<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


Bloodberry jam



1.
「あら、いらっしゃい」
 虎王丸と凪のふたりが店に入ってきた姿を見つけたエスメラルダは、カウンターに腰かけながらそう声をかけてくる。
「依頼があるの。少し危険があるかもしれないけれど」
 面倒事ではないからそこは大丈夫よと付け加えてからエスメラルダは言葉を続けたが、その内容を聞いた途端拍子抜けする気分だった。
「ある小屋に住んでいる相手が、ジャムの材料を取ってきて欲しいって頼んできたのよ」
「ジャムの材料?」
 まるで子供に頼むような話で、いったいそんなことの何処に危険があるというのだろうと虎王丸は依頼の内容も含めて些か不満そうだったが、それを見透かすようにエスメラルダはいつもの何処か寂しげな表情のまま小さく首を振った。
「普通の材料じゃないの。人の血を吸って成長する植物の根だそうよ」
「人の血を吸う植物?」
 そう尋ねたのは凪のほうだ。
 それに頷いてからエスメラルダが付け加えられた説明によると、その植物は荒涼とした山の麓に生えているのだそうだ。
 雨が降ることも少なく、生あるものもほとんど存在していないその麓で、植物は時折訪れる生き物、人間の血液を吸うことで生きる術を得た。
 いまでは自らの意思を持ち、生きた獲物に襲い掛かるのだという。
「依頼してきた相手は、先に他の誰かに頼んでみたらしいけれど帰ってこなかったそうなの。それで、別の誰かを探しているというわけらしいわ」
 もうその相手は生きていないかもしれないと依頼主は言っていたらしい。
「だから、これはあたしからのお願いでもあるんだけれど、ジャムの材料になるらしい根と一緒にその植物も退治して欲しいの」
 これ以上犠牲者が増えないうちに、そうエスメラルダは付け加えた。
「その依頼主ってのは誰なんだ?」
「名前はあたしも知らないの。ただ、魔女だって言うだけで」
 依頼してきたその相手は自らを『小屋の魔女』だとしか言わなかったというエスメラルダの言葉に凪はますます不審を抱いたようだが虎王丸は違った。
「あ、その噂なら俺知ってるぜ。町外れに住んでるっていう美人さんだろ?」
「あくまで噂なんだろう? 本当にその魔女が美人かどうかはわからないと思うけどな」
 虎王丸としては一度会ってみたかった美人との良いきっかけになりそうだと依頼にすっかり乗り気のようだったが、そんな虎王丸とは対称的に凪は不審感を拭えないようだ。
 人の血を吸って生きている植物の根からジャムを作るというとはどんな人物なのだろう。
 しかし、凪のそんな疑問はよそに虎王丸はエスメラルダに手を上げて口を開いた。
「この依頼、俺たちが引き受けたぜ。根も俺たちでちゃんとその魔女さんに渡すから任せてくれよ」
「そうね。あなたたちなら適任ね。お願いするわ」
 そう言った後、けれど気をつけてねと付け加えることをエスメラルダは忘れなかった。


2.
 エスメラルダから教わった件の植物が生えているという山は町からかなり外れたところにあり、辿り着いたふたりの視界に入ってきたのは剥き出しの岩肌だけだった。生き物がいるという気配もない。
「こんな山によく生えていままで育ってたよなぁ」
 半ば感心しているような虎王丸の言葉に、凪は呆れたような目を向けながら周囲への警戒も怠ってはいなかった。
 ふたりがいま歩いてきた道のりで生き物らしきものは空を飛びかいながら、この山に酔狂からか入り込み行き倒れになったものの死肉をついばもうとでもしているらしい鳥たちの姿くらいだ。
 周囲にある木はすべて当の昔に立ち枯れてしまっているようで軽く触っただけで乾燥しきった枝は容易く折れてしまうだろう。
 踏みしめている地面は乾ききり、最後に雨が降ったのがいつなのかわかりそうもない。
「その魔女っていうのは、こんな場所に生えるような植物の根でいったいどんなジャムを作る気なんだ?」
「わかんねぇぞ? もしかしたらすっげぇうめぇのかもしれねぇじゃん」
 虎王丸はあっけらかんとそう言ったが、使うのは異形の植物の根なのだから怪しいものだと凪は思った。
 荒涼とした山道を歩いてしばらく経った頃、ふたりの鼻にそのにおいが漂ってきた。
「におうな」
 ふんふんと鼻を鳴らしながら虎王丸がそう言い、凪も頷く。
「何かが腐ってるようなにおいだな」
「こりゃ、その植物が近いってことかもしれねぇぞ」
 よし、と虎王丸が凪より先にそのにおいの元へと駆け寄っていき、慌てて凪もその後を追う。
「……なんだこりゃあ」
 その目に映った光景に、思わず虎王丸の口からそんな言葉が出たのも仕方がない。
 荒れ果てた地にはそぐわないほど巨大な植物がそこにはあった。いや、最初それが植物だとはふたりには瞬時に判断するのも難しかったのだが。
 茎も葉も此処へ来る途中まで見た木々同様茶色く乾いており、すでに枯れてしまっているように見えるが、ひとつだけ他の木々とは違うものがあった。そして、その一点が非常に奇怪なものだった。
 灰色を主とした風景の中にあるどぎついほどの紅い色。妙に肉厚で奇妙な形をしたそれは枯れているように見えるほど細い枝の途中からぶら下がっている。
 時折吹く風に揺れるその様子はまるで首吊り死体のようだ。
「あれ……花か?」
「そうらしいな」
 唖然としたような虎王丸の言葉に凪はそう答えた。それが正しいと教えるようにいっそう強い腐臭がふたりの周囲に漂う。
「うへ、ひでぇにおいだ」
「あの形とこのにおい……死体と間違えた鳥や獣をこれで誘き寄せて捕まえるってところなんだろうな」
 見てみれば植物の根元にはいくつかの鳥の干からびた死骸が転がっている。
「よぉし、さっさとこいつを倒して根をいただいていこうぜ」
 言うが早いか虎王丸は刀を抜くと植物に向かって突撃していった。
「おい、ちょっと待てよ!」
「凪は後ろから援護よろしくな!」
 人を襲うという根がまだ見えてない状況での突撃に慌てて凪は虎王丸を制しようとしたが、虎王丸は聞く耳を持たない。
 間合いを詰めようと虎王丸が根元近くまで踏み込んだとき、その音が凪の耳にも聞こえた。
 ビィン、とまるで限界までしなった弦が強く弾かれるような音だった。
 同時に、虎王丸の足元の地面が盛り上がり、何かが飛び出し襲い掛かってくる。
「うわっ!」
 慌てて身を翻した虎王丸の目の前に現れたのは人間の腕ほどの太さもある根らしき物体だった。
「こいつが根か!?」
「虎王丸、下がれ!」
 今度は凪の言葉におとなしく従い虎王丸はその根から距離を置く。それを逃すまいとするように根が虎王丸のほうへと正確に這い寄ってくる。
「こいつら目でもあるのかよ!」
 虎王丸の言葉を追うように更に根は虎王丸に襲い掛かる。だが、凪のほうへ根がやってくる気配はない。
(まだ俺には気付いていないのか?)
 虎王丸と自分の違いはなんだと根の行動を見極めるように凪は虎王丸と根の攻防戦を見つめていた。
 根に目があるわけがない。ならば、何かを感知して獲物を追っているはずだ。
 熱量か、重さか、それとも……。
「くそっ、根がいらないなら封印刀で一掃してやるのによぉ!」
 全てを土へと返してしまう封印刀を使えばこの程度の植物を消滅させることは容易いが、それでは持ち帰らなければならない根も失ってしまう。
 そんな虎王丸の声が聞こえているかのように根は正確に虎王丸を追っていた……と、その動きが不意に乱れ始めた。
 何事かと虎王丸が振り返れば凪が舞い終えたところだった。
 精気を空間に満たす天恩霊陣。舞った周囲に満ちている精気がどうやら根の方向感覚を狂わせているらしい。
「おい、凪。どうなってんだ」
「どうやらこいつ、近付いた奴の精気を感知した後記憶して追いかけてきてたらしい」
 そして、感知できる精気は一度にひとつきり、今回でいえば虎王丸のみの精気を認識したということのようだった。
 もともとこの地には精気と呼ばれるものが極端に少ない。だからそれを感知する能力も発達はしていても感じたことがないほどの多量の精気には対応しきれなくなってしまうのだろう。
「へへっ、これなら根以外を攻撃できるぜ」
 しめたものとばかりに虎王丸は一気に植物に近付くとその茎目掛けて火之鬼を振り下ろし、凪は死体のようにぶら下がっている紅い花に向かって銃を放った。
 双方からの攻撃に、植物は呆気ないほど容易くその花を散らし、茎を切り裂かれた。
 地に崩れるとき、まるで悲鳴のような音がふたりの耳に届いた。


3.
 本体を倒された植物から根を取ることは非常にあっさりと完了し、ふたりはそれを取ると次の目的地へと向かった。
 この根をジャムに使いたいという依頼主の元へ。
「ここが魔女さんの住む小屋かぁ」
 辿り着いたその小屋を見た途端、虎王丸はうきうきした様子でそう言った。
 小屋は非常に質素ではあったが綺麗に掃除されており、庭らしきものも整えられている。
 うきうきしている虎王丸と、いったいどんな人物が現れるのかと訝しさが抜けないまま付いてきていた凪の目の前でその小屋の扉がゆっくりと開かれた。
 そこに立っていたのは20代頃の女だった。
 目に鮮やかな翠のドレスを身にまとい、風にたゆたっている髪もまた緑だ。
 その髪から覗く顔にあるその目は閉じられているが、女はふたりに向かってやわらかく微笑んでみせた。
「いらっしゃい。材料を持ってきてくれたのね、ありがとう」
「……どうして俺たちが根を持ってきたって知ってるんです?」
「知っていたからよ」
 慎重に尋ねた凪に対し女はそう答えるとふたりを小屋の中へと導いた。凪が躊躇している間に虎王丸はさっさと中に入ってしまう。
 部屋の中は綺麗に整頓され、白いテーブルには紅茶が置かれてあった。
「よければどうぞ。冷めないうちに」
「いいんですか? それじゃ、いただきます」
 おい、と凪が止める間もなく虎王丸はその紅茶に口をつけ、途端にご満悦といわんばかりの顔を凪に向けた。
「うめぇぞ、お前も飲んでみろよ」
 凪にそう声をかけてから虎王丸は早くも女に対して根を渡すと良い機会とばかりに話しかけ始め、それに対して女はやわらかい口調で答えていく。
「今回のジャムなんですけど、いったい何に使うんです?」
 凪の言葉に女は微笑んだまま紅茶のポットを手に持った。
「普通のジャムと同じよ。スコーンや紅茶に添えたりもするわね」
「へぇ、紅茶に添えるんですか?」
「おいしいわよ。ジャムができたら是非さしあげるわね」
 女の言葉に虎王丸は喜んで! と元気よく答え、凪はそんな様子を腑に落ちない顔で見つめていた。
「血を吸って育った植物の根で作って、いったいどんな味がするんです?」
 凪の言葉に、女は微笑んだまま凪にしか聞こえない声で答えた。
「いままでにこの根が吸い取ったものたちの業の味、かしら?」
 なんの邪気もなくそう呟かれた言葉に、凪はやはり警戒は解けないまま、けれど何故女が自らを『魔女』と名乗るのかその一片が見えたような気がした。
 そんな凪の様子に『魔女』は紅茶のお代わりは如何? とポットを差し出した。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)       ■
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2303 / 蒼柳・凪 / 15歳 / 男性 / 舞術師
1070 / 虎王丸 / 16歳 / 男性 / 火炎剣士
NPC / エスメラルダ
NPC / 小屋の魔女

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■         ライター通信                    ■
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蒼柳・凪様

初めまして。ライターの蒼井敬と申します。
この度は当依頼に参加してくださりありがとうございます。
血を吸う植物の根を使いジャムを作るという依頼主に対して慎重な対応ということで、ラストに虎王丸様には聞こえなかった『魔女』の言葉を付け食わせさせていただきましたが、彼女に悪意はありません。
戦闘シーンなど含め凪様のイメージにそぐわない点がないと良いのですがお気に召していただければ幸いです。
またご縁がありましたときはよろしくお願いいたします。

蒼井敬 拝