<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


その手の温もりを



1.
 蝙蝠の城と呼ばれる建物の中、ライアはひとり待っていた。
 ライアの近くにあるテーブルに置かれているのはいくつかの菓子。どうやらライアの手作りらしい。
 共にこの城で暮らしている弟のレイジュに渡すために作ったのだが、そのレイジュが出かけたきりいまだ戻ってこない。
 子供ではないのだからとは思うものの、もしかするとレイジュの身に何かがあったのではないかという不安を抑えることができずライアはレイジュが行くと言っていた黒山羊亭へと向かった。
 黒山羊亭にいた者によれば、レイジュは依頼を受けて出た後どうしたかは彼女も知らないようだった。
「いったい、どんな依頼なの?」
 そう尋ねてみれば、血を吸って生きる奇妙な植物にまつわることだという答えにライアはかすかに眉を潜めた。
 レイジュが持っている剣によって引き起こされる吸血衝動を気にしていることはライアもよく知っている。そんなレイジュが植物とはいえ血を吸うものを気に留めるのは想像に難くない。
 店のものの話によれば、レイジュには依頼主の所在も伝えたということなので、もしかすると黒山羊亭へは寄らずそちらへ直接向かったのかもしれない。
 礼を述べた後、ライアはその依頼主の元へと向かうことにした。
「無茶してないと良いけれど」
 そう呟いた自分の声に幾分不安の影が混ざっていることに気付き、ライアは軽く首を振って目的地へと降り立った。
 そこにあったのは、小さい作りではあるが小奇麗な小屋だった。
 依頼の内容から想像するような血生臭いものに縁があるとは思えないような小屋の隅にはやはり綺麗整えられた庭も見える。
 だが、そんな様子を詳しく見る前に、ライアは扉の前に立つと小さくノックをした。
 しかし、扉の中からは返事がない。
 もう一度ノックをする。しかしやはり返事はないままだ。
 留守なのだろうかとも思ったがレイジュがここを訪れたのは間違いがないはずで、もしかすると行き違いになったのだろうか。
 それならば一度城に戻ったほうが良いだろうか。そう考えたとき、小屋の扉がかすかに開くのが視界に映る。
 まるで、目的の相手はここにいるとライアに知らせるようなそれにライアはかすかに警戒心を覚えながらもゆっくりと中に入る。
 小屋の中も綺麗に掃除され、床にはほこりひとつ落ちていない。どうやらこの小屋に住んでいるものは随分と綺麗好きのようだ。
 黙って中に入ったことに対して些か後ろめたいものがあったものの、その目に映った光景にライアはそんなことは忘れてしまった。
 見えたのは、翠のドレスを着た女性の後姿。何かを調合しているように見えるが女性の身体に隠されていてきちんとは見えない。だが、それよりもライアの目を捉えたのは部屋の隅にあったベッドのほうだ。
 綺麗に整えられたベッドに、レイジュの身体が横たわっている。その顔色はひどく悪く、一瞬ライアはレイジュが息をしているかどうかさえ不安になった。
 そんな姿の弟の横にいる女性らしき人物は何かを作っているところなのかライアのほうを振り向こうともしない。
「弟に何をしたの!」
 その背中に向かって、ライアは恐れることなくそう言葉をぶつけた。
 それを待っていたように、ゆっくりと女性はライアのほうを振り向いた。そのとき初めてライアは女性の両の目が閉じられていることに気付いた。
「来てくれたのね、ありがとう」
 隠すことなく敵意を持って問うたライアに対して、しかし返ってきたのは何処かおっとりとした口調で紡がれたそんな言葉だった。まるで、ライアがここに来るのをあらかじめ知っていてそれを待っていたかのようだ。
 その口調にもライアは警戒を強くするが、女はそれを気にしたふうでもなく柔らかい笑みを浮かべてライアに向かって口を開いた。
「あなたは誰。弟に何をしたの、いまやっていたのは何?」
「私は魔女よ。やっていたことはあなたの弟さんに飲ませようと薬を作っていたところ」
 魔女と自ら名乗る女にライアはまだじっと警戒した目を向けていたが女のほうに敵意はないらしく微笑んだままだ。
 その様子に、相手が危害を加える気はないのだと理解したライアはやや警戒を解き女に尋ねた。
「弟はどうしたの」
「私が頼んだジャムの材料を取ってきてくれたんだけれど、そのときにひどい怪我をしてしまったの」
 黒山羊亭で聞いた話によると目の前の女は吸血植物からジャムを作るつもりらしい。それを取ってくる際にレイジュが深手を負い彼女が介抱をしていたということのようだ。
 だが、レイジュがそれほどの深手を負うようなことは滅多にない。
「弟さんの前に他の人に頼んでいたの。その人を助けようとして彼が怪我をしたのよ」
 その疑問に対する答えを魔女はおっとりとした口調のまま口にする。
「弟は、大丈夫なの?」
 ベッドに寝かされているレイジュの顔色は血の気がないせいもあるのだろう紙のように真っ白で、見ていればいるほどライアの不安は増していく。
 だが、魔女は微笑んだままライアに向かって言葉を紡ぐ。
「血を吸われてはいるけどそれは身体を休めれば大丈夫よ。ただ、そのときの傷がもとで感染症を起こしているみたいなの。そのための薬を作っていたんだけれど」
「けれど?」
 ライアが先を促すように尋ねると魔女は微笑んだままおっとりと答える。
「材料が足りなくて、それを取ってきてくれる人を待っていたの」
 それが誰かというのは聞くまでもなくライアのことを指しており、そしてライアがレイジュを助けるために必要だというものを取りに行くことを拒むはずもない。
「いったい何が足りないの」
 その言葉に、にっこりと魔女は微笑んだ。
「弟さんの身体に植物の根が入り込んだの。だから、薬にも同じものを使わなくちゃ駄目。ただ、それは根じゃなくて花だけど」
 瀕死に見えるレイジュを横にしながらも魔女はおっとりとした口調のままでそう答え、その言葉にライアは一度レイジュを見てからまた目を魔女に戻す。
「その植物の花を取ってくれば良いのね?」
「えぇ。それだけで良いわ。お願いできるかしら」
 魔女の言葉に対するライアの答えは無論決まっていた。


2.
 黒山羊亭で僅かに聞いてはいたが、目に見えた山でどうして話に聞く植物が生き延びることができたのかライアには不思議だった。
 それほどまでに山は生命力がなく、何かによって運ばれたにせよ植物が根を下ろして生きていけるようにはとてもではないが思えない。
 もっとも、そんな環境ででさえいままで生き延びることができるほどの生命力を持っていたからこそレイジュがあれほどの深手を負うことになったのかもしれないが。
 魔女が教えてくれた場所は非常に的確で、そこにあったのは奇妙な植物には一瞬思えないような姿をしたものだった。
 レイジュが根を取るために取った植物はおそらくレイジュが倒したはずだから、いまライアが目にしているのは別のものなのだろう。
 ならばこれは突然変異ではなくこういう奇種なのだろうか。
 そう考えながらも長く観察する気などライアにはなく、レイジュの治療に必要な花とやらにしか用はない。
 見れば、やはり魔女から聞いた通り肉厚で一見花とは思えないような紅く奇妙なものが植物らしきものの枝からぶら下がっている。
「おとなしく花だけを摘ませてくれるはずもないわよね」
 ひとり言のようにそう呟き、ゆっくりライアは花に近付く。途端、その音が耳に届いた。
 ビィンという何かが弾けるような音と共に根がライアに向かって襲い掛かってくる。それをライアは飛んでよける。
「私の身体を傷つかせはしないわ」
 植物に向かってそう言いながらライアは鳥の姿をした巨大な炎を作り出す。
 ライアの目的は花。そして今回は助けが必要であるような者もいない。ならば、こんな植物相手に長居をする必要もない。
 躊躇いなく、ライアはその炎を植物に向かって放つ。狙いは花を傷付ける心配はない根元だ。
 凄まじい炎の攻撃に、植物はなす術もなく悲鳴のような音と共に地面に崩れ落ちる。
 あっけないと思うほど簡単に倒れ焦げ臭いにおいを放つ植物がもはや動くことはないと確認してからライアはその花を手に取り魔女とレイジュが待つ小屋へと戻っていった。
 花を受け取った魔女は柔らかい笑みをたたえたままライアに礼を言い、手早く薬を作っていった。
「これを飲めば大丈夫。後はゆっくり休ませておけば大丈夫よ」
「ありがとう」
「私が頼んだお使いで怪我をしたんだもの。このくらいはするわ。それに、弟さんが良くなるのはあなたの願いでもあるもの」
 魔女は願いを叶えるものなのよと言った彼女の言葉には邪気はなく柔らかな響きがあるだけだ。


3.
 そのまま数日、ライアは眠り続けるレイジュを看病しながら魔女と共に小屋で過ごした。
 程なくして身体を動かしても良いほどにレイジュは回復したが、意識はまだ戻らず眠ったままだ。
「もう動かしても大丈夫ね。後はあなたたちのおうちで休ませてあげてちょうだい」
「そうするわ」
 魔女のその言葉にライアは彼女にも手伝ってもらいながらレイジュをそっと運び、外に出ると召還した多くの鳥たちの背に乗せた。
「まぁ、素敵」
 ベッドのように固まっている鳥たちの姿に無邪気にそう言った魔女に対し、ライアは礼をするとレイジュを連れて蝙蝠の城へとようやく戻ることができた。
 レイジュが出て行ってからひどく長い時間が経ってしまったような気がする。しかも、レイジュの意識はいまだ戻っていない。
「こんなになるまで無茶なんかして」
 そう言ったライアの言葉にもレイジュは返事をすることもなく眠り続けている。
 そのまま、必要なものだけを取りに行く以外はライアは付きっ切りでレイジュの看病を続けた。目が覚めたとき、その場に自分がいることをレイジュに確かめさせたかった。
 そんな日が、数日続いた。
 短いようで長い看護が続いた晩、ベッドの傍らに座りレイジュの手を握りながら看護をしていたライアの手をレイジュのそれがそっと握り返してきた。
 その感覚に慌てて顔を上げれば、何処か不機嫌そうなレイジュの顔がある。
「……随分疲れた顔してるぞ」
 ぶっきらぼうなレイジュの声に、しかしライアはようやく安堵したように息を吐き、その手を強く握り締めた。
「あなたが心配だったんだもの。人を助けるのもいいけど、人を心配させては駄目よ」
 そう言った自分の声がこの数日の間に積もった不安から解き放たれてかかすかに震えていることにライアは気付いたがそれを抑えることもできなかった。
「バレンタインに渡すつもりで作ったのに、あなたがこんなになっていたからいままで渡せなかったじゃない」
 ベッドの傍らにはレイジュが出かけた日、渡すつもりで作りすっかりしけってしまったクッキーの入った袋がある。それを見たとき、ようやくレイジュの顔に僅かだが笑みが浮かんだ。
「僕はもう大人だ。いつまでも子供扱いするな」
 ライアがそれに何かを言い返す前にレイジュは言葉を続ける。
「それより、自分の心配をしたらどうだ」
 言いながらレイジュもライアに負けまいとするように手を握り、そのままふたりは顔を見合わせると互いに微笑んだ。