<東京怪談ノベル(シングル)>
凛々しきウインダーの悩み
蝙蝠の城――
それはあくまでも通称で、本来の城名で呼ぶ者は誰もいない。
そう、この城の城主が蝙蝠のウインダーであるというだけの理由で、蝙蝠の城と呼ばれている場所だ。
(ここが僕の城となってから、もう……5年か……)
レイジュ・ウィナードは城の最上部に立ち、わずかに吹く風に吹かれながら物思いにふけっていた。
うっそうとした森の奥にある、薄暗く、確かに蝙蝠にはぴったりの城。
けれど前当主だった両親は、蝙蝠だったわけではない。
――眼前に見えるのは、緑の葉をつけた木々。背の高い木々は城の高さとほぼ同じだ。だからこの城では、ここまで出てこないと空が見えなかった。
あいにく今日は暗い雲が、ゆっくりと空を流れている。
(父上と母上は……どんな気持ちでこの城を統率していたのだろうか……)
うつろに思う。
彼の両親は、5年前に月の魔女と呼ばれる存在に魂を奪われた。
そして自分も――
胸に手を押し付ける。
自分も、呪われた。
胸に焼けたような月の印。
満月になればその印から蟲が湧き、レイジュの肉体に潜りこんでは暴れ、全身の血を吸いだす。
あの気持ちの悪い感覚。おぞましい呪い。毎月、毎月、満月が恐ろしい。
最近では――満月ではない日さえも、幻覚を見るようになった――
両親の魂も、自分の呪いも。
いつかはすべて清算するつもりでいる。
そのために禁呪まで身につけた。姉に内緒で自分の力の増幅をはかった。
明るい笑顔で自分に光をもたらしてくれる姉のためにも、自分は戦わなくてはいけないと思っていた。
月の魔女。許す気はない。
必ず、両親の魂を取り戻す。
そして自分も、この憎い呪いから解放される――
それは、すべて自分の、使命だ。
目に映る森の木々はざわざわとさざめいて、不穏な空気を流している。
まるで自分の心のようだと、レイジュは苦笑する。
そう、いつも自分は落ち着かない。心のどこかに小さな鉛が落ちていて。ごろごろと転がっている。
両親を救えば、この心地悪さから解放されるのだろうか。
自分たちの未来に幸福はあるのか――
森はざわりと揺れ、レイジュの心に触れていく。流れる黒い雲はまるでレイジュの心に吸い込まれそうで。
落ち着かない心はどこまでも硬く、触れられると痛かった。
レイジュの唇からひとつ、吐息。
空を見上げる。曇天だった空が、晴れようとしている。この先はいい天気になりそうだ。
彼は身を翻した。と――
目の前に。
いつの間にか、数人の人影があった。
「!?」
レイジュは身構えた。まったく気づかなかった。いつの間に背後にいた――
窓から入り込む陽光が、相手の姿を照らし出す。そして、
レイジュは固まった。
股間に葉っぱ一枚のみ身につけて。
筋肉むきむきマッチョマン。
背中から生える白い翼が異様にまぶしい。
彼らの決め技、もちろんびしっとむきっとポージング。
ああ、肌に塗ったワックスがきらりと艶めいている。
「………」
レイジュは目を閉じた。こめかみを人差し指で叩いた。
それから瞼を上げ、視線を下に下ろしたまま、無言でマッチョウインダーたちの横をすり抜け、その場を立ち去ろうとした。
しかしそれは叶わなかった。
ずざざざっと物凄い素早く動きでマッチョウインダーたちが動き、レイジュを取り囲む。
レイジュはたまらず声を上げた。
「何なんだお前たちは! いつの間にこの城に入ってきた!」
「レイジュ・ウィナード殿」
ちょび髭までたくわえた1人のマッチョウインダーが、声高に言った。
「我々は有翼人種の国の者。同じく有翼人であるあなたを迎えにきたのである……!」
「ゆ、有翼人種の国……?」
「その名もウインダーランド!」
そのまんまだ、というつっこみはする気も起きなかった。
「さあ、あなたも立派なウインダー。ウインダーランドへレッツゴー……!」
レイジュは思わず想像した。ウインダーランド。有翼人がたくさんいる……のはいいが、目の前のマッチョマンたちは何だ?
マッチョウインダーだらけ。
右を見ても左を見ても、前を見ても後ろを見てもマッチョマン。
さあ今朝も華麗なるポージングから始めよう。ああワックスが朝陽を反射させて、ぴかぴかとてらてらと美しい。
昼の鐘が鳴った。さあ昼の礼拝ならぬポージングの時間。揃ってむきっと筋肉見せて。
夕飯の時間だ。みんなお別れ、むきっとポージングでさよならのご挨拶。
そして寝る前、きりっむきっと鏡の前でポージング、そして自分におやすみなさい。
そう、我々はマッチョウインダー。
暑苦しい毎日を送る、ウインダーランドの住人である。
「……というわけで、レイジュ殿もぜひ我らが国へ」
「断る」
即答した。
死んでもそんな国行きたくない。
しかしちょび髭ウインダーはむきっとポーズを変え、にやりと笑った。
「あなたの姉君はすでにいらしている……!」
「な……!?」
思い出すのは美しい赤い髪をたなびかせ、純白の白鳥の翼を持つ姉の姿。
あの姉が、先に行っている!?
確かに面白いことは大好きな姉だけれど……
「………。わ、分かった」
マッチョマンに囲まれて困っているのではないだろうか。心配になった。物凄く心配だった。むさいむさいむさいと騒いでいそうだ。
マッチョマンたちにむさいと言ってはいけない。彼らはこれが誇りなのだ。
姉を止めなくては。おそらく魔力でマッチョマンたちをぶっ飛ばしまくっているに違いない。そう思ったら爽快――ではなく焦燥感。
「お前たちのために行こう」
レイジュは胸がつぶれそうな気分になりながらも、そう言った。
ちょび髭マッチョウインダーがきらんと目を光らせた。
次の瞬間、がしっとレイジュは四肢をマッチョマンたちにつかまれ、固められた。
「ちょ、ちょっと待て! 僕だって翼があるんだ、飛んでいける――!」
「いえいえあなたは初めて我が国にくるのだ。特別な待遇でご招待しよう……!」
「そんな暑苦しい歓迎はいらん! 放せ、放せーーー!」
暴れようにも腕力はマッチョマンたちの方が遥かに上。
レイジュは両手両足を担ぎあげられ、えっほ、えっほと運ばれる。
空を。
運がいいのか悪いのか。暗い雲が去った後の空は最近でも珍しいほど素晴らしい晴天。太陽はとてもとてもまぶしくて、仰向けに担がれているレイジュの目にしみた。
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ウインダーランドにたどりつくと、えっほ、えっほとマッチョマンたちはレイジュを降ろした。
「……どこだ、ここは」
「もちろんウインダーランドである!」
「それは分かっているが……」
古風な街並みだった。空をかなり上へ上へと上がってきた記憶があるから、おそらく浮遊大陸かなにかの上にあるのだろうが――思ったよりしっかりした街だ。
道行く人々は当たり前だが有翼人。
ああ、きらきらてらてらと輝くマッチョウインダーばかり。
なまじ太陽に近くなっただけに、ワックスの反射っぷりがたまらない。
レイジュはくらあとめまいを起こした。だが、必死で意識をたもった。ああこれなら姉が暴れていてもおかしくない。早く姉と共に帰らなくては――
「姉はどこだ」
レイジュはちょび髭マッチョに訊く。
ちょび髭マッチョは相変わらずポージングしながら、「さあて」と含み笑いをした。
「どこにいる」
「お探しになってはどうだ?」
「く……っ」
お前たちのためだというのに、という言葉を呑みこみ、レイジュは走り出した。
街はとても道幅が広く、走りやすい。人口数も少ないので、人とぶつかることもなかった。
きれいな街なみだ。こんな時、こんなことでなければ観光したいところである。
しかしそんな場合じゃない。レイジュは一心に姉を探した。
だが、それだけに――
目立つはずの姉の姿が、中々見つからない。
大声で名前を呼びながら探した。超音波を駆使して探した。
見つからない。
――それほど大きな都市ではない。2時間ほど走ると元の位置に戻ってきてしまった。
レイジュをここへつれてきた連中はまだそこにいて、無意味にポージング研究をしていた。むきっ。むきっ。ああワックスがてらてらてら。
――いけない。ここで背中を向けては。
レイジュは大きく息を吸った。
「おい」
思い切って声をかける。
マッチョマンたちは一斉に振り向き、むきっとポーズを取った。
「姉が見つからない。どういうことだ」
険しい声で言うと、ちょび髭がにっと笑った。白い歯がきらりんと光った。
その瞬間、レイジュは悟った。
「騙したな……!」
最初から来ていないのだ、姉は。
おかしいと思った。来ていたら、きっとどこかで爆発が……いやいや。
マッチョマンたちは知らん顔してポージング。レイジュはすうと息を吸った。思い切り、衝撃波を放とうとして――
「お前たち、道を開けろ!」
突然かかった声にがくっと勢いを殺がれた。
マッチョマンたちがはっとして、ざざざっと素早く道の端へと移動する。
「………?」
レイジュが振り向くと、籠をかついだマッチョウインダーたちが道を通ろうとしていた。
籠を持っていたマッチョが、突っ立っているレイジュをにらみつける。
「どけ。女王様のお通りだ」
「女王……?」
眉をひそめたレイジュの前で、籠の小窓が開いた。
「何の騒ぎですの」
切れ長の目がのぞいた。金色に光る目だ。その瞳がレイジュをとらえて――
きらん、と輝いた。
「籠を下ろしなさい」
「女王様?」
「籠をおろしなさいと言っているのですわ」
マッチョマンたちが怪訝そうな顔をしながら籠をそっと地面におろす。
「籠をお開け」
「女王様――」
「言うことをお聞き!」
金切り声。レイジュは耳をふさぐ。
マッチョマンウインダーの1人が、慌てて籠の戸を開けた。
中から――
見事な、
輝く黄金の翼を持つ、華やかな女性が、姿を現した。
レイジュより少し歳上だろうか。現れるなり――
「おーほほほほほほほ! 平伏しなさいそこのあなた!」
レイジュをびしっと指して、高笑いをかました。
「……何だあなたは」
レイジュは呆れて腕を組む。
「ひかえろ貴様! 女王様の御前である!」
マッチョウインダーがごんと両の拳を打ち付ける。
「おーほほほほほ、まあいいわ。あなた、そうそこのあなたよ」
目の前にいるのにわざわざ強調して言う女王は、扇をひらひら振りながら、言った。
「気に入ったわ。我が夫になりなさい」
レイジュの目が点になった。
「……は?」
「夫よ。夫。私と結婚なさい」
「…………は?」
女王様! と周りのマッチョたちが色めき立つが、女王は扇で払って無視した。
「もうマッチョには飽きてよ。あなたのような若く凛々しいウインダーを求めていたところだわ……!」
「……ええと……」
「おーほほほほほほ! 否とは言わせなくてよ!」
「断る」
………
沈黙が落ちた。
女王の扇がぱらりと手から離れ、悲しく地面とご挨拶。
「……私と結婚すれば、この国の王となれてよ?」
少しだけ勢いを失った女王が、すがるように言う。
「こんな国いらん」
レイジュは吐き捨てた。
こんな――筋肉むきむき――ワックスてらてら――ポージングきめることが毎日のすべて、な国民を抱えたくもない。
「もう疲れた。城へ帰してくれ」
自分で帰ろうにも、どこをどう来たのか分からない。レイジュは懇願にも似た声を出した。
「――ふ、ふん」
女王は、マッチョウインダーが拾った扇を奪い取り、広げて口元を隠すとそっぽを向いた。
「そう簡単には帰さなくてよ」
「どうすれば?」
「そうねえ……」
意地悪く、ちらとレイジュを見て、
「……天使長に勝ったら、考えてあげなくもないわ」
場所は、大きな円状の観客席がついた、天井のない古代コロッセオのような闘技場。
その、中央にて。
対、天使長――
歳の頃三十歳ほど。股間に、黄金の葉を一枚つけただけの姿に、大きな鳥の純白の翼。
いやに翼が美しく、それだけにマッチョマンな部分が異様すぎてレイジュはわずかにひるんだ。
「女王に無礼を働いたそうだな」
天使長は鋭い眼光を飛ばしてくる。――ポージングしながら。
「後悔させてくれるわ……!」
レフェリー役のマッチョウインダーが、笛を鳴らす。戦いの始まり――
「とおおおおおう!」
躍りかかってきた天使長の、
……黄金の葉がついた部分を、レイジュは蹴り上げた。
音は、しなかった。
けれど――きっと脳天に雷撃が落ちたようなショックを、天使長に与えたに違いなかった。
「のおおおおおおおおおお!!!」
悲鳴をあげて、天使長は地面に転がりのた打ち回った。股間を押さえてごろごろごろごろ。
レフェリー役のマッチョまで、股間を隠した。いやんというところか。
「……勝ったぞ」
レイジュは賓客席の女王を見やる。
女王は呆然としていた。当然と言えば当然か――
かくして、レイジュは蝙蝠の城へと帰してもらえることになった。
マッチョウインダーたちは、今度はレイジュをかつごうとはしなかった。みんなよそよそしい。
レイジュはひそかに天使長を心配した。どれくらい苦しむだろうか。
同じ男性として、罪悪感は禁じえない。
――帰途についたレイジュの背中を、金きり声が追いかけてきた。
「私はまだ諦めていないですわよ!」
その声は大空を渡って、白い雲を揺らしそうな勢いで響いていた。
<了>
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