<東京怪談ノベル(シングル)>
Tricky Chocolate.
2月14日はバレンタインデーというのは、聖獣界ソーンにも伝わる風習らしい。
──と言っても、トリ・アマグがそのことを知ったのは、それこそ、ソーンに来てからだ。
そして、バレンタインというのは、曰く、『大切な人にチョコレートをあげる日』らしい。
『大切な人』というのが一体誰を指すのか、アマグにはよくわからなかった。
けれど、中にはこの日のために命すら賭ける人もいるのだと、そんな話を聞いたから、きっと『大切な人』と言うのはそれほどの価値がある存在なのだろうというのは理解した。
それはおそらく、友達、友人と呼べるような──例えば、アマグにとっては、自分の名前を知ってくれているような、そんな人物のことだ。
大切な人、友達──その時アマグの脳裏に、一人の女性の姿が浮かんだ。
いつも天使の広場にいる彼女。とりどりの歌を奏でながら、彼女も知らない様々な世界の物語を紡ぐ、吟遊詩人の娘──カレン・ヴイオルド。
ソーンに訪れたばかりのアマグにも、気さくに接してくれた人物。
そうだ、彼女にチョコレートをプレゼントしよう。
「ところで……」
そう思い立った所までは良かったが、そこで、アマグは一つ、とても肝心なことに気がついた。
「チョコレー……ト……? ……とは……? どうやって作るんでしょうか……ね……」
※
幸いにしてアルマ通りへと足を伸ばせば、バレンタインデーを間近に控えていることもあって、『チョコレート』はすぐに見つけることが出来た。菓子を扱う店のほとんどが今はバレンタイン一色らしく、店先から漂う甘い香りは、否応なく鼻腔をくすぐっていく。
ショーウィンドウに並ぶ様々な姿の『チョコレート』を、アマグは興味津々と言った呈で見つめていた。
茶色かったり白かったり、しかし色合いはどれも似たようなもので、不思議な模様がついていたり、木の実のかけらがまぶしてあったりと、どうやら形に違いがあるらしいというのは理解した。
「──お兄さん! チョコレートが気になるのかしら? おひとついかが?」
ちょうど足を止めていたその店の、店番らしい娘が声をかけてくる。チョコレートよりも目立たない、落ち着いた色合いのワンピースにフリルの白いエプロンを纏う若い娘で、彼女からもチョコレートと同じ甘い匂いがした。娘は慣れた手つきで試食用のチョコレートを取り上げると、花が笑ったような笑顔と共に、アマグに差し出してきた。
「これが……チョコレート……?」
アマグは小さなチョコレートをそっと摘み上げ、まじまじと眺めやってから口に入れる。
噛み締めるより先に、舌の上にじわりと、甘い味が溶けて広がった。
「甘い……ですね」
「そう、美味しいでしょう? どれもおすすめよ! 自分で食べてもいいし、もちろん、誰かに差し上げるのだって悪くないわ! ……ここに置いてあるものは、ほとんど、誰かに差し上げるようにって、作られたものだけれど。ね、この箱とか、可愛いでしょう?」
店番の娘は言いながら、赤い花と羽の飾りがついた白い箱を掲げてみせた。なるほど、中のチョコレートだけでなくそれを入れる箱──外観にまで、こだわるものらしい。
「おすすめ……ですか……」
悩む素振りを見せるアマグに、娘は大きく頷きながら言葉を続ける。こういった行事に対してアマグが詳しくないと察してくれたのか、はたまた、単に話好きなだけなのか。どちらかと言えば、きっと後者だろう。
「チョコレートの味そのものは、言ってしまえばそんなに変わらないもの。……大切なのは、気持ちね。お兄さんは、自分で食べるチョコじゃなくて、誰かにあげるチョコを探しているの?」
「ええ……一応……」
「じゃあ、あげる人のことを、考えてみて? ──どんな色が好きそう、だとか、どんな花が似合いそう、だとか」
アマグは、脳裏にカレンの姿を思い描いた。
彼女が紡ぐ歌を。その声を。
そして──
※
天使の広場へと赴く。あの日と同じ場所に、いつもと変わらない彼女の姿があった。
竪琴の弦を調節していたらしい彼女へ、ゆっくりと近づいていく。カレンはすぐにアマグの姿に気づき、穏やかな笑みを浮かべた。
「やあ、アマグ。どうしたの?」
「こんにちは、カレン……ええと、これを」
アマグが差し出したのは、シンプルな白い箱に空色のリボンを巻き、白い薔薇の造花をあしらったもの。
突然のことに、カレンは目を瞬かせる。
「……なんだい? これは」
「バレンタインには、チョコレートを贈るものだと……聞いたので。──これを、カレンに」
その言葉は、まさに藪から棒が飛び出てくるようなものだったらしい。何度か、大きく目を瞬かせてから、傍らに竪琴を置き、両手でそっと差し出された箱を受け取るカレン。
「バレンタイン……そうか、バレンタインだ」
確かめるように呟き、プレゼントの箱を見つめる──そんな彼女の様子を、アマグはどことなく和んだ目で見つめていた。
やがて、カレンがそっと口を開く。
「アマグは、バレンタインデーの意味をちゃんと知ってる?」
「大切な人に……チョコレートをプレゼントする日、だと……違うのですか?」
「じゃあ、その、『大切な人』の意味は?」
「……? ……お友達では、ないのですか……?」
矢継ぎ早に投げかけられる問いに、アマグは少々戸惑いながらも、己の思う答えを返した。
ふと、押し黙るカレン。彼女の望む答えではなかったかと、アマグは多少、不安になるものの──
次の瞬間には、カレンの表情ははにかむような笑みに彩られていたから、その心配も無用だったかと、アマグもまた、微笑んだ。
「うん、まあ、いいんだけどね。そっか……そう、──そうだね、友達、か。……ありがとう、アマグ」
カレンは改めて贈り物の箱を眺めやりながら、穏やかな声で続けた。ふと吐き出す息は、辺りの空気をも緩めるもの。
「……お礼に、私が知っている『バレンタインデー』の意味を、教えてあげるよ」
まるでいたずらっ子のような、そんな響きさえも含んで。
──それはね、
Fin.
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