<東京怪談ノベル(シングル)>


●足の裏と岩と男たちと


 運命だ。
 ガイは足を止めた。体に電撃が走ったように痺れが生じる。
 ガイの視線は壁の張り紙を直視している。張り紙に書かれているのは採石場でのバイト募集だ。仕事はきついが高給で住み込み可能だと記載されている。
 夢のようだった。ガイは瞳を輝かせて張り紙を見つめ続ける。
 仕事がきつい? 何てことはない。
 採石場は汚い? そんなことはない、透き通る水のように綺麗だ。
 作業が危険? 頑強な肉体を持つガイに無縁な言葉である。
 まったく、問題ない。三秒でガイは結論づけた。
 ここで働こう。
 ちょうど今、時間がある。同時に路銀が少なくなっているため、ここで働いて金を稼いでおくのも悪くはない。
 完璧だ。天才だ。良い考えに我ながら惚れ惚れする。
 ガイは満面の笑顔を浮かべて、張り紙を凝視して、今すぐにでも申し込もうとして。


 目が覚めた。
 夢だったようだ。
 強烈な異臭がする。普通の人間ならば顔をしかめるところだが、ガイは平気だった。
 問題はない。
 大きな足の裏がそこにあった。男たちが埋もれるようにして寝転がっている。並べられた多くの足の裏がガイの眼前に存在していた。
 すえたような匂いだが、ガイはものともしない。平然とした様子で身を起こした。
 良い夢を見た、と首を回した。
 ここは採石場で、ガイがいるのは、採石場で働く労働者たちが寝泊りしている場所だ。ガイはすし詰め状態で寝そべっている男たちを横にして、ゆっくりと立ち上がりながら、何故ここで自分が働いているのか回想した。
 街の壁に貼り付けてあった募集要項の紙を見て、採石場のバイトに申し込んだのだのだった。どうやら、張り紙を見たときの感動を、そのまま夢で見てしまったようだ。
 仕方ない。それだけ、ここのバイトはガイにとって運命だったのだ。
 まだ朝は来ていない。一人だけ早く目覚めてしまったようだ。ガイは軽く体を動かしながら周囲を見渡す。裸同然の男たちが喧しいいびきをたてながら深い眠りについている。
 ガイにとって誇りに思えるほどの屈強な男たちだ。ここほど良い職場はないだろうと考える。
 同僚はいい奴らばかりで、働き甲斐がある。
 ガイが目覚めた気配に気付いたのか、数人の男たちが小さく身動ぎをして目を覚ました。
「おお、ガイじゃないか」
「さすがに早すぎるだろう。まだおてんとさんも上がってないぜ」
 男たちが目をこすりながら、ガイに声をかけていく。
「いや、すまん、すまん! 起こすつもりはなかった。しかし、眠りが浅いな」
 ガイがそう告げると、男たちは互いに顔を見合わせて大声で笑った。
「眠りが浅いんじゃねえ、ガイの気配が濃いのさ」
「体臭もな、濃いのさ」
「おいおい、それをおまえたちが言うのか」
 ガイが笑顔で言うと、男たちも豪快に笑う。
「ちげえねぇ」
「違いない!」
 ガイと男たちはともに肩を大きく揺らした。
 まったく良い目覚めだ。
 大好きな同僚に笑顔に囲まれて、目が覚める。
 これを幸福といわず、何を幸福というのだろうか。


 炎天下、強く太陽が地面を焼け付くように照らしつける中、ガイは石材を運んでいた。普通の量ではない。周囲の石を運んでいる労働者たちと比べて、その差は歴然だ。
 巨大な石はガイの身長の何倍もあった。
「さすがだ、ガイ」
「こりゃー誰にも真似できねぇなあ」
 ガイの周囲に人だかりができる。
「おいおい、この程度、たいしたことないぞ」
 ガイがそう言うと、男たちが苦笑した。
「そりゃ、ガイだったらな」
「ガイみたいに、筋肉鍛えてえなあ」
「それ以上、鍛えてどうするよ! あれはガイだから許されるんだよ! 両足、素足だぞ? 腰布だけだぞ? この日差しの中、さすがだというべきか……」
「おい、まったく、おまえらときたら、さぼってないでさっさと働いたらどうだ」
 ガイが笑いながら冗談を告げると、男たちも笑い声を上げた。
「ガイが仕事をとるから、こっちとしちゃおまんま食い下げよ」
「ちげえねえ」
「おまえら、まったく……」
 彼らの言葉ひとつひとつが温かい。まったく良い職場だとつくづく感じとる。
「おーい、ちょっとこっちに来てくれ」
 声が上がった。
 ガイの周囲に集っていた人だかりが、一斉に声のしたほうへと体を向ける。
 声に焦りの色が見える。労働者たちはゆっくりと声のしたほうへと近づいていく。ガイもその後ろを追った。
 崩れた崖から、巨大な岩石が顔を覗かせていた。このままでは作業の邪魔にもなってしまう。労働者たちが困惑した様子を見せていると。
「俺に任せてくれないか」
 ガイが告げた。
 周囲が騒然とする。
「幾らなんでもガイには無理だろう」
「そうだ、今、ガイが手にしている岩なんか目じゃない。そこらの山よりもでかいかもしれん」
「確かに」
 ガイは額に浮かんでいた汗を手で拭い取る。
 深く息を吸い込み、ゆっくりとした調子で告げた。
「だが、今はおまえらがいる」
 ガイは今、持っていた岩を投げた。
「おまえたちと、この場で築き上げた絆がある!」
 ガイは腕を掲げた。刹那、腕輪が輝く。ミノタウロスの腕輪だ。
 ガイの体が強い熱を帯びる。極限まで高められた緊張感と肉体能力が一気に解放された。
「我が力、我が筋肉、我が汗、我が肉体、その全て、ここに極めり!」
 ガイが叫び、ガイの腕の筋肉が盛り上がる。
 大きな腕を持って、ガイが巨大な岩を持ち上げた。
 周囲から歓声が上がる。
 ガイの背中が、巨大な岩が遠ざかっていく。
 岩を持ち上げたまま、ガイが立ち去っていく。


 労働者たちは畏敬を込めた眼差しで、彼が去るのを見つめ続けていた。
 彼の背中が小さくなる。
「ところで」
 男の一人が呟いた。
「ガイはどこまで行くつもりなんだ?」
 そこには、歩みを止めないガイの姿があった。