<HappyNewYear・PC謹賀新年ノベル>


Bloody Night Dance



 目に痛いほどの黄金色の髪を高い位置で二つに纏め、血の様な瞳をした少女は闇に沈む世界を見つめていた。開いた窓から入ってくる凛とした冷たい風を全身で感じ、口の端に笑みを浮かべると振り返った。
「フェンちゃん、今日のエンゼツ、楽しかったよぉ。チヨリンも、フェンちゃんと同じだもん」
 舌足らずな喋り方だが、チヨリは見た目は15歳程度、実年齢にいたっては数百歳はいっている。
「チヨリンだけじゃない、あそこにいた人みーんな、フェンちゃんのエンゼツに聞き入ってたよぅ。みんなみーんな、同じ気持ちだったんだよねぇ、きっとぉ」
「それはどうでしょうね」
 茶色い髪を後ろに撫で付けた、燕尾服姿の男性はそう言うと、チヨリの小さな頭を撫ぜた。年の頃は30代前半程度、鮮やかな青色の瞳は夏の太陽に照らされた海のようだが、よくよく覗き込んでみれば沼のように深く暗い光を宿している。
「能力者は、いっぱいはイラナイ。選ばれし者は、ほんの一握りで良い」
「えぇ、そうです。新しい年を迎えた今、私達は大掃除を行わなくてはなりません。能力者の、大掃除を‥‥」
 恍惚の表情を浮かべて天を仰ぐフェンの隣で、チヨリはすっと夜空に指先を向けた。血のように赤い月と無数の星々が煌く空間を指し、パチリと指を鳴らす。
 低い爆発音と醜い断末魔の声が闇に響き、チヨリは声を上げて笑った‥‥



 胸元に光る金色の校章を見つめながら、御影は足元に置いた剣を掴んだ。
「ただの高校生でいてぇのによぅ」
「能力を持った時点で、叶わぬ事。星の巡りは絶対ですわ」
 フワフワと宙に浮かぶ外見年齢10歳程度の幼女は、十二単を着込んでおり、漆黒の髪は足元まで伸びている。深い紫色の瞳と、透き通るような白い肌、見るからに人外の彼女は、酷く大人びた視線で御影を見ると、そっとその肩に手をかけた。
 御影の知る限り、彼女がその足で地面に降り立ったことはない。
「ンで新年早々血なまぐさいことしなきゃなんねーんだ?」
「“掃除の日”を選ぶのはアチラ。アチラの考えは、わたくしどもには到底分かりますまい」
「能力者のくせに異能者狩りしてるっつー時点で意味わかんねぇよ。挙句、一般人まで巻き込みやがって」
「アチラの考えを知ろうとする事など、時間の無駄ですわ」
「四の五の言わずに親玉ぶっ潰せって話だろ?わーってるっつの」
 御影は面倒臭そうに呟くと、剣を抜いた。黄金色に輝く剣と同じ色の瞳を細め、御影は素早く振り返ると暗闇に向かって剣を投げた。
 空を切り裂きながら飛んでいった剣は、何かに突き刺さると湿った音を上げた。
「あーあ、とっとと帰ってコタツに入って雑煮食って、ゴロゴロしてぇよ」


* * *


 新しい年の始まりに世界が華やかに彩られているかのような錯覚。 意味もなく心がウキウキし、今年はどんな事があるのだろうかと、遠い未来に思いを馳せる。今年は何をやりたいと壮大な計画を立てるが、いつしか日々の忙しさに埋没してしまうだろう事は目に見えている。
 千獣は新年の挨拶が花開く天使の広場の端の方を歩きながら、黒山羊亭へと向かっていた。
 時折見知らぬ旅人ににこやかに新年の挨拶をされ、千獣も丁寧にそれに応じた。 楽しげな彼らの様子に、少しだけ疎外感を感じながら足を速める。今日の黒山羊亭には、何か良い依頼が舞い込んでいないだろうかと考えながら。
 天使の広場を通り過ぎ、人が疎らな細道に入った瞬間、ピキリと何かが千獣の足を止めさせた。
 動かそうと思えば動く、けれど動かそうと言う意思が奪われてしまったかのような、奇妙な感覚だった。
 一瞬にして世界を包んでいた空気の流れが変わり、何処かの家から流れてきていたパンの甘い香りが鉄臭い血の臭いに取って代わる。 お祭りムードだった空気は殺伐とした張り詰めたものに変わり、長い黒髪を梳く風は狂気を孕んでいる。
 ――― コレ‥‥‥は、なに‥‥‥?
 景色が黒く塗りつぶされ、赤い斑点が浮かび上がる。ショッキングピンクと蛍光オレンジが混じり合い、赤い点と同化すると回り始める。世にも奇妙な色彩のダンスは、遠くから現れた白い光によってかき消された。
 世界が漂白され、全ての音が遮断された次の瞬間、千獣は見たこともない世界に降り立っていた。
 時刻は夜、空には無数の星とチェシャ猫の哂いのような赤い三日月。 足元を見れば、豆粒くらいの大きさの家々。
「初めまして、突然のご無礼をお詫びいたしますわ。しかし、事態は緊急を要しておりましたの」
「‥‥‥瑠璃、どこの世界から連れて来たんだ、この子」
 金色の瞳をした少年が、紫色の瞳をした幼女に尋ねるが、彼女は首を傾げただけで何も言わなかった。
 少年の視線が千獣の右腕に留められ、暫し何かを考え込むように眉根を寄せると肩を竦めた。
「まぁ、良いや。瑠璃が連れて来たんだから、きっと力はあるんだろう?」
「えぇ、おそらくは。 わたくしの名は瑠璃、こちらは御影様です」
「私、は‥‥‥千獣‥‥‥」
「今、この世界は大変な危機に晒されております」
 瑠璃は厳かにそう言うと、世界を襲っている危機を簡単に説明した。
 “掃除屋”と名乗る過激派の集団が能力者を排除しようとしている事 ――― “掃除の日”と彼らは呼んでいるらしい ――― その集団のトップにいるのがフェンと言う男とチヨリと言う異形の少女だと言う事、フェンが闇世界より妖怪や魔 ――― 異形の者で、闇に堕ちた者 ――― を召喚してこの世界に放っているらしいということ。
「その掃除の日が今日なんだ。新年早々、無粋なヤツラだよなぁ?」
「わたくしの情報によりますと、世界にいる能力者は既に千人単位で死亡、あるいはそれに近い状態になっていますわ。そして、彼らの戦闘に伴い、一般の人々も千人単位、あるいはそれ以上の数の人々が被害を受けていますの」
「この未曾有の大災害‥‥‥まぁ、人的なものだから災害って言って良いのかは分からねぇが、この最悪な状態は、親玉をぶっ潰せば収束に向かうはずなんだ。そして、親玉はこの国にいる」
「フェン様を亡き者にするか、もしくは戦闘不能状態にする事が出来れば、彼の生み出した者達は消え、彼の意思に賛同して戦闘行為を繰り返している能力者も活動を停止する者が出てくるでしょう。 彼らに協力と言う概念は希薄ですの。彼らは横の繋がりではなく、上下の繋がりで動いているのですわ」
「親分がやられちまったから撤退するかって、そう言うことだな」
「千獣様、突然こちらの世界に引きずり込み、こんなことを頼むのは心苦しいのですが、どうかわたくしどもと一緒に‥‥‥」
「‥‥‥やらない、と‥‥‥帰れ、ない‥‥‥」
「あはは! 良く分かってるじゃん!」
「御影様、これは笑い事ではありませんわ!それに千獣様、どうしても御嫌だと仰るのならば、わたくしも早急に元の世界に帰させていただきますわ。これはわたくしどもの世界の問題であります故、他世界の千獣様にこのような無理難題を押し付ける事はあまりにも横暴ですし‥‥‥」
「‥‥‥ううん、私‥‥‥一緒、に、戦う‥‥‥」
「千獣様‥‥‥」
 千獣の胸に、言いようのない不快感がこみ上げてくる。
 彼らが名乗る“掃除屋”、今日は“掃除の日”、掃除される対象は自分達と同じような能力を持った人々、もしくは何の力もない人々。 彼らは内に宿る強大な力を、掃除と言う名の殺戮のために使おうとしている。
 瑠璃が小さな両手を広げる。 一瞬の無重力の後、一気に落下する。
 どうやら彼女が空中で千獣と御影の身体を支えていたらしい。 三人は人気のない空き地の真ん中に降り立った。もっとも、瑠璃は地面の百数十センチ上、千獣や御影と視線が合う位置でふわふわと浮いていたが。
「さて、これからどうするかだが‥‥‥あ、千獣、あんま後ろに下がるなよ」
 後ろに何かあるのだろうかと振り返った先、暗がりに誰かが倒れているのが見えた。 両脇に建った民家から漏れる淡黄色の灯りに照らされて、暗闇の中に不気味に浮かび上がった顔は硬直していた。
 驚いたように見開かれたまま固まった瞳は虚空を睨んでおり、薄く開いた唇には言葉の欠片が紡がれずに残っている。耳が異様に尖っており、前方に投げ出された手には鋭い爪が生えている。
 人ではないと、千獣は直感的に悟った。 あるいは、かつては人だったものと言うのが正しいかも知れない。
「‥‥‥あれ、は‥‥‥?」
「キメラだ。人と何かを掛け合わせてある」
「科学と魔術の進歩で、人は死者を蘇らせる術を手に入れましたの。 もっとも、蘇った死者は一時は生前の心を宿していますが、徐々に脳に何らかの影響が出るらしく、自我が失われていきますわ」
「自我を失ったヤツラは、食欲で動き、手当たり次第のものを食い散らかす。そうなったヤツラはもう、ゾンビと一緒。人とは見なされず研究者達がこっそり引き取ってキメラ研究に使ってる」
「その研究の後、出来上がった異形は闇に葬られるか、怪しげな所にお金で引き取られますの」
「キメラもそれなりに教え込めば、強いボディーガードになるらしいからな。 ちなみにソイツは闇に葬られた方だ。フェンの能力で闇の世界から引っ張り上げられ、他の能力者の力で命令をインプットさせられたんだろう」
「つまり、わたくしどものような、フェン様の考えに賛同していない能力者を襲えと、そう命令されているんですわ」
「‥‥‥それ、で‥‥‥これ、から‥‥‥どう、する、の?」
「瑠璃、フェンの居場所は分かるか?」
「捜してみますわ」
 瑠璃の白い手が空中を撫ぜる。 大きな楕円形の水鏡が出現し、そこに様々な光景が映し出される。
「フェン様は、どうやらここからそう遠くないところにいるみたいですわね‥‥‥」
 水鏡を見ながら瑠璃がさらに細かく居場所を探ろうとした時、御影が素早い動きで振り返ると鞘から黄金色の剣を抜いた。 御影の強い殺気に千獣もつられて振り返り、どこから敵が現れてもかわせるように腰を低く落とす。
 耳を済ませば、何処かの家から楽しそうな笑い声が漏れ聞こえる。現在は夜の七時、一家団欒で食卓を囲んでいる時間だ。
 感覚を研ぎ澄ませ、敵の微かな殺気を感じ取ろうとするが、御影の強いソレ以外は何も感じられない。 相手は殺気を出していないのだろうか?そう思い、人の体温や呼吸を感じ取るべく集中する。御影の落ち着いた呼吸、やや上がりつつある体温、規則正しい鼓動、それ以外は何も感じられない。 次に、千獣は違和感を探った。この世界と言う基盤から外れ、本来ならば存在しているはずのないものの気配を感じ取ろうと意識を集中させる。 最初に感じるのは、強い自分の違和感だった。次に近くにいる瑠璃の違和感、そして‥‥‥上空に感じる違和感に気づき、千獣は顔を上げた。
 御影が上空の少女に気づいてから遅れることほんのコンマ数秒、千獣も彼が見ている者と同じ者を視界に捕らえた。
 夜の闇にも映える見事な金色の髪に、綺麗な真紅の瞳。吹いた風に長いツインテールが揺れ、裾の短いチャイナドレスが蒼白の細い脚に絡みつく。全体的に華奢で今にも折れそうなシルエットをしているが、胸元だけは千獣のそれと比べても見劣りしないほどに豊満だった。
「チヨリ‥‥‥」
「はろろ〜ん!御影ちゃんに瑠璃ちゃん、お久しぶりだねぇ、だねぇ〜。 あれあれぇ、知らない子がいるぅー!もっしかしてぇ、御影ちゃんのコレだったりなんだりしちゃうのかなぁ、かなぁ〜?」
 小指を立てて無邪気に笑う少女を前に、千獣は眉を顰めた。
 彼女からは殺気の類は全く感じられず、尚且つその表情や口調から悪意は感じ取れない。
 本当に彼女が“掃除屋”のトップの“チヨリ”なのだろうか‥‥‥?
「千獣様、油断なさらないで下さいませ。チヨリ様はあの容姿や言動からでは考え付かないほどお強いのですわ」
「うぅーん、千獣ちゃんって言うのぉー?チヨリンは、チヨリって言うんだぁー、宜しくねぇん! って言うかぁ、千獣ちゃんってこの世界の子じゃぁないよねぇ、ねぇ〜?もっしかしてぇ、瑠璃ちゃんがどっかの世界から引っ張り込んだのかなぁ、かなぁ〜? たっしかにぃ、今の状況じゃぁ不利だよねぇ。フェンちゃんはバンバン仲間を召喚してるしぃ、世界中でチヨリンたちの仲間が能力者をドンドンやっつけちゃってるしぃ、いっくら御影ちゃんと瑠璃ちゃんの最強コンビ!っ言っても、相手はチヨリンとフェンちゃんだもんねぇ、苦戦するのは目に見えてるもんねぇ、ねぇ〜?」
「チヨリ‥‥‥今日こそお前の息の根を止める‥‥‥」
「あっは、ヤッダァ〜!御影ちゃんってば怖い顔ー!御影ちゃんはぁ、綺麗な顔してるんだからぁ、笑ってた方が良いよぅ。 それにぃ、息の根を止めるって、無理だよぉ。だってぇ、チヨリンはとーっくの昔に息の根止まってるんだもん、だも〜ん」
 キャハハ! 無邪気な笑い声は、どこまでも透明で‥‥‥千獣の背中にゾクリと寒気が走る。
 彼女は、敵に悟られまいとして殺気を押し殺しているのではない。彼女には最初から、そんな感情は微塵もないのだ。
「‥‥‥そうです。チヨリ様は、楽しい事を追い求めているだけなんですの。気分次第で敵に回り、味方に回るのですわ。そして、チヨリ様はわたくしどもの事を敵とは考えておりませんの」
 千獣の表情から思考を読み取った瑠璃が低く囁く。
「フェンちゃんがねぇ、ちょっと行って状況を見て来なさいって言うから来たんだけどぉー、さっすが御影ちゃんだねぇ!チヨリンが近付くだけで気づいちゃったんだもーん!もっしかしてぇ、チヨリンにラブ?とか? きゃはは!チヨリンと御影ちゃんがカップルとか、おっもしろーい! でもでもぉ、千獣ちゃんもすぐ気づいたよねぇー!もっしかしてぇ、千獣ちゃんもチヨリンにラブ?一目惚れとか、そう言うヤツかなぁ、かなぁ〜?オンナノコ同士で禁断の愛なのかなぁ、かなぁ〜?」
「一目惚れって、意味違うだろ‥‥‥」
 堪らずと言った様子で御影がツッコミを入れる。
 キャハハ、そうだよねぇー、一目惚れって、見なくちゃダメだもんねぇ。じゃぁ千獣ちゃんはぁ、チヨリンの雰囲気に惹かれたのかなぁ、かなぁ〜?そう言う場合って、何になるのかなぁ、かなぁ〜?キャハハっ!
 チヨリの言葉に、御影が苦虫を噛み潰したような表情になる。瑠璃も複雑な表情でチヨリを見つめており、千獣は特殊な敵を前にどう動いたら良いのか思案していた。 殺気をみなぎらせて向かってくる相手には容赦なく攻撃の手を出す事が出来るが、チヨリからはむしろ好意的な雰囲気さえ感じられる。そう言う相手に対してどう出れば良いのか、残念ながら千獣のデータには載っていない。
「もっともっと御影ちゃんや瑠璃ちゃん、千獣ちゃんとお話ししたいけどぉ、どうやらそろそろ帰らなくちゃならないみたーい」
 何かに気づいたようにピクリと顔を動かしたチヨリが、シュンと肩を落としてそう呟く。
「うぅーん、残念だなぁ、だなぁ〜。 あ、でもぉ、皆がチヨリンの所まで来てくれれば一緒に遊べるよねぇ、よねぇ〜!? きっと皆なら大丈夫だとは思うんだけどぉ、雑魚ばっかだしぃ?でもでもぉ、油断してるとやられちゃう危険もあるからぁ、気を引き締めて頑張ってねぇ! チヨリンとフェンちゃんはぁ、あそこのビルの最上階にいるんだよぉ、だよぉ〜!チヨリン皆のこと待ってるからぁ、雑魚を軽く片して早く来てねぇ〜!」
 チヨリが指差したビルは、他を圧倒するほど高く空へ聳えていた。 ほとんどの階の電気は落とされているか、もしくはカーテンが引かれているために光は少しも漏れていないが、最上階だけは煌々と輝く光が見える。
 ヒラリと手を振って踵を返したチヨリに、御影が声を荒げる。
「待てチヨリ!!」
「今ここで遊びたいのは山々なんだけどぉ、チヨリンは帰らなくちゃならないのーっ! それに、御影ちゃん達だって、チヨリンに構ってる場合じゃないんだよぉ、だよぉ〜。今にもわーっと雑魚が押し寄せてくるんだからぁ〜」
 動き出そうとする御影を制するように、チヨリが彼の足元を指差すとパチリと鳴らす。小規模な爆発は砂埃を巻き上げ、御影が咄嗟に飛び退る。モクモクと上がる白煙の向こうで、チヨリの無邪気な笑い声が木霊していた。



 吸いこんだ砂埃にむせながら、御影が険しい顔をして瑠璃と千獣を振り返る。 既に瑠璃の水鏡は消え去り、表情を引き締めた少女が警戒するように周囲に意識を向けている。
 和やかな囁き声の合間に、低く唸るような声が聞こえる。 獣とも人ともつかない唸り声は悪意を含んでおり、強い殺気が四方から突き刺さる。嘲笑うかのような三日月の赤い光りに照らされ、御影が黄金色の剣を構える。
「囲まれたな‥‥‥」
「‥‥‥ここ、で、戦う‥‥‥のは、危険‥‥‥」
 両脇に建つ家を横目で示す。 相手にどれだけの能力があるのかは分からないが、もしも魔力を持っていた場合、周囲に甚大な被害を及ぼす可能性が高い。魔力を持っていない場合でも、民家が密集しているこの場所で戦うのは危険だ。物音に気づいて住人が外に出て来ないとも限らない。
「瑠璃、敵を引きつけながら移動できるか?」
「やってみますわ」
「千獣、空中戦は?」
「‥‥‥でき、る‥‥‥」
「俺は一応、生身の人間だからな、空は飛べない。瑠璃に地面を作ってもらうが、それも大した範囲じゃない」
 御影が手で周囲を撫ぜる。 おそらく、このくらいの範囲しかないと言いたいのだろう。両手を伸ばした程度の円の中では、満足に戦うことは出来ない、そう言いたいらしい。
「ふぉ、ロー‥‥‥する」
「さんきゅ」
 瑠璃が胸の前で手を組み、祈りを捧げる。 御影の体がふわりと宙に浮き、千獣は背中から黒い羽を出すと御影の上昇にあわせてゆるやかに空に舞い上がった。 高く上がれば上がるほど、冷たい風が強く千獣の髪を靡かせる。千獣以上に髪の長い瑠璃はどうしているのだろうかと見てみれば、足元まである漆黒の髪は少しも波打っていない。
 突風に御影の羽織ったブレザーが靡き、千獣も思わず羽で身体を包み込み、風をやり過ごす。瑠璃だけは涼しい顔をしてゆっくりと瞬きをすると、白魚のような指先を真っ直ぐに持ち上げた。 細い指先は丁度千獣と御影の間を指しており、振り返れば白濁した瞳の青年が一人、空に浮かんでいた。白い半袖のTシャツにジーンズと言う姿で、見るからに寒々しい。白いシャツには所々赤い物が飛び散っており、右手には何か丸いものが握られていた。 瑠璃が顔を顰め、御影が呆れたように溜息をつく。そんな二人の表情と相手の血に塗れた姿から、手に持っているソレが何なのか分かった千獣は、瑠璃と同様顔を顰めた。
 気が触れた人のように、ニヘラっと嫌な笑いを浮かべた青年が手に持っていたものを落とす。 見たところ、武器は何も持っていないようだ。どんな攻撃を繰り出してくるのか分からない。 千獣が相手の力量を確かめようと接近した次の瞬間、御影の鋭い声が飛んできた。
「防げ!!」
 何を防げば良いのか、千獣は一瞬考えようとしたが、すぐに防御の体勢に入った。 両腕で顔を庇い、羽で身体を包み込む。瑠璃の細い声が素早く呪文を紡ぎ、千獣の前に透明な水の盾が浮かぶ。 目の前に迫った青年が両手を広げた次の瞬間、無数の鋭い空気の刃が千獣を襲った。
 急ごしらえの瑠璃の水の盾は、すぐに空気の刃に切り裂かれた。 千獣の長い髪が数本断ち切られ、羽に細かい切り傷がつけられる。腕にも刃が突き刺さり、頬を一筋切り裂かれ、鮮血が流れ落ちる。
 空気の刃が終わったと思えば、背後で御影が黄金の剣を振り回しながら青年と戦っている音が聞こえてくる。出鱈目に剣を振り回しているように見える御影だが、カンカンと小気味よく響く音は確かに何かを弾き返している。
「あの方は空気を操る能力者ですわ。もっとも、闇に堕ちた今、能力者と言うよりは異形と言った方が正しいのでしょうけれども」
 御影に指示されたのか、瑠璃は千獣の近くまで来ていた。腕と羽の傷を確かめ、治癒魔法を展開しようとするが、何かに気づき顔を上げた。 千獣は自己再生能力が強い。その身に宿る千からの獣に支えられた生命力は強靭だ。生半可な傷ではすぐに治してしまう千獣だったが、神聖・退魔系の魔法には弱かった。 瑠璃の全身から溢れ出す高貴な雰囲気、透き通った紫色の瞳は慈悲深く、彼女が聖なる属性の存在である事は最初に会った時から分かっていた。
 傷が塞がり、千獣は複雑な表情で瑠璃を見つめた。 戸惑ったような瑠璃の視線が揺れ、御影の奮闘する音に耳を澄ませると目を伏せる。
「わたくしは、神と呼ばれる存在ですの。今となっては誰が訪れる事もない、山奥の小さな湖を守護する神ですわ」
 湖のほとりには小さな御堂があり、彼女はそこに祀られているのだと言う。
「治癒の能力もありますが、千獣様には使わない方が宜しいかも知れませんわね‥‥‥」
 ポツリと囁き、瑠璃が顔を上げる。淡い色の唇が言葉を紡ぎ、胸の前で手を合わせると目を閉じる。 千獣の背後に大規模な水の盾が現れ、その向こうから世にも不気味な容貌の妖怪が続々とこちらに向かって来ている。
「御影様!!」
「分かってる! 千獣!空気野郎と虫退治、どっちが良い?」
「‥‥‥こっち、は、私、が‥‥‥やる‥‥‥」
 大きく動けない御影は、瑠璃の水の床のサポートがなければ落ちてしまう。 そこそこの力を持った能力者と戦うか、それとも数だけで押してくる妖怪と戦うか、どちらがまだマシかと言えば後者だろう。御影の剣の腕から考えて、数はあまり関係がないように思う。
「悪いな。‥‥‥瑠璃、千獣をサポートしてくれ」
「でも御影様‥‥‥」
「雑魚の大群相手に、俺が苦戦するとでも思ってるのか?」
 勝気な表情を前に、瑠璃が小さく溜息をつくと深い紫色の瞳を瞬かせ、千獣に向き直った。
「瑠璃‥‥‥こっち、は、気に‥‥‥し、なくて、良い‥‥‥」
「御影様のことでしたらご安心下さい、あれくらいの敵でしたら一歩も動かずに切り伏せられましょう。 それよりも、問題はこちらですわ。空気の刃を形成するための時間はほんの数秒、おそらく彼ほどの力の持ち主でしたら、空気の壁や盾を創り出す事も出来ると思いますの。刃を創り出すよりも短時間で形成可能だと思いますわ」
「‥‥‥動き、を、止め‥‥‥られ、れ、ば‥‥‥」
「あるいは一瞬で宜しければ、わたくしがお力になれるかも知れませんわ。ただ、この術は紡ぐのに数秒かかりますの」
 白濁した瞳の青年が、千獣と瑠璃に向き直る。 両手を広げた彼に反応して、瑠璃が水の盾を創り出す。簡易な水の盾は、刃を全て防ぐ事は出来ない。盾をすり抜けてきた刃を叩き落しながら、千獣は瑠璃の次の言葉を待った。
「わたくしの水の盾がなくとも、数秒間持ちこたえてくださいますか?」
 千獣は口の端に薄い笑みを浮かべただけで、何も返さなかった。
 相手は無数の空気の刃を間を置くことなく創り出し、放つ事が出来る。瑠璃の水の盾は刃を全て跳ね返すことは出来なく、今はこちらの能力を見極めようとしているのか遠くから刃を放つだけに徹している彼も、いつ何時接近戦を仕掛けて来るかわからない。 今の状況で接近戦に持ち込まれてしまえば、瑠璃の盾の綻びから隙をつかれ、大怪我は免れないだろう。
 彼が刃を創り出す時間と、瑠璃が盾を創り出す時間を比べれば、コンマ程度前者の方が早い。 ここは相手がまだ警戒して近づいて来ていないうちに一気に片をつけてしまった方が良い。
 瑠璃の盾が消え、盾によって多少落とされていた刃の威力が増す。千獣は瑠璃を庇うように前に立つと、感覚だけで空気の刃を打ち落とし始めた。目に見える物ならば良いのだが、空気を見ることは出来ない。全ての感覚を総動員し、反射神経で動く。
 瑠璃のか細い声に何かを感じ取ったのか、突然青年が空を蹴って間合いを詰めた。千獣の真正面で刃を放ち、トンと軽く跳躍すると頭の上を飛び越える。咄嗟に振り返り、威嚇するように爪を伸ばす。意外と近い位置にいた青年の胸が薄く斬られ、鮮血が千獣の爪を汚す。
 青年が放った刃が千獣の背中に突き刺さり激痛が走るが、奥歯を噛み締めて声は出さなかった。
 胸の前で手を合わせ、必死に呪文を紡ぐ瑠璃は目を閉じている。周囲の音は聞こえていても、目で見えてはいない。瑠璃の神様としての力を過小評価するつもりは毛頭ないが、神様だからこそ、千獣の苦痛の声に反応し、呪文が途切れないとも限らない。
「‥‥‥我、和泉御堂・瑠璃。湖を守り、支配する者として、今ここにそなたらを召喚す」
 何もない空間に水の玉が浮かび上がる。最初は小指の先ほどだった水の集合体は、一瞬のうちに膨張すると、青年を飲み込んだ。
「今ですわ、千獣様!」
 水の玉に飲み込まれ、一瞬だけ青年の動きが止まる。すぐに両手を広げ、空気の刃が内側から水の玉を破壊する。 千獣は高く飛び上がると、青年の背後に降り立った。彼が振り向くよりも早く、爪を振り下ろす。
 湿った音と、温度の感じられない血の飛沫。胸を切り裂かれた青年は、血と共に黒い靄を傷口から出し、ボロボロに崩れ落ちた。 落下する青年の身体は地面に到達する前に消え去り、流れ出た靄は周囲の闇と同化した。
「さぁて、それじゃぁ親玉の首を取りに行くか」
 腕を滴る血を舌で舐めとり、御影が金色の瞳を伏せる。
「怪我をするなんて、珍しいですわね」
「手元が狂っただけだ」
 瑠璃が御影の傷を治療するのを見ながら、千獣は深く息を吸い込んだ。 濃厚な血の匂いが肺に溜まり‥‥‥深く、吐き出した。


* * *


 エレベーターの扉が音もなく開き、眩い白色の光りが目を突き刺す。 赤絨毯が敷かれた広間の中央には、瞳と同じ色のチャイナドレスを着たチヨリの姿があった。ツインテールにした金色の髪をサラリと揺らし、千獣達に満面の笑顔を向けるとヒラヒラと手を振る。
「はろろ〜ん! 思ったより遅かったねぇ。苦戦しちゃったのかなぁ、かなぁ〜?」
 無邪気な笑顔を前に、御影が苦々しく奥歯を噛み締めると剣を構えた。
「約束通り来てやったんだ。大人しく消えな」
「えぇー、チヨリンはぁ、御影ちゃんと瑠璃ちゃん、千獣ちゃんと遊びたくて待ってたんだよぉ、だよぉ〜?消えろとかぁ、ちょっとヒッドーイ! むぅー。そんな意地悪な御影ちゃんなんかぁー」
 ザワリと空気が揺らぐ。 今まで見えていた綺麗な広間が掻き消え、荒廃しただだっ広い土地に変わる。赤茶けた土と、血のように滲む太陽と、空気は鉄臭く、風は誰かの断末魔を運んでくる。
「こうしてやるんだからぁーっ!!」
 チヨリの背後から、凄まじい数の異形が飛び出してくる。 空を黒く染め上げた彼らを前に、御影が舌打ちする。
「この子達は、フェンちゃんの子供。そしてこの場は、チヨリンの子供」
「なら、お前をぶっ倒してからフェンを倒す!」
「そんなこと言って良いのかな、かなぁ〜? いっくら御影ちゃんと瑠璃ちゃんが最強コンビ!って言ってもぉ、チヨリンにはいっつも勝てないじゃーん。また負けちゃうのかな、かなぁ〜?」
「今回はわたくしと御影様だけでは御座いませんわ」
 瑠璃が低い声でそう呟いた瞬間、千獣が地を蹴った。 筋肉の浮き上がった脚は硬い毛に覆われ、高く跳躍すると背中から黒い羽が伸びる。異形が襲い掛かり、千獣の長い爪が彼らを切り裂く。
 千獣だけに良い格好はさせられないと御影もそれに続き、長い爪に羽を傷付けられて落ちてきた異形達を切り伏せていく。 今は自分の出る幕ではないと判断した瑠璃が自身の周囲に水の盾を創り、状況を静かに見守っている。
「そんなグズグズやってたらぁ、日が暮れちゃうよぉ、よぉ〜?」
 キャハハ! チヨリが耳障りな甲高い笑い声を上げながら、御影の足元を差し、指を鳴らす。 爆発前に気づいた御影が飛び退き、異形が爆発に巻き込まれて数体吹き飛ばされる。 千獣が前方にいた羽の生えた鬼を切り裂き、左手から襲い掛かってきた長い牙を持つ餓鬼を払いのける。上空から落ちてきた巨大な芋虫を避け‥‥‥右手上空から飛来して来た悪魔のナイフが頬を薄く切り、鮮血が流れる。
 そちらに気を取られた隙に左手からくらげのような半透明の物体が襲い掛かり、右手からは真っ黒な一角獣が走りこんで来る。 瑠璃が急いで水の盾を創り上げ、半透明のくらげが足止めを食っている間に黒の一角獣を地に落とす。
「ンもー、つっまんなーい!皆もっともーっと強いと思ったのになぁ、なぁ〜? こーんな雑魚の集団なんかにこーんな時間とってぇ、チヨリンはぁ、とーってもガッカリなのでーす。皆の能力を過大評価しすぎてたのかなぁ、かなぁ〜?」
 プゥっと頬を膨らませたチヨリが、小さく溜息をつく。右手が宙を撫ぜ、何かを掴むように握られると大きく振られる。チヨリの近くにいた異形2匹が二つに裂かれ、千獣の前にいた1体が地に落ちる。何が起きているのかは分からないが危険を感じた千獣が急上昇する。足の裏を熱い何かが通り過ぎ、鋭い痛みに下を見れば血が滴り落ちていた。
 御影が異形退治を中断し、左手を向くと剣を構える。空気も揺るがさず、音も立てない何かは御影の剣に当たったようで、彼の体がジリジリと後退していく。歯を食いしばって耐えている様子は鬼気迫るものがあった。
 彼を襲おうとしている小鬼を蹴り飛ばし、瑠璃に目を向ける。 千獣の一瞬の目の動きから何を言いたいのか敏感に感じ取った瑠璃が、薄い桜色の唇を開く。
「チヨリ様は、透明な糸と刀を持っていらっしゃいますわ」
 御影を襲っているものは、恐らく糸の方だろう。不自然な形で宙に止まった右手からして、おそらく操っているのはあちらの手。残る左手を止めれば接近する事が出来るが‥‥。
 チヨリの左手がしなやかに動き、千獣の足元を指定すると指を鳴らす。 横目で確認してみれば、御影が何かを言いたげに千獣を見上げていた。
 ――― 爆、発‥‥‥じゃ、なく‥‥‥刀、を、出さ‥‥‥せる、には‥‥‥?
 刀を出させれば、左手を封じる事が出来る。接近戦に持ち込めれば刀を出させることは可能だが、接近する前に爆発に巻き込まれる可能性が高い。チヨリの指の動きは素早く流れるようで、今はまだ連続して攻撃を仕掛けては来ていないが、連続技に持ち込まれれば避け切れない。
 ランダムに動きながら間合いを詰めれば‥‥‥しかし、それではあまりにも体力を消耗しすぎる。爆発の威力はバラバラで、どうやら彼女の思いのままに威力の調整が出来るらしい。大規模な爆発を起こされればその分大きく動かなくてはならず、千獣が接近戦を考えていることは直ぐに分かってしまうだろう。そうなれば、相手が何を仕掛けてくるか分からない。
 一瞬だけ左手を封じられれば、一気に間合いを詰める事が出来る。 チヨリの指の動きに注意しながらの異形退治はなかなか骨だった。常に動き続けていなくてはならず、チヨリは異形を爆発に巻き込む事をなんとも思っていない。たとえ近くに異形がいようとも、チヨリはお構いなしに爆発を仕掛けてくる。
 ――― スラ‥‥‥イ、シング‥‥‥エア、を‥‥‥投げ、ら、れ、れば‥‥‥
 疾風刃、スライシングエアは鎖のついた透明な手裏剣型の聖獣装具で、千獣はそっとポケットを撫ぜるとチヨリを見、御影を見下ろした。 見えない糸と一進一退の攻防を繰り広げている御影の額から汗が滴り落ち、腕にかかっている力がどれほど強いのかを想像させられる。 疾風刃を投げるには、千獣に向けられているチヨリの注意を刹那だけ他に移さなければならない。そうしないと、刀を出す前に爆発で弾かれてしまう危険がある。
 考えている千獣の足元で、瑠璃が御影の名前を鋭く呼ぶ。その声の調子に何かを感じた御影が歯を食いしばり、思い切り剣に体重を乗せる。 突然の反撃にチヨリの意識が千獣から逸れる。千獣はその好機を逸せずに疾風刃を投げると、一気にチヨリに向かって宙を蹴った。
 透明になってチヨリに襲い掛かる疾風刃に、チヨリの反応が一瞬だけ遅れる。チヨリの指先が微かに動き、ぐっと握られる。疾風刃が透明な刀によって弾き飛ばされ、千獣の元に戻ってくる。念じる事によってさらに攻撃を繰り出すことも出来たが、今は余計な事を考えている暇はない。チヨリの懐に飛び込み、右腕を振り上げる。チヨリの真紅の瞳が驚きに見開かれ ――― ニヤリと、口元に不敵な笑みが浮かぶ。
「千獣ちゃんはぁ、チヨリンのこと侮ってないかなぁ、かなぁ〜?」
 チヨリの指先が乾いた音を立てる。振り下ろした爪がチヨリの黄金色の髪を断ち切ろうとした瞬間、千獣の直ぐ足元で爆発が起こった。 あまりにも至近距離の爆発に防御が遅れ、凄まじい熱が千獣の身体を舐める。爆風に飛ばされた先では瑠璃が水の壁を創って待っており、千獣の燃える身体を優しく包み込む。
「千獣!!」
「千獣様!」
 瑠璃の水の壁は千獣の身体を包む炎を消した後で消え去り、落下してくる彼女の身体を御影が受け止める。 あまりの衝撃に止まっていた息が、涙と共に再開される。激しく咳き込みながら自身の身体を見下ろせば、血に濡れていた。 かなり派手にやられたが、少しすれば回復するだろう。千獣はそう思いながら、先ほどの事を思い出していた。
 ――― あの、時、の‥‥‥手‥‥‥
 疾風刃に一瞬反応が遅れたチヨリの指先が、微かに動いた。あまりにも滑らかで小さな動きだったために気がつかなかったが、確かに指先は前方を差していたようにも思う。 ‥‥‥チヨリは千獣が接近戦に持ち込もうとしていた事を最初から知っていたと言うことだ‥‥‥。
 ――― たし、かに‥‥‥少し‥‥‥あな、どって‥‥‥い、た、かも‥‥‥
 涼しい顔で上空に静止しているチヨリを見上げる。 今にも折れそうなほど儚い華奢な体と、蒼白の肌、可愛らしい顔に無邪気な表情、チヨリの纏う雰囲気の何処からも、彼女の真の力を示すものはない。
 ――― 強い ‥‥‥
 千獣は涙を拭うと息を整え、立ち上がった。心配そうな瑠璃に小さく頷き、身体を支えようとする御影の手をやんわりと断る。 未だに治りきっていない身体はまだ刺すような痛みを感じるが、ここで止まっていては先に進めない。チヨリの背後から止め処なく飛び出してくる異形に向かって駆け出そうとした次の瞬間、チヨリの手が動いた。
「千獣ちゃんも御影ちゃんも瑠璃ちゃんもぉ、そこ動いたらダメだからねぇ、ねぇ〜?」
 無邪気な声に足が止まる。チヨリが可愛らしく ――― それこそ、純白の対の羽が背から生えているところを想像するくらい美しく無邪気に ――― 微笑むと、右手を宙で握り締めて振り回す。左手があちこちを指差しながら鳴らされ、爆発が起こる。
 透明な糸が異形を切り裂き、爆発が彼らを吹き飛ばす。あれだけ大量にこの世界に存在していた者達があっという間にいなくなり、足元には肉塊と黒く焼け焦げたものが積み重なった。
「ど、う‥‥‥して‥‥‥?」
「千獣ちゃんはぁ、チヨリンをどうすれば倒せると思ったのかなぁ、かなぁ〜?」
 チヨリの手が空間を撫ぜ、赤茶けた土と歪な形をした太陽が溶けていく。ドロドロに崩れた光景は赤絨毯の敷かれた綺麗な広間へと姿を変え、振り返れば来た時と同様、エレベーターが口を開けて待っていた。
「接近戦に持ち込もうとしたんじゃないのかなぁ、かなぁ〜?そのためにはぁ、両手を塞がないとダメだよねぇ?チヨリンはその時ぃ、右手は塞がってたからぁ、左手を封じればなんとかなるって思ったんだよねぇ、ねぇ〜?」
「‥‥‥わたくしは千獣様のご様子から“その時”が来たのだと思い、御影様のお名前を呼んだのですわ」
 瑠璃の言葉に、ふと御影の顔が蘇る。左手を止めれば接近できるのではないかと思い爆発を避けるために飛び上がった時、御影が何かを言いたそうに千獣を見上げていた。
 もしかして、御影も瑠璃も接近戦でしかチヨリを倒すことは出来ないと知っており、千獣が懐に飛び込むその時を待っていたのだろうか? きっとそうだと、確信する。御影も瑠璃も、千獣以上にチヨリとやりあっている。
「チヨリの左手を封じる何かを思いついたんだと思った俺は、チヨリの意識をコチラに向けさせた」
「‥‥‥チヨリンは、遠くからじゃぁ倒せないんだよぉ、よぉ〜。変な能力があるっぽいなぁーって分かった場合はすぐに爆発させちゃうしぃ、銃でも弓でも、遠くから狙える物を持ってる人も同じ。指差しから爆発までは1秒もかからないもん」
「それでチヨリ様、何故わたくし達をこの場に戻したのですの?」
「チヨリンはねぇ、強い子がだーい好きだしぃ、ちょーっと壊れちゃってるなぁーって感じの子もだーい好きなんだけどぉ、それ以上にぃ、頭の良い子が好きなんだぁ。だからぁ、御影ちゃんも好きだしぃ、瑠璃ちゃんも好きだしぃ、千獣ちゃんも好きなんだよぉ、だよぉー」
「フェン以上に?」
 御影の言葉に、チヨリが口の端を微かに上げる。 右手をゆっくりと上げ、ヒラリと振った次の瞬間、彼女の華奢な身体は空間に溶け消えた。
「またしても仕留められなかったな」
「チヨリ様を亡き者にするためには、もっと綿密な計画を立てなければなりませんわね。 ‥‥‥いつか、チヨリ様の魂を異形の世界よりお救いする事が出来るのでしょうか」
「さぁな‥‥‥」



 銀色の巨大な扉の前で佇んでいた燕尾服姿の男性が、背後の物音に気づき振り返る。 オールバックにした茶色の髪と鮮やかな青色の瞳、肌は白く、顔には友好的な微笑が張り付いている。
「ようこそ、修都さんに瑠璃さん、それに‥‥‥千獣さん」
「‥‥‥しゅう、と‥‥‥?」
「御影・修都様と仰るんですのよ、御影様は」
 御影が下の名前ではなかったのかと思いながら、そう言えば瑠璃も和泉御堂・瑠璃と名乗っていた事を思い出す。 もっとも瑠璃の場合は苗字と言うのではなく、宿っているお堂の名前だと思うが。
「チヨリさんは相変わらず、ですか。‥‥‥まぁ、私も最初から彼女に期待を寄せていたわけではありませんが」
「遊び人だからな、あいつは」
 確かにそうだと、フェンが低く笑い声をもらす。 何処からどう見ても紳士にしか見えない彼は、右手で素早く宙に何かを書くと小さく異国の言葉を紡いだ。瑠璃が素早く水の盾を作り出し、御影が剣を構える。
「御影様、千獣様、わたくしの盾はフェン様の前ではあまり効果をなしませんの」
「瑠璃さんと私は対極の位置にいます。そして、御影さんも瑠璃さん寄りですよね?」
「瑠璃ほどじゃぁないけど、確かに属性判定すれば神とか聖とかになるんだろうな。 ‥‥‥でも、そんなの知ったことじゃねぇよ。俺はただの人なんだからな。勿論、お前もな!」
 フェンの手元から黒い靄が形作られ、御影の身体を包み込む。どうやら剣はフェンの闇魔法とは対照的な属性を纏っているらしく、黒い靄は剣を嫌がるように左右に散っている。御影の剣は瑠璃の水の盾よりもより高位の聖、もしくは神の力がかけられているのだろう。
 あの剣に斬られた場合の事を思い、一瞬背中に寒気が走るが首を振ると床を蹴って走り出す。 自身が底なしの闇のような千獣は、闇属性に対して耐性がかなりある。見たところフェンは刀や剣を持っての戦闘タイプではなく、魔法使いタイプのようだ。そしておそらく、使える属性は魔のみ。
 銀色の扉から異形が飛び出してくるが、彼らの中に千獣の相手を出来るほど強いものはいない。対チヨリ戦ならば爆発を警戒して不規則に動かなくてはならなかったが、闇魔法ならば喰らってもさしてダメージはない。 さらにフェンは体自体はただの人間だ。人ではないチヨリは空に浮かぶ事も、瞬間的に移動する事も出来たが、彼にはそれほどの能力はない。
 千獣は難なくフェンの前にたどり着くと、高く飛び上がり、上空から彼を切りつけた。ぐらりと傾いだフェンはそのまま後方に倒れ、御影を襲っていた闇魔法が消える。開け放たれた銀色の扉から飛び出して来た異形を黄金色の剣が切り伏せ、御影が扉を閉める。
「フェンは?」
「‥‥‥だい、じょう‥‥‥ぶ。加減、は‥‥‥した、から‥‥‥」
「それでは、わたくしが治癒を‥‥‥」
「それには及ばないよ瑠璃さん。私はもう、闇に堕ちる定め」
「チヨリが手元を離れたその時から?」
「あぁ、そうですね、修都さん。‥‥‥最初から、貴方達がここに来てしまえば勝てないことは分かっていました」
「違いますわフェン様。最初から“掃除の日”なんてものが成功してないのは分かっていらしたのでしょう?」
 フェンは笑うだけで何も答えない。 ゴボリと口からどす黒い血が流れ、フェンの身体を汚していく。
「‥‥‥ど、う‥‥‥して、こん、な‥‥‥こと、を‥‥‥?」
「闇に堕ちる術を知らなかったからですよ」
 御影が眉を上げ、肩を竦める。何の事だか分からないと言っている彼の後ろで、瑠璃が険しい顔をして口を開いた。
「憎い能力者達を道連れにして、満足ですの、フェン様?」
「えぇ、とても満足です‥‥‥」
 フェンは穏やかな表情で頷くと、ふっと目を閉じた。 黒い光りが彼の身体を包み込み、銀色のと扉が開け放たれる。光りは吸い込まれるように扉の中に消えると、まるで何事もなかったかのようにパタリと音を立てて閉まり、ゆっくりと崩れ落ちた。


* * *


 出されたオレンジジュースに口をつけながら、千獣は小奇麗な御影の部屋を見渡した。黒を基調とした部屋は物が少なく、生活感がほとんどない。千獣が感じたとおり、御影がこの家に帰って来るのは寝る時だけらしい。
「高校生は何かと忙しいし、異形退治は深夜にまで及ぶ時が多いしな」
 何処かのお店から取り寄せたという御節を広げ、瑠璃がテキパキとお雑煮を作る。
「瑠璃‥‥‥フェン、の、言ってた、こと‥‥‥って‥‥‥?」
 味見をしていた瑠璃が顔を上げ、複雑な表情で目を伏せると胸の前で手を組み合わせた。
「フェン様‥‥‥本名はフェン・ウィリウス様と仰るのですが、フェン様は幼い頃にご両親を亡くされ、妹のコーラル・ウィリウス様と暮らしていらっしゃいましたの。‥‥‥フェン様の能力を知り、亡き者にしようと画策した能力者達が現れるその日まで‥‥‥」
「コーラルだけやられたのか?」
「えぇ。丁度その時フェン様はお出かけで、帰ってきた所を襲われたらしいのですが‥‥‥」
「フェンの闇魔法は上級だ。そこらの能力者が勝てるはずがない」
「コーラル様は、能力者の力によって闇に堕とされてしまいましたの。‥‥‥中途半端な力しか持たない者を、フェン様は憎みましたわ」
「‥‥‥そ、れで‥‥‥掃除‥‥‥?」
「フェンも“掃除”されたかったんだろうな、きっと‥‥‥」
 御影はそう呟いたきり口を閉ざすとお雑煮をお椀によそい始めた。 瑠璃が千獣の隣に座り、暫し雑談をした後で御影も交えて遅い夕食をとる。ブツ切れの会話はさして盛り上がりを見せたわけではなかったが、時折笑い声が花開いた。
「そう言えば、御影様は今年の抱負や目標はありますの?」
「あー‥‥‥普通の高校生になる。ってのはダメか?」
「わたくしに訊かれても答えられませんわ。‥‥‥千獣様はいかがですか?」
「‥‥‥もく、ひょう‥‥‥?」
 千獣の瞳が暫し宙を漂い、天井で止まる。言葉の断片をかき集め、繋ぎ合わせた千獣はふと目を閉じると胸元に手を当てた。
「‥‥‥私は‥‥‥私の、守るべき、ものを‥‥‥守る、だけで‥‥‥て、いっぱい‥‥‥」
「こんな年の始まりでしたけれど、良い年になって欲しいですわね‥‥‥」
「で、瑠璃はなんかねぇのか?」
「わたくしは‥‥‥神としてもっと立派になる‥‥‥ですかね?」
「それから、今年こそチヨリを滅するって言うのもねぇとな」
「‥‥‥そう‥‥‥言え、ば‥‥‥チヨリ、って‥‥‥元は、人間?」
「えぇ、確か牧野・千代様と仰るんです。もっとも、もうこの名を覚えているのはごく少数ですけれども」
「‥‥‥まき、の‥‥‥ちよ‥‥‥」
「チヨリって、千の夜の裏って書いてチヨリって読ますんだよな?」
「そうですわ。誰が彼女にその名を与えたのかは分かりませんけれども」
「‥‥‥たぶん、チヨリ、は‥‥‥自分、で‥‥‥つけたん、だと、思う‥‥‥」
 耳の奥に、彼女独特の舌足らずな甲高い声が聞こえる。キャハハ!と、無邪気な笑い声を伴いながら ―――――
「そうだよぅ、千獣ちゃん。チヨリンはぁー、千の夜を越えてもぉ、ずーっとずーっと生きるんだよぅ。千代の時にいた世界とは違う、裏の世界でずーっとずーっと、チヨリンよりも強くて頭が良い誰かが現れるまでぇ、ずーっとずーっと生き続けるんだよぅ。だっからぁー、またどこかで会えるかもしれないねぇ、ねぇ〜?すっごく、すっごーく楽しみだなぁー!ねぇ、千獣ちゃんもそう思わないかなぁ、かなぁ〜?」



END


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 3087 / 千獣 / 女性 / 17歳 / 異界職


 NPC / 御影・修都
 NPC / 和泉御堂・瑠璃
 NPC / チヨリ(千夜裏)
 NPC / フェン・ウィリウス


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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もう二月になってしまいましたが‥‥あけましておめでとう御座います!
チヨリやフェンをどうするのか悩んだのですが、Sと言うことでこのような結末になりました
フェンは闇に堕ち、チヨリは今もどこかで面白おかしく過ごしているのだと思います
チヨリの喋り方が少し独特過ぎたかなとも思うのですが、個人的には書いていて楽しかったです
それでは、ご参加いただきましてまことに有難う御座いました!