<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


一日院長、募集中


 どかん、という小さな爆音。
 ――レナに依頼内容を説明していた依頼人の表情がひきつった。
「…まぁ、暴発ってのはあの通りの惨状で」
「た、大変ねぇ」
 白山羊亭で依頼を見つけ、田舎町で子供の相手という実にのんびりした内容の依頼に興味を覚えてやって来た魔女、レナは目をぱちくりさせた。長い睫毛に縁取られた瞳には、けれどもどこか事態を楽しむような色が浮かんでいる。
「でも大丈夫、あたしが来たからには問題は即解決よ!」
「え?いや、解決って、…」
 少年が何かを言いかけたのを遮って彼女はどん、と自分の胸を叩いて見せた。
「どうぞ安心して、モンスター退治頑張ってね!」

 そんなこんなで、レナ・スウォンプは孤児院にやって来たのだった。白山羊亭で「面白そうだから」と依頼書を手に取り、現在に至っている。
「それで――」
 孤児院の、件の暴発赤ん坊を除いた五人の子供達に自己紹介を済ませて、彼女は一番年長の12歳の少女が背負っている赤ん坊を覗き込んだ。リシュという名のその赤ん坊は先程の「暴発」で癇癪を収めたのだろう、寝息をたてている。いかにも柔らかそうなその頬を人差し指で突いて、レナは年長の少女の方へ視線を移した。
 彼女の第一声は、これだった。
「ところでおしめってどうやって換えるの?」
 子供達はそれぞれに呆気にとられたようである。年長の少女、イングリッドだけが苦笑して、
「それを知らずに、ベビーシッターを引き受けたんですか?」
「だってあたし、赤ん坊の世話なんてほとんどしたことないもの…あ、だいぶ昔に弟の世話はしたことあるけど。それくらいだし」
「……よく引き受ける気になったなぁ…」
 ぽかんと口を開いていた双子の片割れが呟き、全員が頷く。
「でもほら、あたし、魔女だから。魔力の扱い方なら心得てるわよ?」
 依頼人にして見せたように胸を張ってみせると、少年少女は顔を見合わせ、そんなものかと納得したようだった。代表するように再び口を開いたのはイングリッド。
「では魔女さん、リシュをどうお世話したらいいと思います?」
「そうね、ちょっとここに来るまで考えたんだけど――」
 レナはある方向をびっ、と指さした。建て付けの悪い、風の吹く度にがたがたと鳴る窓の外には小さな丘と森がある。あまり暗くもなく適度に人の手の入った森は、子供が遊び場にするにはちょうど良いくらいだ。
「とりあえず、あそこなら、暴発しても周りに被害は出ないわよね。という訳で、森に行くわよ!」
「別に孤児院に置いてても、子供部屋に居る限りは、爆発しても被害は出ないんですが」
 イングリッドは逐一冷静だ。一番年上なだけあって、普段から年下の子供達のまとめ役をしているのだろう。
「ああ、聞いたわ。結界で無理やり押さえこんでいるのよね。でもほら、外の風にもたまには当ててあげなきゃだし、それに――出来ればこの機会に、彼女が自分で魔力を抑えられるようになればいいと思わない?」
 なるほど、と子供達はまた、顔を見合わせ合った。頷いて、それから今度は8歳の少女、ジェーンが少し生意気そうな調子で、
「そうね、魔女が言うならきっとそうした方がいいのかも。悪くないと思うわ」
 肩をすくめて、同意した。そのこましゃくれた口調にレナは僅かに苦笑しつつも、「そうと決まったら準備よ」と子供達に告げた。


 リシュの「抱き方」を教わって、レナはその小さな暖かい生き物をそっと抱き上げた。間近で見ると可愛らしい口の中に、白い小さな歯が二本顔を出しているのが見える。
「あら、歯が生えてきてるのね」
「ええ、…ここのところ、そのせいでむずがってよく泣くんです。それで『暴発』の頻度も増えていて」
 小さな空のバスケットを持ったイングリッドがきびきびとレナの独白に答えてくれた。レナは顔をあげ、少し首を傾げ――何となく、イングリッドの額を突っついてみる。
「な、なんですか」
「いやー、すっごいしっかりしてるのねイングリッドって。も少し肩の力抜いても大丈夫よ?」
 ほら、ちゃんと保護者の代わりにあたしが居るし。と言ってみたものの、彼女は生真面目そうに口を引き結んでしまう。
「でも、私は一番年上ですから、しっかりしなくちゃ」
 足元の落ち葉に目を落とし、彼女はスカートの裾を握り締めていた。その少女の足元を、落ち葉と明らかに違う緑色のモノがするりと音もなく動く。
「ひゃ!?」
 少女が驚いたように悲鳴をあげると、足元の緑の物体は「にゃあ」と声をあげた。レナがにやりと笑う。
「ほら、その子も、少し力抜いたほうがいいって言ってるわ」
 レナの指さした先に居たのは――猫だった。少なくとも猫に見えた。にゃあ、と鳴いたし、姿形はどう見ても猫だ。
 だが、イングリッドは、しゃがみ込んで怪訝そうにそれをまじまじと見つめ、レナを見上げた。
「…これ、何ですか?」
「猫」
「……いえあの、なんかものすごい緑色なんですけど」
「うん。面白い色してるよねぇ」
 あはは、とレナはあっさり笑い飛ばし、同調するように猫はまたにゃあ、と鳴く。イングリッドはレナと緑の猫を見比べ、首をひねっていたが、
「あ、イング姉居た!何してんの?」
「わー、何それ猫?うわ可愛い変な色―!」
「…にゃーにゃー?」
「そうだよアーネスト、にゃーにゃーだよ」
 後からやってきた弟妹の賑やかな声に疑問を持つのをやめたようだ。とはいえ、尻尾を引っ張ろうとした一番幼いアーネストを慌てて諌め、「触っていいですよね」と一応レナに確認をとる辺りは矢張り生真面目だ。
「もちろんよ、遊び相手になってやって」
 ウィンクしてそう告げれば、子供達はわっと猫に群がった。
「ああ、でも手加減はしてあげてね!」
 慌てて付け加えたが、忠告はするだけ無駄なような気もする。幼い子供と言うのは実に遠慮とか容赦といったものがないのだ。

 猫を囲みつつ、レナの教えた薬草や香草、あるいは奇麗な花を探しまわる子供達から少し離れて、レナは改めて赤ん坊へ視線を落した。外の風に触れて、さっきまで寝入っていた幼子は小さな手のひらを振り回して自己主張を始めている。
「おはよう、赤ちゃん。初めまして」
 言いながら頬を突いてやる。赤ん坊のほっぺというのはどうしてこう、柔らかくて気持ち良いのだろう。
「う、うー?」
 森の風や匂いに、興味津津辺りを見回していたリシュは、ところがふいにむずがり出した。レナの顔を見て、いやいやするように小さな手足をばたつかせ始める。自分を抱き上げているのが、見慣れた人間ではないことに今更気がついたらしい。
「うー!」
「ちょ、ちょっと、駄目よ暴れちゃ、落ちちゃう…」
「うえええええ!!」
 首筋が粟立つような感覚があった。レナは咄嗟に、背後に生じた魔力の塊へ意識を向ける。そのまま自分の魔力を上乗せし――
 ぱんっ、と小さな、爆音に比べれば遙かに小さな破裂音をたてて、魔力の塊は拡散した。爆発は起こさず、ただレナのちょっとした悪戯心から、カラフルな青い光を放って消える。
 とはいえ。レナの腕の中で泣き出したリシュが収まる気配はない。次々現れる魔力の塊の気配に、レナは思わずリシュへ目を落とした。
「あらあら…やるわね、おちびちゃん」
 それから先程と同じ要領で、ひとつひとつの塊を、レナの魔力を上乗せすることで消し去っていく。ただ消すのもつまらないので、矢張り同じように、赤、白、黄色とひとつひとつにカラフルな光を放たせていると、何が起きているのか不思議に思ったのだろうか。リシュは、眼を丸くして泣きやんだ。
「あー…う?」
 手を伸ばし、光の一つを捕まえようとして、光が消える。
「魔力っていうのはね、こーやって使うものなの」
 赤ん坊が言葉を理解しているはずもないが、レナはそう囁いた。まさか伝わった訳でもないだろうが、自分自身の魔力のことなのだ。リシュは赤ん坊なりに感じることがあったのだろう。
「あなたみたいに無暗に周りにぶつけるんじゃなくってね。――でも、まぁ、そういうのはおいおい覚えて行けばいいのかしら」
「うー…」
 ぺたりと小さな手が、レナの頬を叩いた。
「う」
「んー?…何か言いたいのかしら。何が言いたいのかよく分からないけど、泣いてないから別に不機嫌な訳じゃないのよね」
 よしよし、と赤ん坊を持ち上げてみる。目を丸くしていたリシュは、ためらいがちにではあったが「だー」と意味不明な声をあげて笑った。
「そうそう。女の子は笑顔が一番よ」
 そんなことを言っていると、背後から子供達が近付いてくる声がする。先の光に惹かれて来たのかも知れない。
「ねぇ、さっきの何?リシュ泣いてた、もしかして」
 リシュが泣いてた、という声に青ざめたのはイングリッドだ。
「あ、あの、大丈夫でしたか!?」
「だーいじょうぶ、あたし魔女なんだから。大人を信用しなさいな。リシュもこの通り元気なもんよー。多分泣いたのは、あたしが知らない人だったからじゃない?」
 それならいいんですけど、とイングリッドが胸を撫で下ろすのと同時に、レナのスカートの裾を少年が引いた。5歳のアルフレートだ。
「向こうにね、花が咲いてたの。レナも見る?」
「あ、そうそう。あんまりここらじゃ見ない花だったな。あれもしかして食えるのかな」
「何で食べること考えるのよ、エドってば!でも、レナ、そういうの分かるんでしょう?教えてよ」
 今度は8歳の双子が、かわるがわるにレナの腕を引く。
 

 ――そうやって子供達に引っ張られてレナが案内された先は、倒木でかなり開けた日向になっている場所だった。折れた大木は、冬の雪の重さで倒れたのだそうで、この日向は比較的新しく出来たものらしい。
 そこにちらほらと、青い花が咲いている。
「ねぇあれ、食べられる?」
 食用にするという発想にすぐつなげてしまうのは、育ち盛り、食べ盛りだからなのだろうか。エドの問い掛けに思わず苦笑しながら、レナは首を振った。
「残念だけど食べられないわ。でもそうね…そうだ。白い布持ってない?あと水と」
 ジェーンとイングリッド、二人の少女に問いかける。顔を見合わせてから、イングリッドは自分の亜麻色の長い髪をまとめていたリボンをほどいた。リボンといってもただの布切れで、白い余り布で無理に髪をしばっていたというのが正しいのだが。
「水なら近くに沢がありますよ」
 イングリッドの言葉に、レナは少女達にだけウィンクした。
「他の子達はそっちでご飯の準備でもしてて。すぐに戻るから」

 レナがやったのは、ごく初歩的な染物だった。――先の青い花は、染物に使うものだったのだ。ハンカチで数枚の花びらを包んで絞り、滴った青でイングリッドから受け取った布切れを染めていく。
 本当に初歩的な染物だが、少女は初めて見たのだろう。それこそ魔法でも見たかのように目を丸くしている。
「はい、出来上がり」
 レナが広げて見せると、ただの白い布切れだったものには、藍色で花のような模様が付けられていた。イングリッドが、レナが見ている限りでは初めて、本当に子供らしい笑顔を見せたのはこの時だ。
「…ありがとうございます…」
 感情を表に素直に出すことに不慣れなのだろう。恥ずかしそうに俯きながらではあるが、本当に嬉しそうに笑う。
「いえいえ、こんなの簡単なんだから気にしないで」
 それからレナは、イングリッドの亜麻色の髪を纏めてやることにした。リボンを奇麗に編み込んで三つ編みを作りながら、レナはふと思いついて、彼女を覗き込んでみる。
 年頃からいってもお洒落に興味が出てきそうなものなのに、イングリッドときたら、地味な灰色の服にエプロン、髪も布切れでまとめているだけなのだ。
 孤児院が貧乏だから、というのも理由としては考えられたが、同じ孤児院のジェーンはそれなりに身綺麗だったように思う。
「ねぇイングリッド、ちゃんとワガママ言ってる?」
 それでつい、そんな風に尋ねてみると、彼女は首を傾げるようにした。意外なことを言われた、という風に。
「…私は孤児院にお世話になってる身ですから、ワガママなんて言ったらバチが当たります」
「あーもー、ホントに真面目なのねぇ!」
 三つ編みを編み終えて、レナは自分の髪の毛をまとめていたピンを一本抜いて彼女の髪につけてやった。それから背中を軽く叩く。
「女の子なんて、ワガママ言ってなんぼなのよ!たまにでいいから、他の子にも大人にもワガママ言ってみなさい。せっかく女の子に生まれたのに、勿体ない!」
 大袈裟に嘆く振りまで付け加えて言ってみると、
「…。そういうものですか?」
 眉根を寄せたイングリッドの額を突いて、レナはウィンク。
「そういうものよ。…さ、戻りましょうか」
 リシュをあんまりあの子達に任せてはおけないわよ、と冗談めかして言うと、イングリッドは再び遠慮がちに笑った。



 
 ――その日。
 日も落ちた黄昏時にやっと孤児院へと帰宅した依頼人、ヨルが見たのは、散らかり放題の台所と、子供部屋でごろごろと眠る子供達と赤ん坊、それから赤ん坊にしがみつかれるような格好で眠る魔女の姿だった。室内には、薬草や花が散乱している。
「……何してんだこの人…」
「さぁ。一緒に遊んで疲れたんじゃねぇの?ガキと全力で遊べる大人も珍しいなぁ」
 ヨルの背後から現れたレシィは、呆れる彼とは真逆に面白そうに笑う。それから彼女はイングリッドを見て、おやと目を瞠った。
 どれだけ彼女たちがたまには甘えろと言って聞かせても常に遠慮がちな地味な服と髪型をしていた彼女が、珍しくも可愛らしい三つ編みをしている。しかもリボンまでつけて。
「…たまにゃ人に任せるのもいいもんだなァ」
 にやりと笑って口笛なんか吹いてみると、ヨルがイングリッドと良く似た生真面目な顔をした。(似ていると指摘すると本人はとても嫌そうな顔をするので、言わないことにしていたが)
「何がだよ、母さん?」
「んや、こっちの話だハニー。…ところで彼女、起した方がいいのかね?」
 さぁ、どうしたものやら。

 結局、子供達と赤ん坊と並んで眠る派手な格好の魔女という取り合わせは奇妙にも見え、何だかとても平和なようにも見えたので。
 二人はもうしばらく、放っておくことにした。





 
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3428/レナ・スウォンプ/ 女性 / 20歳(実年齢20歳) / 異界職(術士)】