<東京怪談ノベル(シングル)>
それはもう、おなかがすいていました。
□prologue
「皆、ご飯だよ」
小さな畑の脇に建てられた粗末な小屋。その中から、大きな声が聞こえてくる。
「ほらほら、喧嘩しない。沢山あるからね、ゆっくりお食べ」
ぱんぱんと、勢い良く手を叩く音が聞こえた後は、動物が藁を踏み荒らす音や身体がぶつかり合う音が延々と続いた。
「しかし、良く食べるねぇ」
恰幅の良い女は、彼女の宝物達を幸せそうに眺めて、笑いを漏らす。
今日も牛達は元気だ。
村を離れて牧場を作ると言ったら、親兄弟、友人連中にまで良い顔はされなかった。けれど、自分は今こうしてささやかながら畑を持ち家畜は増え順調に生活を送っている。
今日も幸せだ。
そう思って小屋を見渡して……。
「あ?」
見慣れない尻尾がふるふると揺れているのを見つけた。
□01
「おなか、すいた」
ティナが呟く。
すると、ぐるるるる〜などと情け無い腹の音がむなしく響いた。
いつもはぴょこぴょこと姿を見せる野生の小動物が、何故だか今日はさっぱりと見当らない。仕方が無いので、木に生った果物でも食べようと思ったけれど、何故だかこちらも全く見つけられなかった。
今日は本当に運が無い。
食べ物が無いと悲しくなるし、悲しくなったら余計に食べ物が欲しくなる。食べ物が欲しくなると自然と殺気立ってしまうし、殺気立つと小動物は絶対にティナに近づいてこないのだ。
悲しい悪循環だった。
「おなか、すいた」
ティナはもう一度呟いて、ぽてぽてと山の小道を下る。
何だか、目が回ってきたみたい……。
ぐるぐると目が回る。地面も回る。
「おなか、すいた」
ティナは力なく更にもう一度呟き、道も確かめずにふらふらと進んで行った。とにかく、前に進もう。すると、何か有るかもしれないじゃないか。折れそうな心に活を入れ、前に進む。
しばらく歩くと、木が生い茂った山奥から、見通しの良い道に出ていた。
ふわりと風がそよぐ。
その時、ティナの鼻がくんくんと反応した。
これは食べ物の匂いだ。間違い無い。
匂いを追ってずっと先へ視線を延ばすと、小さな畑が見えた。それから、小屋も。
ティナは吸い寄せられるように、小屋へと駆け、こっそりと中の様子を覗きこんだ。小屋には、牛が六頭。のんびりと藁の上で休息している様子。
アレは、人間が飼っているのだろう。
それなら、食べれない……。
ティナはがっかりした。
今日はとことんついてない。これ以上、どうやって食料を手に入れれば良いと言うのか。あまりの空腹に、目の前がかすんできた。
「皆、ご飯だよ」
その時、大きな声が小屋に響く。
ご飯。
ご飯……。その、魅惑的な言葉に、ティナはいそいそと小窓から小屋へ侵入した。そして、沢山の野菜が詰め込まれた籠へ、牛達と一緒に這い寄り、そのまま牛達の昼食へ手を伸ばす。
ここはティナの家で無い事は重々承知していたが、目の前に積まれた野菜を、最早一刻の猶予もなく貪り食べたい。あまりの空腹に、ティナは前後の見境も周囲の状況もすっかり忘れてしまっていた。
手を伸ばして、ようやく大きな瓜を手にしたその時。
「あ?」
無遠慮な手が、ティナの尻尾をぎゅっと掴んだ。
□02
「いいかい? お嬢ちゃん。たとえ悪戯でも、人の物を盗むなんて良く無い。その瓜だってね、種を蒔いて毎日水をやり、ようやくそこまで育てたんだよ」
大柄の女性は、そう言ってティナを椅子に座らせる。
小屋で尻尾を掴んだ女性は、それが女の子の物だと知り、たいそう驚いた。けれど、瓜を掴んで放さないティナの様子に何か感じたのか、自分の部屋に連れてきたのだ。
「で、どうして食べ物を盗もうと思ったんだい?」
幾分優しい声色で、女性はそう言いティナの瞳を覗き込む。
「……ごめん、なさい」
ティナは、心底しょんぼりとして、瓜を差し出した。やはり、人の食事を盗むなんて良くなかったのだ。現に、この人間は怒っている。これから、自分はどんな罰を受けるのだろうか。どうしよう。どうしよう。考えただけで、瓜を持ち上げた手が震えた。
この際、空腹なんて言ってられない。
ぐるるるる〜と情け無い腹の音が鳴り響いた。
その音で、余計に自分が空腹だと感じたが、ティナは、けなげにも何も言わず瓜を女性に返そうと、女性を見上げる。
すると、女性は、困ったように微笑んで、瓜を受け取った。
ああ……。
薄い緑のその野菜は、瑞々しくティナの目に映っている。かぶりついたなら、きっとこの空腹も満たされる事だろう。栄養満点。喉の渇きも潤せる事間違い無い。
女性が瓜を持つ手を右に移動させると、ティナの顔はそれを追って右を向いた。
女性がその手を左に移動させると、ティナの顔も左に動く。
女性が瓜を持ち上げると、ティナもぐんと上を見上げた。
「あっはっは。分かった分かった。お腹すいてるんだね?」
そうこうしているうちに、我慢でき無くなったと女性が大きく笑った。
そして、ぽんぽんとティナの頭を撫でる。
ティナはぽかんと口を開け、首を傾げた。何しろ、自分は大変な事をしてしまったので、今からこってりと叱られると思っていたのだ。いや、もしかしたら、叱られるだけではすまない。激しい肉体的責め苦に晒され、挙句の果てにはあの小屋で野菜を貪り食っていた牛の餌になるかも……! 普段はとても頼りになるティナの野生の勘が、そう告げていたのだから。
けれど、女性はそれ以上怒鳴る事もせずに、ティナの頭を撫でるのだ。
これは一体……?
「どうしたんだい? 子供はね、こう言う時には素直にお腹がすいたと言えば良いんだよ」
ティナは大柄と言うわけでは無いのだが、それほど小さいわけでは無い。そもそも、子供、と言われるような年齢でも無い。けれど、目を潤ませて瓜を追う仕草が、女性には幼く映ったのだろう。
女性の優しい手が、ティナの頭に乗っている。
たっぷりと時間をかけて、ティナは、
「おなか、すいた」
と、白状した。
「よろしい。あたしも今から昼食さ。すぐに用意するから、ちょっと待ってな。生でかぶりつくのも良いけどね、きちんと火を通したスープはもうできているんだよ」
女性はそれを聞いてにっこりと笑い、キッチンへ消えた。
□03
机に並んだ食べ物を見て、ティナは嬉しそうに耳と尻尾を振った。
沢山の細かく刻んだ野菜が踊る透明なスープ。
オーブンで焼き色を付けたほかほかのパン。
良い香りのするドレッシングで和えた野菜のサラダ。
小皿には、二種類のチーズが乗っている。
コップには乳白色の飲み物。匂いから推測すると、ミルクだろうか。
そして、メインは大きな肉の塊。手でこねて丸い形を作った後、火を通したのだろう。きのこを絡めたソースがかけられていた。
「じゃあ、食べようか」
「いただきます……!」
女性の声を聞き、ティナはパンを急いで掴み取る。そして、千切るのももどかしく口に放り込んだ。
「おやおや。そんなに急いで食べなくても、逃げやしないよ」
女性はくすくすと笑いながら、ティナの様子を見る。
そんな事を言われたって、久しぶりのまともな食事だ。ティナはパンを飲み込んだ次の瞬間、肉の塊を一心不乱にがつがつと食べ続けた。
「ふふふ。そんなに美味しいかい?」
女性は、ゆっくりとスープをすすり、器用にハンバーグを切り分ける。
「うん」
問われてこくこくと頷き、ティナはサラダをかきこんだ。
スープ、チーズ、パン、パン、肉、サラダ、肉。
今のティナにとっては、どれもが素晴らしいご馳走だった。勿論、味付けは薄味で、普段でも十分おいしい食べ物だとも思ったが。
「ほら、口の端にソースがべちゃべちゃだよ」
女性はティナの行動を咎める事はせずに、ミルクを飲み干した彼女の口の端を布で優しくぬぐった。
「ありがと」
何やらこそばゆい感じがして、ティナが女性を見上げる。
女性は、その視線を微笑みで受け止めて、こんな事を聞いた。
「そのミルク、美味しかったかい?」
ティナは、空になったコップに視線を落とす。急いで飲んだけれど、コクが有ってしかも飲みやすかった。香りも良く、後味も悪く無い。
これを、美味しい飲み物と言わずして、一体何をおいしいと言うのか。
ティナは、こくこくと頷き、力いっぱい答える。
「おいしい!」
「そう。それはね、あたしの可愛い宝物達の乳なんだよ。ふふふ。嬉しいねぇ」
女性はティナの言葉に嬉しそうに頷いた。
ティナはようやく腹がふくれ、満足げに笑った。
□epilogue
帰り際、女性は大きな握り飯を三つも持たせてくれた。
人間とは、何の下心もなくこうまで他人に良くする事ができるものだったか?
しかし、ティナは、素直に握り飯を受け取った。女性からは、何の歪みも無い、優しい感じが伝わってくる。お腹もいっぱいになり、ティナの鋭い勘も戻ってきていた。
だから、大丈夫。
「今日は楽しかったよ。また、遊びにおいで」
「うん。ごちそうさま」
無抵抗で女性に頭を撫でらる。それが止むと、ぺこりとお辞儀をした。
今日はとことんついてない日だと感じていたけれど、そんな事はないと思う。
ティナは、嬉しい気持ちを表すように、山を目指して力いっぱい駆け出した。
<End>
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