突然のことに息を呑み、慌てて彼らのあとを追って翼を羽ばたかせた。
興奮しているトナカイを御すはずの子供たちがすっかり混乱してしまっているため、ソリは制御を失ったままがむしゃらに空を駆け巡る。もはや乗り手たちは振り落とされないよう方々にしがみつくのが精一杯で、トナカイをなだめるどころではない。
ライアは何とかソリに追いつくと、翼を休めることなく意識を周囲の気ままな風に集中させた。魔法で意図的に風を起こし、ソリにブレーキをかけるのだ。雪原を渡る風は、地水火風すべての元素を操ることができる四大魔術師であり、空から祝福されているライアに忠実である。彼女の狙い通り、魔法の風はあわや小悪魔たちとサンタクロースを振り落としかけたソリを見事に止めてみせた。
疲れたようにトナカイが雪の上に足をつけると子供たちは一斉に泣き出し、ライアはようやく動きを止めたソリの傍に舞い降りる。白い袋の口を開けると、
「やれやれ、えらい目に遭ったわい。」
腰をさすりながらサンタクロースがのっそりと袋の中から這い出した。ライアはそれに手を貸し、立ち上がるのを手伝う。それから小さな悪魔たちに向かって「どうしてこんなことをしたの?」と問いかけ、これに子供たちはしゃくりあげながら口々に答えた。
「だって、プレゼントが欲しかったんだもん。」
「いたずらばっかりする悪い子には、サンタさんはプレゼントをくれないってパパとママが言うんだ。」
「パパとママは自分たちがいたずらされると怒るんだよ。」
「ぼくらは悪魔だけど、悪魔だってプレゼントが欲しいよ。」
「だから自分たちで手に入れようと思ったんだ。」
子供たちはそう言ってしょんぼりと頭を垂れ、すっかりおとなしくなってしまった。何やら悪魔として複雑な事情があるようだが、その気落ちした様子を見る限り反省はしているようである。ライアとサンタクロースは顔を見合わせ、同時に小さく息を吐き出した。それはため息だったのか、それとも苦笑であったのか。
「プレゼントは人から贈られるもので、奪うものじゃないのよ。」
ライアはそう言って子供たちの頭をなでる。サンタクロースも立派なお腹を揺すって「そうとも。」と同意した。
「だからこれは、わしから君たちに贈るとしよう。」
言うが早いかサンタクロースは白い袋の中からきれいに包装されたプレゼントを魔法のように取り出し、子供たち全員に一つずつ手渡して、お得意の文句を愉快そうに叫んだ。
「Merry Christmas!」
それから、悪魔の世界は明日がクリスマスだが少し早いのは大目に見るように、と言い訳をした。もちろん、子供たちがそれに不満を持つはずがない。彼らは手に手にプレゼントを大事そうに抱え、サンタクロースにはお礼の言葉を、ライアには謝罪の言葉を残して帰っていった。それを見送り、やがてサンタクロースは傍らのライアに興味深げな目を向けて、
「それで、わしを助けてくれたお嬢さんには何を贈ろうか? 形のないものは贈れないがね。」
とどこかからかうように尋ねる。これにライアは小さく首を振って、「私ではなく弟に。」と微笑んで答えた。
「弟が子供の頃大切にしていたクマのぬいぐるみを届けて欲しいの。とうの昔になくしてしまったの。弟は、それをなくしてとても悲しんでいたのよ。」
そう言ってからライアは、先ほどとは少し違う笑みを浮かべてみせた。
「今の弟はもう大人だけどね。」
帰りの船の中、ライアは遠ざかる白い陸地を見ながら、そこに過ぎ去った日々を重ねていた。ライアと彼女の弟は、とても多くのものを過去に失ってきた。残ったのは不気味な蝙蝠の城と、姉弟の絆だけかもしれない。
「私たちは本当にたくさんのものをなくしたけど、一つくらい取り戻せるものがあってもいいわよね……?」
それが、ライアがわざわざ北国まで赴いたただ一つの理由だった。サンタクロースに会って、過去に失ったものを弟に届けてくれるよう頼みたかったのである。そしてその願いは受理された。クリスマスの前夜、赤い服を着た白い髭の老人は、大きな袋の中からとっておきのプレゼントを取り出し、彼女の弟の枕もとにそっと置いていってくれることだろう。
その日を心待ちにしながら、ライアは再び穏やかな船旅を楽しんだ。
ライアが蝙蝠の城に戻り、クリスマスは、そのあとを追うようにして鈴の音を響かせながら軽やかに訪れる。そしてサンタクロースは、恩人との約束通り蝙蝠の城へとやってきた。不気味な外観に臆することなく、また城内で迷うこともなく目的の部屋へと足を踏み入れる。サンタクロースはベッドの傍に歩み寄り、白い袋の中から用心深く包みを取り出した。もちろんそのプレゼントの中身は、クマのぬいぐるみである。ライアの弟が昔なくしたものとまったく同じ、二度と戻ることはないと思われた、失われた過去の一つだった。だがそれは、彼ら姉弟の間に最後まで失われず残された絆により、奇跡の夜に取り戻されたのである。
サンタクロースは白いひげの下で人の良さそうな笑みを浮かべ、寝台の上で安らかな寝息をたてている青年の枕もとに包みをそっと置くと、来た時と同様静かに部屋を出ていったのだった。
サンタクロースはそのまま城を去ろうとしたが、ふと思い出したように別の部屋の前で足を止めた。そして扉の隙間に小さな手紙を挟み込む。それには、こう書かれていた。
「わしから贈れるただ一つの形のないものをお嬢さんに贈ろう。君の弟の、心からの笑顔を。」
了
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