<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
明け方の殺人鬼
たしか、そう。
とても寒い夜だった。
冬だから、かもしれないが、とにかく寒かった。
あぁ、そういえば服が秋のままだった。
着替えたい。
でも、服は?
着替える場所は?
そういえば、全部無くしてしまったな。
建物が月光を遮っている路地裏で、僕は片耳が無い猫と話していた。
この時だけが、僕にあるものだった。
猫は可愛い。
にゃあ、と鳴く猫は僕に話しかけるし、見詰めるが、嫌だと思ったことは一度も無い。
いつまでも一緒にいたかった。
だが、それはもう一人の俺が許さなかった。
朝が近づき、人の気配がすると、僕の意識は“俺”に代わっていた。
にゃあ、と鳴く猫は俺を睨み、嫌でたまらなかった。
俺はルーンアームナイト特有の巨大な武器、爪を片手で握り、屋根まで飛び上がった。
今朝も楽しい楽しい狩りがはじまる。
はじめる。
「これが賞金をかけられた通称キャット」
壁に貼った張り紙を指差しながら、エスメラルダは説明し始めた。
「本名も出生も不明。わかっているのは、明け方に現れて、大きな爪で八つ裂きにするってこと。見た人は猫のように素早い身のこなしだったと残したわ。今日もまた、賞金目当てで待ち伏せした男が殺されたし、本格的にヤバくなってきたわ。誰か引き受けてくれたとしても、怪我するのは確実……」
エスメラルダはまっすぐに見詰めた。
「それでもいいのなら……」
「怪我ですか」
皆の目線が一人のウインダーに注がれた。
彼、いや彼女なのだろうか、無性の吟遊詩人トリ・アマグは血のように赤黒いワインで唇を濡らしながらエスメラルダを見ていた。
「私は、私の血を見たことが無いので、楽しみですよ」
アマグはエスメラルダの心を見透かしたように笑っていた。
「エスメラルダさん、このワインをもう一杯いただけませんか」
「え、えぇ……」
ワインの用意をするエスメラルダを横目で見てから、指名手配書をじっくり見詰めた。
どこか怯えたような表情をしている青年だった。
男だろうか、少し喉仏が出ている。
「キャット……ですか」
エスメラルダにお礼を言って、何杯目かわからないワインに口をつけながら言った。
「甘えられない猫ってところですか、ね」
そう言ったアマグの方をエスメラルダは振り返った。
綺麗に並べられたコインとワイングラスの中に入れられた黒い羽だけが、そこには置いてあった。
□■■
雲ひとつ無い晴天に恵まれた夜のベルファ通り。
微かな胸の高まりを感じながらアマグは通りを歩いていた。
すれ違う人々は皆、大鎌を持って歩くアマグの方を振り返ったが、アマグはそんな人たち一人一人に対して微笑みかけていった。
任務が終わった騎士は恥ずかしそうに顔を伏せて歩いていった。
少年は持っていたボールを落としても気づいていない。
店へと誘おうとする赤いドレス姿の女性は頬を赤くさせて何か言っている――
やがて、そんな人たちにも会わなくなっていき、月がさらに傾いていった時、アマグは天使の広場に出た。
さすがに深夜だけあって、誰もいなかったが、ベンチを見つけて、そこに腰掛けた。
大鎌を隣に置き、竪琴を取り出して構えた。
月を見上げる。
雲ひとつ邪魔することなく、月光が天使の広場に降り注いでいた。
アマグは詠う。
夜明けと太陽を謡う。
平穏や激動を謡う。
赤と黒を謡う。
父親と息子を謡う。
息子と猫を謡う…―――
アマグの眉間が微かに動いた。
「にゃぁ」
アマグの足元で白毛の猫が鳴いていた。
片耳がないその猫はアマグを見詰めると、また「にゃぁ」と鳴いた。
アマグは猫に微笑みかけて、口を開いた。
「にゃあ」
それに答えるように、猫はまた「にゃぁ」と鳴いた。
「猫さん、こんばんは。今夜は特に寒いですね。私のコートを貸してあげましょう。さあ、おいで……」
アマグは猫を招いて、隣に座らせて、コートをかけた。
猫は片耳をピンと立てて、痩せた毛並みに被りつくコートに絡まっていった。
「……温まりませんか」
周りの雰囲気が暗く、重くなっていく。
猫が甲高く鳴いている。
ダークロウマントで包まれた猫は微笑むアマグのほうを向いて何度も鳴いた。
いや、それはアマグのほうではない。
竪琴を抱いたままのアマグの後ろから近づいている青年は、大きな爪を振り上げていた。
アマグはダークロウマントを掴んだ。
投げられたダークロウマントは猫とともに青年に覆い被りついた。
爪は、降り下げられていた。
■□■
『寒いですか、熱いですか』
青年の目の前で、誰かがそう言っている。目の前が真っ暗で何も見えなかったが「いいえ、なんとも思っていません」と答えると、声はまた、『寒いですか、熱いですか』と言った。
青年は考えた。
答えなければ話が進まないだろう。
「少し……寒いです」
『そうですか、ならば私が温めて差し上げましょう』
ふらりと体に何かが被さった。ふわふわした感触でとても気持ちよかった。
しかし、その感覚は一瞬にして終わってしまった。
青年の心に負の感情が一気に押し寄せたのだ。
耳元で誰かが叫ぶ。罵声。激しい後悔が青年を包み込む。
『あんなのを生んだ覚えはない』
『こんなこともできないのか。使えない』
『いても邪魔だ。出ていけ』
『消えろ』
痛い。
体が凍るように痛い。
目の前の声が言う。
「温まらなければ……血を流しましょう。あたたかい血。私のような血赤色のワインではなく……ぬくもりの赤」
声が近づく。
「終わらせましょう」
眼前で止めた爪は大鎌とぶつかって火花が散った。
一瞬。声の主の顔が見えた。
胸元の赤い宝石が光り、微笑んでいた。
「キャット……」
主、アマグは青年の顔をのぞき見るように顔を突き出した。
青年は顔をうつぶせ、荒い息をのんだ。
「……甘えられない猫」
まるで詠うように言ってから、アマグは大鎌を持つ手の力を抜いた。
「大丈夫。私はあなたを殺さない」
キャットは何も反応しない。
「信じられないというのなら……」
アマグは大鎌を手から離した。
音を立てて、大鎌は地に倒れた。
「いかがでしょうか」
キャットは顔をあげただけだった。
そのあげられた顔を、アマグはじっと見詰めた。
特に瞳を。
どこか怯えたような表情のキャットは、困惑した様子でアマグから目をそらした。
「光があって、影がある。ですが……光が無くても、闇はある。まあ、関係ないけれど」
なおも笑うアマグ。
「キミには、関係ありますか……?」
キャットは爪を振り上げたが、その腕もダークロウマントは絡みつく。
「怖いですか。怖いでしょう」
アマグの右手には、いつの間にか大鎌が握られていた。
その刃をキャットの頬にあてた。
「こんな鎌で切られるのです。痛いでしょう。痛いでしょう」
笑うアマグを睨むキャット。
キャットのその強がった睨みの中には怯えと恐怖が混ざっていた。
「大丈夫ですよ。大丈夫ですよ。さぁ、もっとその表情を。その表情を見せてください。怖がらなくていいのですよ。私はあなたを殺さないと言ったでしょう」
「……!!」
アマグの一瞬の隙を突いて、キャットはマントを抜け出した。
息を荒くして、もがくように逃げる背を、アマグはただただ見詰めていた。
目線はそのまま、頬に手をあてた。
液体の感覚がする。
目線を動かす。
そこには赤い液体があった。
アマグの頬に一筋の血が迸っていた。
「……これが私の血ですか」
手を見詰め、落ちたマントを見詰め。
「……あたたかい血。温もりの赤」
落ちているマントを両手で拾い上げた。
「温まったなら、終わらせましょう。夜明けは終わる。太陽が昇るよ、ほら。そして沈む、夜がやって来る」
マントを抱く。
まるで竪琴のように。
奏でるように優しく抱いた。
「……大丈夫。キミは暁のようだから」
微笑みながら、片耳のない猫を抱いていた。
猫は出会ったときのように鳴かない。
静かに、アマグの腕の中で眠っていた。
その体を赤く染めて――。
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【3619/トリ・アマグ/無性/28歳/歌姫/吟遊詩人】
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ライター通信
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はじめまして、田村鈴楼と申します。
いかがでしたでしょうか。
私なりに捕まえる事よりも、『殺さない殺し合い』を表現したつもりです。
物語の進行上、猫はあのようになりましたが、あの真っ暗な空間が、現実なのか夢なのか、はたまた、それは誰の夢なのか。
ダークロウマントに聞いてみないとわかりません。
ご参加ありがとう御座いました!
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