<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


億劫な夢 横笛


 金色の流れが見える。それは液体でもなく空気でもなく、しかしまばゆい光と共にそこに確実に存在していた。手を伸ばしても触れられる事は無く、だがそれはしっかりとその成すべきことを成している様に見えた。
 その向こうに、一人の少年が見える。金色の髪をした少年である。両手に影を携えて、……いや違う、影と両手を繋いで、悲しそうな目でこちらを見ている。彼は少しだけ目を瞑ると、掻き消えた影を見送ることなく、一つの横笛を取り出した。彼は静かに演奏を始めた。メロディは同じ旋律を繰り返すもので、誰にでも吹けそうな程簡単なものであった。
 ステイルは、この何とも言いがたい空間で、足を地面に付けているのかどうかも忘れ、じっと少年を見ていた。金色の流れは少年の向こうから流れてきているようだ。前から後ろへ、流れが通り抜ける気配。それはもしかしたら横笛の音色だったのかもしれない。

 音はだんだんと遠くなっていった。少年もだんだんと遠くへ消えていった。流れはある時から輝きをなくした。
 最後に訪れたのは、真っ白だっただろうか、真っ黒だっただろうか。ステイルはそこからいなくなった。主観が別の方へ移った、と言った方が正しいだろうか。彼はこの空間から別の空間へと移った。まさに、眠りに落ちるあの何とも言いがたい感覚が、再び全身に広がっていく様に。



 脳を貫くような罵声で、ボクはぼんやりとした意識の中から抜け出した。若干の恐怖を感じながら顔を上げれば、薄暗い森の中、黒い服を身に纏った男達が見える。そう、ボクはここで……あまり有意義とは言えない生活を送っている。しかし、全く動けなかった日々よりは自由なのだろう。そう思わないと、喉の奥で何かが弾けそうになる。そう、ボクは自由を手に入れたのだ。……例え、真夜中の檻の中であったとしても。
 遠くでランタンの灯りが揺れている。ボクは道具だから、彼らの後を追っていかなければならない。途中で躓いてはならない。少しでも遅れをとれば、さっきのように怒られる。時には殴られる。この、目覚めた意思は、こう言うときに使うのだろう。どういう時に怒られて、どうすれば怒られないかを、ようやく理解してきた。だからボクは昔よりも罵られる事が少なくなった。

「しかし、刀がこんな時に『目覚め』ちまうとはな」
 よく聞く言葉だ、彼らが少しでも苛立ちを感じてくると出てくる言葉。
「昔から危なっかしい刀だったと思っていたが、こうなると数段扱いづらいぜ」
ボクは、「ごめんなさい」と言った。これはボクが目覚めた時、一番最初に喋らされた言葉だ。男はこちらを見ていた。目を鋭く光らせて。ボクはこの、人間の持つ瞳の力が怖かった。それはどんな切っ先よりも鋭利で、胸の奥深くにまで突き刺さる。
 言葉をひとつ覚えさせられた後には、なるべく黙って行動することと、決して刃向かわないことを教えられた。その時の人間達の瞳の色が、酷く恐ろしかったことをよく覚えている。内側を抉り取られる痛みは、外側の痛みよりも耐えがたい。内蔵を引っ掻き回される様な辛さを何度も味わい、只管に生きてきた。皮肉な事に、ボクの仕事は、他人の内蔵を引っ掻き回すことであったが。

 今居るこの集団は、他人から『人殺し』と呼ばれていた。他にも、ぱっと散る血飛沫や甲高い悲鳴や袋詰の金貨をいくつも手に入れていた。それらが起こっている時、ボクは何事も遠くから眺めることしか出来なかった。例え自分がそれらを手に入れる切欠になっていたとしても。全てのものはボク以外の人間へと渡っていく。
 ランタンの灯りが大分遠くなっている事に気付き、ボクは足を速めた。追いつかなければ、また怒鳴られる。そして、あの瞳で圧し殺される。


 ボクは何を知るべきだったんですか。
 ボクはこうしてまで生きるべきだったんですか。
 ボクはどうして目覚めたのですか。
 ボクは誰かに目覚めさせられたのでしょうか。
 ボクは誰かに生かされてしまっているのでしょうか。



 夢と言うのは不条理でなければならない。少なくとも、現実を越える狂気を持っているべきだと考えている。
 ステイルは底の見えない河のほとりに立っていた。いや、彼はステイルであっただろうか。姿の見えないステイル。声の出せないステイル。それでも彼はステイルである様に思えた。
 ステイルであるべき人物は……この夢の結末を知っている。何故なら彼は彼であるからだ。

 足元で背の低い草が踊っている。
「あんたの選んだ道は間違ってなどいなかったよ。とうに戻せない運命なんだ」
一本の草が言った。
「今まで歩んできた道は正しくならざるを得ないんだ」
黄金色に染まる草むらは、ざわざわと言うよりさらさらと揺れている。風は吹いていない。視線を上げれば遠くから、足元を見れば後ろから、さらさらと言う音だけが聞こえて来る。振り返っても風は無い。ゆらゆら揺れる底の見えない河が、時折ぱしゃりと波紋を広げるだけだ。
「もしも運命を正しいと間違っているで分けたいんだとしたらね」
草はその言葉を最後に黙った。揺れるだけの生活に戻ったのだ。

 空は無い。青い雲が、申し訳無さそうに泳いでいる。河の向こう側で、逃げる音と追う音が聞こえた。ステイルであるべき人物は、この夢の結末を知っている。何故なら彼は彼であるからだ。もしもこの夢が、自分の知っている物語だとすれば、だが。
 空ではない空の隙間に、あちらこちらへと振り回されるランタンの灯り。木々と草の間を縫って駈ける何人もの足音。
「ごめんなさい」
聞きなれた声。透明な声。いつか忘れてしまう声。
「ごめんなさい。ボクがいけなかったんです。そう……ボクは知っています、ボクは道具であるべきだと」
もう既にこの世から消えてしまった声。

 何かが割れるような音がした。黄金の草原と底の無い河が消え、灰色の壁と天井が降ってくる。コンクリートが冷たい。目の前には大きな鳥の屍骸が転がっていた。
「逃げるのか」
屍骸は目を大きく開いていた。嘴も大きく開いていた。今にも泣き出しそうに。
「お前にはもう穢れたラベルしか貼られていない。血で染められた紙に血で書かれたお前の名前」
ステイルであるべき人物は、その屍骸に触れてみようかと思った。その細い首を、そのばさばさになってしまった羽毛を、撫でてみようかと。こんなにも無残な格好であるのに、それには一滴の血も付いていない。このコンクリートの小さい部屋の中で羽ばたく事も出来ずに死んでいったのであろう命はこんなにも哀れだ。彼がしあわせになるには何が必要だったのだろう?
「しかし、自由を知ってしまったのならばもう遅い」
首を握り締め、そっと持ち上げる。力なくだらりと垂れ下がった頭と胴体。彼はそれを望んでいたのか。


 嘴の中から、横笛の音が聞こえる。ひゅうう、ひゅうう、まるで呼吸をしているかのような。高い音を出そうとして息だけが通ってしまっている笛の音。『子供は泣いた』、と、言っている。
『ただひたすら生きるために、子供は泣いた。泣かなければいけなかった。泣いたら逃げて、逃げたら泣いた。そうしなければ子供は生きていけなかった。眠る事を許されたのはたった一瞬。いくら目を瞑っても、怖い物はどこまでも追ってきたのだけれど。目が覚めればまた同じ世界。最後に気付くのは、おそらく、一度も眠った事など無かったと言う事』
鳥の頭は何時の間にか透明なグラスに変わっていた。コンクリートの壁は倒れて、外に広がる青い空を映し出す。天井など元から存在しなかったのかもしれない。グラスを床に置き、ステイルはコンクリートの外に出た。その頃にはもうコンクリートの床も壁も枯葉の絨毯に変わっていたのだけれど。



 ステイルは……ステイルは、目覚めたのだろうか。夢と現実の境目がぼやけている。身体を起こし、鏡を見つめ、両の手で自分の顔を触ってみる。目覚めている。ステイルは目覚めた。
「俺は」
声も出る。自分の声。これからも続く声。
「俺は?」
気だるい感覚だけが残っている。夢は大抵最後の場面へと向かう直前に目覚める物だ。
 いつ眠りについたのか、全く覚えていない。頭の中が真っ白なのか、それとも整理すべき情報が多すぎるのか、思考が上手く廻らない。ただ一つ覚えているのは……ほんの少し前に、横笛の音を聞いたことだけだ。どこであったのかは忘れてしまったが。

「…………、………………畜生……」
 言うなれば、痕すら消えた古傷の場所を改めて指されたイメージ。妙な現実感だけが残っている。
 それが正しい過去であったのか、それともただの夢であったのか。こう言う夢を見た後の一日は、大抵億劫なものになる。


おしまい

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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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PC/ステイル/無性/20歳/マテリアル・クリエイター

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ライター通信
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始めまして、ステイルさん。北嶋と申します。
「億劫な夢」へのご参加、ありがとうございます。お届けが遅くなってしまい、申し訳御座いません……。
夢らしさと過去の描写、ほぼ始めての試みでした。
なんというか、がさがさというかざらざらとした感覚を感じ取っていただければ幸いです。
「億劫な夢」らしい小説に仕上がっていればな、と思います。

では、またお会いできる日がありましたら、その時に。
発注ありがとうございました。