<東京怪談ノベル(シングル)>
□ 刻の移ろいを眺めて □
ふわり、ふわりと風が緩やかに通り抜けていく。
心にも身体にも。
青く澄み渡る空。
ルーン・ルンはゆっくりと変わりゆく空の様子を眺め、流れゆく川のせせらぎに耳を澄ます。
広い広い空を自由に飛ぶ鳥の姿は自由の象徴。
手に在るのは自由とは正反対の束縛。
自然と集まり来るは運命の絆。
過去と現在。
過ぎ去りし過去は、未来へと紡ぐ過程で道を違い歪んでいく。
歪みは求めた未来の地図を描くことなく、絶望という名の地図を刻む。
聖人の伝承も然り。
例え素晴らしく徳の在る者で在ろうとも、その時代を刻んでいく者が歪んでいれば、容易く変容していく。
けれど。
時代を超え、飄々と生きている者にとっては真実しか見えない。
螺旋のようにくるくると遠くなってしまった希望も、歪んでしまい絶望しか見えなくなってしまっていても、聖人にとっては同じ結末へと導く指標。
ルーンは顕れた聖痕に僅かに眉を顰めると、ふわりと重さを感じさせない動きで立ち上がる。
次は何処へこの身を連れて行ってくれるのだろうかと、成り行きに任せて。
自然とわき上がる笑みは、身を任せることの安心感と言うべきものだろうか。
数々の現象に身を委ね、体験してきた出来事は全てルーンの記憶となって収められている。
忘れ去られ、過ぎ去ってしまった過去も、在ったはずの事実も。
夢は世界を繋ぐもの。
痺れるような痛みを感じながら、導かれるようにしてルーンは歩き出す。
さわさわと草むらの中を歩いていく。
何も持たないまま。
付いていくのは世界を駆け抜ける自由の翼を持つ風。
ふわりと心に暖かさが生まれたのをルーンは感じた。
今回の旅の友はあんたと一緒か……と。
ルーンは、さぁ行こうと空へと手を伸ばす。
蒼く澄み渡る空に身を任せ、誘われる世界へと。
世界を彩る空の姿を、その先を見通すようにして見上げるが、在るのは果てのない空ばかり。
果てのない空に寄り添うのは、果てのない大地。
緑豊かな祝福された地もあれば、生命が途絶え、呪いを受けた地もある。
時には巨大な水を湛えた湖や、果てを測るのが不可能な広大な海。
その全てを見通し、時には自身に姿を写す空はルーンの夢渡りと良く似ていた。
蜃気楼と呼ばれるものだ。
空が遠くのものをその身に映すのは、見たいと願うから。
ルーン自身、そう願っていたから。
願う気持ちは同じでも、同一の存在ではない。
鏡面存在のような自分たちでも、ルーン自身の姿を映したとしても、鏡の向こうにいる自分は別のもの。
鏡に映る自分でさえも違う存在なのだ。
夢が導くのは誰かが望む夢。
夢を顕現しようとするもの。
叶えようとして、望みを実現しようとして、それでも出来なくて。
奇跡という微かな希望という確率になるほどの可能性の少なさ。
願いを叶えるべく流されるのは、大量の血。
奇跡に縋る願いはやがて絶望となり、呪いと化す。
最終的には歪みへと。
それでも、その歪みもまた、人が心に咲かせる花なのだ。
白い花が、例え赤く染まっていったとしても。
「歪曲とはよく云ったモノだ……」
たどり着いた先で、ゆったりと周囲を見渡しながら呟いたルーンに子ども達の声が重なる。
「おさかな」
「ねこ」
「くじら!」
舌っ足らずな言葉遣いで、そっくりな姿形を持つ幼女2人が、手を繋ぎながら歩いて来る。
双子なのだろう。
言葉遊びが楽しいのか、笑顔で覚えたばかりの言葉を悩みながら思い出しては、笑顔で答える。
はて? 何だろうと、ルーンは少女達の視線を辿っていき、納得した。
「ああ、そうか」
空に浮かぶ雲だ。
なるほど、少女達の言うとおり、雲はくじらの形をしていた。
空という広大な海を優雅に泳いでいる。
少女達が紡ぐ言葉に釣られ、浮かぶ雲から形を探す。
幾つかの雲を探しだし、少女達と同じものを見つけて満足したルーンは、ふと少女達の方へと視線を戻した。
「あっ……!」
ルーンの声が届く前に少女が転ぶ。
綺麗に敷き詰められた石畳だ。
膝を擦りむいてしまったのだろう。
流れ出した血を見て吃驚し、泣き出した。
どうしよう、とおろおろとしているように見えたもう1人の少女は、泣いている少女の側にしゃがみ込むと、指を擦りむいた膝に当てる。
「いたいのいたいの……とんでいけ」
まるで呪文のような言葉。
痛みが何処かに飛んでいくようにと、願いのこもった言葉の魔法。
ルーンは聞き慣れない言葉だと思いながらも、少女の言葉から暖かさを感じた。
とても心地よい、人を癒す心の言葉。
ルーンは2人へと近づき、大丈夫かいと声をかけ、少女がしていたように、同じように膝の傷に手を翳し、魔法の言葉を紡ぐ。
「痛いの痛いの……飛んでいけ」
その言葉と同時にすうっ、と傷が消え、ルーンの手に移る。
ルーンの力ある言葉に傷が反応したのだ。
痛みが消えているのに、流れた血に驚いていまだに少し泣いている少女。
ならばと、ルーンは呪文を唱えていた少女と2人で一緒に言葉を紡ぐ。
「いたいのいたいの……とんでいけ」
「痛いの痛いの……飛んでいけ」
今度は力ある言葉ではなく、もう大丈夫だよ、という気持ちを込めて。
「ほら」
「ほら、ね」
泣き顔だった少女の表情が、ぱっと笑顔に変わる。
石畳から立ち上がった双子の少女は笑い合う。
そんな様子にルーンは微笑むと、空に浮かぶ雲を指さした。
「あれは?」
「「うま!」」
「いぬ」
「かめ」
緩やかに流れる風に空は雲の形を変え、少女達の遊びに付き合う。
空と少女達の遊戯。
「じゃぁね」
「じゃぁね」
双子はルーンに手を振ると、仲良く手を繋ぎ、石畳の道を歩いていく。
柔らかな微笑を湛え見送ると、ルーンは少女達とは反対の道を歩き出す。
風がそろそろだよ、と告げていたから。
ルーンは笑う。
自身の影を見て。
空に浮かぶくじらを見上げると、その身を風に任せ、ルーンは世界を渡った。
巡る世界。
緩やかに過ぎる日々。
優しさに溢れた世界の風を感じて、ルーンは還って来たのだと思う。
過去の風とは違う、この世界の風を受けて。
微かに残る掌の痛みに、少女達との出会いもまた真実だったのだと、ルーンは実感し、その瞼を閉じた。
そよそよと揺れて鳴る草の音を子守歌にして。
□ END □
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