<東京怪談ノベル(シングル)>
秘密と心理と微妙なため息
クリスマスも終わり、通常の日常に戻った中で、ソール・ムンディルファリは生活のためには何か仕事でもしないといけないだろうと白山羊亭の冒険依頼を眺めていた。
「ソール」
自分に声をかける人物は一人しかいない。
ソールは振り返る。
そこには、予想通りサクリファイスが立っていた。
「どこか行くのか?」
行くのならば一緒に行こうかとサクリファイスは問う。だが、ソールは首を振って掲示板から離れる。
「仕事。しようと思って」
「あぁ」
ソールの言葉にサクリファイスは笑顔を浮かべる。自分の力で生きていこうとする決意が自分のことのように嬉しい。
えり好みできる立場ではないのだが、好きな仕事がなかったらしく、そのまま白山羊亭を後にした。
さして目的もないまま、ぶらぶらと天使の広場を歩く。
「ところで、パーティの途中、戻ると言ってみたり、戻ってみたり、あれはいったいどうしたんだ??」
純粋にソールの行動の変化が分からなかったサクリファイスは、頭の上に疑問符を大量に出してソールを見る。
「…………」
が、見つめられたソールは、盛大に眉根を寄せて、ぐっと口をへの字にして、これ見よがしにぷいっとそっぽを向く。
「いや、別に怒ってるわけじゃないぞ?」
何だかその様が怒られて膨れているように見えて、サクリファイスは言い募る。
「ああいう場に慣れていないのに、無理に連れて行ってしまったのかと思って」
サクリファイスは、自分が誘ったがためにあまり好きではない場にも参加してくれたのではないか。そのために、ああいった不可解な行動に出たのではないかと、誘ってしまった自分を責めた。
「違う」
肩を落としかけたサクリファイスに向けて、ソールは強い口調で言い放つ。
「……違う…」
そして、もう一度、今度はバツが悪そうにトーンを落として繰り返した。
もしかしたら、そんな事を知られてしまうのも恥ずかしいのかもしれないと、サクリファイスは優しい微笑を浮かべ、俯いたソールの顔を覗き込む。
「いきなり馴染むことは難しいかもしれないけど、少しずつゆっくり慣れていこう」
この先、生きていくのならば、人が大勢居る場所に赴く事だってある。苦手なままではいられないのだ。
それでも俯いたままのソールに、
「何があっても私はソールから離れていったりしないから」
ね? と、諭すように言っても、ソールは顔を上げなかった。
暫くそのまま沈黙が続き、ポロリと小さな否定の言葉が零れる。
「だから……違う…」
「何が違うのか言ってくれないと分からないぞ」
至極真面目な表情でそう言うサクリファイスに、これは言わなければ気がつかないなとソールも悟ったが、言ってしまうのも恥ずかしくて、言いたくないと首を振る。
「駄々っ子みたいだぞ」
まさか、チャイナドレスを身にまとったサクリファイスを他の人に見られたくなくて戻るなんて言い出したなんて、本人を前にして言えるはずがない。
ふんっと手を腰に当てて息を吐くサクリファイスに、ソールははぁ…っとため息一つ。
「な、何だ? どうしたんだ」
あまりのソールの行動の意味が分からずに、サクリファイスはむっとして声を上げた。
「何でもない」
どこか投げやりの口調に、尚更気になり始めるサクリファイス。だが、その理由が分かる日が来るのかどうかは、全く予想できない。
何なんだ? と、怒るでもなく真剣に首を傾げる様は、純粋を通り越して鈍感の粋で。
そんなサクリファイスに、ソールは何処までも無言だった。
そろそろお昼時。屋台でホットドッグを買って噴水の脇にこしかけ、昼食としゃれ込む。
「本当の名前、教えてくれて嬉しかった」
もしかしたら、その名前が家族を繋ぐ絆になっているのかもしれないと、そこに自分が入り込んでよかったのだろうかとサクリファイスはクリスマスが終わった後、考えていた。
「そんなに気になってたのか?」
ソール自身はさして名前に未練がないのかあっけらかんとしている。
確かに覚えていてくれたことは嬉しかったが、その名で呼ばれていた時間よりも“ソール”として生きた時間のほうが長すぎて、しっくりこないのも事実なのだ。
「教えてくれるとは思わなかったんだ」
その言葉に、ソールはなぜ? と、首を傾げる。
「言っただろう。使われない名に意味はないって」
だからもし、この先、サクリファイスがその名前を呼んでくれるならば、捨てられてしまった名前にも光が当たる。
サクリファイスは、その名が家族の絆になっていたのではとソールに告げる。
「絆? いや、意外だったというほうが正しい」
ソフィストでありながら、そんな知識の糧にもなりはしないものをいつまでも覚えていた事が信じられなかった。なぜならば、夜と昼の双子は生きた道具。道具を気にかける人などいはしない。それが例え実の子でも。ここで、普通の人ならば、自分の子供がそんなことになってしまったら、苦心するのだろうが、ソフィストにはそういった感情は全くない。だからこそ、信じられず、意外だったのだ。
「ソールは、本当の名前で呼ばれたいと思わないの?」
全ての決定権を自分――サクリファイスに委ねることは、苦ではないのかと。
ソールは辺りを見回し、赤いりんごを手に取った。
「これは何だ?」
「……りんご、だろう?」
「違う。木の実だ」
次に、みかんを手にして、サクリファイスが「みかん」と言えば、首を振り同じように木の実だと言う。
「サクリファイスは、この赤い木の実を“りんご”、黄色の木の実を“みかん”と言った。木の実は何処までも同列で、木に生る限りそれは同じ。だが、名を呼ばれて、初めて“りんご”という意味を持った」
余りにも遠まわしな言い方にサクリファイスの眼が点になる。
「……要するに」
ソールはぴたりと言葉を止めて、一つ深呼吸。
「名は、呼ばれて初めて意味を持つ。だから、俺は意味のある名で呼ばれたい」
皆がその名を呼ばなくてもいい。ただ一人の人がその名を呼んでくれたなら、捨てられた名でも嬉しく思える。
「こう呼んでほしいと思っても、回りがそう思わなければ自称で終わる。それは、嫌だ」
ぴしゃりと言い放ち、ソールは口を閉じる。サクリファイスは呆然とでも言うように眼をまん丸にしてソールを見ていた。
「……どうした?」
「いや…、こんなにしゃべるソールも珍しいと」
その言葉に、ソールの顔がむすっと仏頂面に代わる。
「済まない。そんな顔しないでくれ」
サクリファイスは弁解するが、思わず笑いがこみ上げてきて、謝りつつも笑顔を浮かべてしまう。
(価値を持つ名…か……)
自分の名前もこうしてソールだけではなく、いろいろな人が呼んでくれることで意味を生んでいる。
「…秘密、みたいだろ?」
二人だけの、ではないけれど。
ソールがそんな冗談じみたことを言い始めたのも、少しの前進。
「そうだな」
サクリファイスは、笑う。名を呼ぼうが呼ぶまいが、ソールがソールであることに変わりはない。ただ、他の誰も知らないのならば、胸の内にしまって、特別なときだけ呼んでもいいと―――……
***2008.1.2***Thank you***
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