<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


24時間の幻衣

「随分と疲れた顔をしているね。あぁ、もしかして眠いのかい」
 貴方はある依頼をやっと終え、街の酒場で一息いれているところだった。精神的肉体的にもハードな仕事で、つまりは酷く疲れていた。話しかけてきたのは酒場で歌を唄っていた吟遊詩人。人好きのする笑みを浮かべ、貴方の横の椅子を引き腰掛けた。
「そんな君にぴったりのモノがある。先日手に入れたんだがどうにも試す勇気が……ではなくて、そう。君のような日常に疲れた人を私はずっと待っていたんだ」
 胡散臭い。貴方はそう思いながらも差し出されたモノを見てみる。
 葉に包まれた焼き菓子のようだ。砂糖漬けの果物で飾られていて、受け取ると甘い匂いが鼻先を掠めた。

「それを食べて、今夜はゆっくり眠るといい。……君ではない何かに、なれるかもしれないよ」
 断るのも面倒だと菓子を口に放り込む。味は悪くない。滋養のある菓子なのだろうか。
 
 ――そして、次の日。

■黒猫 リルド・ラーケンの場合
「ん……」
 暖かな朝の光、一日の始まり。
 昨日も今日も、そしてこれからも、何も変わらない一日が続くのだと心の何処かでリルドは思っていた。根拠もなく、理由もなく、信じていた。そう、この瞬間までは。
「な、何だァ!?」
 見慣れた天井が妙に高い、床までの距離が遠い。そして極めつけは……「にゃー」という何とも可愛らしい猫の鳴き声。
 部屋に備えつけられた鏡を見てみると、艶やかな黒い毛並みと青い眼をした猫と目が合った。
「……あ」
 思い当たりは一つだけ、けれど確実に原因はあの男に違いない。
 リルドは走った。部屋を出、朝の街へ。広場では散々撫でられた後、小さな女の子に捕獲されそうになり、大通りを走れば花売りからパンの欠片を貰った。
 走る走る、黒猫。目指すはシズのいる、例の酒場。

■フエガラス トリ・アマグの場合
 目覚めは小鳥たちの歌声。意識が覚醒すると同時、霞がかった視界が少しずつはっきりしてくる。
 見慣れた森の中、さらさらと風が騒ぐ。樹の上で眠ることに違和感はないが、いつもより身体が軽く感じられる。小鳥が一羽、トリ・アマグの傍に飛んできて囁いた。泉の水に姿を映してみるといい、と。
「これは……」
 囁きに従い泉へと。
 映し出された姿に、トリ・アマグは一瞬言葉を失った。
 薄らと青を乗せた灰色の嘴。胸は白く、灰色の翼は意思一つで軽く動かすことができる。人間であった時の名残は今は鳴く、そこには一羽のフエガラスが映し出されているだけだった。
「――行こう、街へ」
 共に歌いたい人がいた。単なる偶然か、それとも運命か。さて、どちらだろう。
 トリ・アマグは内心密やかに笑うと灰色の羽を広げ、空へと舞い上がった。



「ありがとう、ルディア。今日も美味しいよ」
 二人がそれぞれの空や地を駆けている頃、首謀者シズは白山羊亭のカウンターで遅い朝食を摂っていた。
 カリカリに焼いたベーコン、ふわりとしたトマト入りオムレツ。大根サラダの柚子ドレッシングに季節の野菜スープをぺろりと平らげ、今は桃の砂糖漬けのデザートに手をつけているところだ。
「シズてめぇ! どういう事だこれは!」
 頭の中に響いてくるような声にシズが振り返ると同時、青い目をした黒猫が飛び掛ってきた。咄嗟にデザートだけは死守したものの、毛を逆立てて低く唸る猫は怒りの感情を隠しもしない。
「おやおや。こんな可愛い猫、一度見れば忘れないんだが。さて、何処だったか……」
「ハメたのかよ!」
 咥えたスプーンを皿に戻し、シズはひょいと黒猫を抱き上げる。
 手から伝わってくる温もりと毛並みの感触が心地良く、猫好きという趣味も相まって口元が緩んでしまう。
「聞けコラ、変態!」
 どうやら、まわりの人間にリルドの声は聞こえていない様子。
 「にゃー、にゃー」と騒いでいるようにしか映らないのだろう。酒場のあちこちで和やかな笑い声が上がる。
「あぁ、リルドじゃないか。そんな怒らなくともいいだろう。……猫になれるなんて、そうある事じゃない。……それにしても、かわい……」
 可愛い、と言い終わる前にリルドの必殺猫パンチが炸裂。
「ん? 何だろう。外が少し騒がしいようだ。あれは……聞き覚えのある声だね、行ってみよう」
「は? って。おい、降ろせ!」
 桃の砂糖漬け、その最後の一欠けらをフォークで口に放ると、カウンターに代金を起いてシズは足早に店を出る。もちろん、逃れようとする黒猫は胸に抱いたままだ。

 それはまるでパレードだった。
 灰色の翼がくるりと舞い、時には羽を散らし、後ろに街の人々を従え行進していく。
 どこからともなく笛の音が鳴り、その旋律に乗って皆思い思いに身体を動かしている。
「シズさん? こんにちは。今日も良い天気ですね」
 羽ばたきの音も静かに舞い降りてきたフエガラス。シズは片膝を折り視線を合わせた。
「やぁ。君も久しぶりだ、トリ・アマグ。此方はリルド、私の知人でね」
 リルドは猫の本能に刺激されてか、フエガラスに興味津々の様子。今にもじゃれつきたいのを、何とか人間としての理性が抑えているようだ。
「……、……」
「……、……」
 猫と鳥。
 自然界ならば犬猿の仲であり、捕食と被捕食の関係にさえある。しばし見詰め合うリルドとトリ・アマグ。先に目を逸らしたのは黒猫だった。
「まぁまぁ。お互い仮初の姿だ。見詰め合うのも良いが、ほら。パレードが待っているよ」

 始めは一人二人だったのが、先頭のフエカラスが舞い踊る度に増えていき、瞬く間に一種お祭り騒ぎのような雰囲気になっていった。花売り、靴屋の職人、パン屋の主人、あれは大道芸人だろうか。老いも若いも男も女も、職さえ関係なくただ一つの列に人々は集まってくる。街の端から端まで、長く長い蛇のような列を作り歩いていくのは、まるで悪い夢でも見ているようだった。
 不思議なのはパレードに加わる者はたくさんいても、抜け出そうとする者が一人もいないことだった。魔力を乗せた笛の音楽に、皆囚われてしまったかのように。
 
「カラウォン、カラウォン、カラウォン。母さん、母さん、母さん。カラウォン、カラウォン、カラウォン」
  
 太陽は空の真上から、徐々に西へと沈んでいく。
 時間の流れるのは早いもので、見れば人以外にも、犬や鳥たちまでもが人間と同じく集まっていた。
「へぇ、北の方から? あそこは寒さが厳しいから大変でしょう。今年も気をつけて」
 歌いながら、トリ・アマグは鳥たちと話をしていた。北から渡ってきた鳥、これから何処かへ渡る鳥。街に棲む鳥は、いつもの餌場を教えてくれるようだ。

 地平線が人々で見えなくなり、パレードは最高潮に達する。
 列で踊る人々は皆、嬉しいような哀しいような、今にも泣き出しそうな顔をしていた。楽園で幸福を受けたのなら、きっとこんな顔をするのかもしれない。痛みも苦しみも知らない代わりに、愛を忘れてしまった。全てから解放された時、一体人に何が残るというのだろうか。

「魔性というものが存在するのなら、こんな感じだろうね。私は恐ろしいとさえ思う、この光景を。そして酷く懐かしいとも。……君はどう思う?」
 パレードから遠くも近くもない場所で、シズは黒猫を抱き呟く。
「さぁ、な」
 水を封じ込めたような青い目を少し伏せて、リルドは短くそう答えた。 



 美しく哀しきパレードがあった次の日のこと。
 特に副作用もなく、無事にもとの姿へと戻ったトリ・アマグはシズを訪ねていた。
「ありがとうございます」
「いや、礼を言うのは私の方だ。怒られるかと思っていたのに」
 そう言ってシズは肩を竦める。過ぎた悪戯かもしれないとはずっと思っていたことだ。
「いえ、……楽しかったですよ」
「訂正しよう。君ならそう言ってくれるような気がしていた。……また会おう。幸薄い私にも、ようやく思い出という宝物が増えてきたところなんだ。また、笛の練習をしようと思ってね」
 あの日と同じように、太陽が西の彼方へ吸い込まれていく。世界が生まれてから、幾度となく繰り返されてきたこの光景。全てが赤く染められていく。
 やけに真摯な顔で夕焼けを見つめるトリ・アマグの顔を、シズはいつまでも眺めていた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3619/トリ・アマグ/男/28歳/歌姫/吟遊詩人】
【3544/リルド・ラーケン/男/19歳/冒険者】
【NPC0746/シズ・レイフォード/男/32歳/歌姫/具象心霊】

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■         ライター通信          ■
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ご参加ありがとうございました。如何でしたでしょうか。
いつもと違う姿、違う雰囲気をお楽しみ頂ければ幸い。
またのご縁を祈りつつ、失礼致します。