<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


初夏の水想曲

 賑やかな街中から外れて太陽の沈む方向に歩いて行くと「静寂の森」と呼ばれる場所がある。名前の通り昼夜問わず物静かな所で、音といえば木々のざわめぎが聞こえるくらい。物騒な雰囲気ではないのだが、どこか厳かで神聖な空気に包まれている。
「さて、この辺りにしようか。……こう良い天気だと、昼間でもしたくなってしまうね」
 水が流れて行く微かな音。悪戯に風が木々の葉を揺らしては通り過ぎていく。

 どれほどの時間が過ぎただろう。何となく振り向いたシズが見たのは、見知らぬ人間の姿。
「おや、こんにちは。……これも何かの縁。一緒に川遊びでもどうかな。退屈はさせぬと誓うよ」
 これも何かの縁。そう言って微笑むと、自分の隣へ招いた。



「こんにちは。ここは、素敵な場所ですね」
 シズは改めて森を訪れた客人の姿を見た。
 午後の穏やかな日差しを浴びながら、漆黒の羽根は決して太陽の光に染まろうとしない。純粋な黒を身に纏い、客人は形の良い唇に笑みを浮かべていた。
「私は森が好きで……静かで、とても綺麗なところ。森の中で、お散歩でもしませんか?」
「良い提案だ。ちょうど、そんな気分だったのでね。こんな天気の良い日は久しぶりだよ」
 互いに自己紹介を済ませ、軽く礼をする。
 自分以外の存在を受け入れず、かといって拒絶しようともしない。絶対的、ただ一色に塗り潰された黒は闇に良く似ている。そんなトリ・アマグの空気に瞳の奥ほんの僅かな畏怖をも感じるシズだったが、その唇から紡がれる声色は穏やかで棘がない。一瞬だけ形作られた警戒心はゆるゆると氷のように溶け、気恥ずかしさも相まって、シズは小さく笑む。
「どうしてこの森に? 散歩なら他にもたくさん場所はあるだろう。街の華やかな通りに、美味しい焼き菓子の店。公園で噴水を眺めるのも悪くない」
「……沢山の鳥が居る気がするから」
 トリ・アマグの横をつかず離れず歩きながら、返ってきた答えにシズは微笑んだ。太陽は空高くから、少しだけ西に傾いている。慌しい朝を越え、森の小さな動物たちも暖かな午後をのんびりと過ごしているようだ。特に目的地も定めず、シズとトリ・アマグは二人連れ添って歩き出した。

「ほら、あの鳥がフエガラスだよ。おや、ベニフウチョウも居るね。ルリコノハドリに、カワガラス……」
 フエガラスはすっと音もなく腕を伸ばし、細い木の枝を指差した。
 そこに止まっていたのは鴉に似た鳥だった。首を傾げる仕草は愛嬌があり、妙に人間じみている。良く見てみれば薄い青色の混じった嘴があり、普段見慣れている鴉とは違うのだと容易に知れた。傍にいるのがベニフウチョウだろうか。飾り羽が美しい。森の木々が持つ緑を背景に、ただそこにいるだけで絵になる存在、そんな文句が良く似合う。
 上を指していた指は唐突に下がり小川に移る。
 川は豊かな大地に水の線を引きながら、止まらぬ流れの中で命を育む。ぱしゃりと小さな水しぶきを上げる鳥が、どうやらカワガラスらしい。水面に顔だけ沈め、獲物を探しているのが見えた。
「ああ、あれはスィームルグじゃないか」
 茂みから悠然と姿を現したその鳥に、シズは驚き目を見開く。孔雀に似ているが、人々が良く知る「孔雀」そのものではない。大きく炎のような羽根をふわりと羽ばたかせ、今気づいたというようにそれは此方を向く。一対の瞳はしっかりとした知性の輝きを帯び、獣やヒトを超えた神聖をも感じさせた。
 驚くシズの傍ら、トリ・アマグはごく親しい友人でも紹介するように、スィームルグともう一度口に乗せる。その呼び声が聞こえたか、スィームルグは深い色の眼を向けるが、やがてまた元の茂みに戻り何処かへ消え去ってしまった。
「……この森のことは大抵理解しているつもりだったが、まだまだか。あのような鳥は初めて見たよ」
「あれは人前には滅多に出てこない。今日は随分と運が良いようですね」
「運? まるで君に惹かれてやって来たようじゃないか」
 トリ・アマグは肯定とも否定ともつかぬ、曖昧な笑みを浮かべ返答の代わりとし、シズもまた納得して追及することはしなかった。

 しばらく歩いていくと、開けた場所に大きな古木が倒れている場所にたどりついた。腰掛けるにはちょうどいい。
「少し休もうか。疲れていないかい」
「大丈夫。それに此処は良い風が吹いていて、とても気持ちがいい」
 耳をすませてみると、鳥たちのさえずりが心地良く耳に届いた。木々の葉と風が微かな旋律を奏で、小鳥たちが飛び交いながら歌を紡ぐ。共に倒木へと腰を下ろし、しばしその光景に沈黙する。
 黒色の眼を伏せ、トリ・アマグは誘われるように唇を開いた。
 高く低く、不思議な旋律でトリ・アマグは唄い始めた。初めて聞くはずなのに、どこかで聞いたことのあるような曲。母の胎内で聞いたのだと言われれば、そう納得してしまうだろう。満たされ守られていた懐かしさと、外へ生まれ得た孤独が織り上げられ、辺りの空気を震わせる。
 それまで飛び交い好きなようにさえずっていた小鳥たちは、いつしか歌うのを止めていた。まるで森に響く唄に聞き入っているように、或いは唄が紡がれる妨げになりたくないと、自ら静まるのを選んだのだろうか。
(これは……)
 シズは口元に手をやり、唄に沈みかけた意識を意思の力で浮かび上がらせる。
 まるで森のセイレーンだと、声には出さずシズは思った。
 惹きつけられ考える力さえ奪われ、ただ耳から染み入る快楽を緩く受け取る。一種危険なようであり、しかし蜜のように甘くもある。
 黒き翼を視界の端に留め、シズもまた眼を閉じ視覚を遮断した。耳から入る音に集中し、しばらくの間、トリ・アマグの独唱に身を任せた。



「ここまで来れば道はわかります」
「そうか。街まであと少しだ。暗くならない内に帰るんだよ」
 すっかり夢心地だったシズは、トリ・アマグに肩を揺さぶられてやっと眼を覚まし、照れ隠しに笑いながら心からの賛辞を述べた。いろいろな鳥の姿や暮らしなどを教えてもらった代わりに、シズは良く行く甘味の店のことをトリ・アマグに話した。
 太陽が西に傾いてくいのに気づき、シズは迷わぬようにと客人であるトリ・アマグを森の入り口辺りまで送って行くことにしたのだった。
「今日は君に会えて良かった。とても楽しい一日になったよ。君はどうだった?」
「そうですね……。美しさは静寂の内に存在すると知りました。綺麗な森で唄えたし、悪くない一日でしたよ」
「気に入ったのならまたおいで。君ならいつでも歓迎だ。また、唄を聞かせて欲しい」
 遠く、鴉の鳴く声がする。
 ヒトも鳥も、寝床に帰る刻のようだ。トリ・アマグはゆるりと形の良い礼をして、くるりと森に背を向けた。シズはその背中を見えなくなるまで見送り、夜の気配が漂い始めた森へと帰って行った。


 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3619/トリ・アマグ/無性/24歳(444歳)/歌姫/吟遊詩人】


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■         ライター通信          ■
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ご参加ありがとうございました。
森での散歩、如何でしたでしょうか。PC設定を見せて頂き、「唄」「鳥」をキーワードにほのぼのとした雰囲気が出るよう努めました。
またご縁がありましたら、宜しくお願いします。