<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


Bloodberry jam



1.
「あら、いらっしゃい」
 レイジュが店に入ってきた姿を見つけた途端、エスメラルダはカウンターに腰かけながらそう声をかけてきた。
「依頼があるの。少し危険があるかもしれないけれど」
 面倒事ではないからそこは大丈夫よと付け加えてからエスメラルダは言葉を続けたが、その内容を聞いた途端レイジュは些か拍子抜けする思いだった。
「ある小屋に住んでいる相手が、ジャムの材料を取ってきて欲しいって頼んできたのよ」
「ジャムの材料?」
 まるで子供に頼むような話で、いったいそんなことの何処に危険があるというのだろうと思っていたのを見透かしたように、エスメラルダはいつもの何処か寂しげな表情のまま小さく首を振った。
「普通の材料じゃないの。人の血を吸って成長する植物の根だそうよ」
 更に付け加えられた説明によると、その植物は荒涼とした山の麓に生えているのだそうだ。
 雨が降ることも少なく、生あるものもほとんど存在していないその麓で、植物は時折訪れる生き物、人間の血液を吸うことで生きる術を得た。
 いまでは自らの意思を持ち、生きた獲物に襲い掛かるのだという。
「依頼してきた相手は、先に他の誰かに頼んでみたらしいけれど帰ってこなかったそうなの。それで、別の誰かを探しているというわけらしいわ」
 もうその相手は生きていないかもしれないと依頼主は言っていたらしい。
「だから、これはあたしからのお願いでもあるんだけれど、ジャムの材料になるらしい根と一緒にその植物も退治して欲しいの」
 これ以上犠牲者が増えないうちに、そうエスメラルダは付け加えた。
「良いだろう、その依頼引き受けよう」
 そう答えたのは、レイジュ自身、衝動的に血を求めることがあるからということも大きかったのかもしれない。


2.
 エスメラルダから詳しい場所まで飛んで向かったレイジュの目に広がった光景は、『死の山』という表現に相応しいような有様だった。
 乾ききった大地には最後にいつ雨が降ったのかもわからず、ところどころに生えている木はとうの昔に全て立ち枯れてしまっている。上空から見る限りねずみ一匹いる気配もない。
 見えるのはレイジュよりも更に上の空にいる死肉に群がる鳥たちだけだが、その彼らの餌になりそうなものがはたしてどれだけ訪れることがあるのだろう。
 おもしろいとは決して言えないものを長く眺めている気にはならず、レイジュは目的の植物が生えていると言われている場所へと向かった。
 と、その目に『それ』が見えた。
 紅い物体が植物のようなものにぶら下がっている。だが、それは木というよりは巨大な花のようにも見える。
 しかし、その大きさはあまりに巨大すぎて一瞬なんの植物なのかレイジュには理解しがたかった。
 茎はといえば先程からレイジュの目に入ってきた木々と同様枯れてしまっているようなか細く茶色い茎と数えるほどしかないやはり萎びた葉のようなものがあるだけだ。
 その植物に、紅い妙な質感があるそれがいくつかぶら下がっている光景はまるで数体の首吊り死体が並んでいるかのようだ。
 だが、それが人ではないということはレイジュにはわかった。どうやらこれはこの植物の花のようだ。
 そしてその花らしきものから漂ってくるのは動物が腐っているような異臭。
「成程、これで死肉を漁るものたちを釣るというわけか」
 レイジュの呟きを証明するように、花の周囲にはおびただしい数の干からびた鳥の死骸が転がっている。人も襲うらしいがもっとも手頃な餌は彼らなのだろう。
 そのとき、その光景を眺めていたレイジュの目に別のものが映った。
 鳥の死骸と共にあったそれは、人間の手のように見えた。
「あれか」
 このような場所に訪れる酔狂な人間がそれほどいるとは思えない。ならば、あの手は先に山へやってきたというものである可能性が極めて高い。
 遠目からでは生きているのか死んでいるのか確かめようがないそれを見て、レイジュは警戒しながら下降し、植物へと近づいていった。
 ゆっくりと近づき、先程見えたものをよく見れば、それは間違いなく人間の手でありその先の身体もどうやら繋がっているようだ。だが、鳥の死骸が上に重なっていることでその姿が良く見えない。
 無闇に警戒していても始まらないとレイジュはその人間へと近付きしゃがみこむと声をかける。
「おい、大丈夫か……?」
 と、その言葉は途中で遮られた。
 確かに、それは人間の男だった。だが、その姿はあまりに異様なものだった。
 毛のように細い植物の根が、干からびた男の身体にまとわりつき、手足の爪の間などの隙間から皮膚の中へと入り込んでいる。
 皮膚の表面から血を吸っているのだろうか鼓動に合わせるようにうごめく根が浮かんで見える様はまるで葉脈のようだ。
 想像していなかった異様な光景にレイジュが一瞬呆気に取られていると、男の目がぐるりとレイジュのほうを向いた。このような状態でまだ生きている──生かされているらしい。
「……れ」
 助けを求めてかそれとも死による解放を求めてか男の口が微かに動いたがそれを読み取ることはできなかったが、このまま男を見殺しにする気はなかった。
「待っていろ、いま助けてやる」
 そう言い、レイジュは男の身体の表面にまとわりついている根を切り裂いた。その切っ先から紅い液体が溢れ出たのはいままで吸っていた男の血液だったのかもしれない。
 切り裂いた先端は芋虫のように地面をうごめいてる。根の先まで意識があるのだろうか。
「もう少しの辛抱だ」
 ぶっきらぼうにだがそう声をかけてやったのは男の衰弱が著しかったためでもあるが、その動きを止めるように何かが地の底で動いている音がレイジュの耳に届いた。
 何が、と思う前に更に音は続く。
 ビィン、という弦を弾いたような音、そして同時にレイジュの足元の地面が裂け、現れたのは男にまとわりついていたものとはまったく違う人間の腕ほどもある植物の根だった。
 その根は明らかにレイジュを狙って襲い掛かってくる。
 どうやら、植物はレイジュを敵と認めたようだった。


3.
「僕を狙うのか、ちょうどいい」
 植物がレイジュだけに狙いを定めたのは瀕死の男のほうは自力で逃げることができないと踏んでのことだろう。もっとも、そこまでの知能が本当のこの植物にあるかは不明だが油断ができない相手であることは確かだ。
 いま、植物の注意はレイジュに向いている。だが、いつ切り裂いた根が男をまた捕らえるかはわからない。
 しかし、植物であっても吸血種ならば瀕死の獲物よりも活きの良い血を求めるはずだ。
 そう判断したレイジュは持っていたレッドジュエルで自分の手を傷付けた。
 傷口から赤い血が流れ落ちる。と、植物の根が更にレイジュのほうへと向く。今度は切り裂いた細い根も含まれていた。どうやら血を吸うのはこの根の役目らしい。
 腕ほどもある根が身体の動きを封じるように絡みつき、細い根がレイジュ自身の付けた傷口へと入り込む。
「ぐっ……」
 皮膚の中に入り込む痛みにレイジュの顔が微かに歪む。そのまま根はレイジュの血を啜り始めた。
 男の身体にはもう血液がさほど残っていなかったのかそれとも満ちることを知らないのか植物は貪欲にレイジュの血を奪っていく。その感覚は無論のことだが良い気分はしない。
 急激な失血感にレイジュの意識が遠のきかける。だが、このまま黙って血を吸わせているわけにはいかない。
(あの男は……)
 目を向けた先には息も絶え絶えといった状態ではあるが瀕死の男の姿がある。新鮮な血がお気に召したのか植物が彼を襲う気配はいまはない。
 血を吸う勢いも予想よりも早い。そろそろ反撃に移らなければレイジュもあの男同様生きながらにしてこの植物の餌となるだけだ。
 薄れ掛ける意識に叱咤をかけ、先程傷付けるために使ったレッドジュエルに今度はレイジュ自身の血を吸わせる。
 植物と吸血剣その双方から血を吸われることは相当な負担だが、その甲斐はあった。
 弱まっていた身体に僅かだが力が戻る。
 その力を振り絞り、レイジュは小さな炎を作り出すと絡み付いている根に向かって叩き付けた。
 焼け焦げる匂いと悲鳴のようにも聞こえる音が周囲に響く。形が異形とはいえ植物である以上炎は大敵なのだろう、血を吸っている根の動きも微かに止まった。
 その根を、レイジュは力任せに引き抜いた。ずるりと皮膚の中を這っていたものが抜け出る感覚は痛み以上に吐き気を覚えそうだ。
 予想以上の失血量と痛みに油断した途端意識が離れそうになるのを堪え、レイジュはレッドジュエルを構えた。
「これで、終わりだ」
 残されているありったけの力を込め、レイジュはその植物の根元、茎を切り裂いた。
 一瞬、目の前が紅に染まる。
 切り裂かれた部分から吹き出る紅黒い液体が、雨のようにレイジュの身体に降り注ぐ。
 紅く染まった全身に気をやる余裕などないまま、レイジュはよろめく足で男のほうへと近付いていった。


4.
 微かに脈があることを確かめると、レイジュは残った力で男と共に山を降りた。その手には依頼されていた根も無論ある。
 前もってエスメラルダから聞いていた依頼主の元へとたどり着いたときにはレイジュの意識は限界に近かった。
 辿り着いたのは、質素な、だが綺麗に整えられた庭が印象的な小屋だった。もっとも、いまのレイジュにそんなことを確認するだけの余裕はなかったが。
 ふらついた足取りで小屋へと近付く。と、それを待っていたかのように小屋の扉が開かれた。
 ひとりの女が、そこに立っていた。
 目に鮮やかな翠のドレスを身にまとい、たゆたう髪もまた緑色をしている。
 その瞳は両方とも閉じられていたが、まるで見えているように女はレイジュのほうを向きやわらかく微笑んでみせた。
「ありがとう。根を取ってきてくれたのね。そして、その人も助けてくれて」
 柔らかい口調で女はそう言ったが、そこに驚きの響きはない。まるでそうなることを知っていたかのように。
「……頼む、この男を治療してやってく……れ」
 そう言うのがレイジュの限界だった。そのまま男と共に扉の前でレイジュの身体が崩れ落ちる。
 その様子を女は穏やかな表所のまま見つめていた。
「この人はちゃんと助けるわ。それがあなたの願いなら私はそれを叶えなくちゃね」
 女のその声を最後に、レイジュの意識は途切れた。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)       ■
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3370 / レイジュ・ウィナード / 20歳 / 男性 / 異界職
NPC / エスメラルダ
NPC / 小屋の魔女

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■         ライター通信                    ■
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レイジュ・ウィナード様

2度目のご参加ありがとうございます。
吸血植物との戦い、そしてダークな雰囲気をということでしたのでこのような展開とさせていただきました。
お気に召していただければ幸いです。
またご縁がありましたときはよろしくお願いいたします。

蒼井敬 拝