<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


Bloodberry jam



1.
「あら、いらっしゃい」
 店に入ってきた姿を見つけたエスメラルダは、カウンターに腰かけながらそう声をかけてき、千獣のほうもその声に彼女のほうを向いた。
「依頼があるの。少し危険があるかもしれないけれど」
 面倒事ではないからそこは大丈夫よと付け加えてからエスメラルダは言葉を続けたが、その内容を聞いた途端拍子抜けする気分だった。
「ある小屋に住んでいる相手が、ジャムの材料を取ってきて欲しいって頼んできたのよ」
「材料、取るだけか」
 まるで子供に頼むような話で、いったいそんなことの何処に危険があるというのだろうと思ったのを見透かすように、エスメラルダはいつもの何処か寂しげな表情のまま小さく首を振った。
「普通の材料じゃないの。人の血を吸って成長する植物の根だそうよ」
 更に付け加えられた説明によると、その植物は荒涼とした山の麓に生えているのだそうだ。
 雨が降ることも少なく、生あるものもほとんど存在していないその麓で、植物は時折訪れる生き物、人間の血液を吸うことで生きる術を得た。
 そしていまでは自らの意思を持ち、生きた獲物に襲い掛かるのだという。
「依頼してきた相手は、先に他の誰かに頼んでみたらしいけれど帰ってこなかったそうなの。それで、別の誰かを探しているというわけらしいわ」
 もうその相手は生きていないかもしれないと依頼主は言っていたらしい。
「だから、これはあたしからのお願いでもあるんだけれど、ジャムの材料になるらしい根と一緒にその植物も退治して欲しいの」
 これ以上犠牲者が増えないうちに、そうエスメラルダは付け加えたが、その言葉に対し千獣は少し考えるような仕草をしてからたどたどしい口調で尋ねた。
「その植物、生きるため獲物取る、生き物、それ、当たり前」
 人間は無論のこと、生きているものは全て他のものの命を奪うことで生きている。その植物も生きるための手段として人間や他の生き物の血を奪うということを選んだに過ぎない。
 千獣にしてみればその行為それ自体は生きていくためなのだから仕方のないことであり、人間が行っていることとなんら変わりがないものに思える。それなのにその植物は討伐されなければならないということが千獣にとっては些か疑問を覚えるところだ。
 そんな考えがエスメラルダにも通じたのだろう、彼女は寂しそうに微笑んだまま口を開いた。
「そうね。花だからというだけでそれが行っていることを悪いと思うのは間違いなんでしょうね。でも、同じ人間としては放っておけないのよ」
 その言葉に千獣はそれ以上尋ねようとはせず首を縦に動かした。依頼を引き受けるという意思表示だ。
 植物の存在が良い悪いということは別にして、それをジャムの材料として使いたいという者がいる以上そのためにその植物を倒すことを拒否するつもりは千獣にはない。
 そのとき、別の明るい声が千獣とエスメラルダのほうへと投げかけられた。
「その山、是非ボクも行かせて頂戴」
 振り返った先にあったのは蟠一号の姿だ。どうやらふたりの会話を聞いていたらしい。
 そんな吸血植物でいったいどんなジャムを作るのかということが蟠一号の好奇心を刺激したらしい。
「それじゃあ、ふたりにお願いするわ。あなたたちなら危険はないでしょうしね」
 千獣と蟠一号の顔を見ながら、エスメラルダはそう言ってから、けれど気をつけてと付け加えた。


2.
 エスメラルダから教わった件の植物が生えているという山は町からかなり外れたところにあり、辿り着いたふたりの視界に入ってきたのは剥き出しの岩肌だけだった。生き物がいるという気配もない。
「こんなところにどうしてその植物は生えちゃったのかしらね」
 周囲を見渡しながら蟠一号はついそう呟いたが、千獣はそれに答えることなくすたすたと荒れ果てた山道を歩いている。
 時折上空に鳥の姿らしきものが見える以外はこの山に来てから生きているものの姿を見ておらず、死骸らしきものさえもほとんどない。乾ききった地面に最後に雨が降ったのはいつなのかもわからない。
 もしかして空を飛んでいる彼らに運ばれてなのか、ここに根を下ろすこととなってしまった植物が滋養とできそうなものはこの山にはまったく存在していなかった。
 何もないのならば他のものから奪うしか己が生き延びる術は存在していなかったことは確かのようだ。
 だが、その獲物となるものも滅多に現れるとは思えない場所でいままで命を保っていられているというのは凄まじい生命力だ。
 と、先を歩いていた千獣の足が止まった。
「におい、する」
 そう言いながら千獣は進んでいる先を指差し、蟠一号も倣って鼻を微かにうごめかしてみれば何かが腐っているようなにおいが僅かだが感じることができた。
「このにおい……先に頼まれた人のかしら」
 生き物が腐ったようなにおいに蟠一号の脳裏にふとそんな疑問が過ぎる。もしそうならばその人物はすでに死んでいることになる。
「見て確かめる、早い」
 それに対し千獣はそう答えて更に歩を進める。生死どちらであったとしても自分たちがその植物の元へと向かわなければならないことに変わりはないのだから見て確かめたほうが早い。
 千獣の言葉に蟠一号も賛同し、そのままにおいをたどるように山道を進んでいく。
 どのくらい歩いただろう、ふたりの目に『それ』は見えた。
 それの姿は、通常『植物』と呼ぶものからはひどく遠ざかっていた。
 遠巻きに見ても大きさはふたりとさほど変わらないかもしかするとそれ以上かもしれないというもので、全身は茶色い茎に生気はなく僅かについている葉も同様だ。
 当の昔に枯れてしまっているように見えるそれだったが、そんな中でもひときわ異様だったのは花だ。
 最初、すぐにはそれが花だとはふたりとも気付かなかった。
 血のように紅いそれは妙な質感があり、時折風に揺れているその形はまるで小さな人間の死体のように見えなくもない。
 そんな花が、枯れたような茎にいくつかぶら下がっている光景は奇妙や異様という言葉では片付けるのは難しい。
 まるで複数の死体がぶら下げられているような光景を見ながらも、千獣は表情を変えずに微かに鼻を動かすと口を開いた。
「におい、あの花からする」
 先程からふたりが感じていたにおいを発しているのは植物の花からのようだ。
「あの形と匂いで獲物をおびき寄せるっていうことなのかしら」
 蟠一号はそう言いながら空を見る。そこには数える程度だが鳥の姿があった。おそらく、植物の主な獲物はあの鳥たちなのだろう。
「根で捕まえて血を吸うんだったわよね。その根らしいものは見えないわね」
 エスメラルダの話ではあの植物が獲物を捕らえるときに使用するのは根ということだったが、それらしきものは地上に現れていない。
「根、持って帰る。他の部分、攻撃する」
 持ち帰るように依頼されている根はできるだけ傷付けず本体から切り離してしまいたいところだったが、肝心のそれが姿をいまだ現していない。
 ここは植物本体を倒してから根を取り出すのが最適だろうかと千獣が考えていると、蟠一号が無防備に植物のほうへと近付いていく。
「危険、離れる」
 そう千獣が言ったときには、異変はすでに起こってしまった後だった。
 ビィン、と弓矢の弦を弾いたような鋭い音が空気を裂き、地面が裂けた。
 まるで仕掛けられた罠が作動したように地面から現れたのは枯れ細った茎などから想像もできない、人間の腕ほどの太さがある根のようだった。
 根はそれ自体に意思があるようにそのうちの一本が的確に蟠一号目掛けて襲い掛かり、身体に絡みつく。
 だが、蟠一号は絡みついた根が腕に食い込もうとしても動じる気配がない。
 不死の怪人である蟠一号は植物にいくら血を吸われたところで永遠に死ぬことはできない。まさに囮として打ってつけであるということを蟠一号自身も理解しての行動だったのだ。
 その根を、千獣が投げつけたスライジングエアが正確に切り裂いた。仲間が襲われている状況では根を無傷のまま持って帰るということはできない。
 切り裂かれた部分はほんの先端のみだったが、その先から紅い液体が流れ出る。僅かに粘り気のあるその液体は血の匂いを放っていた。
「囮いらない、離れる」
 千獣の声に蟠一号もそこから距離をとる。逃がすまいと新たな根が襲い掛かるがそれらはすべてスライジングエアによって防がれた。
「攻撃はキミに任せたほうが良さそうね」
 そう言うと、蟠一号の口から歌声が流れ始める。無論ただの歌ではない。魔力を込めた歌は千獣の身を守りサポートする働きがある。
 蟠一号の歌を受けながら千獣は植物に向かっていく。その四肢はいつの間にか獣のそれへと変化していた。
 相手の力量を測るだけの知能は流石に持っていないのか、根は執拗に千獣に襲い掛かるがそれらはすべて打ち払い、瞬くうちに千獣の身体は本体へと間合いを詰めていく。
「こんなことはもうやめて。花はこんなことをしていては美しくなれないわ」
 生きていくための唯一の手段とはいえ他のものの血を啜らなければいけなくなった植物に対し、蟠一号は言い聞かせるように歌へ込める。
 その言葉に応えたわけではないだろうが素早い動きで繰り出され続ける千獣の攻撃に植物の動きが鈍っていく。
 その隙を千獣は見逃さず、スライジングエアを根元に向かって放った。
 スライジングエアの刃は容易く根元を切り裂き、断面から先程同様赤い液体がほとばしる。
 そのまま、ゆっくりと植物は倒れていった。
 巨大なそれが地に倒れていくとき、悲鳴のような音が周囲へと響いた。


3.
 攻撃してくることはもうないと確認したあと、獣化を解いてから千獣は植物の根を切り取った。
 まるで人を相手に戦ったかのように辺りには強烈な血の匂いが漂っている。だが、それを気にしたふうでもなく千獣はその根をじっと見た。
「これ、持って帰る。エスメラルダ、渡す」
「じゃあこれで依頼は達成っていうことね」
 明るい口調でそう言った蟠一号に千獣は頷いた。
「じゃあ、それを渡すのはキミに任せても良いかしら」
「何処行く」
 てっきり一緒にエスメラルダの元まで戻ると思っていた蟠一号の言葉に千獣が尋ねても、明るい口調で「渡すだけならキミひとりで十分よ」と蟠一号は言うだけだった。
 それ以上深く尋ねることはせず、千獣は頷いてその場から立ち去った。
 その根がどのように使われ、どのようなジャムができたのか、それは千獣は知らない。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)       ■
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3087 / 千獣 / 17歳 / 女性 / 異界職
3166 / 蟠一号 / 26歳 / 無性 / 歌姫/吟遊詩人

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■         ライター通信                    ■
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千獣様

初めまして。ライターの蒼井敬と申します。
この度は、当依頼にご参加いただきありがとうございます。
吸血植物への戦闘をメインに、冒頭に千獣様の考え(生きていくために他のものの命をその植物がとっていることはしかたがない)を元にエスメラルダとのやり取りを作らせていただきましたがお気に召していただければ幸いです。
千獣様のイメージにそぐわない点がないと良いのですが。
またご縁がありましたときはよろしくお願いいたします。

蒼井敬 拝