<東京怪談ノベル(シングル)>


カラスの涙


  いつものようにカレン・ヴイオルドは天使の広場で旅人や冒険者に聞いた話を謳っていた。
 只一つ、いつもと違ったのは妙にカラスの声が耳についたこと。
 いないわけではないのだが、何故だかそれが気になりつつも、カレンは歌い続けた。
 衆人観衆の中、それに混じって黒い影が時折その前を通りかかるが、彼女がそれに気づく事はなかった。
「―――そろそろ仕舞いかな」
 日も暮れ始め、人の流れがアルマ通りからベルファ通りへ、夜の蝶を求め追う男達の姿がチラホラと見え始めた頃、そろそろ酒場に場所を移そうかと腰を上げる。
 宿や店の温かみのある暖色の明かりが広場前の石畳を照らしていた。
 その中でキラリと、カレンの視界の端に何か光るものが映る。
 ふとその先を見やれば赤やオレンジに煌く小さなものが落ちているではないか。
「何だろ?」
 傍によって見てみれば、そこに在ったのは親指の先ほどの大きさもあるハーフカボションのカーネリアン。
「何でこんな所に…」
 カットからして誰かの剣の束か装飾品の一部だろう。
 しかしこれほど大きな物を落として気づかないというのもどうだろうか。と、思いつつもこのまま地面を置いたままではうっかり欠けてしまうかもしれない。
 噴水の縁に置いておけばきっと気づくだろう。
 そう思って石を置こうとした瞬間。
「かーらぁすー、なぜ泣くのー。……カーネリアン。ほら、今、『カラスの涙』と呼ばれている宝石。そう、呪いの」
「!?」
 何処からともなく突然聞こえてきた声に一瞬身がすくんで小さな悲鳴を上げてしまう。
 声がした方を振り返ると、全身黒ずくめの男とも女ともとれない風貌の有翼人がアルカイックスマイルでそこに佇んでいる。
「これ、貴方の?」
 驚きからまだ早鐘を打つ心臓の音が耳に響く。
 差し出されたカーネリアンを見てもその有翼人は首を縦にも横にも振らず、ただこちらを見ていた。
「……何か、用ですか?」
 怪訝そうな顔をしていると思う。
 そうならざるを得ない状況だもの。
 有翼人はにっこりと微笑む。けれどその目は笑っていない。
「!」
 刹那、背から飛び出した翼を大きく広げ瞬時に夜の闇へ姿を溶け込ませた。
 後には、はらりひらりと大きな羽根が数枚落ちてくるだけ。
 闇の彼方に問いかけに応える者はもういない。
「…なんなの…」
 憤りの篭った声でそう呟くカレン。
 なんだか気味が悪い。
 早く酒場の方へ、人の多いところへ移動しよう。

 酒場へたどり着き、その場の活気に安堵の表情を見せるカレン。
 そしていつもどおりに陽気な曲と共に歌いだす。
 有翼人にからかわれたのだろう。そういう者のいるんだ。何度も心の中で呟いては不安を拭い去ろうとした。
「そういやぁ、呪いの石がこの辺りで出回ってるってさ」
 客同士のそんな会話を耳にしてどきりとする。
 呪いの石?まさか。
 偶然だろうと頭を振るが、やはりその会話が気になって仕方がない。
「それ、どんなお話かな?」
 声をかけずにはいられなかった。
「なんでも、石をくれるって言われてもらった奴がその日の夕方にカラスの大群に襲われたらしくってさ。ついばまれて血みどろ…危うく失明しかけたらしいんだ」
「そんな奴が何人もいる。まぁ今の所死人は出てないが…ただより高いものはないってことかねぇ」
 どんな石を貰ったのかと聞けば、赤茶色い丸っこい石だったと言う。
 客にお礼を言って、外に出る。
 ポケットにうっかり仕舞ってしまったあのカーネリアン。
 ブラッドストーンや水晶と同じ鉱物。
「…昼間カラスが多かったのも、これのせいなの?」
 自分も同じ様に狙われるのだろうか。
 捨ててしまえばいいのかもしれないが、誰かが拾ってもし何かあったらと思うと捨てるに捨てられない。
「カラスの涙…カーネリアン…呪いの石…どういう意味だろう…」
 昔、旅の宝石商と話をした時に色々宝石に関する知識や伝説など聞いた事がある。
 けれどカーネリアンが呪いを生む話など聞いた事が無い。
「全ての願いが叶う石…力強さと勇気を与え、真実を見分け、自分の力を十分に発揮できるように…助けとなってくれる…」
 復活を象徴。
 怒りの沈静。
 無気力の活性。 
 死者を護る石。
「…その名前の由来の一つは…」
 ある言葉で『肉』を示す。まさかこれを持つ者が新鮮な肉の塊にでも見えるというのか。
 カレンが考えあぐねていると、近くの通りの奥から女の悲鳴が聞こえた。しかも、カラスの鳴き声と共に。
 偶然。きっと。
 だってこの石は呪いの象徴でも不吉の象徴でもないのだから。
 真逆の存在なのだから。
「どうしたの!?」
 路地に駆け込めば、カラスの群れに襲われている女がどうにか振り払おうともがいている。
 手に何か光る物が。
「!それ捨てて!早く!!」
 言われるままに女は手にしていた物を放り投げた。
 するとどうだろう、投げられた赤い光に向かってカラスが一斉に飛び立っていく。
「…おかしいよ、これ…」
 どうして光源もないのにあんなに輝いていたのだろう。
 どうしてあえてあの石を持つ者をカラスが襲うのだろう。
 どうして…望みを叶える石が呪いの石と言われるのだろう。
「―――違う」
 何かがおかしい。
 いつから?
 どこから?
 知っているけれど知らない、ここは自分の知っている世界ではない。
「…真実を見分け、自分の力を十分に発揮できるよう助けてくれる石…」
 真実を。
 真実の世界を。


 ――――――――


 ―――…



 ――…

 …

「!?」
 ハッとした瞬間、ぽちゃんと何かが見ずに落ちる音がした。
「あ…」
 天使の広場、噴水の縁に置こうとしたカーネリアンが水の中でキラキラと茶褐色の光を放っている。
「え?」
 周囲が僅かに明るい。
 そう、夕暮れのあの時間。
 あの石を見つけた時間。
「どういうこと!?」
 全てが夢幻だったのだろうか。
「どうかしたの?」
 ふいに声をかけられ、驚きつつも振り返ったその先にいたのは黒衣の有翼人。
「あ、あなた…」
「何?」
 驚かせてしまった?と首を傾げる。
 あの歌を歌う気配も、不敵な笑みを浮かべるでもなく、静かに微笑んでいる。
「ぇ、あ、何でも…ちょっと吃驚しただけ」
 そう。と一言返すと黒衣の有翼人は何事もなかったように後にする。
「ねえ、貴方名前は?」
「――トリ・アマグ」
 職業はそっちと多分同じ。そう言ってアマグは去っていった。
「……」
 何故あんな世界を見たのだろう。
 この石のせいなのだろうか。
 この石の元の持ち主の記憶なのだろうか。
 その問いに答える者は誰もいない。


 夜の闇が迫る。
 けれど


 そこにはけたたましい声で鳴く黒い鳥の姿はない。