<東京怪談ノベル(シングル)>


黒山羊亭にて

 薄暗い店内、そこにだけスポットライトが照らされているステージ。軽やかにして鋭いステップが重ねられると同時に黒いドレスの裾が翻る。艶やかなターン。演奏される楽曲に合わせ、情熱的に黒蝶が、舞う。
 タタタンとタップを鳴らし、ポーズ。フィニッシュ。
 演奏が終わる。
 …滅多に見れない踊り子エスメラルダの見事な踊り。偶然にも観賞する事が出来た幸運な客たちから拍手喝采を浴びながらエスメラルダは悠然とカウンターの内側にまで戻ってきた。その途中、拍手をくれた客たちへと礼代わりの艶やかな微笑みを返す事も忘れない。
 カウンター席には一人の少女が居た。
 赤い瞳に白い肌、伸ばしたまま揃えも纏めもしていない黒く長い髪。
 ゆったりした軽装の上に、マントの如く背に羽織っている大きな暗色の布。
 そして――身体中ぐるぐるに巻いてあり、付けてもある、数多の呪符。
 彼女はカウンター席のスツールにちょこりと座って、そんなエスメラルダの様子をただじーっと見ていた。
 エスメラルダはそんな彼女の顔を覗き込むようにカウンターの天板に腕を置くと、ゆったりと小首を傾げてくる。
「どうしたの、千獣ちゃん?」
「今の、踊り」
「ええ」
「なんで?」
「?」
 なんでって何が?
 いきなり訊かれても訊かれた方こそ何だかわからない。
 そんなエスメラルダの困惑を察したのか、千獣はたどたどしく言葉を続け説明する。
「エスメラルダ、ここで、今、踊る、意味、何?」
 踊る意味。
 その後ろで伴奏として演奏されていた音楽も、同じ。
 少女――千獣にとってはそうする意味からして、わからない。
 何の意味があって今ここで踊りを披露したのか。
 ここは、飲み物や食べ物を出す店で、エスメラルダはその店の主人なのに。
「そうねぇ。踊る意味、か…。そう訊かれちゃうと、哲学的な話になっちゃいそうね?」
「哲学?」
「人には説明し難いって事よ」
 私は踊り子でもあるからお金を貰う対価としてお客を楽しませる為に踊ると言う事もあるけれど、今の場合は…少し意味が違うから。今の場合は、そんな気になれたから。私がそうしたいと思ったから。だから踊った訳ね。
 今の踊りに私は対価を求めていない。
 店のお客さんたちは気に入ってくれているみたいだけど。
「でも、こんなに、ひと、たくさん、居るのに、誰も…エスメラルダに、子供、欲しい、って、来ない」
 踊り、気に入ってくれているみたい…なら、男の人は子供が欲しいって来るものなんじゃないの?
 ううん。それ以前に、踊ったりするのは女の人じゃなくて男の人の方なんじゃないの?
 …野生だと、だいたいそうだった。
 踊りを見せたメスに自分との子孫を残したいって思わせる為に、オスは踊りを踊る。その踊りが上手ければ上手い程、より個体として優れているのだから。…そんな風に決まってる種類のいきものが野生にはいた。子孫を残す為――そうする為の過程として異性の気を引く為にする事はいきものの種類によって色々変わる。踊ると言うのもそんな中の一つの行為としてあるのを知っている。だから千獣も『踊る』と言う行為自体は一応ながら元々理解の内にある。けれどだからこそ、『エスメラルダが、今ここで』踊った事については素朴な疑問が生まれてしまう。
 今、エスメラルダは女の人なのに踊ったし、店の客の皆、エスメラルダの踊りを見て喜んでるのに、それなのに子供が欲しいって来るような男の人は居ないし。
 何の意味で今の踊りをしたんだろうって、不思議に思ったから。
 だから、なんで、って訊いてみた。
 そこまで千獣が頑張って説明すると、エスメラルダはあらら、と苦笑した。
「否定はしないけど…――」
 と、その科白をすかさず聞き付けて千獣の背後からひょこりと一人の男――何処ぞのテーブルで飲んでいる冒険者か何からしい――が、はいはいはい! と勢い付いて顔を出してくる。
「んじゃ俺立候補!」
「んだとてめぇ如きにエスメラルダをやれるか! それより俺が俺が!」
「…お前こそそんな事言い出せるようなツラかよ」
「てめぇこそ人の事言えるようなツラかよ。エスメラルダをモノにするにゃそれなりに紳士じゃなきゃよ」
「だははははっ! 紳士ってガラかぁ手前?」
「こんな奴らは放っておいて。今宵一晩私と…いかがです?」
 …気が付くと、一番初めに顔を出して来た男を押し潰し押し退けるような勢いで、わらりと似た雰囲気の男連中が群がって似たような事を言い出している。
 千獣、自分の発言が原因と思しき、いきなり起きた背後の騒ぎにちょっと驚き目をぱちくり。
 エスメラルダは優しくも隙のない微笑みで千獣の背後に群がっている男たちを見る。
「みんな有難う。嬉しいわ。…でもね、それだけでもないのよ」
 と、男たちを軽くあしらってから、科白の後半は千獣に向けて続ける。
 踊る事イコール求愛行動。それは――否定はしない。出来ないが。
 決して、『それだけ』、ではない。
 人間はそこにまたややっこしい意味付けを加える。芸術とか。表現とか。神への捧げものだとか。他にも、色々。
 人間が舞踏を行う意味は単純な求愛行動に限らない。
「千獣ちゃんには私の踊りはどんな風に見えたかしら?」
「きれい…だった」
 だからさっき、なんで誰も子供が欲しいって来ないんだろうって、不思議に思った。
「有難う。でも、いきなりそうは言わないものなの。人間の場合はそうする前に幾つかこなさなきゃならない段階があるのよ。押して、引いて。駆け引きが必要なの。その駆け引きこそが一番の醍醐味だったりもするし。…色々とややっこしいのね」
「うん」
 …実際に今、千獣がその疑問を確かめた途端――それを受けて否定はしないけどとエスメラルダが言った途端、彼女の踊りにやられた男たちがこれ幸いとばかりにどどっとエスメラルダに言い寄って来た事実がある。目の前で起きた事。意味がわからなくとも事実そうなったのだから、千獣は否定はしない。
 …男たちがエスメラルダにすぐそうやって言って来なかったのは、今の段階ですぐにそうやって言い寄るべき事じゃないと知っていたから。何故そうなのか良くはわからないけど、そういう事なのだろう。
 それが、千獣が疑問を投げる事でエスメラルダから返った言葉で初めて、そうやって言い寄る許可が出たような…感じだった。
「…千獣ちゃん?」
「でも、やっぱり、よくわからない」
 駆け引きこそが一番の醍醐味だったり、とか。
 駆け引き――即ち、伴侶を得る為の『努力』――こそが楽しみだったりもする、って事がよくわからない。
 経過は経過であって、勿論必要な事ではあるだろうけど、やっぱりそれは…結果の方が大事だと思うから。
 考え込みながら千獣は訴える。
 と、エスメラルダは改まって千獣を見た。
「千獣ちゃんも大切な人が居るでしょう?」
「…うん。居る」
「その人はどうして大切なのかしら?」
「どうして、って…」
 いきなり言われても。
 困る。
 どうしてと言われて考えると、たくさん、数え切れないくらい理由があるから。ほんの他愛無い事、でも同時に一つ一つ大事に心の奥に仕舞っておきたい事が、たくさん。それがたくさん集まって、その人が――誰にも引き換えられないくらいとてもとても大切な人になっている。
 答えに迷っている千獣の様子を察したか、エスメラルダはにこりと微笑む。
「その人を大切だと思う理由の一つ一つが、あなたの心を揺らしてるでしょう?」
「…うん」
「そういう事なの」
「………………何となく、わかった」
 …ような気が、する。
 でも、そうなると。
 自分の身を、今のこの話題に重ねて考えるとすると。
 一度立ち止まって思った途端、千獣の顔に血が上り、かあっと赤くなる。
 つまり千獣は、その大切な人と…『そうなりたい』と思っている事になる訳だから。

 エスメラルダはそんな千獣の様子を微笑ましげに見守っている。
 ゆっくりと酒の入ったグラスを傾けながら。

【了】