<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>
迷宮観光案内
地下迷宮『ラビリンス』の人工的な薄明かりの中を、長身の青年が規則正しい靴音をたててやってくる。そのリズムは時計が時を刻む音に等しく、乱れがない。細身の身体を包む黒衣と、それに映える金髪が印象的なその青年――エル・クロークは、この迷宮の中でただ一軒、店を構えている奇特な道具屋を訪ねてきたのである。
「あら、これは嬉しいお客じゃないの。あんた、いいところに来たわよ。」
黒い上着と同じ色の帽子を持ち上げ軽く会釈したクロークの顔を見るなり、道具屋の女店主レディ・ジェイドはそう言って、にんまりと笑みを浮かべてみせた。
「少し前にアリスドーラが帰ってきたんだけど、彼女と新しい商売を考えたのよ。」
この言葉にクロークは興味深げに柳眉を上げ、店の隅で巨大な羊皮紙を広げていた銀髪の女性――道具屋の雑用を何でもこなす魔法人形のアリスドーラに、その紅玉のような赤い瞳を向ける。レディ・ジェイドも彼女の方を見やり、手招きでアリスドーラを呼び寄せた。
彼女は羊皮紙――どうやら手製の、『ラビリンス』の地図のようだ――を丸めながらクロークと女店主の下へ歩み寄ると、「やはり無謀じゃないか? 迷宮で観光なんて。」と、いささか呆れたような口調で言う。これにレディ・ジェイドは憤然と反論した。
「そんなことないわよ! この『ラビリンス』に挑む冒険者は多いけど、あんたが一番詳しいじゃないの。彼らはきっと自分の知らない名所を、あんたに案内してもらいたいと思うに違いないわ――ねえ、そうだろう?」
最後の言葉は、二人のやりとりを礼儀正しく黙然と聞いていたクロークに向けられたものらしい。レディ・ジェイドは身を乗り出して「ね、あんたもそう思うだろ? 観光したい場所はないかい? あるだろう?」と矢継ぎ早に言ってクロークにつめ寄った。その勢いもさることながら、ただでさえ巨体のレディ・ジェイドは、間近で見るといっそうの迫力である。
クロークは礼を欠かない程度にさりげなく身を退き、照れたのか女店主から顔をそむけたあと、「観光したい場所、か。」と呟くように言った。レディ・ジェイドはそれに大きく頷いてみせる。
「そうとも! 何たってここは不思議の宝庫だ、一生に一度は行ってみたいと思える場所がたくさんあるよ。アリスドーラの話を聞いていたら、あたしだって行ってみたいと思う所がいくつもあるんだから。」
それで観光なんてものを思いついたんだけどね、と言い足して女店主は笑った。アリスドーラはその言葉に一瞬表情を曇らせたが、すぐにそれを打ち消すように肩をすくめてみせる。
そんな二人の様子を見ながらしばし思案していたクロークは、やがて穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。
「そうだねぇ、……それだったら、香料になりそうな植物の群生地はないかな。地上ではあまり見かけない、地下迷宮ならではのものが採取できると嬉しいんだけれども。浅い階層なら自分でも何とか回れるけれど……ほら、ここって広いだろう?」
そう言ってクロークは遥か頭上の大地を振り仰ぐようにして一度顔を上げ、それから視線をアリスドーラに戻すと、「それに、」と言葉をついだ。
「戦うことはあまり得意じゃないから。深い階層へ降りていくのは少々骨が折れるし、ここに詳しい方が一緒なら安心できるな。」
「その点は心配ないよ。ねえ、アリスドーラ?」
自信満々で請け合うレディ・ジェイドに、銀髪の魔法人形も人間のように確信に満ちた面持ちで頷く。
「希望の場所にも心当たりがある。道中はそれなりに危険だが、わたしが安全を保証しよう。」
「どうか宜しくお願いするよ。」
クロークはそう言って微笑み、女店主は「商談成立だね。」と破顔して、記念すべき『観光客第一号』氏の肩を軽く叩いた。
『ラビリンス』がいつ、誰によって、何の目的で作られたのかなど、詳細については何一つ判っていない。知る手がかりもなく、ただ無限とも思える迷宮と謎だけが、訪れる者たちの前に延々と広がっているばかりである。冒険者たちは迷宮の果てと謎の解明を目指して日夜さまよい、彼らの功績によって日々新たな発見がされているにもかかわらず、実のところ、『ラビリンス』の知られていなかった一面が明るみに出るたびに新たな謎が生まれている、というのが現実だった。
「本当はこの迷宮に終わりなどないのかもしれない。まるで万華鏡のようだとジェイドは言っている。――お前は万華鏡を覗いてみたことがあるか?」
まさに迷宮の名にふさわしい複雑な道をためらうことなく進むアリスドーラに訊かれ、彼女の横を一歩遅れるようにして歩いていたクロークは、色とりどりの小さなかけらと鏡が織りなす万華鏡の奇跡のような光景を脳裏に思い描き、こくりと頷く。それにアリスドーラも頷き返して言葉をついだ。
「ジェイドは筒型の小さな万華鏡を持っているが、とても小さいのに、それが見せる光景は一つとして同じものがない。鏡を張った筒の中に色のついたガラスやくず鉱石が入っていて、筒を回しながら光にかざして見ると無限の世界が見える。筒の中に入っている物は変わらないのにな。鏡に映して違う角度から見ると、まったく違う光景が見えるんだ。この迷宮はそんな感じだとジェイドは言っているし、わたしもそう思う。」
「ここのことを一番よく知っているあなたも?」
興味深そうにクロークが言うと、アリスドーラは小さく肩をすくめてみせた。
「知れば知るほど判らなくなる、というのがこの『ラビリンス』だよ。だからジェイドとわたしは、この迷宮に夢中なのかもしれない。」
そう言って出し抜けに踵を返し、立ち止まる。あやうくぶつかりかけたクロークが身をかわすと、アリスドーラは満足そうな笑みを浮かべて言った。
「その辺りにいるのがいい。さて、ここには隠し通路があり、便利な近道ではあるものの――行き着く先には一つ問題がある。そうだな、十秒後にお前も来てくれ。」
アリスドーラはそう言いながら何もない壁に手を当て、確信に満ちた動作でそれを強く押す。すると継ぎ目も見えなかった壁の一部がへこみ、がこん、という機械的な音をたてたかと思うと、アリスドーラの立っていた床が開き、彼女を闇の広がる穴の中へ吸い込んだ。先ほど身をかわして距離を取っていなかったら、クロークも一緒に落ちていたことだろう。
クロークはあっけにとられた表情でしばらく視線の先にできた穴を見つめていたが、やがてきっかり十秒後に床の穴へと飛び込んだ。帽子がなくならないよう片手で押さえ、黒衣をひるがえして真っ直ぐに闇の中へ落ちていく。『近道』は広いのか狭いのか、自分が落ちているのか昇っているのかも判らなくなるほどの暗さだったが、そのおかげで明るい出口にはすぐに気づくことができた。
クロークは着地の衝撃を覚悟したが、かなりの速さでそれなりの距離を落下したにもかかわらず、怪我もなく、帽子が頭の上から転がり落ちただけですんだのは、予想に反して床が柔らかかったためである。どうやら上から来ることを前提に造られた床らしい。ほっと一息をついてクロークは帽子を拾い上げ、周囲を見回すと、その異様な光景に息をのんだ。四方が鏡張りされた部屋のそこかしこに、たった今斬り伏せられたらしい魔物たちが転がっている。
「お前の時計は正確らしいな。ちょうど終わったところだ。」
アリスドーラはそう言って剣を振り、何事もなかったかのように鞘におさめた。
「ここからは鏡とガラスの迷路だ。一度道を誤るとここに戻されるようになっているから、よく迷い込んだ魔物たちが集まっているのさ。」
それを彼女は一人で先に片付けておいたらしい。クロークは護身のための体術を身につけているものの戦いを好む性質ではないので、この配慮には不満があるはずもなかった。
部屋は、よく見るといくつもの透明なガラスの壁で仕切られており、まさに迷路となっている。その上、一部はガラスでなく鏡でできているため虚像と実際の景色が入り乱れ、いっそう複雑に見えた。
「まるで万華鏡の中に入り込んだみたいだ。」
クロークが言うと、アリスドーラは「まさにその通り。」と笑う。
「壁を見ているといい。」
そう言われてクロークが周囲の壁に注意をはらっていると、間もなく行き止まりを作っていた壁がゆっくりと動き出し、新しい道を開いてみせた。
「床が動く所もある。お前の言う通り、ここではわたしたちは、くるくると回る万華鏡の中の小石というわけだ。」
「でも、万華鏡と違って法則がありそうだね。」
壁や床に目をやっていたクロークが言うと、アリスドーラは感心したような声を上げて首肯した。
「よく判ったな。」
「少し時計に似ているよ。動きが規則的だから。」
「お前は時計職人なのか?」
驚いているのか興味を覚えたのか、器用に片方の眉だけをあげて訊いてきたアリスドーラに、クロークは特有の謎めいた笑みで応えた。そして、問いに対する答えとは別のことを口にする。
「それより、ここをどうやって抜けるのかな? 規則があるといっても複雑だし、なかなかに骨が折れそうだけれど。」
しかし、彼の心配をよそにアリスドーラはどこか得意げな顔をしてみせた。
「わたしだって、だてに観光案内を引き受けたわけではないさ。」
その言外には、ちゃんと道は知っている、というゆるぎない保証が秘められている。
「お前が時間に正確そうな人で良かった。ここではどれくらい時計に近い精度で数を数えられるかが重要なんだ。一秒でも遅れると道が変わって、ひどく遠回りをするはめになるから。」
「そういうことなら、足手まといにはならないと思うよ。」
アリスドーラの言葉にクロークも自信に満ちた声音で言い、二人は同時に鏡とガラスの迷路へ足を踏み入れた。そして迷うことなく、まるで二人ともが通いなれた道を歩くかのように、突如開かれるいくつもの分かれ道の中から正しいものを選び、進んでいく。
「次は三秒待って。壁が二つ動くから、右の道を四つ目の角まで直進。」
アリスドーラは長年の感覚で、クロークは教えられた道順を狂いのないタイミングで進むため、二人の動きは容姿こそ違うものの鏡に映したかのようにぴったりそろっていた。
かくして、アリスドーラが持つ迷路最短突破記録を二人で塗り替え、彼らは無事に万華鏡の中から抜け出したのである。
その先は、目的地である植物の群生地だった。この『ラビリンス』には青空も、そこに浮かぶ太陽もない代わりに、人工的な明かりや魔法の光が灯っている。それは神秘的な色を放ちながら、到底地下迷宮の中とは思えない広大な部屋一面を覆う大小さまざまな草木に、柔らかな日差しを投げかけていた。どこかに通気口があるのか、かすかに吹きつけてくる風はさわやかで、個性的な迷宮育ちの植物たちの香りを鮮やかに浮き彫りにしてみせる。その姿形も、特殊な明かりのせいか地上のものとは違う進化を遂げ、成長を続けていた。
「すごい……。」
クロークが思わず感嘆の声をあげると、「お前の探し物は見つかりそうか?」とアリスドーラがあまり関心のなさそうな表情で周囲を見渡しながら言った。植物には興味がないのかと思い尋ねてみると、魔法人形である彼女は味と同様に香りを楽しむことはないということだったので、花や草木に対するその無関心ぶりも仕方のないことなのかもしれない。
もっとも、調香師であるクロークからすればそれは実にもったいない話だった。足下を埋めつくす奇妙な形の花が放つ芳香は魅力的であるし、香料となりそうなものがここにはいくつもあるのに、それらは彼女にとっては何の価値もないのだ。
だが、あの女店主はどうだろうか?
そう思ったクロークは、「ジェイド嬢に花を持って帰ると喜ぶんじゃないかな。」と言ってみた。
「好きな香りが判ればもっといいんだけれど。」
「味については好き嫌いがあると聞いたが、香りにもあるものなのか?」
さも意外だというようにアリスドーラが問うと、クロークは幻とも言われる青色のバラに似た花や、『ラビリンス』を象徴するかのように複雑に絡まり合っている極彩色のローズマリーの株などを採取しながら「そうだねえ。」と呟いた。
「人にもよるけど、一般的に好まれる香りというものもあるよ。それに香りは人間にさまざまな効果をもたらすから、特別好きな香りではなくても、気分が良くなったりはするかもしれないね。」
クロークのこの言葉にアリスドーラは初めて関心らしきものを周囲の草木に見せる。
「どれがいいか教えてもらえるだろうか?」
「もちろんだよ。」
そう答えてクロークは、自分の店に来た客に向けるような、穏やかな笑みを返した。
「ジェイドにはこの迷宮は危険すぎるし、店があるから、彼女はあそこから動けないんだ。ジェイド自身はあまり気にしていないようだが、わたしはそのことを思うと少しだけ、動作が不調になるような感じがする。それが悲しいということだと知ったのはずいぶん前だけど。」
クロークは満足のいく量の材料を手に入れ上層部へと戻る道すがら、唐突に呟くように言ったアリスドーラのそんな言葉を聞いて、一人納得したような表情を浮かべた。迷宮には行ってみたい場所がたくさんあるとレディ・ジェイドが言った時に、アリスドーラが一瞬、暗い表情を見せた理由が判ったのである。
「ジェイドの見たこともない物がここにはたくさんあるが、見られない。だからわたしは、彼女が見たいと思う物や喜びそうな物は持って帰ってあげたいんだ。」
そう言って手に持った一束の花を見下ろし、「これを喜んでくれたら嬉しい。」と呟く。それからふと思い至ったように顔を上げ、隣を歩くクロークに冗談めかしてこう言って笑いかけた。
「お前は時計屋ではなく、香料屋だったんだな。それもとびきりの商売上手だ。だってお前は客だったはずなのに、まるでわたしの方が客みたいじゃないか。」
これにクロークは、やはりどこか謎めいた笑みを浮かべてみせただけだった。
了
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【3570 / エル・クローク / 無性 / 18歳(実年齢182歳) / 異界職【調香師】】
【NPC / レディ・ジェイド / 女性 / 自称30歳 / 道具屋店主】
【NPC / アリスドーラ / 無性 / 見た目23歳 / 道具屋の使い走り】
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■ ライター通信 ■
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エル・クローク様、こんにちは。
この度は「迷宮観光案内」にご参加下さりありがとうございました。
昨年に引き続き、今年もご縁ができましたことを大変嬉しく思っております。
今後もどうぞよろしくお願い致します。
今回は地下迷宮までご足労いただいたおかげで、クローク様のお店の外でのお姿を描かせていただくことができ、とても幸せでした。
その上、謎ばかりが目につくこの『ラビリンス』についてや、道具屋の面々についてお話しさせていただく機会までいただけて、大変嬉しかったです。
ご満足いただける観光になっていれば良いのですが。
アリスドーラも日々探索を行っておりますので、新たな植物の群生地を見つけたら、さらなる観光をご提供できるかもしれません。
その時はどうぞよろしくお願いします。
それでは最後に、後日談を少し。
――アリスドーラから花を受け取った女店主は、その土産に非常に満足した様子。
――「面白い形の花だねえ。それにすごくいい香り! 粋な土産じゃないか。ありがとう!」
――嬉しそうな彼女の顔を見て、今度はあの「香料屋」から香水を買おうかとアリスドーラは密かに思ったとか。
ありがとうございました。
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