<東京怪談ノベル(シングル)>


星の生まれる処


 エルザードを駆け抜けてゆく冬の風に、白い息が溶ける。
 もう、何度目だろう。吐き出した息が白く変わる瞬間──それが面白いようで、子ども達はさっきから何度も何度も、白い息を吐き出してはその行方を追いかけている。
 どうして、冬の寒い日は吐く息が白くなるのか。正しい答えを彼らは知らないから、ただ単に目の前を吹く風が攫ってゆくのだと思っているようだ。
 シノンも、正しい答えこそ知っているけれど、考えは子ども達と一緒だ。そうやって想像力を遊ばせるのは、とても楽しい。彼らの発想に改めて気づかされることも多々あるのだから、尚更だ。
 風はどこまでもどこまでも駆けて、世界を渡っていくもの。その身にたくさんの想いや願いを宿しながら、留まる場所もないままに、ずっと、ずっと、世界を巡るもの。
 ──ならば、自分は。
 春風と恵みの神であるウルギを信仰する自分もまた、神にとっての風なのだろう。
 人々の声を聴き、想いを伝える。そうして受け取った心を、ウルギへと届けながら、世界を巡る──
 けれど、留まる場所を見つけた風は、──そんな風である自分は。
 何て、幸せなのだろう。シノンは、くすぐったいような穏やかな笑みを浮かべながら、胸の中でかたちを作り始めた様々な想いを、緩やかな呼気に変えて吐き出した。

 冬が寒いのは、いつの年も同じことだ。
 特に年が明けてから、エルザード近郊もますます冷え込みが厳しくなった。シノン達が住まう孤児院とて、例外ではない。
 それでも、『子どもは風の子』とはよく言ったもので。
 閉ざした窓の向こうから聞こえてくる子ども達の賑やかな声が、あたたかい。


「シーノーン! たっだいまー!」
 いつものようにお手製のホットチャイを用意して彼らの帰りを待っていると、元気な声を上げながら第一陣が帰宅した。その声に続き、続々と帰ってくる子ども達。室内があっと言う間に、心地良いざわめきで満たされていく。
「おかえりー! こら、先に手洗いとうがいをちゃんとする!」
 広間のテーブルを囲む椅子。その席順は決まっているようで決まっていないのだが、ある種の秩序のようなものが無意識の内に介在している。
 シノンの両脇に座ることを許されるのは、孤児達の中でも最上級生に近い子ども達だ。
 つまりは、年功序列というわけである。
 手洗いとうがいを済ませた子ども達が、次々にテーブルを囲んで席についた。シノンは一人一人に特製のホットチャイを注いでやりながら、彼らの言葉にゆっくりと耳を傾ける。

 曰く、どこかの医者が風邪を引いて開店休業だとか、どこぞのパン屋の竈がこの寒さでとうとう機嫌を悪くしたとか、向こうの家で子猫が生まれただとか、明日の夜に流星群が──

「……流星群?」
 聞こえた単語に、シノンはきょとんと首を傾げた。すぐに子どもの一人が反応する。
「そーだ、シノン! いい話があるぞ! 明日の夜にさ、りゅーせーぐんが見れンだって!」
 最初の声に応えるように、次々にあちらこちらから手を上げるように声が上がった。
「シノンは見たことないか? 物凄い勢いで星が流れてくんだ!」
「それもね、一つや二つじゃないの。とにかく、たくさんなの!」
「うわあ、いいなあ! ぼく、流れ星なんて見たことないよ」
「わたしも! お星様、たくさん見れるの? 見たぁい!」
「ねがいごと、三つ言うと叶うんだろ? そんなたいりょーの星が流れたら、一個くらいは叶わねえかな!」
「よし、誰が一番多く流れ星を見るか、競走しようぜー!」
 僕も私もと、あちらこちらで手が上がる。
 シノンは手を上げる代わりに、その『流星群』の様子を想像してみた。
 流れ星に願いをかけると叶うという話は、シノンも聞いたことがある。
 けれど、空に瞬く星が流れるという、その光景ですらシノンにとっては珍しいものだ。
 流れ星。流星。──流星群。
 鳥の群れのように、星が、空を横切っていくのだろうか。
 それとも、雪が降るように、星が、降るのだろうか。
「……それがさ、エルザードは夜でも明るいだろ? だから、あんまり星が見えねーンだと」
 ぽつりと落とされた声に、シノンは目を瞬かせた。
 確かに、この聖都エルザードは昼夜を問わず、いつでも光に溢れている。
 まるで地上に星をばら撒いたようだと、形容する詩人もいるほどだ。
 地上の輝きに空の輝きが負けてしまうとは思えないけれど──人の力を思えばこそ、飲み込まれてしまうのも、不思議と頷ける。
 それならば、地上に光が溢れていない場所ならどうだろう。
 夜でも暗い場所ならば、空の輝きだけを楽しむことも、出来るだろうか。
「それならさ、明日の夜は……ちょっと遠出してみようか?」
 シノンは頭の中にエルザード近郊の地図を描き出しながら、子ども達の顔をゆっくりと見渡した。





 翌日。日が沈み、夜の帳が世界を覆い尽くした頃。
 昼寝をしてもなお眠たそうに目を擦る年少組を何とか寝かしつけ、シノンは年長組の子ども達と共に、夜のピクニックに繰り出した。
「よし、この辺にしようか」
 エルザードから程近い所にある、小高い丘。聖都の灯りが、少し遠い所にちらちらと輝いている。
 シノン達はその場に腰を下ろして、ぴったりと身を寄せ合った。どれほどたくさん着込んでも、やはり寒いものは寒い。それが冬の夜だ。ぎゅうぎゅうと押し合い圧し合い、おしくらまんじゅう状態になりながら、確かなぬくもりを分かち合う。
「ねえ、シノンはおねがいごと、何にする?」
「あたし? あたしはー……、そうだなあ、皆がいつも元気でいてくれますように、かな」
「えへへ、シノンならきっとそう言ってくれるだろうなって、おもった!」
 子ども達に囲まれ、白い息を吐き出しながら、シノンは空を仰いだ。
 地上からの光が、全くと言っていいほど届かない空。エルザードから見上げる空とは、やはり違う。
 漆黒の澄み渡った天蓋を彩る、無数とも言える満天の星は、まるで宝石箱をひっくり返したようだった。
「星の名前くらいはオレだって知ってら! あれが──……」
 白い光の中に点々と灯る赤や青の光を指差しながら、子ども達が星の名を口にする。
 点と点を繋いで、星座を形作ってゆく。山猫、兎、獅子、くじら、羊、とかげ、ペガサス、ユニコーン──言われてみればなるほど、本当にそう見えてくるから、不思議だ。
 子ども達のささやかな星空談義に耳を傾けていると、不意に、大きな声が上がった。

「あっ、流れ星!」

 その一声で、場に満ちていたざわめきが、一瞬にして静まり返った。
 そして、瞬く星達の合間を縫って流れていく一筋の光を、シノンは、確かにその目でとらえた。

 声を上げる間もなく、一瞬にして消え去ってしまう光。
 それは言葉すら吸い込んで駆け抜けていく、命の輝き。
 手を伸ばしても、届きそうで届かない、煌き。

「わ……」
 その光が、星達にとっても始まりの合図だったらしい。
「わ、あ……っ!」
 空一面にちらちらと灯る光が輝きを増して、それらが次から次へと尾を引いて落ちてくる。

 まるで新たな命が産声を上げるように、遠い空の向こうへ消えていく星の光。
 星達は、何を思いながら、光り、輝き、流れてゆくのだろう──

「きれい、……」
 誰かが呟いた。それは、その場にいる誰もが胸に抱く、一番の気持ちだった。
 一つ、二つ、三つ、──たくさん。数え切れないほどの、無数の、──光の雨。
 願いをかけることなど当の昔に忘れていた。星の数を数えることだって、忘れていた。
 時間も、今は寒ささえも忘れて──

 そこから先は、言葉にならなかった。
 シノンも子ども達も、どこまでも遠く果てない世界の向こうに思いを馳せながら、降り注ぐ星達の姿にただひたすらに見入っていた。
 寄り添い合って、手を取り合って、夜空が奏でる星達の歌声にただじっと、耳を傾けていた。



Fin.