<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


     求む!道具屋トームの手がかり

 未だ誰もその最深部へ達したことがないと言われる無限の地下迷宮『ラビリンス』では、時間と方角ほどその存在が希薄になるものはない。昼夜の区別のない、ぼんやりとした黄昏のような薄明かりを投げかける魔法の光は探索者たちの時間の感覚を麻痺させ、魔法による転移をはじめとするありとあらゆる類の罠や、歪んだ階層を多く含む陰険な構造が、彼らの優れた方向感覚を狂わせる。
 そんな迷宮の中では何よりも慣れと経験が必要とされるが、今現在それをもっとも持ち合わせていると噂される若い隻眼の冒険者、リルド・ラーケンにも、しかし人間としての限界があった。
 「まったく、冗談じゃねえぞ!」
 目に見えない壁と、うっかり踏めばぐるぐると回転しながら移動する床に行く手を阻まれ、目指す方角へ思うように進めずにいるリルドが大広間の中心で誰にともなく叫ぶ。
 「こんなところ、コンパスもなしに進めるのなんてアイツくらいじゃねえのか?」
 幾度となくぶつかって大体の場所を把握した透明の壁をさけ、回転しながら移動する床を、文句をこぼしながら次々と渡っていくリルドは、しきりに手に持ったコンパスに目をやって方角を確認していた。
 彼の言うアイツとは、この地下迷宮で道具屋を営む変わり者の女店主レディ・ジェイドが所有する魔法人形のアリスドーラのことである。彼女は魔力によって制御され、半永久的に機能する魔法人形だけが持ち得る高精度の時を測る能力や方向感覚を生かし、リルドと同じく迷宮の探索を続けていた。
 現在リルドとアリスドーラは協力関係にあり、先日発見した『ラビリンス』の動力源から偶然にも得た情報をもとに、丁度対となる位置にもう一つあるとされる動力源を見つけるべく手分けして調査にあたっているところである。
 それに際してリルドはレディ・ジェイドから特別製のコンパスを後払いで入手していた。求められた代金は、『ラビリンス』で行方知れずとなっている女店主の父親トームの手がかりを持ち帰ることである。この恐ろしく広い地下迷宮でたった一人の人間の手がかりを見つけるのは非常に難しかったが、何度かそれをやってのけているリルドはためらうことなくその条件を呑んだのだった。
 地上で一般的に使われるコンパスは、この迷宮の中では時折狂って役に立たない時があるが、リルドが今手にしているものはアリスドーラの機能を模倣し、希少な鉱石を利用して作られた『ラビリンス』専用であるため、内部でも狂うことなく常に正確な方角を指し示してくれる。また、使用されている鉱石の感応レベルから、共に探索しているアリスドーラの現在地を割り出し座標で示してくれるため、頻繁に連絡を取り合わなくとも相手の探索状況が判るのが良かった。座標を見る限り、彼女も別ルートで目的地目指して少しずつ奥へと向かっているようだ。
 リルドは、一見壊れているのではと思えるほど床の動きに合わせて勢いよく回転するコンパスの針を注意深く読み取りながらタイミングを見計らって、移動する床の上をひたすら進む。しばしば目に映らぬいまいましい壁に邪魔され、頭をぶつけたり遠回りをさせられたりしたが、それでも何とか無事に越えることができた。
 ようやく動かない床に降り立つと、リルドはおもむろに腰に佩いた剣を引き抜き、床に勢いよく突き立てる。まだ足下がぐるぐると回っているような感覚にとらわれていたため、眼帯をしていない方の目をすがめ、じっと平衡感覚が戻るのを待った。
 やがて真っ直ぐに歩くことがきるようになると、リルドは肩越しにやっかいな仕掛けを振り返り、舌打ちすると、こんなところからは早々に退散すべきだというように背を向ける。
 広間を抜けると、今度はうって変わって狭く長い単調な廊下が延々と続いていた。道幅は大人二人が並んで歩けるかどうかというくらいしかないのに、天井はやたらと高く、まるで背の高い屋敷が両脇に立ち並ぶ路地裏にでも迷いこんだような錯覚にとらわれる。その不思議な閉塞感は、否応なくリルドを不愉快な気分にさせた。
 そのせいだろうか。目前に十字路が見えた時、この息の詰まりそうな状況から抜け出せるのではというささやかな希望がわき、熟練の冒険者の心にわずかな隙を生んだのかもしれない。
 さして警戒なくリルドが十字路に足を踏み入れると、まるで猫が尾を踏まれて飛び上がるかのような勢いで不意に床がぐるりと回転し、油断をしていたリルドを派手に転倒させた。何とか受身をとって怪我をまぬがれたリルドは半身を起こし、「今回はこんなものばっかりかよ!」と悪態をつく。それから視線を周囲に向けてみたが、十字路の先はどれも似たような細く長い道が続いているだけで、どちらから来たのかすらもはや判らなかった。
 リルドは乱暴に髪をかき、ため息をついて立ち上がると、コンパスを取り出し方角を確認する。何の変哲もなさそうに見えるコンパスの銀色の針は、彼の背後を真っ直ぐに指していた。その道の先はやってきた時に見た風景と何ら変わったところなどなさそうに思えるが、手の中の道しるべを信じる限り目的地はそちらの方角のはずである。
 「案外、目標に近づいてるからこんな罠があるのかもしれねえな。」
 ことごとく方角を狂わせる罠ばかり仕掛けられていることに、リルドはそんな推測を立ててみた。それならばなおのこと、進まなければならない。変わり映えしない景色のため、後戻りをしているような気にさせられるが、確実に目的地へと近づいていると信じて、リルドは再び歩を進めた。
 またしばらくこの退屈な道を行くのかと思うと気が滅入りそうだったが、どうやらその心配だけは必要なかったらしい――というのも、単調な通路が唐突に一つの大きな部屋へとつながったからである。しかもそこには残酷そうに目を光らせる不気味な生物たちが巣くっていた。いや、よく見るとそれはどれもこれも鉄や見たことのない金属などでできた機械で、赤いガラス玉のような目らしきものがリルドをとらえると、一斉に彼の方へ向き直り、襲いかかってきたのである。
 「ようやく楽しめそうだぜ!」
 リルドはにやりと笑って剣の鞘を払うと、数十体と群がる敵陣の中へ駆け出した。そんな彼めがけて鋭い光のようなものが幾度となく撃たれたが、多少かすっても気にせずリルドは剣を振るう。すれ違いざまに一撃、そのまま反転し遠心力を利用して背後の敵も一刀のもとに叩き伏せると、立ち止まることなく次の標的に駆け寄り剣を振り下ろした。
 「これで最後だ!」
 これまでの道のりで鬱憤がたまっていたのか、瞬く間に他の敵を殲滅したリルドが一声と共に最後の一体に強打を与えた――その次の瞬間。
 がこん、という無慈悲な鈍い音がしたかと思うと、出し抜けにリルドと倒れた機械たちを支えていた床が抜け、悪態をつく間も与えず大きく開いた竜の口の中とも思える深い闇へと飲み込んだのだった。
 薄明かりと静寂の中で、大きな水しぶきと水音があがる。どれほどの距離を落ちたのかは判らなかったが、さほどの高さはなかったらしく、幸いにして大した怪我を負うことなくリルドは水面に顔を出した。
 「前にもこんなことがあったよな……。」
 ぶつぶつとそんなことをぼやきながら周囲を見渡すと、そこは天然の洞窟のように岩肌が露出しており、今彼が浸かっている水はちょっとした池のように見えた――が、ただの水にしては粘度が高い。
 「これは、沼か?」
 何にしろ清潔とはとうてい言えそうにない水の色からして長居したくなるような場所ではなかったため、リルドはできるだけ急いで陸地へと上がった。
 しかし、長時間浸かっていたわけでもないのに何故か疲労が大きく、軽いめまいまでするように思える。
 「毒沼かよ。」
 そう唸って携帯している毒消しの薬草をくわえ水辺の方を振り返ると、水中や、その沼の周囲に先ほどまではなかった白く丸いものが浮き上がってくるのが視界に映った。唯一視力のある方の目でじっと注目していると、やがてそれが頭蓋骨であることが判り、次々と皮も内臓もない骨だけの身体が現れるのが見てとれる。その数の多さに、リルドは思わずくわえたままだった薬草を落としかけた。体調が万全な時ならまだしも、まだ毒が消えていない今の状態で大量の敵と戦うのはあまりにも不利である。
 リルドは薬草を口の中に押し込むと、「戦略的撤退!」と叫んで速やかにその場から逃げ出したのだった。
 しかし、間もなく毒は消えたものの、それで危機が去ったわけではなかった。いや、当面の危機は確かに免れたのだが、洞窟を抜けた先は伸ばした腕の先端すら見えない闇の空間だったのである。かろうじて顔のそばにかかげたコンパスは読むことができたが、足下も見えないため何があるかまったく判らなかった。
 「効率を考えて分かれて探索すんのはいいけどよ……明らかにこっちはアイツ向きじゃねぇか!」
 今ここにはいない、暗闇の中でも方角を失うことのない魔法人形のアリスドーラに向けて、これまでの工程を振り返り思わず叫ぶ。
 しかし、たいていの罠を見抜けてしまう彼女はそれらをすべて発動させるわけではないため、リルドのように罠の先に思いがけぬ新たな道を発見するということはあまりない。また、罠を発動させて無事にそれを乗り越える運もあるかどうか判らなかった。ありとあらゆる武具を扱うことのできる魔法人形だが、時にこの迷宮では技術より運が何より力を発揮することもある。
 リルドはただの人間ではなく、竜と同化した極めてまれな存在だが、あるいは彼の体内に在るその存在が彼を新たな探索の場へと導くのかもしれない。強大な魔力で維持されているこの『ラビリンス』は、リルドの内で眠る竜の力にも影響している可能性もあるのだ。それとも、やはり本当にリルド自身が持つ運だろうか。
 かつん、とかすかな金属音がリルドの足下で響いた。一瞬罠でも発動したかと思いどきりとしたが、少し経っても何事も起こらなかったため、彼は用心深くかがみこんで靴に当たった物を確かめる。手にはめた、ぼんやりと燐光を放つ指輪をかかげてみると、そこには壊れたコンパスが一つ。それはリルドが今手にしている、道具屋から譲り受けた物によく似ていた。
 しかし、彼が持っている物よりも古そうであるし、作りにも差異が見られる。
 『ラビリンス』専用のコンパスを持つ者は数が少ない。それによく似た古いコンパスの持ち主など、一人しか思い当たらなかった。
 「……どうやら、ちゃんとこいつの代金を払えそうだな。」
 手にしたコンパスを一瞥し、口の端を上げると、リルドはもう一つの壊れたコンパスを拾い上げてしまいこみ、再び歩き始めた。
 もし転移の罠にかかって上層へ戻されてしまっても、これで収穫はあったことになる。コンパスの有用性も確認できた。女店主に報告すれば、決して悪い顔はしないだろう。このままさしたる障害もなく目的地である動力源へとたどり着ければ、なお言うことはないのだが――それについては今の彼が知る由はない。いや、この地下迷宮を作り上げた『ラビリンス』における『神』ですら、探索者たちの未来について知る術はないはずだった。
 未来は不確定。何が起きるか判らないこの迷宮の中でも、そして自然の摂理に支配された地上でも、そのことだけは変わることなどないのである。




     了




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3544 / リルド・ラーケン / 男性 / 19歳(実年齢19歳) / 冒険者】


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■         ライター通信          ■
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リルド・ラーケン様、こんにちは。いつもお世話になっております。
この度は「求む!道具屋トームの手がかり」にご参加下さりありがとうございました。
息つく暇もないほどスリリングなプレイングをいただき、書かせていただくこちらも大変楽しませていただきました。
普段にも増して災難が多くふりかかったようですが、無事乗り切ってしまわれるところが、さすがベテランの冒険者だなと思います。
話の展開を進めるのがゆっくりな書き手ゆえ、もう一つの動力源にまでは到達できませんでしたが、また機会がありましたらぜひ探索を進めていただきたいと、アリスドーラ共々心から願っております。
それでは最後に、もう一つの探索の様子を少し。

 ――別ルートを進むアリスドーラは、足下で何やら剣戟が聞こえたように思い、足を止める。
 ――そのかすかな音は厚い床を通してしばらく響いていたが、やがて一つの物音を最後に聞こえなくなった。
 ――誰か叫んだように思ったが、まさかあの男はまた罠にかかったのだろうか? と、彼女は一人思ったとか。

 ありがとうございました。