<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


『月の紋章―第四話―』

 夜
 空に浮かぶ月
 光、だけを見てはいないか?
 光、だけを恩恵と感じてはいないか?

 月が消えれば、世界は傾くのだという
 月が消えれば、1日の時間が変わり
 月が消えれば、生物の多くは死滅するのだと

 日中
 まばゆい光の中
 人の眼に映らずとも
 静かに存在し続ける月

●カンザエラ防衛
 迂闊だった。
 クロック・ランベリーは、物陰で歯軋りをした。
 アルメリア・ザテッドの性格を読みきれていなかった。
 しかし、彼女がこのような行動に出ると知っていたとして。
 自分は、彼女をどうしただろうか。
 隊長であるグラン・ザデッドのクローンを孕んだあの女を。
 山本・健一が倒したレザル・ガレアラという女も、騎士団が生み出したクローンだという。
 生まれながら……いや、生まれる前から、騎士団の戦士となるべく作られた兵器だ。
 クロックは、崩れかけた建物の中に入る。
 割れた窓の傍に身を潜ませ、弓に2本の矢を番えた。
 研究所へと向う兵士の姿がある。……その後ろから、けたたましく叫びながら、アルメリア。彼女を守るように付き従っているのは、騎士だろうか。
「レザルを倒すような相手よ、この程度の犠牲、団長もザリスも納得するはずよ。ふ、ふふふふふ……あはははははは」
 狂気的な笑い声だった。
 クロックは目を細めながら、割れた窓の向こう、アルメリアと騎士に向けて矢を放つ。
 僅かな隙間から放たれた矢は、2人の団員の身体に触れるまで気付く者はいなかった。
 1本はアルメリアを迎えにきた、騎士と思われる男の背に。もう一本は――アルメリアの背を貫き、腹部から矢先が覗いていた。
 彼等が倒れるより早く、クロックはオーラショットを連打する。
 建物の間から打ち込まれたオーラの弾に、兵士達はなすすべもなく、逃げまとっている。
 しかし、クロックの攻撃は、兵士達には向けていない。
 ただ、一人のみ。
 あの女――アルメリアに全ての弾を向けていた。
 アルメリアを迎えに来た騎士は、身を挺するつもりはないらしい。刺さった矢は、男が纏っていた鎧により、大したダメージを受けていないようだ。
 一瞬、弾が打ち込まれる方向――クロックの居場所を見ると、男は駆け出した。こちらに回りこむようだ。
 男のいた場所からクロックの潜む建物までは、人が通れるほどの空間はない。
 クロックは男を追おうとする兵士達にオーラショットを打ち込み、兵を分散させると建物から飛び出す。
 あの女、アルメリアさえ討てればそれでいい。
 全ての兵士を相手にするほどの戦力はこちらにはないのだから。

 追っ手を撒きながら走り、クロックは健一とキャビィ・エグゼインが待つ空家へと戻る。
「キャビィ、馬車を用意しろ。それと、健一――」
 意識を取り戻し、自身の治療を行なっていた健一に、クロックは現状について掻い摘んで話す。
 健一は治療を続けながら、クロックの話に注意深く耳を傾ける。
「街全体に作用する魔法陣ですか……」
 キャビィが用意した服を着て、健一は立ち上がる。
「魔法で陣を消し去ることは今は無理ですが、魔法陣の種類によっては、無効化することは可能かもしれません」
「では、そちらは頼む」
 健一とクロックは頷きあって、外へと出た。
 街の中には兵士達の姿がちらほらと見られる。しかし、全体を包囲するほどの人数はいないのだろう。
 クロックは後方から兵士めがけて、オーラショットを打ち込む。倒れた兵士を縛り上げて、物陰に隠す。
 アルメリアが言っていた魔法陣とは一体何だ?
 街の人々全ての命を奪うというのなら、自分達も例外ではないはずだ。
 ……多分、特定の場所だけには効果がないのだろう。
 つまり、兵士が街の中にいる今は、その魔法陣の発動はない。
 いや、あの女のような狂った考えを持った人物が存在すれば、仲間の命も犠牲にしかねない、か。
 アルメリア以外には顔は知られていない。
 現在、騎士団にこの街の管理を任されているのは、研究所の副所長らしい。
 潜入して副所長を討つまでは無理でも……混乱はさせておくべきだろう。
 クロックは一人、研究所に向った。

「健一、あっちだって、あっち!」
 手を振るキャビィの元に、健一は駆け寄った。
 まだ傷は痛むが、痛みさえ耐えれば、普通に行動することは可能だ。ただし、魔力はほとんど残っていない。
「この姿で聞いたら、皆色々教えてくれたよ。……なんか、この女性、ここのみんなに好かれてるみたいだ」
 キャビィは未だ、ルニナという女性の姿のままであった。
 元の姿に戻る手段を問われた健一だが、術をかけた本人……つまり、キャビィの身体がここになければ、健一には戻すことができない。
 術をかけた本人であれば、離れていても可能かもしれないが、互いの状態を知らずに戻すことは、良策とは言えないだろう。
 その答えに、キャビィは「それじゃ、あたしは街の人たちとここで待ってみるよ」と答えたのだった。
 逃走を防ぐためか、街に馬車はなかった。一度に多くの人物を移動させるためには、少し離れた場所にある乗り合い馬車の停留所で馬車を待ち、到着した馬車の御者に事情を話して、協力を願うより他なさそうだ。
 解放された聖都の人々と自分達は、早いうちにこの街から去った方がよさそうである。自分達が離れれば、アセシナートに抵抗をしないこの街の人に、危害を加える理由はないはずだ。
 まだ街に残っている外部の者に、急ぎ停留所に向うよう指示を出しながら、健一はキャビィと共に、街の人の案内でとある場所へと向った。
「これだよ、ルニナちゃん。君も知ってるだろうに」
「あはは、そうなんだけどねー。ちょっと場所度忘れしちゃったんだよ」
 適当に答えて、キャビィは街の人に礼を言い、別れた。
 健一は案内をしてくれた街の人の姿が見えなくなると、その――石碑のようなものに近付いた。
 この石碑は、アセシナートが中心部を占拠してから建てられたものだという
「そうですね。これが陣のポイントのようです。この石自体なのか、それとも地中に仕掛けがあるのか……」
 言いながら、健一は石に手を当てて、内部を探る。
「健一、大丈夫?」
「軽く探っているだけですから、大丈夫ですよ」
 自分の身を案じるキャビィに優しく答えた後、目を閉じた。
 キャビィは心配そうに健一を見守っていた。
「……カモフラージュされていますが、中に、あるようですね」
 数秒後、健一は目を開けると、石碑を見ながら考え込む。
「本当は破壊したいところですが」
 現在、爆発系魔法を使うほど、魔力が残っていない。
「仕方ありませんね、スコップを借りてきましょう」
「うん」
 健一とキャビィは付近のそれぞれ違う家を訪ね、鍬や大きなスコップを借りて、その石碑の回りを掘り始める。
「貴様等、何をしている!」
 巡回していた兵士が駆け寄ってくる。
「お祖父ちゃんが死んじゃったから、このお墓に埋めようと……」
「これは墓ではない!」
「えー、ここにお祖母ちゃんも眠ってるのにー!」
 キャビィが兵士の気をひきつけている隙に、健一は兵士の側面に寄ると、手刀で兵士の首を打つ。
 小さな声とともに、兵士は気を失った。
 健一は兵士の懐から、小刀を取り出し、自身の懐に仕舞う。
 刀剣類は研究所出発の際、ザリス・ディルダに奪われてしまったのだ。
 しかし、魔法武器や薬類に関しては、ザリスは手を出さなかった。恐らく、本部で回収するつもりだったのだろう。
 その後も地道な作業を続け、二人は石碑を地中から引っ張り出すことに成功した。
「向きを変えましょう」
 言って、健一は石碑の向きを変えると再び、石碑を埋めたのだった。
「これで正常に機能しないはずです。理由を突き止めるのにも時間がかかるでしょう」
「やったね!」
 手や身体の泥を払いながら、健一とキャビィは微笑みあった。

●最深部
「キャトル」
 自分を見上げるキャトル・ヴァン・ディズヌフに、フィリオ・ラフスハウシェは薬を渡した。
 以前、彼女にも飲ませたことのある、ユニコーンの薬である。
 キャトルはこくりと頷いて何も言わずに、薬を飲んだ。
 顔をしかめた後、フィリオに身を寄せる。
 未だ女天使姿のフィリオは、キャトルを両腕と羽根で覆って抱きしめながら、囁いた。
「魔力で身体を覆って下さい。全身に服を着せるようなイメージで」
「でも……あたしは魔力をコントロールできない」
「大丈夫です。援護しますから」
「わかった、やってみる」
 キャトルは大きく息をついた。
「……薬飲んで、調子よくなってきたらから……出来るかも。フィリオも側に、いてくれているし」
 キャトルの身体から力が溢れ出ていく。
 その力は、フィリオの身体をも覆った。
 フィリオは自分の魔力も絡め、彼女の力を身に纏った。
「行きなさい」
 ザリス・ディルダの声と共に、2人が立っていた場所に、突如穴が開く。
 だけれど、急激に落下はしない。ザリスの魔法により、2人はゆっくりと深い穴の中へと下りていった。
 細い、小さな身体から、鼓動の音が感じられる。
 呼吸のリズムがわかる。
 だけれど、胸の中の少女は何の言葉も発しなかった。
 フィリオもまた、何も言う余裕はなかった。
 身体に感じる圧力に耐えるだけで精一杯だ。
 押し寄せる違和感。
 魔力の衣を脱ぎ捨てれば、この違和感からは解放されるのだろう。
 しかし、その後はどうなる?
 多分、結界の力は、自分達の身体を滅ぼそうとするのだろう。
 吐き気や眩暈に耐えながら、フィリオは地に足をついた。
 ――暗い。
 しかし、フェニックスの赤い結界の光により、中の様子は把握できた。
 広い部屋の中央に、祭壇のような場所がある。
 そこに、卵があった。
 人間の子供くらいの大きさだ。
「卵をとったら、この場所に戻ってきなさい。引き上げるわ」
 頭上から、ザリスの声が降ってくる。
 キャトルは動かない。
「行きますよ」
 フィリオの声にも何の反応も示さなかった。
 飛ぶために、羽根を広げることは出来ない。
 魔法も、この場所では使うことが出来ないだろう。
 前へ、進むより他なかった。
 足を、横に進めると、キャトルの足も動いた。
 抱き合ったまま、2人はゆっくりと、卵に近付いた。
 数分の時間をかけて、2人は卵の傍に辿りついた。
 この卵を手にするためには、2人の身体を離さねばならない。
「私が卵を片腕に抱えます。走りましょう、キャトル」
 ……その言葉に、キャトルは答えなかった。
 答えずに、自ら身を起こし、顔を上げた。
 どことなく虚ろな目をしている。
「意識をなくしても、あなたに言われたことを守っている。健気というか、能力がないだけで、才能はあるのか……」
 虚ろな目のまま、キャトルは笑った。
 瞬時に、フィリオはそれがザリスの言葉であると気付く。
「いいわ。あなたが持ってきて。この子の身体には重そうだしね」
 言って、キャトルはフィリオから離れる。が、フィリオはキャトルの手を離さなかった。
 少しの間でも、彼女をこの空間に晒すことは、危険だと感じていた。
 今、彼女の身体を支配しているのは、ザリスだと解っていても、フィリオは彼女の身体を片腕で抱き続けた。
 そして、キャトルと一緒に、祭壇に上がり、もう一方の腕と脇で、卵を抱える。
「ふふふ、卵自体には結界が張られてなかったみたいね。触れた途端肉体が消滅する危険性も考えていたのだけれど」
 キャトルから発せられた言葉に、フィリオの身体に緊張が走った。
 持って動くことへの危険性。持って、部屋から出ることの危険性――考えればキリがない。
 虚ろな目で微笑むキャトルに、目を細め、本当の彼女に小さく微笑みながら、フィリオはキャトルと共に、祭壇を下りた。
 そして、穴の場所へと足を進める。

●不器用な男
 名も知らぬ相手だ。
 自分には戦う理由はない。
 ただ、道を空けてくれればそれでいい。
 しかし、相手にとって自分は“消さねばならない過去”だそうだ。
 相手――ディラ・ビラジスの剣を、ケヴィン・フォレストは、自らの剣で受けた。
 鋭い目をしている。憎しみの込められた眼だ。
 “消さなければならない過去なんつうものに入れてくれて、光栄だよ”
 ケヴィンは剣を交えながら、相変わらずの無表情でそんなことを考えていた。
 相手は騎士団員。
 自分は、賞金稼ぎ。
 どちらがまともな職業かといえば、相手の方だ。
 ただ、所属している国が、まともではないだけで。
 彼の生い立ちがまともではなかっただけで。
 互いに、このような職であるからには、穏やかにベッドの上で一生を終えることは、難しい。
 相手も、それを承知しているはずだ。
 自分は普段、知り合いと楽しく過ごしている。
 だけれど、この男はどうだ?
 アセシナートの騎士団は、仲間をも簡単に犠牲にする。
 多分、毎日が戦いだ。
 四六時中、この男は戦場にいるのだろう。
 子供だけの集落での生活は、生きることが戦いだっただろう。
 そして、アセシナートにより、戦わされて生き残り、戦って生きている。
 この男は、喜びを知っているのか?
 楽しみを知っているのか?
 戦いしか知らずに、この男は死ぬのだろうか。
 打ち込まる剣を、弾きながら後方へと跳ぶ。
 足場の悪い場所だ。しかし、それは相手も同じ。
 足を踏み外し、軽く体勢を崩したケヴィンの顔に、すかさずナイフが飛ぶ。
 咄嗟に剣で軌道を変える。ナイフは、ケヴィンの頬を掠めた。
 ベッドの上で、穏やかな最後を迎えられるとは思っていないが……ケヴィンとて、ここで死ぬつもりはない。
 血を拭うこともせず、ケヴィンは剣を構えなおす。
 屋根を蹴り、仕掛ける。
 隙を見て、振り切ることも可能だろうが、追ってこられては厄介である。
 少女達を放ってはおけない。
 この男を倒し、自分は行かねばならない。
 だけれどもし、殺さずに倒せたのなら――。
「その顔、気にいらねぇッ」
 男は、ケヴィンの剣を受けながら、低く叫ぶ。
「本気で来い。じゃないと、殺すぞ。貴様は勿論、貴様の仲間たちが例え生き残っても、俺が……」
 最後まで、言わせなかった。
 ケヴィンは体勢を低め、剣を流すと、男の脇に回りこみ足を払った。
 よろめきながらも、男は剣を振り回す。
 思い切り、剣で剣を弾き飛ばし、ケヴィンは短刀を抜くと男の首に向けた。
 男の後方に、屋根はない。飛び降りれない高さではないが、後ろ向きではまともな着地は不可能だ。
「な、ぜだっ」
 男が横に跳ぶ。ケヴィンも同時に跳び、二人の剣が再び重なり合う。
「俺の方が、訓練を積んでいる。俺の方が、修羅場を潜っている。貴様等のようなのうのうとした人生は送っていない。なのに、何故ッ!」
 それは年齢による経験の差と……目的の違いだ。
 彼は生きる為に戦っているのだろうが、生きる楽しみを知らずして、どれだけ生に執着できる? 守るべき者がいて、人は強くなれる。
 男の剣を押し返す。純粋な力勝負になっていた。
 経験と目的の他に、もう一つ、ケヴィンを勝利へと導いたものがあった。
 性格だ。
 ディラは気が短く、熱くなりすぎる。
 ケヴィンは、冷静だった。
 ケヴィンに押され、ディラの片足が宙に浮く。
 反撃を許さず、ケヴィンは一気にディラを蹴り落とし、自分も神殿の下へと飛び降りた。
 受身をとったディラの脇腹に、ケヴィンは躊躇なく、剣を突き刺した。
 瞬時に剣から手を離し、剣を振ろうとする男の手を捻り上げ、地に倒す。
 再び、短刀を手にすると、素早くディラの利き腕の腱を切断する。
「ぐああっ」
 そのまま、短刀をディラの首元に刺した。
 叫ぶ男の顔に手を当て、自分の方を向かせると、ケヴィンは低くこう言い放った。
「俺を消したいのなら、お前一人で追って来い」
 いつか、聖都で再会することがあるのなら。
 違う道を、見せてやることが出来るかもしれない。
 そんな思いを込めた言葉であった。
 ケヴィンは立ち上がり、聖殿を見上げる。
 少女達の元に、急がねばならない。

●取引
 聖殿へ戻ったワグネルは、ケヴィンとディラの戦闘を目にしていた。
 しかし、加勢することなく、彼等を避けて聖殿へと下りる。
 到着が幾分遅れた。
 いや、思っていたよりも、騎士団の行動が早かったというべきか。
 天井を爆薬で破壊し、ワグネルが下りた先は――救護室であった。
 脇を押さえながら、蹲っているレノアの姿がある。
「ワグネル……っ」
 こちらを睨むレノアに詰め寄り、ワグネルは壁を殴るかのように、手をついた。
「レノア、キャトル・ヴァン・ディズヌフはどこだ」
「キャトル……?」
「魔法を受け付けない痩せた少女だ。金髪の」
 今にも殴りかかってきそうなワグネルの形相に、レノアは浅く笑みを浮かべた。
「らしくねーじゃん。ここがどれだけ危険な場所だか知ってんだろ? たった一人の女を捜してきたのか?」
「質問に答えろ!」
 ワグネルは、レノアの胸倉を掴み上げた。
 レノアは小さく呻き声を上げる。
「報酬は? 俺達は、そういう関係だろ」
「お前の命だ」
 低く言い放ち、ワグネルは、ナイフをレノアの首に当てた。
「レノア、お前は何故ここにいる。お前ならもう、一人で生きるための金くらい稼げるはずだ」
「俺には、幼い妹がいる。……いや、いた」
 緊張故に、息を交えながら、レノアは語った。
「妹を育てるための金はなかった。騎士団に入れば、妹一人くらい食わせることが出来るって思ってた。そのためには、何を犠牲にしてもいいと思ってたんだ。けど、あの日……妹は死んだ。何も残らなかった。何もかも燃え尽きてしまった」
「なら、お前がここにいる理由はねぇだろ」
「フェニックスの力が欲しいんだ!」
 レノアが声を絞り出すかのように叫んだ。
「あいつは人として生きる前に死んだ。妹だけでも生き返らせたいんだ! ワグネル、お前はフェニックスを獲ってきてくれるか」
 その言葉を聞いて、ワグネルは少しだけ、安心をした。
 レノアは普通の心を持っているではないか。
 自分も生まれた時代が違ったら……レノアと同じ状況にあったら、彼のような道を選んでいたのかもしれない。
 それは、レノアを見るたびに感じていた思いであった。
 自分達は、自己の為に生きている。
 レノアの自己はたった一人の妹にあった。
 そして、今、ワグネルにも自己の為に助けたい人物がいる。
 責任感故か、依頼だからか。
 いや――恐らく理屈では表せない。
 ワグネルはレノアを掴む手を離した。
「レノア、キャトルはどこだ。……報酬はお前の妹の情報だ」
「!?」
 ワグネルの言葉に、レノアは目を見開いた。
「あの日……お前達の集落が炎につつまれた日、まだ言葉も喋れない幼い女の子一人だけ、救出できた。その子の居場所を教えてやる」
「……それが妹だという確証は?」
「ねえよ。けど、それくらいの年齢の女の子は、他にはいなかったようだが」
 レノアは戸惑いながらも、拳を固めてワグネルを見上げた。
「……肩、貸せよワグネル。案内してやる」
「貸せねぇな、身長が違いすぎる」
 言って、ワグネルはレノアの腕を掴み、彼を支えながら、乱暴に部屋から連れ出した。
 労わっている時間はない。

●階下
「ルニナ、後ろの部屋に行って!」
 ウィノナ・ライプニッツは、ルニナを背で押しながら、聖獣装具の銀狼刀を握り締めた。
「嫌だ。リミナはあの騎士の後ろの部屋にいるんだ、私はリミナを……」
「わかってる。だけど、コイツらを束ねている人物がいるのは、多分後ろの部屋だ。ルニナはそっちに行って、力を弱めてくれるよう交渉をするんだ!」
「……わかった。すぐ戻るから!」
 言って、ルニナが後ろの部屋に駆けた途端、ウィノナはフェンリルの化身へと変身を果たす。
 目前に迫った魔法剣士が放つ火の弾を辛うじて躱し、ウィノナはそのまま体当たりを食らわせた。
 倒すのが目的ではない。
 騎士の後ろの部屋に飛び込むのが目的だ。
 フェンリルの化身と化したウィノナの身体を、騎士が繰り出した剣が掠めた。一旦、後方へと飛び、壁を蹴って、撹乱しながら再び騎士に飛びかかる。狭い空間である。騎士は咄嗟に後方へ避ける。ウィノナは着地すると同時に騎士に飛びかかり、共に後方の階段――結界内へと転げ落ちた。
 途端、声も出せないほどの激しい痛みに襲われる。
 体中が引き裂かれるような痛みだ。
 だけれど、ウィノナは外部からの魔法的干渉を防ぐ手立てを知っている。
 誰よりも訓練を積んできた。
 結果内に落ちる直前に、化身を解き、魔力によるバリアを身体の回りに展開していた。
 全く足りないと気付いた今は、更に集中し力を強め――立ち上がった。
 騎士はうめき声を上げながら、階段を這い上がろうとしている。
 そして、階段の下の通路に、探していた者達の姿があった。
 リミナに付き添っていた千獣が、両手で皆を庇っている。
 その両手は人の手ではない。獣の手であった。剛毛に覆われた大きな獣の手。
 その腕の中に、リミナと2人の青年の姿があった。
 ウィノナは痛みに耐えながら近付く。
「……ウィ……ノナ……」
 ウィノナに気付き、千獣が顔を上げた。
 その顔は……赤くはれ上がり、所々出血をしていた。
 皆を庇う腕も同じだ。
 千獣の体中の血管が悲鳴を上げている。この空間では、庇われているリミナよりも、千獣のダメージの方が酷かった。
 ウィノナは千獣に近付くと、その獣の腕に触れた。
 ルニナやリミナ。そして、皆を庇っている千獣を見捨て、自分の友達を救う術だけを優先にしたのなら……多分、その友は自分を非難し、拒絶するだろう。
 何より、自分自身、自分が許せなくなる。
 たとえ、フェニックスの力を得る機会を失うとしても、ボクはリミナ達を助ける――そう決めたんだ!
 ウィノナは千獣の力を感じ取る。
 いつか、友がしてくれたように。
 身体に直接触れることで、一体となり、彼女達の身体をも結界の力からガードする。
 もう一つ、手が伸びた。
 リミナの細い腕だった。
 千獣の手を掴んで、リミナは千獣の身体を押した――階段の上へと。
 迷うことなく、皆は部屋からの脱出を選んだ。
「……ウィノナ……リミナ、皆……頼め、る……?」
 千獣の問いにウィノナは頷いて、千獣からリミナの手を預かる。リミナはもう一方の腕で、青年達を抱き寄せた。
 階上。開いた扉の先から、剣が覗いている。
 先に上ったあの魔法剣士だ。
 皆をウィノナに預けた千獣は力を振り絞り、一気に階段を駆けた。
 剣の攻撃をもろともしない硬い皮膚。それよりも硬く鋭い爪で、騎士の胸を裂いた。

 大部屋へと入ったルニナは、カンザエラの研究所の所長であるザリス・ディルダの姿を見つけ、駆け寄ろうとする。しかし、騎士、ヒデル・ガゼットに行く手を阻まれる。
「私は、カンザエラのルニナだ! 結界の力を弱めて! 奥の道に、リミナがいるんだ」
 叫ぶように言ったルニナの言葉に、ザリスは冷笑で返した。
「私達も、出来る限りのことはやっているわ。卵を手に入れたいもの。外部からの干渉以外に結界を弱める手段は、内部への干渉よ。つまり、あなたも結界内に入ればいいのよ。そうすれば、僅かにあなたの妹が受けるダメージも減るでしょうし」
「リミナ達には無理だ!」
「無理で結構。もっと有能な人材に取りにいかせているから。もうすぐ……手に入るわ」
 そう言った後、ザリスは口を閉ざし、半眼を閉じた。
「卵が手に入ったら、カンザエラを救ってくれるんだよね!?」
 ルニナの言葉に、ザリスは答えない。
「お前の働き次第だ。行け」
 ヒデルの剣がルニナの首に向けられる。
 部屋の隅、檻の向こうには、フェニックスの姿があった。
 ずっと求めていた鳥だ。
 フェニックスさえ手に入れば、皆を救えるかもしれない。
 こんなに側にいるのに。
 手にはいらない――!
 ルニナは身を震わせた。

「……リミ、ナ……」
 普段よりも、たどたどしい言葉だった。
 名を呼ばれたリミナは、千獣の元に駆け寄った。
 なんとか結界内から抜け出したのだが、ウィノナ以外、皆、満身創痍であった。
 リミナもまた、身体中に擦傷のような傷があった。
 千獣に至っては、皮膚が大きく裂けている部分さえある。
 リミナは千獣の身体に手を当てて、手当てをしようとするが……彼女の得意とする神聖系魔法は、千獣の身体は受け付けない。
「……大丈、夫……だから……」
 言いながら、千獣は右耳の耳飾りを外して、リミナに手渡した。
「……リミナ、上、登る……。……約束。……戻っ、たら、返して……」
 リミナは耳飾りを両手で包み込んだ。
「お願いだから、無理はしないで」
 その声は、悲痛とも思える声だった。
 千獣は目を細めて、淡く笑った。千獣にはまた助けたい人がいた。
 ――そして、大部屋を見据えると、統一体へと変化をする。
 唸り声を上げながら、扉へと体当たりをし、大部屋へ突入した。
 大部屋の中の結界は、やはり千獣の体力を奪い、身体を傷つけた。
 構わず、千獣は吼え猛り、鋭い目で当たりを見――ヒデル・ガゼットを視界に捕らえた。キャビィの外見をしたルニナに、剣を向けている。瞬時に床を蹴り、飛びかかる。ヒデルは剣を真横に構え、千獣の一撃を防いだ。しかし、その力に押され、数歩後退をする。
 床が滑る。自分が流した血が原因だ。
「千獣、もういいから! お姉ちゃんを連れて、戻ろう!」
 リミナが、身体を引き摺りながら、大部屋へと姿を現していた。
 姉だけではない。千獣を置いて先に逃げることなど、彼女には出来なかった。
 しかし、千獣には、まだすべきことがある。
 ルニナとヒデルの間に飛び込み、ルニナをリミナの元に行くよう促すと、吼えてヒデルを威嚇する。
 部屋にはもう一人、女性――ザリスの姿もある。だが、ザリスはなんらかの術に集中しているらしく、こちらに手を出してはこない。
「ヒデル、防御して!」
 そのザリスが突如声を上げた。
 途端、部屋の中央が赤く染まった。深部に張られたフェニックスの結界だ。
 千獣の身体が、ビリビリと音を立てて、震える。
 ルニナとリミナは手を取り合いながら、小さな悲鳴を上げていた。
 割れた床の中から、ゆっくりと、女性の姿が浮上してきた。
 女天使と、痩せた少女である。
 女天使……フィリオが脇に卵を抱えている。
 フィリオのもう片方の腕に抱かれたキャトルは、虚ろな瞳をしていた。
 2人が床に足をつくと、地下への穴は閉じ、結界の力が弱まった。
「卵をこちらに」
 ザリスが笑みを浮かべながら、手を広げた。
 フィリオはキャトルを強く抱きながら、ザリスを見据えて口を開く。
「彼女にかけた魔術を解いてください。そして、私達を解放してください。その条件を飲んでいただけたら、卵を渡します」
「いいわよ、卵を渡しなさい」
 即答だった。しかし、フィリオは首を横に振った。
「言葉は信用できません。先に術を解いて下さい。でなければ、卵を叩き割ります」
 そう言った途端、ザリスの顔から笑みが消えた。
「卵に傷をつけたら、あなた達全員始末するわ。もとより、あなたの考え通り、彼女を解放する気はないけどね。卵は私のもの。私の実験材料も私のものだもの」
 言った後、ザリスは冷笑を浮かべた。
「面倒ね。そう思わない、キャトル」
「……はい」
 ザリスの言葉に、フィリオの腕の中のキャトルが答えた。
「その天使、刺してしまいなさい。くれぐれも卵は傷つけないようにね」
 その言葉を聞いた途端、千獣が吼えた。瞬時に、ヒデルが千獣とザリスの間に立ちふさがり、大剣を構える。
 キャトルが、自らの足に手を伸ばした。太股に……ナイフが固定されていた。フィリオはキャトルの手を掴み、彼女の行動を阻む。
「キャトル、私がわかりますか? わかりますよね!?」
「フィ、リオ」
 キャトルは確かにそう答えた。しかし、彼女の手はナイフへと向けられている。
「フィリオ、や……だ……」
 その言葉は、ザリスの洗脳と戦っているキャトルの言葉であった。
 彼女の脳が送る指示は、彼女の意思ではない。
 キャトルを連れて、この部屋から出れば――。
 結界の影響により、フィリオの魔法は、まともに発動しない。
 ヒデルは千獣がひきつけている。ザリスは魔法陣の制御と、キャトルの洗脳以上のことは出来ないようである。
 ……フィリオは卵を床に置いた。
 キャトルを両腕で押さえつけながら、精一杯の力を籠めて、彼女を扉の方へと引き摺った。
 ダン!
 突如、扉が開く。
「キャトル!!」
 声が響いた。聞き覚えのある声だ。

●力の開放
「あの部屋だ」
 レノアの案内により、ワグネルは大部屋の近くに身を潜めていた。
 扉の前には見張りが2名。その他、兵士の姿はない。どうやら近くで何が事件があったらしいのだが、この部屋に関わっている兵のみ、持ち場を離れなかったらしい。
「中にいる人物の中で、一番偉いのはザリス・ディルダという女だ。20代半ばくらいで金髪だ。軍服は着ていない。けど、ドレスのような服を着ているはずだから、すぐにわかると思う」
 ザリス・ディルダ。その名は知っている。
 ワグネルは騎士団の構成員をある程度把握していた。
 ザリス・ディルダは騎士団の中でも、かなり重要な任に就いている女だ。
 カンザエラの研究所を始め、月の騎士団が手がけている生体実験等、全てを統括している魔道に長けた人物である。
 おそらく、キャトルもその女の手の中にいる。
「で、その側には……って、ワグネル!」
 説明半ばに、ワグネルは柱の陰から飛び出していた。
 兵の強さを確かめることもせず、大刀を抜くと、真正面から飛びかかっていく。
「ワグネル……ホントらしくねーじゃん」
 一人、呟きながら、レノアはその場に座り込んだ。

 ワグネルの出現は想定外だったのだろう。
 兵士が慌てて剣を抜いた時には、片方の兵士を切り伏せていた。
 もう一方の兵士が剣をワグネルに振り下ろす。既でのところでワグネルは躱し、無我夢中で刀を振り、兵士の腕を切断した。
 悲鳴を上げて蹲る兵士を蹴り飛ばし、扉へと突進する。
 開かれたドアの先に――キャトルの姿があった。
「キャトル!!」
 自分でも驚くほどの声を上げながら、一直線に少女の元へ駆ける。
 身体に鋭い痛みを感じるが、気にしている余裕はなかった。
 キャトルは女天使の姿をしたフィリオの手の中にいる。
 しかし、何処か様子が変だ。
「操られています」
 キャトルを押さえつけながら、フィリオが言った。
 瞬時に、ワグネルは視線を金髪の女――ザリスへと移す。次の瞬間には、ワグネルはナイフを飛ばしていた。
 ナイフを阻もうと剣を伸ばすヒデルに、千獣が飛びかかる。
 千獣の咆哮が木霊した。
 ワグネルが放ったナイフは、一直線にザリスへと飛んだ。ザリスは辛うじてナイフを躱す。
 途端、ザリスの気が散ったことにより、キャトルの動きが止った。
 ワグネルがキャトルの手を引っ張り上げる。
「帰るぞ!」
「……ワグ、ネル……」
 キャトルは一瞬驚きの表情を浮かべた後、こう叫んだ。
「遅いッ!!」
「……お、おせぇって、お前なあ……」
 苦笑しながらも、ワグネルの中に安堵感が広がっていく。
 先ほど見たキャトルはまるで別人だった。
 最後に見た時より、ずっと痩せていて、顔つきも虚無を感じさせるものであった。
 だけれど、今発したその言葉は、本当に彼女らしい言葉であった。
 吐息を一つついて、ワグネルはキャトルとフィリオに手を伸ばした――その時だった。
 大きな力が、押し寄せる。
 周囲が赤く、染まっていく。
 身体中に衝撃が走る。
 絶大な力は、その場にいた者全てを覆い尽くす。

**********

 ――言葉は聞こえていた。
 しかし、リルド・ラーケンの目と脳は、目の前の男の動きしか捉えていなかった。
 身体が熱くなる。
 体中の血が沸騰していくようだ。
 熱く、ぐらぐらと煮え立つような感覚――。
「いいねぇこの感じ……!」
 吐息をつき、剣を構えた。
「熱くて堪らねぇ……が、まだ足りねぇ!」
 床を蹴り、リルドは目の前の男、グラン・ザテッドに躍り掛かった。
「……っ」
 リルドの一撃を剣で受け止めるグランの眉間に、皺が寄った。
「お前の性格を見抜けなかった、俺の失点、か……」
「俺を誘った事、後悔してんのかッ!」
 軽く後ろに飛び、リルドは再び剣を繰り出す。しかし、その全てはグランの剣に阻まれる。
「後悔はしていないが、対応を間違えたようだ。殺すには惜しいんだがな」
 殺気がほとばしる。グランが攻撃に転じる。
 リルドはグランの剣を真正面から受けることはしなかった。
 パワーで劣ることは既に熟知している。ステップを踏みながら、剣で受け流し、周囲の水を集め、細かな水弾をグランに浴びせる。
 長い術を唱えるほどの時間は無いが、グランは今、魔法で対抗することが出来ない。水弾を防ぐべく、グランが身を逸らした瞬間、リルドの一撃がグランの肩に入った。
 掠めただけではあるが、鎧が弾けとんだ。
 一旦、間合いを取り、両者鋭い視線で睨み合う。
 弾けとんだ水は、消えはしない。リルドにとって、更なる武器となる。
 リルドが呪文を唱えるべく、小さく口を開けた瞬間、グランの剣がリルドの首筋に迫っていた。
 瞬時に、リルドは自らの剣で防ぐが、防ぎきれない。グランの剣は、リルドの頬を大きく切裂いた。
 しかし、その時にはリルドが放った術が発動し、グランの身体を無数の水の針が突き刺してた。
 流れる血が首を伝い、腕に落ちる。リルドは軽く眩暈を感じた。
 力だけではない。素早ささえも、敵わないのか――。
 後方へと跳びながら、呪文を唱える。
 グランが受けた水の針、そしてグランを狙って放った水弾に雷撃を浴びせる。
 身を逸らしても、この狭い部屋の中では、雷撃は完全には防げない。迸る光が、グランの身体を駆けた。
 再び、リルドは前方へと跳び、グランの懐に入り込む。剣を振り上げて、下方より首を狙う。
 同時に、頭上より剣が打ち下ろされる。互いの剣は交わらず、互いの身体へと牙を向けた。
 リルドは半身を反らす。リルドの肩をそぎ落とし、グランの剣は床を打った。
 リルドの剣はグランの顎を翳め、リルドの頭に血が迸った。
 グランの剣が、リルドの脇腹に迫る。リルドは更に身体を捻るが、右腰に熱い一撃を受け、体勢を崩す。同時に、発動した魔法で、グランの足を濡らす水を凍らせる。
 グランの動きが鈍る。リルドは下方から再び剣を振り、グランの脇腹を裂いた。
 血に染まっていく身体。
 それ以上に熱い感覚。
 既に、互いに目の前の男を倒す事以外、何も考えてはいない。
 いや、リルドは少し違う。
 痛み――出血による、眩暈と嘔吐感と共に、浮かび上がる感情は、生への執着であった。
 グランの左手がリルドに向けられる。
 魔法、だ。
 死の映像がリルドの脳裏に浮かび上がり、リルドは叫び声を上げながら、グランに突進した。真直ぐ、剣をグランに突き刺す。
 グランは直撃を避け、リルドに魔法による衝撃派を放つ。吹き飛び、壁に激突したリルドに止めを刺すべく、剣を向けた。
「うわあああああああーーーーーっ」
 それは、悲鳴か、雄叫びか。
 声を上げたリルドは、自らの血を術で刃へと変えた。血の刃と、赤く染まった剣がグランに襲い掛かる。刃が、グランに触れた瞬間に、リルドは雷撃を放つ。部屋、全体に。
 互いに、防ぐ手立ては無い。
 リルドの剣は、グランの肩に突き刺さっていた。
 グランの剣は、リルド脇腹から胸を切裂いていた。
 直後、轟音と衝撃が2人を襲った。

**********

「グラン……ザテッド……ッ」
 ザリス・ディルダが、床に膝を付きながら呻いた。
 誰も、動けなかった。
 リミナとルニナは、手を繋ぎあいながら、悲鳴すら上げずことができず、しゃがみこんでいる。
 千獣の身体からは、血が吹き出し、身体の毛が抜け落ちていく。
 キャトルは意識を失い、フィリオは必死に彼女を庇おうとするが、自分の命さえ危ない状態であった。
 ワグネルは身体を引き裂いていく痛みに耐えながら、前を見据える。
 突如、結界の威力が増した。何が原因なのかは判らないが、アセシナート側の人物もダメージを受けていることから、彼等にとっても想定外の事態だということがわかる。
 しかし、ワグネルが今、すべきことは変わらない。
 キャトルをこの部屋から出すことだ。
 キャトルを庇うフィリオに手を伸ばし、全ての力を持ち、自分の後ろ――扉の外に向けて、彼女達の身体を投げ飛ばした。
 腕がもぎ取られるかのような感覚を覚える。身体が悲鳴をあげ、節々が裂けた。
 ……まだ、意識を失うわけにはいかない。
 ワグネルは、扉に向い、這い始めた。
「……千、獣、こっちに、来て……」
 リミナが声を絞り出し、赤い液を流す獣に手を伸ばした。
 千獣はその言葉に、僅かに反応しながらも、結界の圧力に震える体を奮い立たせ、今一度跳んだ。ザリス・ディルダの元へと。
 ザリスは目を見開き、腕を上げた。彼女の腕に嵌められた腕輪から、赤い光が飛び、千獣の喉を貫いた。
 それでも、千獣は倒れず、爪をザリスの腕に振り下ろした。
 バチッ
 何らかの力ではじかれる感覚を受けたが、それでも強引に爪を振り下ろす。
 ザリスの腕は大きく引き裂かれ、布の切れ端が舞った。
 身体をふらつかせながら、ヒデルが着地した千獣の身体を押さえた。
 千獣には、振りほどく力さえ、ない。
 だけれど……。
「千獣、千獣……」
 悲しい瞳で近付いてくる、この女性だけは、逃がさなければならない。
 千獣は今一度、力を振り絞り、彼女の元へと歩いた。足は思うように動かない。血で床が滑る。
「み、んな……っ」
 青年達を逃がして直ぐ、リミナを追ってウィノナも大部屋へと現れた。
「千獣は大丈夫だから、早く部屋から出るんだっ」
 事態を察知したウィノナは、即座に結界の力に対抗しながら、リミナとルニナの身体に触れる。
 その後ろから、ケヴィンも現れる。
 僅かに眉を動かしながら、ルニナの手を強く引き、三人の少女を些か乱暴に通路へと引っ張り込んだ。。
 更に僅かに歩き、千獣に手を伸ばす。激しい痙攣を起こしながら、千獣は人の姿に戻り、ケヴィンの手を取った。
 抱き取りながら、ケヴィンは剣を杖に、通路へと歩く。
 最後に、部屋を振り返る。――ザリス・ディルダの姿は、既になかった。天井に穴が開いている。
 大部屋には卵と、這うヒデルの姿のみ在った。

●夜空
 風が冷たかった。
 体中がやけに冷たい。
 いつの間にか、空を見上げていた。
 満天の星空だ。
 月の光がやけにまぶしい。……満月だ。
 どれだけの間、そうしていたのだろう。
 意識がはっきりとしない。
 何もかもがどうでもいいと感じる。
 このままこうしていたら――。
 多分死ぬ。
 “死”
 その言葉が浮かび上がった途端、青年は身を起こした。
 激しい痛みに、即座に蹲る。
 拳を握り締め、歯を食いしばる。
 リルド・ラーケンは、聖殿の外へと飛ばされていた。
 服が、血で赤黒く染まっている。
 剣も同様に、血で染まっていた。
 これは自分の血ではない。
 今度は見逃されたわけではない。
 確かに、奴――グラン・ザテッドは自分を殺す気でいた。
 しかし、自分はこうして生きている。
 最後の爆発は、グランの魔法だ。
 魔法まで使わせ、且つ、自分は生き残った。
 そこまで考え、顔に僅かな笑みを浮かべた途端、リルドはふと思い出す。
『俺は今、空間術で、フェニックスが張った結界に対抗している。……俺を倒すと同時に、貴様は貴様と縁のある者達を殺すことになる』
 確か、あの男はそう言っていた。
 魔法をあの時、あの男が自分達に向けて使ったということは……。
 一瞬にして、リルドの全身から血の気が引いた。
 燃えるような熱さの後に訪れたのは、限りない恐怖と極寒であった。

    *   *   *   *   *

●一息―クロック・ランベリー―

「すまないが、急いでくれ」
 クロック・ランベリーの言葉に、壮年の男性は汗を拭いながら、ため息をついた。
「そう言われても、こう不便な場所ではねぇ」
「この場所が最適なんだ。頼む」
 クロックは大工に頭を下げ、別の場所の指揮に向う。
 カンザエラから捕らえられていた者を逃がした後、聖都に戻ったクロックは、聖獣王によりこの場所の開拓の指揮を任された。
 ここにカンザエラの民達を移住させようというのだ。
 カンザエラからはさほど離れてはいないが、道といったものが無いため、非常に不便な場所ではある。
 だからこそ、アセシナート側も手を出してはこないと考えた。
 無論、聖都の方角への道は開通させるつもりである。
 ……あの時。
 あの女、アルメリア・ザテッドの息の根は確かに止めた。
 しかし、山本健一達の話によると、アセシナートはどうやらフェニックスの力を使い、死んだものをも生き返らせることが出来るらしい。
 ただ、それには幾つかの条件が必要なようだが……その条件はまだ、判明していない。
 あの女性がアセシナートにとってそれほど重要な人物だとは思えない。
 また、自分達が聖都に帰還した今、アセシナートがあの街を滅ぼす理由はないはずだ。
 武器庫と食料庫と思われる場所を中心に破壊してきたため、研究所も今頃復旧作業に追われているはずだ。
 だが、不安は拭えない。
 クロックは吐息をついた。
 アセシナートと、聖都エルザード。
 未だ、国境付近で小競り合い程度の両軍。
 戦いは、未だ始まってさえいない。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2787 / ワグネル / 男性 / 23歳 / 冒険者】
状態:やや重傷

【3425 / ケヴィン・フォレスト / 男性 / 23歳 / 賞金稼ぎ】
状態:軽傷

【0929 / 山本建一 / 男性 / 19歳 / アトランティス帰り(天界、芸能)】
状態:負傷/魔力枯渇

【3601 / クロック・ランベリー / 男性 / 35歳 / 異界職】
状態:普通

【3368 / ウィノナ・ライプニッツ / 女性 / 14歳 / 郵便屋】
状態:軽傷

【3510 / フィリオ・ラフスハウシェ / 両性 / 22歳 / 異界職】
状態:やや重傷

【3087 / 千獣 / 女性 / 17歳 / 異界職】
状態:重体

【3544 / リルド・ラーケン / 男性 / 19歳 / 冒険者】
状態:重傷

【NPC】
グラン・ザテッド
状態:重傷

ザリス・ディルダ
状態:負傷

ヒデル・ガゼット
状態:負傷

ディラ・ビラジス
状態:重傷

レノア・エセス
状態:負傷

キャトル・ヴァン・ディズヌフ
状態:衰弱/軽傷

アルメリア・ザテッド
状態:死亡

キャビィ・エグゼイン
状態:負傷

ルニナ
状態:普通

リミナ
状態:負傷

レザル・ガレアラ
状態:地中に封印

※PCの年齢は外見年齢です。

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■         ライター通信          ■
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ゲームノベル『月の紋章』にご参加いただき、本当にありがとうございました。
今回で、このシリーズは最終回となります。
一人も欠けることなく、最終回を迎えられたことを、とても嬉しく思います。
途中参加の方も、ありがとうございました。

心残りのある方もいらっしゃるかもしれませんが、この世界も、ここに生きる人々の物語も終わったわけではありません。
そして、私もまだまだライター活動を続けますので、今後のお話にもお目を留めていただけたら幸いです。
尚、近日中に後日談用のオープニングを設けますので、よろしければご覧ください。
それでは、皆様の冒険に幸あらんことを!