<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


あまいあまい誘惑


「こんにちは! 一つ依頼をさせて頂きたいんだけれど、いいかしら?」
 昼の白山羊亭、料理の香りが漂う心地よい空間。そんな場所へ外の空気を持ち出した、二人の鳥人が居た。鳥人とは、文字通り鳥と人の血を持った亜人である。物の本によれば、背に一対の羽を生やし、下半身は鳥のものであると言う。実際、片方の桃色の羽毛を持つ鳥人はその鍵爪を露にしていたし、二人の背には翼が生えていた。
 ウェイトレスのルディア・カナーズは、「はーい」と返事をしながら、トレイに乗った料理を客人のテーブルへと差し出した。扉の閉まる音、食器と食器のぶつかる鐘のような音、食材を炒める音。料理を運び終わったルディアは、二人の依頼人をカウンターへと案内した。

「では、依頼のお話を宜しいですか?」
 オレンジがかった金色の髪を揺らし、ルディアは羊皮紙とペンを持ち直した。桃色の髪と羽毛を持つ中性的な外見の鳥人と、さらりとした金髪と小さな翼を持つ背の高い青年の鳥人が、促されるままにカウンター席へと座る。
「じゃあ、まずは自己紹介から。あたしはピンキィ・スノウよ。隣は同じ職場のガルド・ゴールド」
ピンキィと名乗った鳥人が微笑む。ガルドと呼ばれた青年はにこりと笑い、背中の羽をほんの少し広げて会釈した。
「あたし達の依頼は、簡単に言えば……ある果物を取ってきて欲しい、それだけよ」
桃色の髪を少し弄り、ピンキィは指でとんとんと机を叩いた。ガルドがそれを一瞥し、尾羽を広げる。
「で、わざわざここまで依頼を持ってくる理由なんだけど」
肩に掛かった金色の髪を払い、ガルドは机に肘をついた。
「その果物のある場所が、沼地や泥の多い森の中でね。ボクら鳥人には相性の悪い場所なんだ。木々の背も低いし、空から探すには葉が多すぎるし、何より歩いていくとボクの美しい髪が汚れてしまうだろ」
ガルドが肩をすくめ、ピンキィはそれに呆れるように視線を宙に向け小さな溜息をつく。
「それに。その果物の生る木って言うのが、大きめの生き物の屍骸を糧にして育つ訳。だから、その木があるって言うことは、森に凶暴な魔物が居ないとも限らないんだよね。全く、なんてナンセンスな果物なんだか! そんなのを欲しがるキミの気がしれないよ」
「うるさいわねぇ、料理に妥協は許されないのよ。バニラフルーツがあるかどうかで、スウィーツの価値と味の深みは段違いになるの!」
どうやら、採って来るべき果物の名前はバニラフルーツと言うらしい。不機嫌そうに羽毛を逆立て、二人の鳥人はお互いを睨みつけた。……犬猿の仲と言う奴であろうか。

「えーと、兎に角、そのバニラフルーツを採って来てもらう、と言うのが依頼でよろしいんですね」
 依頼内容をメモし終わったルディアが、今にも手を振り上げて喧嘩を始めそうな二人へ笑顔で聞いた。投げつけようとでもしたのか、傍にあったコップを握り締めていたピンキィがその手の力を緩め、「ええ、まあ」とルディアに向き直った。ルディアがほっと息をついたのは言うまでもない。
「その森で死んだ奴が居るとかそう言う報告は無いから、危険性はそこまで高くないと思うよ」
つい先ほどまでフォークとナイフを振り上げていたガルドが腕を下ろす。あまり長い間店の中に居て欲しくないタイプだ。

「解りました。では、翌日から張り紙を出しますので、冒険者が揃い次第ご連絡致します」
 いつ再び火花を散らし始めるか解らない二人をおそるおそる扉へと先導し、ルディアはお辞儀をした。ピンキィは「じゃあ、よろしくね」と目を細め、ガルドは笑顔で手を振った。
 帰り道でもまた何か言い争いでも始めたのだろう、尾羽を広げたり羽毛を逆立てたりしている二人の背中を眺め、ルディアは再び溜息をついた。仲の悪い鳥同士は同じ籠で飼うべきでは無い……特に、おしゃべりな鳥の場合は。翌日、新しい張り紙が壁に張り出される。

 依頼内容……南の湿地の森から、適当な数のバニラフルーツを持ち帰ってくること。一つだけでも平気です。報酬は好きなデザートからランチ、飲み物、ディナーまで。量はお好きなだけどうぞ。依頼主……ピンキィ・スノウ、及びガルド・ゴールド



「じゃあ、道案内はここまでで構わないかしら」
 背中の羽をぱさりとはためかせ、ピンキィが振り返る。依頼を受けた二人の冒険者――ミルカとシルフェは、大丈夫ですとでも言うようにそれぞれふわりとした微笑を見せ、小さく頷いた。目の前に広がるのは、低い木の群れからなる森。狭い入り口もあまり他人を歓迎している様には見えないが、森の中自体は葉の間から日が差し込んでいるし、足元にさえ気をつければ危険は少なそうだ。
「一番気をつけるべきは、地面のぬかるみと張ってる枝だね。魔物の目撃情報は無いけれど、万が一ということもありえるか。依頼は勿論達成して欲しいけど、自分の事を第一に考えておけよ。命の危機が迫ったら、まず逃げる事。いいね」
ガルドが森の奥の方を覗き込みながら尾羽を広げる。草の生えていない地面は入り口から少し離れた場所から湿気を含んでおり、道とは言えない道を作っている。
「バニラフルーツが生えている場所は……おそらく、奥の方ね。そんなに浅い場所には屍骸も沈まないだろうし」
顎に指をあてがい、小さく溜息をつくピンキィ。
「それに、奥の方が生き物が暮らしている可能性が高いでしょう。バニラフルーツの性質を考えれば、少し長いお散歩になるかもしれないわ」
それでも平気かしら、と、再三冒険者へと返事を促す。

「大丈夫。依頼を受けた以上、あたしたちはしっかりフルーツを取って帰ってくるつもり」
 ミルカが耳の羽をゆっくり広げて、首を小さく傾げた。黄金色の瞳を細め、手提げ籠を両腕で握り締める。森で汚れてしまう事を考慮していつもの洋服ではなく着古したそれを着てきたと言うのだが、それでも十分愛らしい姿だ。
「わたくしも、お二人の期待を裏切らない様に尽力します」
同じく、手提げ籠を持ったシルフェが微笑む。透き通るような青は、永久に濁らない水の流れを思わせる。

「それと、一つ提案があるのですが」
手提げ籠を胸の辺りまで上げて、俯きながらも言葉を紡ぐ。
「他にも、探してみたい物はございませんか? もしもあれば、ということで仰って下さいな」
その言葉に、ガルドとピンキィはお互いの顔を見合わせた。依頼以上の物を持って帰ってくれることなど、予測していなかったからだ。
「特には無いけれど……ガルドはあるかしら」
「ボクは、そうだな。バニラフルーツの枝を一本、持ってきてもらえると嬉しい」
ガルドが人差し指を立てて、にっと笑った。
「供養にもなるし、あれの枝は髪留めに使えるんだ。だから、一本と言わず、二本だな。二本持って帰ってくれれば、供養にもなるし森の生き物が街の景色を見れるようになるだろ」
「あなた、意外とそう言うところだけ義理堅いのよね。あたし達にも同じくらい感謝してくれると嬉しいんだけど?」
「キミに感謝するべき事なんてあったっけ?」
「誰が毎日三食用意してあげてると思ってるのよ」
手を組んで、相手の瞳をじっと睨み付ける二人の鳥人。しかしそんなぴりぴりした空気の中にも関わらず、ミルカとシルフェはにこにこと笑っていた。こう言う空気に慣れているのか、それともほんの少しだけ鈍いのか。もしかしたら、知り合いにこうして喧嘩っ早い人物がいるのかもしれない。

 幸い今回の喧嘩は殴り合いにも罵りあいにもならず、睨み合いだけで終わった。誰だって、三食のご飯が無くなったら悲しいだろう。
「じゃあ、行って来ます」
二人の鳥人に見送られ、ミルカとシルフェは森の入り口を潜った。
「気をつけて」
ピンキィの何故か妙に凛とした声が、二人の背中を押す。二人は小さくお辞儀をすると、湿った道を踏みしめ、森の奥へと進んでいった。



「わたくしも、帽子のようなものを持ってくればよかったですね」
 湿地の森をしばらく進んだ後、シルフェがほうと呟いた。ミルカが頭から被っているショールを見て、そして自分の髪にちょくちょく引っかかる細い枝を見て。森の木は、やはり入り口から変わらず背が低い。中には棘棘しているものもあるが、幸い殆どの枝は湿っていて、額に傷をつけたり髪を切ったりすることは無かった。
「でもあたしは、シルフェさんの髪がちょっと羨ましいわ」
さらさらと流れる河のような髪を持ったシルフェを見て、ミルカが苦笑する。少しくらいなら枝に引っかかってもするりとそれを解く事が出来るのだ。
「今度、お手入れの仕方を教えてくれないかなあ?」
「お安い御用ですよ。わたくしなんかのお手入れの仕方で良ければ、いくらでも」
再び引っかかってしまった髪と枝を解き、シルフェは瞬きをした。二人には微笑みが似合う。しんとした森の中、くすくすという笑い声は、まるで鳥の囀りのように、もしくは小さな鈴の音のように、静かに広がった。

 時々足元のぬかるみに足を取られながらも、二人は奥地へと進んでいく。ふと、ミルカの羽の耳がぴくりと動いた。どうしたんですか、とでも言うように、シルフェが彼女の瞳を覗き込んだ。
「今、あたし達のものじゃない足音がしたの」
「まあ」
口元に指をあてがい、シルフェはゆっくりと辺りを見回した。
「近づいてきていますか」
「ええ」
ミルカの耳には、確かに足音が聞こえていた。軽く地面を踏む音、小さな呼吸。どちらからだろうと、再び耳を澄ます。羽をゆっくりと広げ、目を閉じた。シルフェと自分の発する音の他に、一つの命が生きる鼓動を鳴らしている。
「あちらから、こちらに向かってきてる」
だんだんと近づいてくる足音が聞こえる方、自分達の進んでいる方向を、ミルカは指差した。それから呼吸を数回した頃……小さな猫のような生き物が、喉の奥から低い唸り声を上げながら、ゆっくりとこちらに近づいてくるのが見えた。

 やはり、魔物であろう。猫にしては牙が鋭く、爪も大きい。背中には蜻蛉が持っているような四枚の透き通った羽があり、きらきらと輝いている。それは呼吸と共に光を放ち、黒い毛並みを照らしていた。赤い瞳が二人を睨んでいる。明らかに敵意を持っているその魔物を見て、シルフェとミルカは目を逸らさぬようにして身を寄せた。いつ飛び掛られても、どちらかがどちらかを助けられるように。
「あたしが歌で眠らせた方がいいかな」
ミルカが小さい声で呟く。シルフェはそれに少し頷きかけたが、ふと何かを思いついたようにじっと魔物を見つめた。
「ええと、少しお待ちください」
そう言って、ゆっくりと魔物へと歩み寄る。ミルカは歌を歌う準備をしながら、彼女の行動を見守る事にした。
 魔物とシルフェが、対峙する。唸り声だけが響く森の中、それでもシルフェは微笑んでいた。
「バニラフルーツの木、ご存知ではありませんか?」
魔物がぎゃうと小さく吼える。シルフェはぐっと何か恐怖を堪えるように手を結び、それでも再び話し掛けた。
「実を頂いて帰るだけです。そして、お祈りもしようと。あなた達に危害を加えるつもりは、一切ありませんから」
ほんの少し膝を折り、魔物へ優しく言葉を掛ける。微笑を絶やさず、全てを包み込む海のような声で。魔物はまだ小さく唸っていたが、やがてそれを止めた。ミルカもゆっくりとシルフェの隣へと並び、「教えてくれると、あたしも嬉しい」と、同じく膝を折って魔物を見つめた。よく見る子猫よりは大きく、しかし大人の猫よりは小さいそれは、目をほんの少し凝らした後、黒い身体をひょいと翻らせて、羽を広げ尻尾を立てた。二人を振り返り、肩越しに眺める。ミルカとシルフェは黙って魔物を見ていた。

 彼が歩き出したのは、そのすぐ後である。軽い足音を立て、湿地をすたすたと進んでいく。二人はお互いの瞳をみやり、微笑んだ。そして、魔物の尻尾を追いかけ歩き出す。きらきら光る羽は太陽の光を浴びて輝く粉を散らし、二人を先導する。
「小さな魔物ね」
「きっと、子供なんでしょう。家族は……多分、眠っているんでしょうね」
幾つもの道を曲がり、時折木と木の狭い間を通り抜け、二人と一匹はゆっくりと森を歩いていく。昼の森は、不思議と暖かかった。先ほどまで、あんなにひんやりとしていたのに。


 角を曲がり、魔物の背中を見つけ、立ち止まる。羽を震わせ、魔物はみゃうと鳴いた。その目の前には、木々の隙間から差し込む太陽の光を浴びて佇む一本の木があった。その周りには、同じような背の低い木。枝は水晶の屑を浴びたように煌いていて、その先に小さな白い果実を付けていた。これがおそらく、バニラフルーツの木なのであろう。
「思ったより、随分と大きな木」
「この下に、この子の家族が眠っているのでしょうか」
魔物は尻尾を振って、再び鳴いた。よく見れば、その隣の大木に、雷の落ちた跡がある。大きな幹は縦に裂かれ、黒く焦げていた。ミルカとシルフェが静かにバニラフルーツの木へと歩み寄る。一人が一本ずつ枝を折り、そして手提げ籠へと木の実を入れた。
「頂きます。ゆっくりお眠りになって下さい」
手を合わせ、深くお辞儀をするシルフェ。
「教えてくれてありがとう。あたしからも、お祈りの歌を」
ミルカが小さな魔物を振り返り、手を合わせお辞儀をした。そして、ゆっくりと歌いだす。死者の安らぎを願う歌。永久の安息を祈る歌。残された小さな命が、また新しい命を育むように、そんな願いも込めて。
 この森に住んでいる生き物たちは、誰もが顔を上げただろう。シルフェも、木の実を採りながら時々目を瞑り、紡がれる歌声に聞き入っていた。いきもの達に課せられた運命は、残酷であり、それでいて美しく快活である。これからもこの森を訪れる者が微笑みの似合う人物であるように。小さな祈りは森へ響き渡った。全てを癒す、漣の調べのように。



「まあ、随分と沢山採って来てくれたのね。ありがとう!」
 バニラフルーツを届けに、ピンキィとガルドの元へと足を運んだ。彼らはどうやら喫茶店に住み込んでいるようで、ルディアからその場所を聞き、直接届けに来たのだ。ピンキィは本当に嬉しそうに笑顔を作ってくれた。木の実を渡した後、枝をガルドへと預ける。
「こうして飾っておけば、供養にもなるだろう」
窓際、日の光と月の光が差し込む場所に、水晶の一輪挿しと共に置かれる一本の枝。花がなくとも、生きる植物は美しいものだ。
「じゃあ、今からお礼のお料理を作るわね。何がいいかしら?」

「ええと、お料理でも嬉しいけど、出来ればレシピを教えて欲しいなあ」
 ミルカがテーブルへと着き、手提げ籠に残った自分の分のバニラフルーツを見つめる。
「ヲトメは常に新しいお料理を開発していかなくっちゃいけないのよう。これを使うと、どんなお料理が作れるの?」
「バニラフルーツはね、スウィーツになら何にでも合うのよ」
ピンキィが渡された分のフルーツを籠に入れ、水で洗う。
「例えば、パフェとかクッキーとか、紅茶やココアでもいいわね。ほんのちょっと入れるだけで、甘味が上品になるの」
その言葉に、ミルカはへえと頷いた。
「それだったら、キッチンを貸してくれる? 一つ何か作ってみたいなあ」
「いいわよ。さ、どうぞ」
キッチンへと入り、さくさくと料理を作っていく。どうやら、クッキーを作っているようだ。
「えーと、これでバニラフルーツを入れれば……」
混ぜ合わせる前の生地に、ミルカが入れようとしたのは……
「……あっ、ミルカちゃん、違うの! バニラフルーツを使うときは、そのまま実を入れるんじゃなくて、果汁を……」
ピンキィがフォローを入れるも、時既に遅し。豪快にフルーツを磨り潰しそれを生地に混ぜ、ミルカは見事にクッキーを焼き上げていた。見た目は全く問題のない、寧ろ美味しそうなクッキーだ。そう、見た目は。
「じゃないと……ものすごーく苦くなるのよ……」
自分で自分の料理を味見し、「うん、美味しい!」と笑顔になるミルカ。しかも、それを喫茶店の店員に勧めるのだから、たまったもんじゃない。しかし屈託のない笑みと“見た目は”美味しそうなクッキーである。何も知らないで究極の苦味クッキーの犠牲者になった店員や客が数名現れた事は、書くまでの事でもない。


おしまい

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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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PC/ミルカ/女性/17歳/歌姫/吟遊詩人
PC/シルフェ/女性/17歳/水操師

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ライター通信
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ミルカさん、はじめまして。北嶋哲也でございます。
この度は「あまいあまい誘惑」に参加して下さり、誠にありがとうございました!
お料理がお好きとのことで、このようなラストにしてみましたが、いかがでしたか?
少しでも楽しんでいただけたなら幸いでございます。
では、今回はお届けが遅れてしまって申し訳ございませんでした。
またお会いできる日があれば、宜しくお願い致します。