<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


遠い満月 〜 cremation 〜



 夜空に浮かぶ月は、完璧な円を描いている。
 円の周りに集まる星々は、まるで月の子供達のよう。 あと数年経てば大きくなり、月と同様の光りを地上に降り注ぐ。
 あれだけ沢山の星が月へと変わったら、昼間よりも明るく輝くかもしれない。 そうなれば、夜と言う言葉が示すのは闇ではなく、光となるのだろう。
 絶対にそんなことにはならないと分かっていながら、エル・クロークは無意味な想像をし、月を見上げながら夜道を歩いていた。
 風が木々を揺らす音と、時折思い出したように梟が鳴く声、エルザードから離れたこの場所では、何よりもクロークの足音が一番大きく響いていた。
 砂を踏む小さな音に耳を澄ませながら、クロークは目を瞑ると冷たい風を吸い込んだ。
 肺が膨らみ、冷やされた時、自然の音だけが満ちていた空間に異音が入り込んだ。
 重たげな足音と、苦しそうな呼吸、激しくむせては何かを吐き出す音。
 ――― 怪我人でもいるのかな
 相当な怪我を負っているだろう相手は、クロークの前方から来ているようだった。
 相手の正体が分からない以上、こちらものんびりと構えているわけにはいかない。 たとえかなりの怪我を負っていたとしても、盗賊の類ならば襲い掛かってくる危険性もある。
 暗がりの中、一瞬月光が鋭く輝き、こちらに近寄ってくる少年の顔を朧に浮かび上がらせる。
 銀色の細い髪と、華奢な身体。瞳の色までは分からなかったが、着ているものはこの寒空に出てくるにしてはあまりにも無防備な薄手のシャツとズボンだった。 寝巻きと言うほどラフなものではなかったが、部屋着と言われれば納得できる、そんな服装だった。
 ――― 寝ているところでも襲われたのかな?
 胸部を押さえ、渾身の力を篭めて足を動かしている少年の必死さに、クロークは胸を打たれた。
 ――― あの人には何か、伝えたい事があるんだ
 自分が助かりたいからと言うのではなく、もっと切実な重たい何かを感じ、クロークは警戒心を解くと彼に近付いた。
「大丈夫?」
 虚ろな青の瞳が、かけられた声に反応して揺れる。 焦点の定まっていない瞳は、必死にクロークの顔を見上げると、微かに輝いた。
「何があったの?」
「シャリアーが‥‥‥」
 言いかけた少年の言葉が止まる。 ズルリとその場に膝を折り、苦しそうに胸を押さえてむせ返る。
 クロークは少年の背中を撫ぜながらも、彼の様子を観察した。 胸部から腹部にかけて血が流れており、むせるたびに口の端に血が伝う。喉からは虎落笛のような細い音が聞こえており、息をするたび、苦しそうに眉を寄せている。
 ――― これは、一刻を争う ‥‥‥
 このままにしておけば、確実に少年は息絶えるだろう。 今から処置したところで、間に合うかどうかは分からない。しかし、今宵会ったも何かの縁。クロークは彼をこの場で死なせるつもりはなかった。
 何か持ち合わせでありはしないかと探していた時、少年が冷や汗で額に張り付いた髪を掻き上げながら、クロークを上目遣いに見上げた。
「シャリアーが‥‥‥攫われ、たん‥‥‥です」
 血が繋がってはいないが妹のような存在だと言うと、少年は強く目を閉じ、開いた。目が霞んできているのか、クロークを睨みつけているように細めている。
「攫った相手はどんな人だった?」
「実は‥‥‥シャリアー、の‥‥‥中に、誰かが‥‥‥乗り移って‥‥‥」
「乗り移った?」
 そうとしか考えられない。 確かに外見はシャリアーで、声もシャリアーだったけれども、あの瞳は、雰囲気は、喋り方は、純白の翼は、全く知らない誰かだった。 少年は途切れ途切れながらもそう説明した。
 知りたいことは山ほどあったが、彼にあまり負担をかけることは出来ない。 それ以前に、今までの話を総合すると、彼は現在何が起こっているのか ――― 最愛の妹に何が起こったのか ――― 正確には理解していないようだった。
「迷路のような森を抜けた先にある迷宮、か‥‥‥」
 厄介そうな場所だと思いながら、クロークは上空を仰ぎ見た。
 ――― この月が隠れる前に、シャリアー嬢を見つけないと ‥‥‥
 “この月が隠れる”とは、具体的にはどのような事なのだろうか? 今宵は雲ひとつない快晴で、雲に隠れる心配はない。となるとつまり、夜明け前までに見つけ出さなくてはならないということだろう。
「僕で良ければ、あなたの代わりをしてあげる」
 それでも良いかな? そんなクロークの問いに、少年の顔に歪んだ笑顔が浮かんだ。 おそらく、彼は普通に穏やかな微笑を浮かべたのだろう。けれども痛みはそんな笑顔すらも醜く歪めていた。
「有難う‥‥‥御座います」
 ほっと安堵した表情でお礼を言った少年が、深く溜息をつくと懐から小さな折鶴を取り出した。 白い鶴は羽の部分に細かな模様が入っており、便箋の端を千切って作ったような物だった。
「俺は‥‥‥リンク・エルフィアと、申します。‥‥‥ここから少し、行った所にある‥‥‥喫茶店、で‥‥‥ウェイターを、しています」
「僕はエル・クローク。クロークって呼んで」
「クローク‥‥‥さん」
 リンクの手から折鶴が放たれる。 いかにも頼りない様子でふわふわと浮遊した生命体は、小さな羽を大きく羽ばたかせると高く高く空へと上がって行った。
「‥‥‥あんな魔法は始めて見たな」
 あなたは魔法使いなの? 言葉にはしないながらも、そんな疑問を含んだ瞳を向ければ、リンクは軽く首を振った。
「俺がかけたもの、では‥‥‥ありません。 もしもの時の為に‥‥‥と、貰った物、です」
「何故もっと早くアレを飛ばさなかったの?」
「アレを飛ばし続けるの、には‥‥‥体力、を‥‥‥使うん、です。 助けが来た時、には‥‥‥もう、喋れもしない‥‥‥でしょう、ね‥‥‥」
 自嘲気味な笑いを口元に浮かべ、リンクが辛そうに胸に手を当てて息を吐き出す。
「クロークさん‥‥‥あなたに会えて、良かった‥‥‥」
「僕もだよ。 シャリアー嬢のことは、僕に任せて」
 助けが来るまで、果たしてリンクは無事でいるのだろうか。 今にも瞑ってしまいそうな目と、今にも止まってしまいそうな弱々しい呼吸と。一瞬、助けが来るまでここに残っていようかと考える。 けれども月が隠れる前までにシャリアーを救い出さなくてはならないクロークは、そっとリンクの手に触れると立ち上がった。

 迷路の森の入り口に向けて歩き出すクロークの背中を見送りながら、リンクは今にも呑まれそうになる意識の中、ボンヤリと考えた。
 この月が隠れる前に、シャリアーは無事に帰ってくるのだろうか、と ―――――



 深く暗い森の中は、その名に違わず複雑な地形をしているらしかった。
 ――― まずはこの森を抜けなければ話しにならないな
 黒のロングコートの裾を翻しながら、クロークは10cm程度の大きさの黒曜石で出来た梟を懐から取り出した。
 ――― オウルは夜目が利くから、きっと城までの道を見つけ出してくれる筈
 両手で包み、そっと空に放す。 震えるように羽を動かした闇偵梟・スコープバードは木々の間を縫って飛び上がると、夜目を活かしてクロークに城までの道を伝えた。
 何度も右へ左へ折れ曲がり、突き出た木の根に用心しながらも進む。
 城の周りを偵察する梟の視覚を共有すれば、その城がかなり大きく、今にも崩れそうなほどに朽ちかけており、周囲には枯れた噴水と荒れた花壇があるのが分かる。かつては入り口には大きな両開きの扉があったのだろうが、今は扉は両方ともなくなっており、そこからは荒れ果てた城内が覗ける。 美しく輝いていたはずのシャンデリアは蜘蛛の巣と埃に蹂躙されており、今は見る影もない、ただのガラスのガラクタと化している。
 裏口はもう何百年も開いていないらしく、しっかりとした鉄の扉には赤錆が浮き、二度と開きそうにない。
 クロークは裏口ではなく、正面まで続く道を選んで歩いた。 雨が降ったのか、湿った地面は木の根以上に気をつけていないといつ足をとられるか分からない。
 ようやくたどり着いた城の前で、クロークは立ち止まった。白亜の城は朽ちかけてなおもまだその威厳は失っていないかのように、無表情で突然の来客者を見下ろしている。
 ――― どこにシャリアー嬢はいるんだろう
 厳密に言えばシャリアーに宿った誰かだが、その誰かの名前をクロークはまだ知らない。
 ――― もし僕がシャリアー嬢の身体に宿った誰かなら、上階の方に行くかな ‥‥‥
 動向を探るならば、広く見渡せる場所の方が都合が良い気がする。
 まして1階は悲惨な状態だった。 今にも落ちそうなシャンデリア、何百年の間たっぷりと雨水を吸い込み汚れた赤絨毯は変色して茶色や緑色になっている。淀んだ空気は長いところ吸っていたら身体を壊してしまいそうだ。
 クロークのそんな考えが正解だった事を裏付けるかのように、城の天辺近くでオレンジ色の光りが瞬いた。 ランプの光りだろうか、淡くぼやけた光りは、それでも星光よりも鋭かった。
 ――― けれど、彼女の中には魂だけ ‥‥‥
 “見つけて”と言うのは、彼女の魂を見つけるだけで良いのだろうか? 彼女の肉体は違うところにあり、それも見つけなくてはならないのではないだろうか?
 もし彼女の肉体も探さなくてはならないなら、きっとそれは彼女の魂とは違う場所にある。けれどこの城の中のどこかであることは間違いはないだろう。
 クロークは慎重に城の中に入ると、汚れた赤絨毯を踏みしめて前に進んだ。
 城内はかつてを髣髴とさせる豪華さはどこにもなく、悲しさだけが漂っていた。壁にかけられた肖像画はすでに原形を止めていないほどに波打ち、蜘蛛の巣や埃に汚れ、男女の区別さえつかないものはおろか、描かれているのもが何なのか分からないものさえあった。
 ギシギシと危うい音を立てる階段を上り、手すりの上に深く積もった埃を眺める。 蜘蛛の巣はあちこちにかかっているものの、蜘蛛の姿は何処にもない。
 注意深く周囲を見渡して歩いたが、クロークはついに彼女の身体を見つけ出すことなく最上階まで上って来てしまった。
 今まで見てきた扉とは全く違う、不自然なまでに真新しい木の扉に手を伸ばす。金色のドアノブを捻れば、力も入れていないのに扉は勝手に外側に開いた。
 石造りの部屋は装飾の類は一切なく、家具すらも何も置かれていなかった。 ただ、扉の真正面にあった大きな窓だけが唯一この空間の彩となっていた。
「こんばんは。‥‥‥初めまして」
 桜色の淡い髪に鋭い金色の瞳を持った少女は、窓から視線を放すと振り返った。 手にはランプが持たれており、オレンジ色の光りが彼女の動きにあわせてふわりと揺れる。
「こんばんは」
 帽子をとって胸に当て、優雅に頭を下げたクロークは顔を上げると改めて少女を見つめた。
 可愛らしいつくりの顔に浮かぶ微笑は、大人っぽく艶やかだった。
「私はセレナ。貴方の名前を聞いても良いかしら?」
「エル・クローク、クロークと呼んで」
「そう、クローク。素敵な名前ね。 貴方はどうしてここに来たの?」
「エルフィア氏にシャリアー嬢を助けて欲しいと頼まれて」
「あぁ、あの子ね‥‥‥そう、貴方が代わりに来たの」
「セレナ嬢は、元々月にいたのかな?」
「そうね‥‥‥あるいはそうかも知れないし、そうでないかも知れない」
 曖昧な言葉に戸惑いながらも、クロークは笑顔を崩す事はなかった。
「もしそうだとしたら、どうやってここまで来たのかな。それと逆の手順を踏めば帰れそうな気がするのだけれども‥‥‥」
「特別な儀式をして来たわけではない。でも、地上から月に上がる際は何かしらしなくてはならないの」
 来るのは簡単。でも、帰るのは大変。
 ふと、クロークの頭の中に以前どこかで聞いた異国の歌が思い出された。
 行きはよいよい、帰りは怖い ‥‥‥‥‥
「セレナ嬢の呪いを解く術を、僕は知らない」
 核を見つけられたならそれを壊し、見つけられなければ術者を“壊す”だけ。
「月への道が示されたなら、呪いは勝手に解ける。 月への道を隠す呪いをかけられているのは私だけ。貴方が見つけ、私に示してくれればそれで足りる」
「でも、僕は月への道が何なのか分からないんだ」
「それなら、術者を“壊す”?」
「セレナ嬢を月へ返すためなら、それも厭わない。でも‥‥‥」
 下から上がってくる際、クロークは用心して全ての部屋を見てきたはずだった。どこに彼女の肉体が放置されているか分からないため、可能な限り人が隠れられそうなところは見てきた ――― もっとも、ほとんどの家具は朽ち果て、原形を止めないほどに崩れていたため、入り口からざっと覗くだけで事は足りたのだが ――― はずだった。
 勿論セレナの肉体はおろか、術者の姿すらも見つけることは出来なかった。
「術者は今もここにいるのかな?」
「えぇ、いるわ。そしてきっと、貴方が見つけようとしている物も」
 金色の瞳が細められ、セレナが楽しそうに笑う。
 助けを求められてきたはずが、まるで試されているようだ。 クロークは彼女の不敵な笑顔を視界の端に止めながら、必死にまだ見ていない場所を探した。 城の中は一通り探した。まだ見ていない場所と言えば、外しかない。
 ――― 庭‥‥‥ではない気がする‥‥‥
 具体的にどうしてそうではないと思ったのか、クロークは言葉にする事が出来なかった。ただ、直感的に彼女の身体も術者もこの城の中にいると、そう思った。
 庭以外でまだ見ていない場所と言えばこの部屋くらいだが、殺風景なこの場所には見るべきものは何も置かれていない。 大振りの窓と、窓の前に立つ少女と、彼女の小さな手に握られたランプ、クロークの背後にある扉と、他は壁だけだった。
 ――― 壁 ‥‥‥
 じっくりと石壁を眺めてみれば、細い亀裂が入っている場所を見つけた。 クロークはしばし悩んだ後でそっと壁を押し込んだ。 意外なまでにあっさりと内側にスライドした壁の向こうは暗闇で、セレナがランプを差し出すと悪戯っぽい瞳でクロークの背中をポンと叩いた。
 暗い細道の先には小部屋があり、窓も何もないその部屋の片隅に金色の髪をした少女と茶色の髪をした男性が寄り添うように座り込んでいた。 目を閉じてじっと動かない彼らは眠っているかのようであったが、少女の胸には深々とナイフが突き刺さっており、青年の首筋には大きな切り傷があった。ランプの光りを動かしてみれば、壁には鮮血が激しく飛び散っていた。
「これは‥‥‥」
「私は身体が弱く、もう長くはなかった。私は残り少ない時間を、彼と一緒に過ごせればそれで満足だった。けれど、彼は私と永遠に一緒にいたいと考えた。彼は私の魂をこの世に引き止めておく方法を思いついた」
 私の胸を刺し、呪いをかける。飛び立っていくはずの魂はこの場に留まり、永遠に一緒にいられる。
「彼は愚かだった。肉体を殺し、魂を繋ぎとめたところで、彼に魂を見る術はなかった」
 彼は私の後を追おうと、自分で逝った。
「私を残して‥‥‥」
「セレナ嬢は、まだあの人の事を想ってるの?」
「いいえ。今ではただ憎いだけ。私にこんな仕打ちをし、自分だけは月へ行った。ずっと一緒にいると、約束したのに」
 愛憎は紙一重。彼女はまだ、彼の事を想っているのだろう。けれどその想いは憎しみにかき消され、そして悲しみが心の中で大きく育った。
 クロークは寄り添うようにして亡くなっている二人の元に近付くと、セレナの身体を眺めた。 深々と胸に突き刺さったナイフ、青白い肌、はだけた胸元からは豊満な胸が覗いており、白く皇かなそこには何かの記号が描かれていた。 円の中に文字のようなものが並んでいるソレは、クロークの記憶違いでなければ魔法陣だろう。
 ――― これが呪いの正体だとして、どうすれば消えるのか ‥‥‥
 解除の魔法をかければ取れるだろうが、そんな高度な魔法は使えない
「もし、帰すと言うのが埋葬と言う解釈で良いのなら‥‥‥」
 セレナの顔が綻ぶ。 鋭い輝きを発していた金色の瞳が揺れ、穏やかな色に変わる。
「遺体を火葬すれば煙は天に上り、やがて月まで届くだろう」



 セレナの力によって、クロークは一瞬にして城の前に立っていた。 足元にはセレナと男性の遺体が横たわっており、クロークは嬉しそうに空を見上げるセレナを振り返った。
「この人の遺体も火葬して良いのかな?」
「‥‥‥クロークの好きにして」
「では、一緒に‥‥‥」
 落葉をかき集め、ふわりと二人の上にかぶせる。 どうやって火をつけようかと思案するクロークの隣で、セレナが純白の羽を背から伸ばすと空に羽ばたき、両手を遺体の上に翳した。
 小さな掌から放たれた赤い光りは一瞬にして落葉を燃え上がらせ、その下に眠っている二人を包み込んだ。
 空へ伸びる黒煙を見上げながら、セレナがトンと地面に降り立つとクロークの袖を引っ張った。
「道が見えるわ‥‥‥月へ伸びる道。これで、私は月に帰れる‥‥‥」
「きっと彼も待っているよ」
「‥‥‥もしそうだとしたら、会った瞬間に頬を引っ叩いてやるわ」
 暴力はいけないことだが、彼女にはそうする権利が十分あるように思い、クロークは微笑んだだけで何も言わなかった。
 黒煙が月に近付くごとに、セレナの純白の羽が美しく輝く。 桜色の髪が風に揺れ、甘い香りが広がる。
「ねぇ、クローク、1つだけお願いをしても良い?」
「僕に出来る事なら」
「この子に‥‥‥シャリアーに、お礼を言ってほしいの。有難うって」
「きっと伝えるよ」
「有難う。宜しくね‥‥‥」
 シャリアーの身体がグラリと傾き、クロークは慌てて手を差し伸べた。 危ういくらいに華奢で軽い身体は地面にぶつかる前にクロークの腕の中に納まり、すやすやと気持ち良さそうな寝息が聞こえてくる。
 金色の髪に金色の瞳をした天使は、クロークとシャリアーを見下ろして胸の前で祈るように手を組むと、羽を羽ばたかせ、黒煙と共に一直線に月に上がって行った。 彼女が細い腕を月に差し伸べた瞬間、月光が眩しく輝き、一瞬夜の闇を全て取り払う。寝静まる黒き森が光りに切り裂かれ、木の上で安らかな夢の世界にいた鳥たちが驚いて四方に飛び去って行く。 刹那の動はすぐに静に変わり、美しき天使を呑み込んだ月は再び元の穏やかな表情に戻ると、まるで何事もなかったかのように闇をも腕に抱き、夜の世界に薄いヴェールをかけた。
 足元を見れば焦げた落葉がいくつか落ちているだけで、二人の遺体は跡形もなく消えていた。 クロークは最後にもう一度だけ城を見上げると、羽のように軽い少女を腕に歩き始めた。
 来る時はあれほどぬかるみ、木の根が張り出していた道は、まるで舗装された道のように歩きやすくなっていた。 足元を気にすることなく進んでいた時、腕の中で眠っていた少女が突然目を開き、クロークを見上げた。
 セレナが宿っていた時とは違い、透き通った紫色の瞳をしたシャリアーはキョロキョロと戸惑ったように視線を彷徨わせると、首を傾げた。
「えぇっと‥‥‥ティクルアにいて、白い靄にわぁって包まれてぇ、真っ白な空間の中でね、セレナちゃんが泣いてたの。一人は寂しいよって、胸が痛いんだって。 とってもとっても大好きな人に刺されちゃって、涙が止まらなくて、ずっとずっと泣いてたの」
 たどたどしい口調でシャリアーはそう言うと、彷徨わせていた視線をクロークに向けた。
「シャリーがいーこいーこしてあげてたら、急にいなくなっちゃって‥‥‥」
「シャリアー嬢に、セレナ嬢から伝言があるんだ」
「でんごん?」
「有難うって、言ってたよ」
「セレナちゃん、もう涙は止まったのかなぁ‥‥‥」
 ボンヤリと考え込むシャリアーが、はっと何かを思い出したように顔を上げ、クロークの赤い瞳を覗き込んだ。
「あのね、シャリアーはね、シャリーって言うの!喫茶店・ティクルアの“かんばんむすめ”なの!」
「僕はエル・クローク。クロークって呼んで」
「クロークちゃん、覚えたの! ‥‥‥それで、クロークちゃん、ここはどこなのー?」
 困惑したようなシャリアーが可愛らしく眉を顰めると、突然羽ばたいた鳥の音に驚き、今にも泣きそうになりながらクロークにしがみ付いた。



 悲しい少女の魂を月へと帰したあの夜、シャリアーをティクルアまで送り届ければ、そこには治癒魔法を施され、何とか立てるまでに回復したリンクがいた。 折鶴は彼の命の炎が吹き消される前に、所定の相手の元へ届いたらしい。
 お礼の言葉を軽く受け流し、ぜひまた来て欲しい、ご来店の時はお食事のサービスをさせていただきますからと言うリンクに、それではまたお邪魔するかも知れないと言って、クロークはその場を後にした。

 あの夜から幾日か経ち、クロークは黄昏に染まる空を見上げながら、踏み均された土の道を歩いていた。草と土の匂いのみを運んできていた風は、いつしか甘いお菓子の香りを纏うようになり、御伽噺の中から抜け出てきたかのような丸太小屋、喫茶店・ティクルアの店先に立った時には、空気そのものに匂いが染み付いてしまっていた。
 たまたまこの近くに用事があり、行くと言ったきりになるのも失礼になるかも知れないと思ったクロークは、躊躇いがちに木の扉を開けた。可愛らしい鈴の音が店内に響き渡り、それに被せるように薪の爆ぜる音が小さく響く。奥に小振りの暖炉が置かれているのが見える。
「いらっしゃいま‥‥‥クロークさん!」
「こんばんは」
「どうぞ、あちらの席に」
 リンクが笑顔で席へと案内し、彼と入れ違いに金色の髪の少女が紅茶の乗ったトレーを持って現れた。
「クロークさんですね。先日はシャリアーとリンクが大変お世話になりました。 私はここの店長のリタ・ツヴァイと申します」
 丁寧な挨拶をした少女は、まだ10代後半くらいの外見年齢だった。 全体的に華奢で頼りなげな少女は、クロークの前に紅茶とケーキの乗ったお皿を置いた。熱々の紅茶からは細く湯気が立ち上っており、ブルーベリーマフィンは見るからに美味しそうだ。
 紅茶に口をつけた時、階上からトタトタと可愛らしい足音が響いてきた。
「クロークちゃん、お久しぶりなのーっ!」
 桜色の髪を頭の高い位置で二つに結び、真っ白なワンピースを着たシャリアーがクロークのテーブルに走って来る。 満面の笑顔を浮かべて「いらっしゃいなのー!」と明るい声を出す彼女に笑顔を向ける。
 シャリーも“まふぃん”食べるのー!と騒がしいシャリアーに苦笑しながら、リタが紅茶とケーキを出す。 シャリアーが夢中で食べる様を暫し見つめた後で、クロークは紅茶の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。



END


◇★◇★◇★  登場人物  ★◇★◇★◇

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 3570 / エル・クローク / 無性 / 18歳 / 異界職


◆☆◆☆◆☆  ライター通信  ☆◆☆◆☆◆

初めまして
遅くなってしまい、申し訳ありませんでした
文章内での呼び名をどちらにするか悩んだのですが、“クローク”の方で執筆いたしました
全体的に穏やかで静かな雰囲気が出せていればと思います
クローク君の口調や雰囲気など、イメージとかけ離れていなければ良いのですが‥‥‥
この度はご参加いただきましてまことに有難う御座いましたー!