<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


暁の殺人鬼


 雪が降った。
 子供の頃から、そんな日は早く起きて足跡をつけるのが好きだった。
 特に誰も足跡をつけていない雪景色に遭遇したときは、親が怒るまで遊んでいた。
 雪だるま作り。つらら折り。屋根に積もった雪を落として、うまく避けたり、被ったり……。
 それを止める親はもういない。
 俺は今、思う存分遊んでいる。
 ……もうあの猫もいないしな。

 雪に彩られたベルファ通りの路地裏で、紅い花が咲いていた。
 とても鮮やかなその赤は、見た者に絶望を与え、絶叫させた。
 相当な額の懸賞金をかけられた殺人鬼キャットは、ルーンアームナイト特有の巨大な武器、爪で目撃者を裂いた。
 今は暁。
 早起きに三文の徳はなし。


 今日も黒山羊亭に依頼が出た。
 賞金稼ぎを何人も殺してきた殺人鬼。
 “キャットを捕らえよ”


□■■


 トリ・アマグが空を見上げたときには、狭い視界の中でもたくさんの雪が降っていた。
 ここはベルファ通りの中でも、危険地区に指定されている路地裏だ。武器も持たずに突っ立っていると、二分でおいはぎに会い、五分で殺されて手馴れた手つきで臓器を取り出されるだろう。明け方が近いといっても、何人もの人相の悪い男が路地を歩くアマグを睨みつけていた。アマグはその内の一人と目を合わせ、会釈した。男は一瞬怯んだように思えたが、少し目線を下げてアマグを睨んでいた。その男に絡みつくように抱きついていた痛んだブロンドの女はうっとりした表情でアマグに見惚れていた。
 そうやって動く気配を見せた者には目を合わせて危険を回避していった。
 たまに、手に持った大鎌をちらつかせながら。
「あ……」
 そう言って誰かがアマグを見て逃げ出した。
 すぐさまアマグは目で追った。
 彼だ。
 逃げる姿を見て、アマグは笑っていた。
「会いたかったよ……」
 キャットが角を曲がったのを見て、アマグは走り出した。
 風が吹いたかと思うと、ゴロツキの前からアマグは消えていた。突然の出来事に驚いて辺りを見回した男たちだったが、遅かった。走り出したウインダーを捕まえる事はできないのだ。動揺している男から離れ、女は道に落ちている黒い羽を拾った。
 とても綺麗な漆黒の羽だった。


■□■


 息が切れて冷たい壁に寄りかかった。胸に手をあてると、心臓の激しい動きがよくわかった。咳をすると、いつもより激しくなった。汗が額から噴き出る。手が震えている。止まらない。落ち着かない。最近、まともに眠っていないせいもあるのかと、いらない心配まで生まれ、最終的に過去の幻影が頭をかすめた。
「にゃあ。またお会いしましたね、猫さん」
 青年は口から心臓が飛び出るかと思った。ゆっくり、声がした方を振り返った。暗闇に紛れた黒い影と不気味な大鎌が青年のほうを向いていた。影は笑っていた。
「そういえば、前にお会いしたときに自己紹介をしていませんでしたね。トリ・アマグと申します。以後、お見知りおきを……キャットさん、あなたの名前はキャット、で間違いありませんね?」
 優しく影、アマグはキャットに問いかけたが、キャットは全身が震え上がり、完全に動揺の渦に飲み込まれていた。
 そんな彼に微笑みかけた。
 少しでも負の感情を取り払いたくて。本当の彼と、偽りで塗り固められた彼と会いたくて。
 キャットは何も答えなかった。答えなかったが、彼の右手の薬指が光っていた。
「……それは指輪ですか?」
 キャットは否定とも肯定とも言えぬ表情でアマグを見ていた。見ていた。見ていた。見てい………………………………
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 金属と金属がぶつかる音がして、アマグはキャットの気配や雰囲気が変わった事を把握した。キリキリと大鎌とぶつかっているのは大きな爪。右手にはめるタイプの爪で、その大きさはアマグの体の半分くらいだろうか。そんな大きな爪をキャットは片手で扱っていた。瞳は先程より生き生きしていたが、溢れ出る悦楽が狂気に思えた。アマグはそんな彼に話しかけた。胸の奥で少し楽しんでいることを自覚しているか、していないか理解していないまま。
「雪が少し積もってきましたね」
 大鎌で爪を押し返し、キャットの体を突き飛ばしたアマグだったが、再びぶつかってきたキャットを大鎌で受け止める前に爪が左腕をかすった。微量の血が爪に付着し、雪が積もり始めた地面に落ちた。
 その様子を見て、アマグは詠うように言った。
「冷たい冷たい雪の上。寒い寒い暁の風。血だるま、首無し、返り血とぬくもり」
 金属が磨り減る音の隙間からアマグはキャットを視ていた。
「父さんに、捨てられてしまったのですか?」
 キャットの瞳孔が一気に広がった。
 アマグの頭の中では前回出会ったときのことが。キャットの頭の中では過去の幻影が渦巻いていた。
 二人の足元では、いくつもの足跡ができていた。
「……私は手を伸ばす。母さん、と、囀って」
 キャットは唇を噛んで後ろに飛び上がった。1メートルほど下がって着地し、キャットはアマグを睨みつけていた。耳元では先ほどのアマグの言葉と過去の囁きが木霊していた。
『生んだ覚えはない』『使えない』『邪魔』『消えろ』『誰?』
 他人をバカにした笑い声が木霊する――。
 キャットは叫びながらアマグにぶつかっていく。
「ウルサイ、ウルサイ、ウルサイ!!」
 鋭い爪が何度もアマグの体にぶつかってきた。アマグは防御に徹したままキャットを視ていた。透視や霊視の類ができるか、と言われればそれは『NO』だろうが、キャットは手にとるようにわかった。わかっていた。
「あなたの両親になるには、私は力不足でしょうね。出来ることは……あたたかくもないこの両腕で、抱きしめることくらい」
 キャットの隙を突き、大鎌で爪を抑えた。
 アマグの左腕がキャットの体を抱きしめた。羽がキャットの体を包み込み、動きを止めた。その瞬間、溢れ出ていた悦楽の気配が消え去り、負の感情だけがキャットを覆った。
「私には何もかもが足りない。記憶、愛情、道徳、あなたの心」
 右手がそっと、キャットの頭を撫でた。アマグからはキャットの顔が見えない。見えなかったが、視えていた。
「あなたの頭を、喉を、静かに撫でることくらい。悲しい子守唄を歌うくらい。暗い暗い眼で見つめるくらい……」
 アマグはキャットの体を抱き上げた。思ったより、とても軽く細い体だった。抵抗もせず、細く小さな体をさらに小さくさせていた。瞳孔が開いたままのキャットの顔を撫で、目を見詰めて言った。
「私には、あなたが必要なのですよ」
 この言葉がキャットには必要だと思った。
 キャットはアマグの瞳を見詰めたまま震えていた。震えながら口を微かに開けて声を発した。とても小さな声だった。
「…名前すら、与えなかったの……に……・・・?」
「暁は終わり、朝日を迎えよう。あなたは生まれ変わる。生まれ変われるのですよ」
「ほんと……?」
 アマグが微笑みながら頷くと、キャットは愛らしく笑った。はじめて見た心からの笑顔だった。
「私が名付けてあげましょう。耳を貸してください」
 耳を近づけるキャットの耳に、アマグは囁いた。
「……」
 ぱっとキャットの顔が明るくなった。先ほどまでの狂気など微塵も感じさせない、まるで別人だった。
「僕、こんなに嬉しかったことなんてないなぁ……!」
「それは光栄です」
 はしゃぐ青年、いや、男の子はアマグに抱かれて嬉しそうに、楽しそうに笑っていた。大きな爪はいつの間にか姿を消し、右手の薬指で静かに光っていた。その光はまるで、警告。何度も点滅を繰り返し、次第に光は大きくなっていく。
「お母さんって呼んでもいい?」
 無性のアマグは笑顔をつくって頷いた。男の子の、笑顔を望んでいた。アマグの心が少し明るくなった気がした。これが、嬉しい、という感情なのかと思った。悪くもない、そう思いたかった。そう思いたかったのに、本当に、幸せな時間というものは儚く終焉を迎えてしまう。
 アマグの肩を、鋭く大きな爪が切り裂いた。
 先ほどまでアマグに抱き上げられていた男の子は返り血を全身で浴び、胸を抑えていた。冷や汗が噴出している。吐き気を催し、喉が痛くなるまで吐いた。鈍器で頭を殴られたような頭痛が襲い、また過去の幻影が彼を覆っていった。
『許さない』
 もう一人の俺が言った。
『幸せになんかにさせない』
 肩から血を流すアマグを見上げると、自然に涙が溢れ出た。
「……ご、…ごめ……な、さ………ッ!」
 血の匂いが充満する空気を纏い、闇に紛れていった。
 アマグの傍には、誰もいない。
 微かな温か味だけが、落ちた漆黒の羽に感じられた。


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 風が吹く。
 温かい風。冷たい風。
 アマグはどちらの風も好まない。
 それから、キャットの目撃情報はぷっつりと糸が切れたように途絶えてしまった。
 アマグは黒山羊亭に立ち寄り、エスメラルダに頼んで一曲、詩を弾かせてもらった。
 明るく楽しく酒を飲んでいる喧騒を切り裂く詩だった。
 肩の傷も、彼を抱き上げたときの感覚も紡ぎ込んだ、とても悲しい子守唄だった――。




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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3619/トリ・アマグ/無性/28歳/歌姫/吟遊詩人】

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         ライター通信          
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 こんにちは、田村鈴楼です。
 前回の参加に引き続き、今回のご参加ありがとうございました。
 いかがでしたでしょうか?
 二回目でしたので、少し甘く、キャットとたくさん触れ合っていただきました。
 捕らえることはないでしょう……という事なので、最後の結末をああいう事にしました。
 前回の正解の単語は『猫』を使った『ふれあい』
 今回は、鳥。ですよ!

 ありがとう御座いました。