<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


『人魚の企図(後編)』

「お願いです」
 か細い声がかすかに届いた。
「皆を解放してあげて……。海へ帰りましょう」
 手枷を嵌められた、淡い金色の髪の少女の声であった。
 即座に銀髪の女性の手が彼女の細い首へと伸び、締め上げた。
「馬鹿なことを言わないで。さあ、あなたも大人になるのよ、アレイン」
 銀髪の女性は、アレインと呼んだ少女を乱暴に部屋に投げ入れた。
「さて」
 室内で佇む者達を見回し、銀髪の女性は薄い笑みを浮かべた。
「少し眠っていてもらおうかしらね」
 女性がゆっくりと部屋に入る。同じ髪の色をした女性を従えながら。
「待って、僕達はまだ条件を呑むとは言っていないよ」
 自分に手を向けた女性に、エル・クロークは真剣ながらも穏やかな顔で、言った。
「僕達も我が身が可愛いもの。理由を聞かせては頂けないのかな。ここに居る男達は何か貴女達に危害を加えるようなことをしたのだろうか」
 エルの言葉に、銀髪の女性は周囲を見回した後、ゆっくりと手を下ろした」
「ここの男達だけではないの、人間という生き物がね。さあ、その男を放してくれるかしら? その男は私の旦那なのよ」
 女性の言葉にエルは震えている男性に目を向けた。男性は首を横に何も振る。
「違うと言っているようだけれど? 貴女達は……人魚、だよね?」
「……ええ。私達は、貴方達と種族が違うの。私達は合意で結婚をするのではなくて、女性が男性を一方的に選ぶの。人魚には男性はいない。人間の男性の身体に、卵を産みつけることで、私達は種を絶やさず生きているの。適さない男性は食料となってもらっているわ。悪くはないでしょ? 貴方達も、魚や獣を食べて生きているのだから」
「人魚? でも、人魚って下半身が魚だから人魚っていうんでしょ? あなた達には足があるみたいだけれど?」
 そう言ったのはチユ・オルセンだ。
 キッチンで、男性を介抱している彼女は、その銀髪の女性達から一番離れた位置にいる。近くには窓と壁――。そして、手の中には数枚のスペルカード。
「そうね、私には人間の足もあるわ」
 銀髪の女性もまた、余裕のある表情であった。
「魚や獣と、僕達や貴女達人魚は違うのでは? 獣は意思能力がなく、僕達を無差別に襲うけれど、貴女達と僕達は話し合い、共存することができる。違うかな? それに、貴女達には立派な足があるのに、何故足を欲するのかな。人魚であるならば、海の中に居た方が、遥かに暮らし易いだろうと思うのだけれども……」
 エルの言葉に、銀髪の女性は冷たい笑みを浮かべた。
「過去――私達の立場は逆だった。穏やかな種族だった私達は、人間に捕らえられ、見世物にされ、ついには、人間の寿命を延ばすために、彼等の餌となった。私達は陸地から離れ、人間の手の届かない海底で暮すことが多くなった。でも、私達は気付いたの。私達にとって人間も、価値のある存在だということに。私達の身体が人間の寿命を延ばすのと同様に、人間の身体も私達の寿命を延ばすのだということにね。そして、人間の身体を栄養に生まれた子供は、生まれながら足を持っている。陸地では下半身を足に変えることができるのよ……私達のように」
 ゆっくりと、女性はエルに近付く。
 その後ろから、もう一人の女性も。
「足を持っていない人魚には、人間の女性の足を与えるの。そうすれば、彼女達もその足を自分のものにすることができるのよ」
 エルに人魚達の目がいっている隙に、チユは密かに魔法を発動させる。抗術の魔法だ。この魔法を発動しておけば、睡眠魔法程度ならば防げるはずだ。
 そしてもう一人――虎王丸も、黙って見ていたわけでない。
 エルとチユが会話している間、部屋の中に投げ込まれたアレインという少女と相談をしていたのだ。

 自分のすぐ近くに投げ込まれた淡い金髪の少女に、そっと近付いて虎王丸は小声で訊ねていた。
「何でこいつらなんだ?」
「こいつらって……?」
 少女はか細い声で答えた。
「ほら、捕らえた奴ら」
「あなた達と同じように、私達の噂を聞いて訪れた人達だから。檻にいるのは、私達の身体を求めて訪れた冒険者。奥で倒れているのは、真っ先に刃を向けた人。窓の傍にいるのは、姉に選ばれた強靭な体力を持った人」
「ふーん……なるほどな」
 どの世界でも、下種な人間はいるものだ。
 とはいえ、自分達も彼女達の血を求めてやってきたのだが。
「お前達って、人魚なんだよな?」
 虎王丸の言葉に、少女は小さく頷いた。
「俺、人間じゃねーけど、それでも平気?」
「人間じゃないのですか? 逆に、そう言えば、解放してもらえるかも!」
 銀髪の女性達に、それを伝えようとしたアレインを手で制して、再び自分の方に向ける。
 もう少し、聞いておきたいことがある。
「お前達って、人魚なんだろ? お前はどうしたい? 海に帰りたいのか?」
 少女は少し迷った後、首を縦に振った。
「私達は、海に帰るべきだと思う。人間も、私達を求めるべきじゃないと思う。自分達に与えられた身体と命を全うするべきだと思うの」
「なるほどな……」
 虎王丸は腕を組んで、数秒考える。
 しかし、考え込んでいるより、聞いてしまった方がいいだろうと、単刀直入に質問を浴びせることにした。
「身体をくれとは言わねぇ。けど、指一本分くらいの血をもらえないか? んーと、お前達と同じっていうか、普通じゃない生まれ方をしたせいで、正常な寿命を持ってないダチがいるんだ。そいつを救うために、人魚の血が欲しいんだ。分けてくれたら、お前に最大限協力するぜ!」
 その言葉に、アレインは悲しそうに首を左右に振った。
「血はダメです。もしこの血で、あなたの友達の寿命を延ばすことができたら、人々はまた、人魚の血を求めるのでしょうから」
「そんなの、誰にも言わねぇよ。……けどま、いいや。どっちにしろ、あんたに協力する」
 虎王丸には、もう一つ考えがあった。血は手に入らずとも……。

「でも、私達は、あなた達に危害を加えるつもりはないわ。言わないで欲しいっていうのなら、ここでのことも、誰にも話さない。だからね、私達とここの人間達を帰して欲しいなーなんて思ってるんだけど、ダメ?」
「あなた達が言わなくても、この男達は話すでしょうね。そして、徒党を組んで焼き討ちにでも来るのかしら? でも、それもまたありがたいのだけれどね」
 銀髪の女性は、チユの言葉に相変わらずの余裕の表情で答える。
「う〜ん」
 チユは眉根を寄せる。
 これは種族として、人間を相当恨んでいるようだ。
 研究次第では、共に寿命を延ばす方法もあるだろうが……それは、倫理的にどうなのだろう。
「貴女達の気持ちは、わからないでもない。しかし、この状況を見てしまった以上、僕達は男性達を助けたいと思う。勿論、貴女達のことも助けたいとは思うよ。僕は人間でも、人魚でもないからね」
「俺もだ。俺も人間でも人魚でもねぇし」
 エルの言葉に、虎王丸が続けた。
「ああ、そうなの」
 途端、張り詰めた空気がほんの少し和らいだ。
 冷たい笑いを浮かべていた女性の顔も、幾分和らいだように見える。
 しかし――。
「人間じゃない種族も試してみたいと思うのだけれど、どうする?」
 振り返り、自分に従っていた女性に尋ねる。
「試してみたいわ」
「そうね。試してみましょう」
 再び冷笑をして、銀髪の女性がエルに。もう一人の女性は虎王丸に手を向けた。
「風刃!」
 銀髪の女性より先に魔法を発動したのは、スペルカードの発動準備を整えていたチユだった。
 エルに手を向けていた銀髪の女は、瞬時に後方に跳んだ。
「クロークさん、こっち!」
 クロークは男に肩を貸すと、チユの元へと走る。
「おおおおおりゃーーーー!」
 もう一人の女性には、虎王丸が飛びかかっていた。
 大袈裟なモーションで刀を振り下ろす。女性は飛び退いて躱す。
 ガキン
 音がしたのは、別の場所であった。
 男達が入れられていた牢屋の鍵が外れた音である。
「アレイン、あなたっ!」
 アレインの枷は、他の人魚の眼を盗んで虎王丸が外しておいた。
「おおっと、お前の相手は俺がするぜー」
 男達を逃がすアレインと銀髪の女性の間に、虎王丸が躍り出る。
 後方から爆発音が響く。チユの魔法が炸裂し、壁に穴があいた。
 エルは、まず卵を産みつけられた男性を外へ出し、続いてチユと共に、キッチンで倒れていた男性を外に引っ張りだした。
 自分一人ならともかく、大の男性を引き摺って逃げるとなると……撒けるだろうか?
「早く逃げてください。早くっ!」
 捕らえられたいた男達を逃がしながら、虎王丸に援護魔法をかけるアレイン。
 人魚の攻撃は彼女の援護でほぼ防げていた。
「アレイン、いい加減にしなさい!」
 言いながら、銀髪の女性が魔術を放つ。しかし、放たれた火の弾は、アレインとは全く逆の方向に飛び、小屋に炎が広がっていった。
「皆、とにかく外へ出て!」
 エルが香を部屋に置いて、外へと飛び出す。続いて、チユも。
「早く、早くっ」
 既に誰もいない檻に向かって声を上げているアレインの手を虎王丸がとった。
「お前も逃げるんだ!」
 ……そう言って、炎の中へと入っていく。
「虎王丸さん、そっちに行ったらダメ! 出口はこっち!!」
 外から放たれた水の弾が、虎王丸へ直撃する。
「あ、あれ?」
 なんだか方向感覚が狂う。
「こっちが出口よ!」
 チユの声と共に、水の弾が次々と投げ込まれる。
 アレインの手を引いたまま、虎王丸は声の方へと走った。

**********

 解放された男性達は、散り散りに逃げ去っていった。
 キッチンで倒れていた重体の男性と、卵を産みつけられた男性のみ、この場で倒れている。
「んじゃ、こっちの死にかけてる方は、俺が背負っていくとして……」
「もう一人は、私達が肩を貸すことにするわ」
 体力のある虎王丸が重体の男性を背負い、卵を産みつけられた男性の方はチユとエルで肩を貸すことにする。
「アレイン……だったよな? お前はどうする?」
 虎王丸の言葉に、皆を見守っていて少女が戸惑いの表情を見せた。
 エルの焚いた幻覚効果のある香により、人魚達は追ってはこなかった。しかし、死んではいないだろう。
 この場所に気付かれる前に、虎王丸達としては退散したいところだが。……彼女はあの人魚達の仲間である。
「一緒に来るってんなら、歓迎すっけど?」
 虎王丸の言葉に、アレインは首を左右に振った。
「人間達の住みかでは、私達は生きられません」
「そうだよな。でもまあ、生き方によっちゃー結構楽しめるぜ! 俺がそうだし」
 そう言って、虎王丸はにやりと笑った。
 アレインも少しだけ笑った。
「でも大丈夫? お仲間さん、怒ってないかしら?」
「怒ってると思います。だけど……私、頑張りますから。皆を説得し続けようと思います」
 その言葉に、チユと虎王丸は笑顔で答え、エルは大きく頷いた。
「じゃあな!」
 虎王丸は真っ先に駆けだした。人魚のこともあるが、のんびりしていたら、背負った男性が死んでしまいそうである。
「また、会いましょうね!」
「今度は一緒に美味しいデザートでも食べよう」
 チユとエルの言葉に、アレインは笑顔でこう答えた。
「はい。またお会いした時には、是非」

**********

 治療院に重体男性を連れて行った後、虎王丸は仲間と合流をし、共にファムル・ディートの診療所へと向った。
「治療院に行くべきかどうか迷ったのだけれど、まずは事情を知るあなたに診てもらおうと思ってね」
 エルは男性の状況を説明し、ファムルに預ける。
 ファムルは虎王丸の手を借りて、男性をベッドに横たえた。
 ナイフで男の服を裂き、上半身を裸にする。……男の腹が、僅かに膨れている。
「な、内臓を食って成長するんだそうだ」
 男が震えながら言う。男は恐怖と痛みで、今にも発狂しそうな状態だった。
「どうにかならないか?」
 エルの言葉にファムルは考え込む。
「血は無理だったけど、これって人魚に関連したものだろっ? 摘出しろよ」
 血はダメでも、卵がある。そう思って、虎王丸は強引に血を求めることはしなかった。
「そうは言ってもなー、手術なんかは専門外だからな」
「おーし、それじゃ、俺が腹掻っ捌いてやる!」
 言って虎王丸が刀を抜く。
「や、やややや、やめてくれー」
「ファムル、麻酔! 麻酔薬くれぇあるんだろ!?」
 男を抑えつけながら言う虎王丸に、苦笑しながらファムルは麻酔薬を取り出した。

 ――数時間後。
 男は死んだようにベッドで眠っていた。
「男性だから妊夫さんってところ?」
 チユは密かに笑いながら、看病をしていた。
 結局、卵の摘出手術は断念した。
 ただし、男性を見捨てたわけではない。
 虎王丸に預けていた大きな注射器で、男性の腹から、卵の一部を吸い出したのだ。
 即座にファムルは分析し、男性に毒薬を飲ませた。勿論、人体には極力害を与えないよう調合された毒だ。
 しかし、体内の人魚の卵は確実に殺すことが出来るだろう。
「この人、麻酔で眠っているの?」
 チユの質問に、カルテにペンを走らせていたファムルが振り向く。
「ちょっと多めに使ったからな」
「……なるほど、長く寝かせておいて、入院代をふんだくろうって魂胆ね」
「い、いや、そ、そうではなくてな。念の為だ念の為」
 図星のようである。
「目を覚ましたら帰れるの?」
「そうだな。数日は安静にしておいた方がいいが、その後は普通の生活が出来るだろう。死んだ卵は取り出さんでも血液などの循環と一緒に流れ、自然に排出されるはずだ」
「そうなんだ」
 ファムルの言葉に、チユはちょっとがっかりする。
 人間の内臓の変わりの食料を与えて、育てて産ませる方が楽しいのに……と、ほんのちょっとだけ考えてしまった。
「さて、人魚の血は得られなかったってことで、報酬は無しでいいかー?」
「おお、無しでいいぞー!」
 言いながら、ポカリと虎王丸はファムルの頭を殴った。
「その代り、俺等が苦労したと同じだけ働けよな」
「それは、もちろん」
「私はどうしようかなー。新薬でも貰って帰ろうかしら。……クロークさんは?」
 チユの言葉に、振り向いてエルはこう言った。
「そうだね。その卵で作る薬に興味がある、かな」
 エルの視線の先。ファムルの傍らには、試験官一本分の人魚の卵があった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3570 / エル・クローク / 無性 / 18歳 / 異界職】
【1070 / 虎王丸 / 男性 / 16歳 / 火炎剣士】
【3317 / チユ・オルセン / 女性 / 23歳 / 超常魔導師】
【NPC / ファムル・ディート / 男性 / 38歳 / 錬金術師】
人魚達

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■         ライター通信          ■
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ライターの川岸満里亜です。
人魚の企図(後編)にご参加いただき、ありがとうございました!
無事、帰還。及び全員救出できました。役割分担やご意見がちょうどよいバランスでした。
ファムルが得た卵の一部は、今後のゲームノベルで何らかの役割を果たす……かもしれません。
よろしければ今後の展開もご覧、もしくはご参加いただければ幸いです。