<東京怪談ノベル(シングル)>
『ざわめき』
胸騒ぎがした。
特に、何があったわけでもない。
日常の只中にある。
明日を生きるだけの金はある。
生活に不自由は感じていない。
季節はゆっくりと巡り。
春が訪れていた。
「雑草が増えたな。けど、草刈なんてやってらんねーし。どうせ、冬になったら枯れるしな」
雑草を踏みつけながら進み、ワグネルは手にもっていた花束をバサッと置いた。
そして、その場に座り込む。両手を伸ばし伸びをした後、腕を体の後ろにもっていき、地に手をついた。
「その花、好きだったよな? 何て花だっけ?」
体を起こし、花束の中から、一輪花を引き抜いて花瓶に挿した。
「冗談だよ、知ってるって。スミレの新種。お前の花だ」
持って来た水を花瓶に注ぐ。
「そうだ、この辺りに繁殖させようか?」
言った後、小さな笑い声を上げる。
「迷惑か。周りの奴等になー」
懐から、ラッピングされた菓子を取り出して、花の隣に置いた。
「当時は滅多に買えなかったが、今は簡単に手に入るんだぜ、これ」
リボンを解いて、中身を取り出す。小さな砂糖菓子だ。
お世辞でも裕福ではなかった子供時代。
菓子の1つも、満足に手に入れることは出来なかった。
職人が作る甘くて可愛らしい菓子は、見て楽しむ芸術品でしかなかった。
遠くから、見るだけの作品。
「甘いものっていったら、花の蜜。あれはさ、裕福な奴等にも好評だったんだよな」
種族や身分関係なく、遊びまわっていた時があった。
自分達にとって、花の蜜は甘いお菓子であった。
自然が生み出した、甘くて美しいお菓子。
職人が生み出したお菓子に劣らない菓子であった。
ただ、その甘さはほんの一瞬で。
蜜を吸われた後、美しい花は、大地に捨てられてしまうのだ。
「聖都エルザードはさ、異界人が増えたせいか、昔より狭くなったような気がするんだ」
子供の頃は、巨大な迷路のようだった町も、今では全ての道を把握している小さな町であった。
「でも、お前には迷路だろうよ。建物が増えて、道は複雑になったからなー。昔のように鬼ごっこをしたら、誰も見つけらんねーって」
風が、花の匂いを運んでくる。
ワグネルはそっと目を閉じて、そのままその場に横になった。
穏やかな時を。
妹の側で、過ごしていた頃。
その頃は、退屈だと感じていた。
貧しいながらも笑い合っていた毎日が、あまりにも平凡すぎて、その幸せに気づきもしなかった。
「ああ、今幸せだぜ?」
得たいものはある。
漠然と望んでいる未来もある。
だけれど今は、何事もない今が幸せな時間であると、理解している。
「けど……なんだろうな」
この、胸騒ぎは。
嫌な予感がする。
認めたくはない。
だけれど、この予感が当たりそうな予感がする。
自然とこの場所に足が向いたのは、何故だろうか。
自分の最後の家族だった子。
妹として生まれてきてくれた子が、この場所に――眠っている。
何も答えてくれない墓標に手を伸ばし、パチンと弾いて笑う。
「そう言うなよ、地顔だ」
周囲に響く声は自分のものだけだ。だけれど心の中に、もう一つの声が確かに響いていた。
“そんな顔していたら、狼だって逃げる。怖いよ”
そして、彼女は自分の足を、軽く蹴るのだろう。
体を起こし、再び伸びをする。
太陽の光は暖かく。
風は優しい香りを運んでくれる。
目の前には雄大な自然がある。
明日、食べるものにも困らす。
笑い合う、仲間がいて。
これ以上、どんな幸せがある。
何に、怯える?
「ま、大丈夫だって。俺のことなら心配いらねーし、お前のこともちゃんと考えてるからよ」
立ち上がって、大きく深呼吸をした。
まだ、心のざわめきは消えない。
だけれど心の中に、暖かな空気が入り込んできた。
彼女が眠る、この場所の――。
「じゃ、また来る」
歯を見せて笑って、ワグネルは歩き出す。
一度だけ、振り返って。
「また来るからさ、近いうちに。……絶対な」
真剣な表情になっていることに気づき、再びワグネルは笑みを浮かべた。
例え、何が起きようとも。
何に、巻き込まれようとも。
自分は自分。
自分の判断で、自分が大切に思っているモノのために動くだろう。
対象は、自分自身かもしれないし、自分の所有物かもしれないし……自分を思ってくれる人かもしれない。
「もう、あの時のような……」
その先は、言葉にしなかった。
手を上げて、通りかかった馬車を止め、笑顔で御者に呼びかける。
「聖都に行くんだろ? 乗せてってくれねーか、一杯奢るからよ!」
風が吹き抜けて、木々を揺らす。
木の葉が立てる音は、まるで今の心の音のようだ。
●ライターより
ライターの川岸満里亜です。
この場所と、眠っている人は、ワグネルさんの心の拠所の1つなのでしょうね。
少し切ない気持ちで、書かせていただきました。
発注ありがとうございました。
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