<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


わかりにくいもの

 それは、仕事が無事に終わったことの報告を酒場にしてきた、帰りだった。
 いつも通る道。そこで何やら騒いでいる女性がいるのが見えた。作ります、と言っているのが聞こえると、その「作る」という単語に興味を引かれた。
 彼に気づいた彼女が手渡してくれたチラシに、目を通す。内容を把握した瞬間、彼は目の色を変えて、次の通行人へチラシを渡しに行こうとした女性の腕を掴んでいた。
「‥‥頼む」
「え」
 言葉少ない彼だから、言わんとしていることが伝わりにくかったようだ。彼女は聞き返してきた。だが彼を邪険に扱うというのではない。彼の――松浪心語の青い瞳を、じっと覗き込んでいる。
「‥‥この、チラシにあるものを‥‥作ってほしい」
 女性はにっこり笑って頷くと、自分の名はエルザだと教えてくれた。

 ◆

「‥‥‥‥」
「ん? これが気になる?」
 針の頭にあいた、小さな穴。エルザはそこに細い糸を通していく。するりと通り抜けたその糸の片端を指先で掴み、器用に巻いて、こぶのような物を作る。
「針に糸を通して、縫い物をするのはわかるかな。重ねた布にただ針を刺していくだけじゃ、結局、糸は抜けちゃうでしょ? これは糸が布から抜けないようにするための、留め具の代わりかな」
 場所は既にエルザの工房へと移っていた。居間で名前や年齢、性別などの簡単なアンケートに回答した後、作業室でさっそく『ちま』作りが始まった。
 職人というものは往々にして、自身の作業室に自分以外を入れたがらない。頑固親父と呼ばれるレベルではないにしろ、エルザにもそういった面はある。しかしそれは決して他人を尊重していないからではなく、作業室という空間が彼女にとって最も神聖なもののひとつであるからだ。
 では何故そんな大事な部屋に、彼女が心語を通したのか。
 答えは簡単。心語が作業に多大なる興味を示したからだ。自分のしていることに興味を示されると、結構嬉しくなってしまうものではないだろうか。
「‥‥‥‥肌の、色、か?」
「そうだよ。キミのお肌は、綺麗な小麦色だもんねー」
 今は型どおりに切り抜いた二枚の布を縫って素体を作る肯定にあるのだが、その布の色が、アンケート回答時にお茶を出してくれた『ちま』とは明らかに違っていた。
 エルザがモデルである自分の肌の色になるべく近い色の布を選定しているのだとわかり、心語はほぅ、と息を吐いた。
「『ちま』は、もうひとりのキミになる。キミの鏡になってくれる。だからとことん、そっくりさんに仕上げるんだよ」
 一部を縫わずに残し、そこから綿を詰めていく。綿の量の調整もこだわりどころだ、とエルザは言う。少なすぎると、ふかふか感が出ない。かといって詰めすぎると、今度は固く感じられてしまう。適度な量を見極めるには、試行錯誤と長年のカンが必要らしい。
「腕、触らせてもらってもいいかな?」
「‥‥あ‥‥ああ‥‥」
「ありがとう♪ ――んん、いい体してるねえ。ムキムキ過ぎない筋肉って、あたし、好きだな」
「‥‥‥‥‥‥」
「あれ、照れちゃった?」
「‥‥‥‥別に‥‥」
「そっかそっか。うーん、これだけいい筋肉を表現しない手はないよね。ほんの少しだけ、固めにしておこうかな」
 綿をちぎっては詰め、詰めてはちぎるエルザの横で、心語はふと、周囲を見渡してみた。
 広くない。天井もあまり高くない。反面、物は多い。溢れている。布。糸。針。ハサミ。綿のカタマリ。棚いっぱいに並んだ、『ちま』ではない、普通の人形達。他にも、心語では名前のわからないものも沢山ある。
 名前のわかるものですら、うまく扱えるかどうか、自信はない。作るための道具というものが、戦のために生み出された種である彼には縁遠いものであるからだ。戦うことに関係のない技術や、そもそもそういったものに関する文化がなかったのだ。先ほど使い方を見たばかりの針と糸とて、至極単純な作業の連続であれど、彼女のようにうまくできるかとなるとまた別の話である。
「‥‥っ!」
「ひゃぁっ」
 こうして、視界に入った影を素早く振り払うことは、とても簡単にできるのに。
「あ、ご、ごめん。気に触ったかな」
 影は、エルザが心語の頭に向けて伸ばしてきた腕だった。指先に銀色の糸束を引っ掛けている。
「‥‥‥‥何だ?」
「髪の色を決めたくて。銀色の髪って個人差が大きいからさ。ごめんね、先に声をかければよかったね」
 次に取り出された糸束も、ぱっと見た感じでは先の糸束と全く同じ銀色だった。何が違うのかと尋ねようとしたくらいだ。だがエルザはそれより早く、窓から差し込んでいる陽光にふたつの糸束をかざした。
 陽光の中で、先の糸束は赤みがかった銀色、ふたつ目の糸束は青みがかった銀色に、煌めいていた。
「‥‥違うのだな‥‥同じように見えたのに‥‥」
「でしょ? んーと、キミの髪に近いのはこっちの青っぽいほうかな」
 使う糸束が決まったら、今度は適当な長さに切ったそれを素体の頭に縫い付ける。本人のつむじの位置を確認して、同様の位置に縫い付けるのがポイントだ。櫛も使って流れを整えた後、今度はハサミで長さを調節していく。
 陽の透け具合まで調節されて染められた糸が、心語には不思議でならなかった。どうやったらそんな色の糸が出来上がるのか、想像もつかない。
 ――きゅるるるるるぅ‥‥
 エルザの手の動きを熱心に目で追う心語の耳に、突如、気の抜ける音が飛び込んできた。しかもその音の発生源は、他ならないエルザの腹部だった。
「あはは、お恥ずかしい」
「‥‥腹が、減ったのか‥‥?」
「あー、うん、まあ、そういうことだよね」
 照れくさそうに頭をかくエルザ。頬がほんのりと紅潮している。
 心語はすっくと立ち上がった。
「‥‥‥‥食事の用意はしておく‥‥」
 そのまますたすたと部屋から出て行った。エルザが声をかける隙もなく。

 ◆

 湯気とよい香りの沸き立つ皿に乗っていたのは、綺麗に捌かれた兎肉の丸焼き香草乗せ。それは見事にエルザの空腹を刺激した。
「お、い、し、いぃぃぃぃ〜っ」
「‥‥そうか‥‥なら、よかった‥‥」
 先に述べたとおり、心語は何かを作るという文化に馴染みが薄い。だが食事は生きることに直結するため、戦場において困らない程度には、料理ができる。今目の前にある兎も、心語が捕まえてきたものだ。
 香草はあくまでも肉の臭みを消すためのもの。味付けもこれ以上ないほどに単純である。だが逆に、それが素材の味を引き立てているのが、理屈でなく舌と胃袋で理解できる。
「よーしっ! もうひとふんばりしてきますかっ」
 結構な大きさの兎肉をあっという間に平らげてしまったエルザは、食後の茶もそこそこに、気合を入れて立ち上がった。これからいよいよ正念場だという。
 彼女が漂わせた雰囲気から、もはや自分が割り込めない域に入っていることを、心語は察した。
「‥‥掃除、してもいいだろうか‥‥」
 唐突な提案をした彼の視線の先には、作業室に入りきらなかったのであろう、部屋の隅にうず高く詰まれた人形の素材各種があった。とにかく量がとんでもない。
 中にはガラクタかゴミにしか見えないものもあるが、それでもエルザには大事なもののはず。勝手には動かせないと心語は彼女に許可を求めたのだ。
「掃除までしてくれるの?」
「‥‥‥‥俺は‥‥豊かではないから‥‥人形の代金‥‥‥‥足りない分は、働かせてもらう‥‥」
「‥‥そっか」
 『ちま』はただの人形ではない。材料費は仕方ないとしても、それなりに値は張る。チラシに書いてあった。
「なら、こっちも遠慮はしないよ! ばんばん片付けちゃってね! あ、種類別にしてくれると助かるなぁ。何かわからないことがあったら、ちまままに聞いてくれればいいから」
 工房全体の様子からしてエルザも裕福ではなさそうなのに、笑顔でそう応えた。それが心語にはありがたかった。
 食器を下げて戻ってきたちまままをエルザから受け取り、作業室に消えようとする背中を見送る。けれど彼女はぴたっと歩みを止めると、振り向き、こう尋ねてきた。
「そういえば、なんで『ちま』がほしいって思ったの?」
 自分の分身をほしがるような人には、大抵、何かしらの理由がある。彼女はそれを心語に問うていた。
「‥‥兄がいる‥‥」
 茶色の瞳で見つめられているというのに、相変わらず心語は表情に乏しい。声色もほとんど変化ない。
 しかし、わずかに――本当にわずかだが、それまでとは何かが違っていた。
「‥‥時々、俺の家に遊びに来るんだが‥‥俺は、仕事や冒険で‥‥長い間、家を空けることが多い。‥‥尋ねてきたのに俺がいなかったら‥‥多分‥‥きっと‥‥寂しい思いをさせる‥‥」
「お留守番、してもらうんだね」
「そのつもりだ‥‥」
「OK、OK。腕によりをかけるから、楽しみに待っててね」
 もう一度、満面の笑みを浮かべてから、今度こそエルザは作業室へと入っていった。

 ◆

 閉ざされた扉の向こうからは、時折、かすかに物音が聞こえるのみ。何をしているのかは不明。それでも彼女が一生懸命に自分の『ちま』を作ってくれているのは揺るぎない事実であり、自分はそれに報いなければならない。
 そう判断した心語は、ちまままから助言を受けつつ、自分も一生懸命になって山を片付けた。
 とにかく時間がかかった。終了したことで我に返ったら、空が既に白んでいたほどだ。
 眠かった。疲労感もあった。けれどやはり、エルザのほうはどうなっているのかが気になった。
「‥‥!」
 キィ、と蝶番のきしむ音。こちらも疲れた顔で、エルザが現れた。
 生まれたばかりの『ちま』を両手で抱いている。銀の髪、顔や体についた傷、身長ほどもある長剣。
 その『ちま』はぱちっと目を開けると、エルザの手から飛び降りた。てちてちと歩いて、心語に近づく。
「まつなみしんごという‥‥よろしく頼む‥‥」
 そして、頭を下げた。
「どうかな? キミに似てる?」
 エルザの声も聞こえているのかいないのか、心語としんごはお互いの姿をまじまじと眺めている。どんどん、ますます仏頂面になりながら。
 それが彼、いや、彼らの、喜びの表情だった。

「‥‥ありがとう」
 小さな、それでいてはっきりとした、でもぶっきらぼうな物言いで礼を述べ、心語は工房を去っていった。
 彼と同じ姿をしたしんごと並んで。
 兄にお披露目するために。





===== 登場人物(この物語に登場した人物+αの一覧) =====
【3434/松浪・心語/男性/12歳(実年齢18歳)/傭兵】
【NPC/エルザ・パティシア/女性/26歳/人形師】
【NPC/ちままま/ちま】

===== ライター通信 =====
まずは、発注いただき、ありがとうございました。
お待たせしてしまいまして申し訳ありませんでした。

心語君はお兄さんが本当に大切で、大好きなんですね。
お兄さんの寂しさが『ちま』で紛らわせられることを願います。

また機会がありましたら、どうぞよろしくお願いいたします(礼)