<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


私をお家に連れてって


 アルマ通りはエルザードの中心街である。
 様々な店舗が軒を連ね、珍品貴品あまねく揃い、広い通り全体が活気に満ちており――要は常に騒々しい。
 そして“騒々しい”という点において、うまい料理と看板娘ルディア、そして客たる冒険者達自身が三大名物とされる白山羊亭は群を抜いていた。

 今回の場合は――


「ただいま戻りましたぁっ」
 お得意様への配達を済ませたルディアが、いつものように元気に飛び込んできた。なにやら腕に抱えている。
「見て見て! この子! 可っ愛いでしょう!?」
 ロングコートのチワワであった。ふわふわの毛色は黒と白、うるんだ瞳とぷるぷるあんよが庇護欲をそそる。
「通りで馬車に跳ねられそうになって震えてたの! どうしよう、なにか食べるかな? ミルク? でも子犬じゃないみたいだし、ねえ、何あげたらいいと思う?」
「いや……まず下ろしてやったほうがいいんじゃないか?」
 抱きしめられて窮屈なのか、さかんに身もだえているチワワを見かね、近くにいた客が声をかける。だが興奮状態のルディアの耳には届かないようだ。やわらかな毛皮に頬ずりし、
「きっと飼主さんとはぐれたんだよ、可哀想に! あ、そうだ、迷子のわんちゃん預かってますって張り紙したほうがいいよね!?」
 とオレンジがかった金色の三つ編み頭を振りたててたそのとき、当の“わんちゃん”がくわっと牙を剥き出した。
「ええい、いい加減に放さんかこの小娘が!」
 看板娘のソプラノよりなお甲高いきんきん声が、白山羊亭をつんざいた。料理を頬張っていた者、依頼を物色していた者、馬鹿話に興じていた者、皆の視線がルディアとチワワに集中する。
「い、犬が喋った!?」
「我輩は犬ではない!」
 今度こそルディアの腕から飛び出し、傍らのテーブルにひらりと降り立つや、超小型犬は傲然と店内を見渡した。
「我が名はバロッコ! 偉大なる魔わんこである! ちなみに迷子でもない!……ちと見慣れぬ場所をあてもなく歩んでいただけのこと」
 それを迷子というんじゃないのか、と誰かが呟いたが、魔わんこはどこ吹く風で怪気炎を上げる。
「貴様らに我輩を下僕の元に送り届けるという名誉を授けてやろう。きりきり案内(あない)いたせ! ついでに饗応を受けてやらぬでもないぞ。美味なる麺を持て!」
 あまりの言いぐさに、さすがのルディアも呆れ顔だ。
「……なに、この偉そうな犬」
「だから犬ではないと申すに」
 偉そうという点は否定しないバロッコであった。



 ときならぬきんきん声の応酬に、ジェイドック・ハーヴェイの耳がぴくりと動いた。
「……何事かと思ったら……なんだ、バロッコじゃないか」
 人垣をひょいと覗き、見知った顔に苦笑する。道に迷ったあげく居丈高に食事を要求するとは、相変わらずの魔わんこ様だ。今回は傍観者に徹しようと眺めているうちに、話は段々ずれてゆく。
「馬鹿め、麺類メニューを充実させぬ食堂に明日はないわ!」
「だから! そのアベヤキとかオートーってどんな麺よ!?」
「この不勉強娘め、じだいはじゃぱねすくであるぞ!」
「……じゃぱ、ねす、く……って、なに?」
 互いの鼻がくっつかんばかりに睨み合っているチワワと看板娘に割って入ったかにみえた千獣(せんじゅ)も、あっさり巻き込まれたようだ。
「やれやれ、完全に脱線してるな」
 気がつけば、彼もまた声を掛けてしまっていた。
 まぁ、今は大した仕事もないし、一つ、つきあうか……
「迷子の話はどうなったんだ?」
「我、輩、は、断、じて!」
「ああ、いや、わかった、散歩していただけなんだな」
 カリカリと爪音を立てて地団駄を踏むバロッコを慌てて宥め、
「ただ歩き疲れたから家まで送れ、ということだろう? で、その下僕とやらの名前と人相は?」
「貴様、我輩よりも下僕に興味を抱くとは不埒千万!」
「怒るなよ。俺はただ、行き違いになった場合を考えて、ルディアにも伝えておいた方がよかろうと……」
「ふん、さようか。黒くて白くて大食らいである」
「いや、おまえのことじゃなくて」
「我輩の“どこが”大食らいか!」
「……もういい。先に外で待っててくれ」
 そうだ、こいつはこういう奴だったんだ、と今更ながら慨嘆しつつ、ジェイドックはルディアの元に向かった。メニューにケチをつけられたのがよほど頭にきたとみえ、頬を膨らませ、物凄い勢いで皿を磨いている。
「すまんが、地図を分けて貰えないか? 観光用のでも、仕事用のでも構わん。それと、もしもあいつを探しに来る奴がいたら──」
「ジェイドックさんと千獣さんが送って行ったから安心してって言えばいいんでしょ!?」
「あ、ああ。悪いが、頼む」
 なんで俺が怒られにゃならんのだ……
 後悔先に立たず、の格言を噛み締め、戸口に向かうジェイドックであった。


「遅い! 我輩、空腹で気絶寸前である」
 白山羊亭から一歩出た途端、待ち構えていたバロッコの金切り声に迎えられた。
「それだけ元気なら大丈夫だ」 
「なんぞ申したか?」
「いや別に。それより、ほれ、地図を貰ってきたぞ。こいつでおまえが迷、じゃない、散歩していた道をチェックして……ああわかった、喚くな、その前に飯なんだよな」
 ため息とともに、財布の中味を思い浮かべ計算するジェイドックに、
「大、丈夫……私、も……」
 持ち合わせはある、と千獣が頷いた。
「そうか、じゃあ、次は店選びだな。で、その、じゃぱ何とかってのは──」
 すると、鼻をひくつかせていたバロッコが千獣の腕からぱっと飛び出した。
「天啓を受けたぞ、じだいはあじあんである!」
「あじ、あん……て、なに?」
「もう気が変わったのか……」
「君子は豹変するのだ」
 言うや、身を翻す。
「我が胃袋の求むる麺は、あれに! 者ども、我輩に続け」
「待って、バロッコ……!」
「だから迷子になるんだおまえは!」
 二つほど角を曲がったところで追いついたバロッコは、呆れたことに、既に小さな屋台に陣取っていた。
「おまえなあ……」
「おやじ、二人前追加である」
 すまして注文するチワワに、おやじというには若い男がむっつりと頷いた。大鍋がジャッと威勢のいい音を立てる。鶏肉や海老、野菜が手早く炒められ、麺が放り込まれて、ものの数分で三枚の皿がカウンターに並んだ。うち一枚はとんでもなく大盛りである。
「冷めぬうちに食すがよい!」
 いち早く大盛りの皿の縁に前足をかけたバロッコ促され、ジェイドックらも皿を取った。にんにくのいい香りが鼻孔をくすぐる。要は焼きそばなのだが、独特の辛味と麺に添えられた半熟の目玉焼きがよく合っている。見た目ほど油っこくもなく、海老もぷりぷりだ。
「これは、なかなか……」
「さもあろう!」
 自分が作ったかのように得意げなバロッコはといえば、飛び散るタレをときおり千獣に拭いてもらいながら、頭を突っ込まんばかりに貪っている。
「本当によく食う奴だな」
 こんな小さな体のどこに収まってしまうのだろう。いっそ感心する。
「それ、じゃあ……その、家が、どういう、家、なのか……教えて……?」
 頃合いをみていたらしき千獣が本題に入ると、バロッコは口一杯に頬張りながら首をかしげた。
「家……ああ、我輩の家であるな。あれは、そう、変である」
「だろうな」
 ついつい混ぜかえす彼を、バロッコがじろりと睨む。
「変なのは我輩のせいではない。下僕がいかんのだ」
「じゃあ……家の、周りは、どんな、感じ……? 目印、みたいな、物とか、ある……?」
「そうさのう……」


「薬草園のひょうたん池と太鼓橋を過ぎても王城の尖塔が臨める範囲、となると──残るはこの近辺なんだが」
 ジェイドックはいまや印だらけの地図を軽く弾いた。
 しめて五人前の食事代を割り勘で払ってから、だいぶ時が経っていた。バロッコのあやふやな記憶を千獣の嗅覚でサポートしつつ、繁華な商業地区を抜けて辿り着いたのは、高い塀が連なる閑静な一角である。
「ここらは療養所や研究施設ばかりだぞ。他に手がかりはないのか?」
「今朝方は荷馬と子供と目つきの悪い太ったぶち猫がおったが」
「……動く物以外に、だ」
「でも、バロッコ、と、同じ、匂いは、する……」
 顎をこころもち上向かせ、集中していた千獣が振り返った。
「あと、少し、だと……思う、よ……」
「うむ、その調子で励むがよいぞ」
 あまりに偉そうな言いぐさが些か癪に障って、ジェイドックはわざと鼻を鳴らした。そのまま知らん顔していると、焦れたバロッコの方から足にまとわりついてきたので、ふわふわした体をつまみ上げて肩に乗せる。
「なんだ、ジェイドック、言いたいことがあるなら申せ」
「いや別に」
「しらばっくれるな、我輩の目はごまかせんぞ」
「なに、ちょっと微笑ましい光景を思い起こしていただけだ……誰かさんが食べこぼしのべたべたを綺麗にしてもらって大喜び──」
「か、勘違いするでない! あれは、紳士たる者、婦女子の好意を無下にはできぬゆえ、敢えてじっと堪えておっただけで」
「わかったわかった、そういうことにしておこう」
「なにがそういうこと、だ! ええい、にやにやするでないわ」
 そのとき、内緒話の男二人に、千獣が声を掛けた。
「猫、って、あれ……?」
 指さす先には、なるほど、やけに大きなぶち猫が、黄色い瞳でこちらを睨み据えている。重低音で一声鳴くと、猫はのしのしと歩きだした。
「しめた、あの猫には下僕がときたま餌を与えておる。我が家へ向かうやもしれんぞ」
 バロッコの声が弾んでいる。小憎らしい強がりを言っても本音では不安だったのだろう。“下僕”なる者が実際何にあたるのかは先刻承知だが、それにしてもずいぶんな呼称ではある。同じことを考えたのかどうか、緩やかな坂道を上ってゆく猫の後を追いながら、千獣が尋ねた。
「げぼく……って、なに?」
「下僕とは我輩にかしづき我輩が快適に過ごせるよう常に心を砕く義務を負う──にもかかわらず、ろくろく麺も食わせず暇さえあれば石鹸湯攻めに乾布摩擦攻め、あまつさえ我輩の意志とは無関係に市中を引き回したあげく放置する不埒者である!」
 献身的に世話をやいたお礼がそれか……
 まだ見ぬ下僕こと飼い主に同情を禁じ得ないジェイドックであったが、
「そ、か……バロッコ、げぼく……下僕の、こと、好き、なんだ、ね……」
 千獣の切り返しにしどろもどろになる様子に、大いに溜飲を下げた。
「も、もうよいわ貴様ら! ここまで来れば着いたも同然、我輩、一人で帰れる──」
「つれないな、最後までつきあうぞ」
「許可なく我輩を撫でるでない!」
「二人、とも……」
 千獣の声に「にゃあ」と濁声が重なり、ちょうど猫の長い尾が建物の隙間に消えるところだ。慌てて後に続けば、やがて行く手に煉瓦塀とアーチ型の門が現れた。
「あれか?」
「然り!」
 狭い路地を鞠が跳ねるように駆けてゆく姿のあまりの必死さに、覚えずほのぼのと笑みが浮かんだ──のも束の間、バロッコ、門の前で唸りながら地団駄を踏んでいるではないか。
「おい、どうした?」
「入ら、ない、の?」
 確かに門扉は固く閉ざされているが、その脇にまったく同じ造りの、小動物が通れるくらいの扉があり、こちらは開け放たれている。現にぶち猫はそこを通り抜けたのだ。と、ジェイドックはバロッコが、なにかくわえているのに気づいた。
「ちょっと貸してくれないか」
 膝をついて小さな扉の向こうを確認していた千獣も立ち上がり、彼の手元を覗き込む。
 トランプほどのカードには、ぐねぐねした筆跡でこう記してあった。

『 迷子の迷子の小犬ちゃんへ
  ちょいとお三時に呼ばれてきます
  夜には戻るから覚悟しておくように
  世界一辛抱強い下僕より 』

「……この犬にしてこの飼い主、ってとこか」
「覚、悟……?」
 呆れるジェイドック、首をかしげる千獣の足元で、黒白チワワは怒り心頭だ。
「おのれ、艱難辛苦を乗り越えて帰還した我輩になんたる仕打ち! しかも我輩に無断で茶に呼ばれるとは、下僕の分際で生意気である!……かくなるうえは、我輩もお三時である!」
「おまえがいつ何を乗り越えたんだ。だいたい、時間からいったらぼちぼち夕飯──」
 はっと口を押さえたものの、時既に遅し。尊大きわまりないきんきん声が襲ってきた。
「ジェイドック、貴様、存外気が利くではないか! しからば馳走になるかのう!」
「すまん、ちょっと急用が──」
 ぽんと肩を叩かれこうべを巡らせば、静かに頷く千獣がいた。見極めにくい表情ながら、明らかに面白がっている。視線を戻せば、傲然と胸を張り、かつ、うるんだ瞳で尾を振る、すっかり機嫌の直った魔わんこ。
 ジェイドックはため息とともに腹を括った。
「……で、何が良い?」




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 2948 / ジェイドック・ハーヴェイ / 男性 / 25歳 / 賞金稼ぎ 】
【 3087 / 千獣(せんじゅ) / 女性 / 17歳(実年齢999歳)/ 異界職 】

【 NPC / バロッコ / 魔わんこ 】


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■         ライター通信          ■
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ジェイドック・ハーヴェイ様

こんにちは、三芭ロウです。お待たせしまして、あいすみません。
この度はバロッコのお守り(食事付き)をありがとうございます。おかげでわがままチワワが家に帰ることができました。
ジェイドック様には最後まで苦労をかけ通しでしたが、揺れる尻尾に免じてご勘弁ください。
それでは、ご縁がありましたらまた宜しくお願い致します。