＜聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記＞
涸れずの池のちっさいおっさん
黒山羊亭は“濃い”。
歓楽街ベルファ通りきっての酒場であり、世話好きで姉御肌な美貌の踊り子エスメラルダがおり、一癖も二癖もある連中が集う。
さて、今回は──
「今夜はまたご機嫌ね、どうしたの？」
エスメラルダが声をかけたのは、色白でぽっちゃりした小柄な中年男である。凝った意匠の首飾りと、ついつられてしまう恵比寿顔が印象的だ。名をピョータル・ナトットといい、ふらりと現れてはごねず騒がず飲み食いする上客である。さきほどからカウンターに肘をつき、まるっこい掌で頬を支え、いつもより二割増に笑みくずれていたので尋ねてみたのだが、返事はこうだ。
「だってほら、あの隅っこの痩せっぽちくんと猫背くんとギョロ目くん、これからミーのおうちに忍び込む相談をしてるんだよ」
さりげなく示した席には、なるほど、チンピラ然とした三人組が額をつき合わせていた。
「……ずいぶん耳がいいのね。だったら面白がってないで警備隊を呼ぶか、早く帰って戸締まりを厳重にした方がよくなくって？」
「ムリムリ、だってミーんち涸れずの池だもん」
「あら、あなた堂守さんなの？」
「うふふ、まあそんなとこ。正解はちっさいおっさんなんだけどね」
小さかろうが大きかろうが“おっさん”にしては妙に可愛らしく首をかしげると、険しい表情で出ていく三人組を横目に、ピョータルはスツールからぴょんと飛び降りた。
「肝試しって年でもなさそうだし、やっぱ池の小銭目当てかなあ？ でもこっそり無断でってフツーにドロボーじゃん？」
先回りしてバチあてちゃおっかなあ、となにやら物騒な言葉を残し、ピョータルもまた扉に向かう。その後ろ姿を見送ってから、エスメラルダはふと不安に駆られてあたりを見回した。なにも起きないにこしたことはないが、精霊を祀った大きな池が言葉通り“我が家”ならば、なにかあってからでは遅すぎる。
「ねえ……誰か、様子を見てきてくれない？」
エスメラルダの意を汲んで、ジェイドック・ハーヴェイと千獣（せんじゅ）は黒山羊亭を後にした。
「涸れずの池って……確か、精霊を見かけたら幸運が訪れるとかなんとか……そんな噂のある池じゃなかったか？」
たまたま手もあいていたし、ご利益ありというならあやかってみるのも面白かろう、それがジェイドックの動機だ。
「幸、運……」
呟いて首をかしげる千獣よそに、行く手をすかし見る。まだ宵の口とてベルファ通りの人出はこれからといったところだが、前方の三人組も、その少し後ろを肥満体を揺らしながら歩くピョータルも振り返る気配はない。
「で、いつになったら先回りするんだ？」
その揶揄が聞こえたかのように、突然、ピョータルが脇道にそれる。ちらりと視線を投げ、千獣が追っていったので、ジェイドックはそのままチンピラ達の尾行を続けることにした。
あの堂守だか池の精だかには悪いが、相手が賞金首ならともかく、ただ怪しいというだけでいきなり捕えるわけにもいくまい。だいたい、人相がよろしくないから悪人と決めつけるのは乱暴すぎるし、残念ながら外見と同じであればあったで、これから盗みをはたらくつもりですなどと言う筈もなかろう。罪を犯すまで待つというのもおかしな話だが、中途半端に追い返して日を改められても厄介だ。罰あたりな賽銭泥棒か、年甲斐もなく肝試しか、殊勝にも精霊に詣でるか、すべては涸れずの池での挙動を確かめてからでも遅くはない……
まず、そんな心づもりであった。
月が高くなるにつれて賑わいだした歓楽街のこみいった通りを抜け、いったん舗装された道が終わると、眼前にひろがるのは都のうちとも思われぬのどかな田園風景だ。街を離れてからはときおり背後を確かめる三人ではあったが、まばらに建つ納屋や並木の陰をぬい、獣のひそやかさで追跡するジェイドックを見出すことはできない。鬱蒼とした木立に踏み入ってからはなおのこと、会話が拾えるくらい近づかれてもてんで気がつかなかった。
「……だからよ、ちょっとくらい、いいんじゃないか？」
「しつっこい野郎だな、占いの先生はちゃんと戻せって仰ったじゃねェか」
猫背に一喝されてもなお、ギョロ目は食いさがる。
「なにが先生だ、おとつい魚市場でトロ箱運んでやがったぞ」
「あの人ァなんでもやるんだよ！」
と、痩せっぽちが口をはさんだ。
「精霊なんて、本当にいるのかねえ……」
「いるからわざわざ来たんだろうが！」
「ただのヨタ話に決まってるだろうが！」
言い争っていた二人が同時に同時に切り返す。暗がりで聞いているジェイドックの髭がかすかに震えた。わかってみれば間の抜けた話だ。つまり池の精霊がいる、いないで揉めているわけだ。どさくさに賽銭を失敬しようという意見も出ているが、論争のおまけのみたいなものだし、目を光らせていれば大丈夫だろう。
そうと決まれば……
「かてぇこと言うなよ、小銭のひと掬いくらい、いただいたってバチは──」
「当たるかもしれんぞ？」
いきなり降ってきた声にチンピラ達はぎょっと振り仰ぎ、葉叢から覗く虎頭を認めて青くなった。がさがさと枝を押しのけ下生えを踏みつけて現れたのが魔物ではないと知れたところで、強面の獣人乱入という事態に変わりはない。
「精霊見物なんぞ風流じゃないか。酔い覚ましにちょうどいい、俺もつきあおう」
「こりゃどうも、お聞き苦しいこって……」
「ただの楽屋話でして、へい」
「旦那のお手を煩わすようなこっちゃねェんで」
ジェイドックの悠揚とした様子に、格上の同業者とでも判断したものか下手に出て追い払おうと試みた三人であったが、
「遠慮するなよ。俺にも一口、噛ませろ」
噛む、という言葉を強調して笑ってみせるとたちまち諦めた。
「それじゃあご一緒に……ですが旦那、おいら達ァただ精霊を見に行くだけですぜ？」
「ああ、俺もそのつもりだ」
心配そうに念を押す猫背の男に、ジェイドックは頷いた。
「ほう……」
木立から開けた空間に抜け出し、ジェイドックは賛嘆の溜息をもらした。
涸れずの池は、その名の通り満々と水をたたえた大きな池であった。月光を映してやわらかに輝くさざ波が、彼方にぽつりと浮かぶ中州と岸とを隔てている。精霊の招きを受けた者だけが訪問を許されるという伝承そのままに、橋はもちろん、船着き場さえもない。
「で、どうするんだ？ 祠まで泳ぐのか？」
しらばっくれて問いかけると、
「じょ、冗談じゃありませんや、真ん中あたりで“引っ張られる”って噂ですぜ」
大仰にかぶりを振った猫背を、ギョロ目がせせら笑った。
「真に受けちゃいけませんよ旦那、どうせ急に深くなったり藻に絡まったりってのが関の山で」
「いちいちうるせェ野郎だな、さっさと賽銭集めやがれ……盗るんじゃねェぞ、拾うだけだ」
猫背がしぶきをたてて池に入り、腰をかがめて探り始めた。ギョロ目と痩せっぽちも慌てて続く。ジェイドックも数歩進んで、覗いてみた。なるほど、夢を破られた小魚の鱗の閃きの下や水草の根元、砂利の隙間、浅瀬のそこここに幸運を願って投げ込まれた硬貨が沈んでいる──が、人間の目には月明かりだけでは不十分なようで、まったくはかがいかない。
「投網を用意するんだったな」
冗談めかして言ってやると、ギョロ目が控えめに睨んできた。
「お願いですからそう、牙をちらちらさせないでくださいよ。おっかないったらありゃしねえ」
「そりゃ済まんな」
ジェイドックが苦笑した、そのとき。
「見ろ！」
どうにかかき集めた小銭を片手に、猫背が彼方を指さした。
中州のあたりから金色の漁火めいた光が揺らぎ出で、次第に人の形をした靄となってこちらに向かって来るではないか。
「ほぅらな！ やっぱり池の精霊ってなァ本当にいるんだ！」
「そんな馬鹿な……」
鼻高々な猫背、呆然とするギョロ目の傍らで、痩せっぽちがいやに冷静に指摘した。
「なあ──もしかして俺ら、まずくない？」
次の瞬間、一気に距離を詰めた金の靄が猿臂を伸ばし、右手にギョロ目、左手に痩せっぽちの襟髪を掴む。涸れずの池に野太い悲鳴がつんざき、零れ落ちる小銭の音をかき消した。
「ここ……この人の、池……」
その声に、ジェイドックは聞き覚えがあった。足の立つ深さでおぼれかけている猫背を助け起こしてやり、いかなるからくりなのか水面に立っている金色の千獣──濃いミルクのようだった靄は、紗のヴェールほどに薄れていた──を見上げる。
「人間の、ルール、では、人の、家の、お金を……勝手に、取っちゃ、いけない、ん、だよね……？」
赤い瞳に睨まれ、半ば宙吊りの二人も再びへたり込んだ残り一人も震え上がった。
「ああ、いや、待ってくれ。こいつらは精霊が実在するかしないかを確かめたくて、わざと賽銭を盗む振りをしたんだ──だろう？」
「そう、なの……？」
問われて、チンピラ達は玩具の人形よろしくガクガクと頷く。千獣はしばし思案の後、手を離した。
「なら、いい、けど……もう、こんなこと、しちゃ、駄目、だよ……」
ずぶ濡れの三人を、今度はジェイドックがひょいと岸にあげてやる。
「旦那もお人が悪ィや、精霊様とお知り合いなら、はなっからそう仰ってくださいよ！」
猫背が恨めしげにぼやいた。この状況では無理もないが、千獣を池の精霊と思ったようだ。
「なに、百聞は一見に如かずというからな」
霊験あらたかな仙女がおわすとの噂がひろがれば、本物の賽銭泥棒も二の足を踏むだろう。ジェイドックは敢えて訂正せず、ただにやりとしてみせた。
ほうほうのていで去ってゆく三人組を見送ってから、ジェイドックは池に向き直った。硬貨を一枚放り投げ、ふと傍らに目をやると、千獣がじっと見ていた。
「なに、せっかく来たんだし、挨拶をな」
問わず語りに言い訳をすると、
「精霊、に、会いたい、の……？」
不思議そうに問う表情に、ジェイドックもまた不思議なこころもちになる。
「そりゃまあ……幸運が訪れるというなら会ってもみたいが」
すると千獣が、先ほどからひらひら舞っている金色の蝶を差し招くではないか。羽に比べて体がやけに大きい。大きいというより太い。おまけに妙な形だ。あれではまるで──
「どうもぉ、ちっさいおっさんですぅ」
「ピョータル！？」
掌に乗るほど縮んだピョータル・ナトットその人が、ジェイドックの鼻先で可愛らしく手を振っていた。
「本物の精霊だったのか……」
だから千獣は「この人」と言っていたのかと合点がいく。輝く黄金色が先刻の靄と同じであるからには、また人ひとりを水上を歩ませる魔力からして、疑問の余地はないだろう。
……ところで、ご利益の方はどうなったんだ？
そんな彼の思いを見透かすように、ちっさいピョータルは尋ねてきた。
「ユー、今、小銭を放ったね？ 放っちゃっちゃね？ 願掛け、洒落、それともついで？ ミーの統計によると、女の人はお天気の話題くらいの気持ちで投げるけど、男の人は結構本気なんだよねえ。ユーはどうかなぁ？」
「いや、俺はその……精霊を見かけたら幸運が、ってのを小耳に挟んで、まあ、一つ、あやかるつもりで」
「ふぅん？ 実はミー、そこらへんが微妙なんだよね。だって幸せは授かるものじゃなくて見つけるものじゃん？……けどミーの姿を見ることを条件に気持ちをに前向きに切り替えられるなら、結局ミーには運気アップの超絶パワーがあるってことになるかもねぇ？」
あけっぴろげな物言いにつられ、ジェイドックの頬も緩む。
「そうだな。まあ、俺としては涸れずの池の精霊を間近で見たばかりか言葉もかわしたわけだから、得をした気分ではあるな」
「あはは、じゃあそういうことにしとこっか？」
蝶の羽を生やした太った精霊は、満面の笑みでひらりと宙返りをした。
「ユー達にいい事がありますように！」
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【 2948 ／ ジェイドック・ハーヴェイ ／ 男性 ／ 25歳 ／ 賞金稼ぎ 】
【 3087 ／ 千獣（せんじゅ） ／ 女性 ／ 17歳（実年齢999歳） ／ 異界職 】
【 NPC ／ ピョータル・ナトット ／ ちっさいおっさん 】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
ジェイドック・ハーヴェイ様
こんにちは、三芭ロウです。
まずはお詫び申し上げます。お待たせして申し訳ありませんでした。
この度は涸れずの池までご足労、ありがとうございました。ジェイドック様には三人組の面倒を見ていただきました。
それでは、ご縁がありましたらまた宜しくお願い致します。
|
|
