<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


のどかな休日!? - 黎明の銀河 -



 フィアノの家に住む二人は昼食後に紅茶一杯を喉に流し込んでいた。香りが全身に浸透していく。師匠の飲み物は全て素晴らしいわ――とレナが内心思った直後。
 控えめに扉をノックする音が。

 ――訪問者だ。

 キィと玄関の戸がひらく。もどかしげにゆっくりと。扉の向こうで栗色の髪が動いた。
 子供だ。白く滑らかな肌にそよ風でさらさらと流れる髪。前髪の間から翠色の瞳が覗いていた。
 この辺りでは見かけない顔。レナは少年と同じ目線になるよう、目の前でしゃがんだ。
「どうしたの?」
「みちにまよっちゃったの……」
 心細くて不安で押し潰されそうな声。
 そう、とレナは答え、ふと見ると。膝にはまだ真新しい擦り剥け傷。血の息遣いが聴こえてきそうなほど、土と混ざった紅色がじわりと肌から染み出している。
「きみ、痛いでしょう」
 自分も同じ程度の傷を負ったように、悲痛な表情を浮かべる。
「そこでころんじゃった……」
 今にも泣き出しそうだ。瞳の泉がゆらゆらと揺らめく。
「よくここまで頑張ったね。手当てしよっか。ボク、こっちへ」
 レナは手を差し出す。
「……え?」
 少年ははっとした。
「なに?」
「ボクのこと、男の子だって――」
「え、男の子じゃないの?」
 レナは首を傾げる。けれど少年は「男の子だよ!」と声を張った。
「……でも、いつもは……間違えられるんだ」
 しゅんと肩を落とす。ずっと幾度となく小さな体で訂正してきたのだろう。その度に心の傷が増えていく。思わずレナは少年の体を抱きしめる。
「え……え?」
 戸惑う様子が声に漏れた。レナは微かに微笑む。
 腕を離すと少年を間近で見つめて。くりくりした緑の瞳に同じ色の瞳がかち合う。鏡のように。
「名前は?」
「あ、うん。ファン・ゾーモンセンだよ」
「ファンね。私はレナ・ラリズ」
 少年に説明し始めた。なぜ男の子だと分かったのかを。
 レナは風の他に言霊を扱う。意識的に言葉を音に乗せると魔法を帯びる。まだ見習いで今は出来ないが、ゆくゆくは相手の精神を破壊することもできると師匠に教えられていた。非常に危険な魔法だ。師匠がそばにいなければ使えず修行もできない。だが言霊のおかげで声音には敏感になってしまった。ファンの外見が女の子でも、声には僅かに真実が混じる。だからこそレナは男の子だと気づいた。

 ファンは嬉しかった。男の子だと気づいてくれた人は初めてかもしれない。小さなことだけど、今まで女の子だと間違えられてばかりで落ち込んでいたところもあった。それがやっと男の子だと最初に気づいてくれた人が現れたのだ。嬉しくて心が跳ねてしまいそう。満面の笑みが自然と溢れ出てくる。傷にしみる薬なんて気にならなかった。



 治療が終わり、レナの師匠であるサーディスは椅子に腰掛け向かいあったファンに尋ねる。
「道に迷ったとおっしゃってましたね。村の入口まで送りましょう。それとも聖都エルザードまでがいいでしょうか?」
 フィアノの家から聖都まで一日と距離は離れていない。すぐそこだ。
 ファンはしばらく考え込んで、聖都に、と頼んだ。
「ごめんなさい……」
「構いませんよ。しかし……何か、あったのですか?」
 びくっと子供の肩が震える。
「怪我をしてしまったのは急いでいたからでは?」
 好奇心で聞いているわけではない。もし少年が何かに困っているのなら助けたいからだ。
 少年自身、迷っていた。思い出せば思い出すほど、全身に縫いとめられた恐怖が蘇る。だが無理強いはしない、という優しい声音と微笑みはファンの心の鎖をほどいていった。

 ファンは聖都を出た後、運悪く悪名高い盗賊とばったり出会ってしまった。その盗賊は数名だったが、一人の肩に小さな子供猿が乗っていた。その猿は人の生き血が好きという噂があり、猿の方が有名な地方もある。ファンも人伝で知っていた。今まさに聖都で聞きかじってきたところだ。
 獰猛な猿から、盗賊から必死で逃げた。幻で攻撃をかわす魔法、ミラーイメージで隙をつき、飛行魔法で距離を稼いだ。
 そんな時、村が見えてがむしゃらに飛び込む。いつのまにか村の先の森でさ迷っていたら、家に辿りつき二人と会ったのだった。

 途切れ途切れで全てをファンは話し終える。まるで口から恐怖の糸が去っていくように体が軽くなる。
「そうでしたか、怖い思いをしましたね。今、エルザードに行けば盗賊が待ち伏せしているかもしれません」
 少年は小柄な体を腕に包む。
 サーディスは顎に手を添えて考え込んだ。少年のためにどうしたらいいのかと。ファンの後ろで控えていたレナに顔を向ける。その瞳には同じ考えが浮かんでいた。
「……この家で、一泊していきませんか?」
 唐突なそれにさっと顔を上げる。
「いいの……?」
 申し出は嬉しい。でも二人の迷惑になるわけにもいかなくて尋ねた。
「もちろんです」
 礼を言うと、またもやレナが後ろから抱きつく。ファンの白い頬がほんのり赤色に染まった。

  *

 夜も更け森が静まり返り、世界に闇を落とす。動物も人も夢の中へと誘われているさなか。
 家の中で物音がした。サーディスは目を覚ます。
 住人を起こさないよう、人の気配が動く。こっそり玄関へ向かう足取り。魔導士は眉をひそめる。
 使い慣れた扉が遠くパタンと閉まると体を起こし、自室から足音をたてずに人影を追う。

 扉をそっと開けると、星空が空を支配していた。月の光が差し込み、夜といえども外は明るい。家と森の間に寝かせた長い丸太の上でファンが腰を下ろしていた。サーディスからは後ろ斜めからしか垣間見えない。それでも月光のおかげで表情が読みとれた。
 身につけている肩掛けカバンを膝にのせ、少年は絵本を取り出しす。ページを開かず、ただじっと表紙を眺めている。何かを思い起こしているのだろうか、とサーディスは思った。
 ファンはふっと空を見上げ、今にも地上に降り注ぎそうな満天の星を瞳に映す。月光に照らされ、物悲しいような想いが横顔に溢れながら。

 サーディスは最後まで声をかけなかった。眠れないのだろう。知らない家だからか、それともあの月の下での表情に関係するのかは分からない。
 ファンを残し、寝台へと戻った。

  *

 朝を迎え、聖都エルザードに出発した。サーディスのみファンを送ることに。レナは家で待機だ。
 途中、村に通りかかると配達に出かけるエリクとばったり遭遇する。
 一目見るなり青い瞳が丸くなった。
「し、師匠! この子は誰ですか!?」
 不躾にファンを指差し、真っ青になっている。
「ファンですよ」
 そして無言でエリクの指に手を添え下げさせた。
「ままままさか、隠し子!??」
 二人は一瞬顔を見合わせて。
「ち、ちがうよ」
「違いますよ。お客様です」
 二人同時に否定し、魔導士がにっこりと微笑む。
「へ?」
 青い瞳が二人を見比べる。髪も瞳の色も顔も似ていない。そこに気づくと次は赤くなった。全身で恥ずかしくなり、いたたまれない。「そ、そうですか。……じゃ、じゃあ!」と、そそくさと逃げ出した。
 二人は颯爽と離れる背中を見て。ぷっと吹き出す。もし、レナがこの場にいたら村中に聞こえるほどの大笑いだっただろう。
(変なおにいちゃん)
 ファンの中で結論づけられた。

  *

 道中何もなく、無事に聖都エルザードへ到着。
 どうやら盗賊たちは速やかに立ち去ったようだ。逃げた獲物を執拗に捕らえる盗賊ではなかったのか、それとも火急の用ができたのか。どちらにしてもファンの危険はもうない。魔導士はほっと息をつく。

「今日も活気がありますねえ」
 二人はエルザードを仕切る門から歩いていた。
 相変わらず人が多く、エルザードの出入りは激しい。街をみなぎる声が爆発的にふくれる。都会慣れしてなければ、すぐ人酔いしてしまうだろう。通りには店が並び、遠くに王が居住しているエルザード城が見えた。

「あ!」
 ファンが見知った後姿を見つける。人ごみの中で。
 想いが雑踏をかき分けるように、気が急く。
「お知り合いですか?」
 サーディスは誰に注目しているのか分からなかったが、知人を見かけたことだけは予測できた。もし建物であれば目線は上になるからだ。人が多くて店内を外から満足に覗きこめもできないのだから。
 だが、前方のある人物が二人の方向へ振り返った時、少年の足が止まった。
「どうしました? お知り合いでは……」
 ファンはふるふると頭を左右に振る。大事そうにカバンを包んで。
 人違いだったと小さく漏らした。それは心に悲しみの海を引き寄せる。ファンの年齢ならなおさら人が恋しい年頃だ。もしかしたら、月夜の晩に眺めていた絵本に関係あるのかもしれない――
「また会えますよ、きっと……」



 聖都エルザードの中心部に位置する噴水。憩いの場の一つ。
 もうすぐ初夏が迫ってくる。そうなれば、この噴水の周りには人が大勢集まるだろう。だが今は泉から高々と放つ水のしぶきを横目に通りすぎる人の方が多かった。
 噴水の周囲にはレンガ造りの通路が幅広くとられ、露天を出す人もいる。しかし春の心地よさに居眠りしてしまいそうだ。実際眠りこけて商品を泥棒された人もいるらしい。

 ファンと繋いでいた手を離して。
「ここでお別れです」
 少年は魔導士の服をぎゅっと握った。離れたくないというように。その小さな拳に手を添えしゃがみこみ、目線を同じ高さにする。
 柔らかく微笑み「はい」と何かを差し出す。ファンの手の平に転がったそれは、透明な玉だった。重さを感じさせず、羽のよう。
「これを差し上げます」
「え?」
 何が何だか分からずに可愛らしく首を傾げる。
「私やレナさんに会いたい時、握りしめて呪文を唱えてください。あなたが迷っても道を指し示してくれます」

 玉を空にかざして。目を凝らすと中心には薄紫、青紫、赤紫など様々な紫に渦巻く小宇宙が。光を通して、幾千万もある星たちが輝いた。

「なんで、ボクに?」
「いつでも会えるでしょう? 私やレナさんがどこにいても、ファンさんは辿りつくことが出来ます」
 朗らかな笑みで。
「一人ではありませんよ」
 ファンははっとする。孤独であることに、心が痛くなっていることにサーディスは気づいてくれたのだ。
「……ありがとう」
 涙の粒が瞳にたまって頬に伝う。

 とても嬉しかった。
 これで一生の別れではないのだと。玉を握り締めたとたん、また一歩踏み出せる気がした。

 必ず、導いてくれる光があるから――――



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■     登場人物(この物語に登場した人物の一覧)    ■
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【整理番号 // PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 0673 // ファン・ゾーモンセン / 男 / 9 / ガキんちょ

 NPC // サーディス・ルンオード / 男 / 28 / 魔導士
 NPC // レナ・ラリズ / 女 / 16 / 魔導士の卵(見習い)
 NPC // エリク・ルーベルト / 男 / 16 / 薬屋のバイト

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■             ライター通信               ■
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ファン・ゾーモンセン様、二度目の発注ありがとうございます。

逆オープニングとあったのでNPC視点で進みました。
玉は機会があれば使ってやって下さい。その時に呪文を書けたらいいなぁと思います。ちなみに、この玉はサーディスの元でいくつか存在しますが、手渡された玉はファンさんのみ使えます。
サブタイトルは二つの意味があります。「玉の名前」であること、最後の一文にかぶせてたくさんの可能性が待っていることです。


少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
リテイクなどありましたら、ご遠慮なくどうぞ。
また、どこかでお逢いできることを祈って。


水綺浬 拝