<東京怪談ノベル(シングル)>


カラスの夢
 かあ。かあ。かあ。

 どこかでカラスの声がする。
 どこから、聞こえるんだろう?
 私はそっと、耳をすませる。上から、下から、右から、左から、カラスの声がひびいてくる。

 かあ。かあ。かあ。

 何も見えない。何もわからない。
 あるのは音だけ。カラスの声だけ。
 足は動くの? 手は動くの? 私は誰なの?
 そんなことも、わからない。

 そんなときに、遠くから、静かな声が聞こえてくる。
 
 静か?
 これが?
 本当に?
 思った後で、疑問がわいてくる。
 これは本当に、静かな声?

 まるで、泣き声みたいな声だった。
 小さな小さな泣き声が、いくつも重なっているような。
 そんな、胸の奥が痛くてたまらなくなるような声だった。

 あなたは、だあれ?

 そう問いたい。
 けれども、声は出ないのだ。
 聞こえるのはカラスの鳴き声。
 そして誰かの、泣くような声。

 どうして、そんなふうに泣くの?
 あなたは何も悪くないのに。
 ふと、そんなふうに思う。

 かあ。かあ。かあ。

 カラスの鳴き声に、笑い声が混じった。
 あれはカラスの笑い声?
 カラスが笑うだなんて聞いたことがない。
 でも、明らかに笑ってる。
 それじゃあ、あれは誰の声?

 かあ。かあ。かあ。

 カラスのうるさく鳴く声に混じって、はばたきの音も聞こえてくる。
 ばさばさ、ばさばさ、何羽いるっていうんだろう。
 そんなうるさいときにでも、誰かの泣き声はずっとひびいている。

「これは、泣き声じゃないんですよ」

 不意に、声がした。
 目を開ける。
 一面の赤。
 血を散らしたような赤。
 それ以外、何もない場所。
 それなのに、泣き声はやまない。
 カラスの声もなくならない。
 怖くなって、後ずさる。
 でも逃げられない。それだけはわかっている。

「カラスは泣いてなんかいないんです。そしてときどき笑うんです」

 笑ってなんか、いないじゃないか!
 ずっと、泣き声が耳にこびりついている。
 目を開けているか、閉じているか。どちらかしかできないのに、まるで、これは……。

「悪夢のよう? ふふふ、そんなことを言わないでください。ねぇ、あたたかい夢でしょう? まるで真っ赤な羊水の中に浮かんでいるようだとは思いませんか?」

 そんなこと、思うはずがない。
 ただただ、カラスの声が不愉快で。
 ひびく泣き声がさびしくて。
 どうにかなってしまいそう。

「おやおや。私の歌はお嫌いですか? カラスのつもりになって歌っているんです。いけませんか? ダメですか?」

 ああ、あの泣き声は歌なのか。
 言われてはじめて、旋律に気づく。
 でもだからといって、愉快なはずなどなかった。
 耳の奥に残る不快感。
 気持ちが悪い。

「そんなにいやがらなくてもいいのに……。私はね、よく、人の夢の中に行くんです。死んだ気分になれるんですよ。ふふふ、だからね、今はとてもいい気分なんです」

 そんなことはどうでもいい。
 どうして、勝手に夢に入ってくるのか。
 どうして、勝手に夢の中で歌うのか。
 うれしそうにされればされるほど頭に来る。

「おお、怖い。そんなに怒らないでくださいね。どうか、どうか、怒らないであげてくださいね。ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう。私はキミにとても感謝をしているんですから」

 ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。

 カラスの鳴き声と泣くような歌声の変わりに、ありがとう、という言葉がひびく。
 礼を言われる覚えはない。それくらいなら、出て行ってほしい。

 そう強く願った次の瞬間、ハッと、あたりの景色が変わった。
 ぐるりと見渡すと、そこはいつもの自分の部屋。
 赤い色なんてどこにもない。落ち着いた、夜の部屋だった。
「……なんだったのかしら」
 そっと、つぶやいてみる。
 あの声には聞き覚えがあった。
 そう、どこかで。
 昼間。
「昼間の吟遊詩人の声……?」
 思い出す。
 確か、あの男――トリ、といったか。
 そんな名の、翼を持つ吟遊詩人の声によく似ていた。
「わ、私、でもなんで、あんな夢……」
 思い出すだけで背中が冷たくなってくる。
 ふりはらうみたいに首をふって、カレンはふとんにもぐりこんだ。
 もう夢は見たくない。
 だから、眠らずにいよう。
 そう思っても手足は冷たくて、いつまでも、震えは止まりそうになかった。