<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


『ラスト・ステージ!』



○オープニング

 アルマ通りにある小さな酒場『ブルー・クリスタル』。今日もこの酒場の夜を知る人ぞ知る女性シンガー、サティー・ミックが盛り上げていた。
 しかし、その彼女の歌声を聞けるのも、来週行われるラスト・ステージで最後となるのだ。サティは結婚を機に、歌手を引退するのだという。
 彼女の知り合いという、白山羊亭のウェイトレス・ルディアはそんな彼女の最後のステージを、観客にとってもまた、彼女自身にとっても思い出深い物にする為、ラスト・ステージを盛り上げてくれる有志達を募集するのであった。



 サティーのラスト・ステージが3日後に迫ったその日、アルマ通りで一番多くの人が行き来するクロスロードで、赤い瞳の少女が、せわしく行き交う人々にチラシを配っていた。
 少女の名は千獣(せんじゅ)。狼少女として生きた年数が人生の半数を占める為、どこかの営業商人の様に営業的な笑顔を浮べ、達者な勧誘の言葉を並べる事は出来ないけれども、そのどこか人にはない雰囲気が逆に、人々の興味を引いているのであった。
「サティー……最後のステージなの……見に来て……?」
 千獣にとって、サティーは深い付き合いをしている友人でもないし、3日後に迫ったステージが終われば、おそらくはサティーに会う事もなくなるだろう。
 しかしながら、白山羊亭で今回の依頼の話を聞いた時、千獣の心の中で何かが動いた。彼女のステージを手伝おうと思った、千獣の心にあるものが。
 結婚とは、愛し合うもの同士が一緒になり、ずっと一緒に生活をしていく事だと、人間の世界へやってきて千獣は知った。
 獣に育てられた千獣であったが、自分には心を熱くする、恋焦がれる青年がいる。その青年となら……結婚してもいい、そうなってみたい。チラシを配りながら千獣は、そんな事を頭の中で巡らせていたのであった。
「サティーって、アルマ通りのブルークリスタルでたまに見かける、あの人?」
 チラシを受け取った青年が、そう問いかけた。
「はい……もうすぐ結婚して……歌手をやめてしまう……の。だから、最後の舞台……皆に、見に来て欲しい……」
 小さく頷きながら、千獣は青年に答えた。
「そうかあ、何度か見に行った事があるんだけどさ、そういう事ならしょうがないよな。俺も時間が出来たら、応援に行くよ」
「……ありがとう……待ってる……から」
 青年の後姿を見送りつつ、千獣は言った。
「そろそろ、買物……いかなきゃ」
 手伝うことはまだまだ沢山ある。ある程度チラシを配り終わった千獣は、市場へと歩き出した。



 幽霊のマーオ(まーお)は、街の市場で買物をしていた。
 幽霊ながらもパティシエであるマーオは、お菓子ならば何でも作る事が出来る達人並の腕を持ち合わせていた。
「きっと最後だから、沢山の人が来るよ。お菓子もいっぱい準備しなきゃ。それに、サティーさんにも特別なお菓子、作ってあげたいなあ」
 菓子の様々な材料が陳列されている棚を見つめていた。
「結婚して引退しちゃうなんて、淋しいなあ。どんな気持ちなんだろう。好きな人と一緒になるんだよね、嬉しい気持ちだとは思うけれど」
 お菓子の材料にするフルーツの鮮度を確認しながら、マーオは呟いた。
 気になる相手。マーオにもそんな相手はいる。けれど、その子はマーオの夢の中にしか存在しない。
 マーオの14歳以降の、失われた記憶のどこかに、夢の様な恋をして結婚をした、そんな記憶があるのかもしれない。それは、今となってはその記憶を探し出す事すら、適わない事だけれど。
 買物籠にお菓子の材料を山盛りに詰め込んで、マーオは会計を済ませた。荷物を手に持ち、その足でサティーのステージが行われる酒場「ブルー・クリスタル」へと向かった。
「こんにちは!サティーさんのステージのお手伝いに来ました!」
 元気の良い声で、マーオは酒場の厨房を訪ねた。
「ああ、幽霊さん?あんたも手伝ってくれるのかい?」
 酒場の厨房を管理しているらしい、一人のコックがマーオを出迎えた。
「はい!白山羊亭でサティーさんの話を聞いたんです。僕はお菓子作りが得意だから、お手伝いをしに」
 マーオは笑顔でコックへと答えて見せた。
「ステージは明後日ですけど、当時は混雑すると思うので、今のうちに下ごしらえさせて貰いたいと思って。僕、引退の話を聞いた時、淋しいって思ったんだけど、でも、サティーさんには喜ばしい事だよね。少しでも、盛り上げの手伝いをしたいと思っているんだ」
「そうか。それじゃ、手伝いを頼むぞ。料理も今まで出豪華な物にしたいからな、よろしく頼むぞ」
「はーい!」
 コックの言葉に、マーオは元気良く返事をした。



 ラストステージが翌日に迫った夕刻、サクリファイス(さくりふぁいす)はブルークリスタルへと赴いた。
 穏やかな外見に、青く長い髪を持つ女戦士。かつて天界から落とされた存在であるが、今はこのソーンで様々な依頼を受け事件を解決し、たまにはのんびりと世間を楽しんだりしながら、日々の生活を送っている。
 サクリファイスは、数日前に立ち寄った白山羊亭で、今回のステージの事を聞きつけた。
 一人の歌手が、第二の人生を歩き出そうとしている。その歌手にとって今回のステージは、ラストでもありスタートでもあるのだろう。その重要な時こそ、いつまでも思い出に残る楽しいものにして欲しい。話を聞きサクリファイスはそう思い、手伝いを申し出る事にしたのであった。
 サクリファイスがブルー・クリスタルに到着すると、すでに前日準備で多くの人が集まっていた。初めて訪れる酒場であるが、いつもこのように騒がしい所なのか、それともラストステージの為に落ち着かないのかはわからない。けれど、サクリファイスの見る限り、どの者も忙しくしながらも、真剣な眼差しをしていた。何としても、このステージを成功させたい、という熱意が、サクリファイスにも伝わってきた。
「私はサクリファイスと言う。明日のステージの手伝いに来たのだ。プロ並の事は出来ないが、ある程度の事なら一通り出来るつもりでいる」
「ああ、お手伝いに来てくれたんだね」
 ステージに花を飾りつけていた女性が、サクリファイスへと顔を向けた。
「人手が足りない所を手伝おうと思うのだが、何かやる事はないか?」
 少し考えた後に、その女性は、ステージの右奥にあるドアを指差した。
「確か、コックが客に出す食事の仕込が終わらないって言ってたよ。大量の肉と野菜を抱えていたはずだ。そっちへ行ってくれないかい?」
「わかった。厨房の手伝いだな?」
 サクリファイスは女性に言葉を返し、厨房へと向かった。少しでも手伝いをして、素晴らしいステージにしよう、そう思ったのであった。



「買物、行ってきた……の」
 千獣は厨房に入り、コックへ材料を渡した。
「有難う、千獣さん!お砂糖が足りなくなっちゃって」
 マーオは千獣から砂糖の袋を受け取ると、早速スプーンで砂糖を量り、鍋の中へと入れた。
「他に足りない物があったら……言って欲しい」
「今んところはないな。有難う、別の仕事をやっていてくれ」
 コックに言われ、千獣は頷いて答えると厨房の出入り口の扉に手をかけた。すると、扉が反対側から開き、外からサクリファイスが入ってきた。
「私も料理の手伝いをしよう」
「お手伝いが増えたよー!楽しいね!」
 マーオがサクリファイスを見て、にこやかな笑顔を見せた。
「ステージの……飾りつけ、やる」
 千獣はサクリファイスと入れ替えに、厨房から出て行った。
「さてと、何からやるかな。プロには適わないが、それなりには手伝いできるぞ」
 サクリファイスがそう言うと、マーオが少し考えて答えた。
「じゃあ、フルーツの皮むきをお願いしてもいい?沢山あるから、なかなか終わらないんだ。フルーツケーキを、沢山作るつもりなんだ!」
 テーブルの上にある大量のフルーツを指差し、マーオが言う。
「わかった。ではこれをやろう。随分沢山あるんだな」
「お土産用も、作るつもりだからね」
 前掛けをしながら呟くサクリファイスに、マーオが笑顔で答えて見せた。
「サティーさんにとっては一大イベントだもん、沢山準備して、喜んでもらいたいな!」
「そうだな。歌手の引退は寂しいことだけど、結婚は喜ばしいことだものだからな」
 マーオに、サクリファイスも言葉を添え、近くにあったリンゴを手に取ると、果物ナイフで皮をむき始めた。
「とっておきの、プレゼントを用意するんだ」
 マーオは、今まさに懸命に作っている、とっておきのプレゼントを見つめ、小さく微笑んだ。



 千獣は、会場内の椅子と椅子を並べていた。料理をするよりも、荷物運びなど肉体労働の方が得意であった。
「ああ、その机はこっちに置いて。机がきたなかったら、水拭きもしておいてね」
 ステージの花を飾り付けしている女性から指示を受け、千獣は会場内に次々に椅子を運んだ。もともとそれほど広くはない酒場だが、今回は多くの客が来ることを想定し、椅子や机を増設しているのであった。
「おっと、そのピアノは重いよ?あんた一人じゃ無理さ」
 ステージで使うピアノを運ぼうとした千獣は、女性に呼び止められた。
「大丈夫……力仕事は……得意」
 そう答えると千獣は、力を肩に込めてピアノを持ち上げて、それをステージの上へと運んだ。
「見かけによらず、凄い力が有るんだねえ」
 あっけに取られている女性を横目に、千獣はさらにマイクスタンドや照明道具、大人数用のテーブルやベンチまで運んだ。



 マーオ、千獣、サクリファイスの3人が店の手伝いをしたおかげで、予定よりも早くラストステージの準備が終わったのであった。酒場の支配人は、準備終了後に3人を集めて、礼の言葉を述べた。
「有難う、これで明日のステージを万全の体制で迎えられるよ」
「良かった!明日が楽しみだね!」
 マーオは支配人へとのこやかな笑顔を返した。
「彼女にとって、最高のステージとなる様、私も願っている」
 落ち着いた態度で、サクリファイスも頷いた。
「喜んでくれれば……嬉しいから」
 千獣も小さく頷いて見せた。
「明日も、3人共来てくれるんだな?」
 支配人の質問に、マーオ、千獣、サクリファイスは同時に頷いた。
「そうか、では、また明日会うのを楽しみにしている。今日はゆっくり休んでくれ。それでは、また明日」
 嬉しそうに、けれどどこか淋しそうな目で、その支配人は3人に言った。
 星が輝く美しい夜の中、3人は酒場を後にし、明日の本番に備えるのであった。



「こんなに沢山の人に来て頂いて、私は幸せです」
 明るい笑顔と声で、サティー・ミックは会場の人々へと叫んだ。
 小さな、普段は15名前後ぐらいしかいないらしいその酒場が、今日は中にいる人数だけでも50人前後はいるだろう。
 おかげで、客席はいっぱいいっぱいになり、昨日千獣が用意した椅子も、足りなくなってしまったぐらいであった。室内に入れず、窓から中を見ている者まで、現れる程であった。
「賑やか……サティー……嬉しそうで……良かった」
 ステージのすぐ横の席に座り、サティーの歌を静かに聞いていた千獣は、サティーの笑顔を見て自分でも嬉しく感じた。
「では、次は私が一番お気に入りの曲『愛し合う恋人達のダンスパーティー』をお届けします。聞いてください」
 若者の間でも流行の曲であった。今のサティーにはぴったりだろう。最初はバラード調の曲だが、途中からテンポが速くなり、賑やかな曲へと変化する。その曲のテンポが速まり、会場の熱気も上がった時、マーオが小さな太鼓を持ってステージの上へと飛び出した。
「僕も祝福するぞ〜!」
 サティーは突然の飛び入りに驚いた様子であったが、すぐにいつもの自分を取り戻し、マーオの太鼓の音に合わせて歌を披露した。会場からは、手拍子や足拍子まで響いてくる。
 その熱気に押され、接客をしていた店のスタッフまでもが手を止めて、リズムカルに体を揺らしている。それに気付いたサクリファイスは、店のスタッフにそっと声をかけた。
「ここは私が引き受ける。だから、彼女のステージをじっくりと見るといい」
「え?」
 スタッフの若い女性が、サクリファイスへと顔を向けた。
「ここにいるお客さんは、彼女のステージを楽しんでいるだろう。だが、それは一緒に今までやってきた、貴方達スタッフも同じではないのか?」
「でも、それは」
 女性は、遠慮がちにゆっくりと首を横に振った。
「彼女のステージをちゃんと見届けたいという気持ちは、お店の人も同じだと思う。ここは私に任せてくれ。最後のステージなんだ、後悔する様な事にしてはいけない」
 柔らかな笑顔で、サクリファイスが女性に答えた。少し考えたあと、女性は小さく頭を下げた。
「有難うございます。今夜だけは、私も彼女のステージを。もう、これで最後の」
「そうだ、記念に何かを作って渡してやるといいんじゃないかな」
 ちょうど歌を歌い終わって拍手が起こった。サクリファイスは、拍手をしながら女性に話を続けた。
「心の篭った手作り品は、喜ばれると思うぞ」
「でも、今からではそんなに大したものは、用意するのは難しいです」
 女性が眉を寄せる。
「そうだな。これはどうだ?お店の人や、常連のお客さんとかに色紙にメッセージを書いてもらって、彼女に渡すというのはどうだろう?」
「色紙、ですか」
「ありがちといえばありがちかもしれないけど、サティーへの心のこもったメッセージ、彼女も喜んでくれるんじゃないかな。素朴なものだが、だから嬉しいのだと思う。何より、記念になるだろう?」
 サクリファイスがそう言うと、女性がにこりと笑った。
「それは良いアイディアですね!色紙なら店にありますから、サティーに隠して皆に書いてもらいます!」
「そうした方がいい。では、私は接客の方を引き受けるな」
 女性は嬉しそうに、色紙を取りに行くためスタッフルームへと走って行った。
 数年後、数十年後にそれは、きっと良い宝物となるに違いない。サクリファイスはそう感じていた。



「結婚って……どういうもの?」
 ステージの合間、休憩を取っているサティーに、千獣は問いかけてみた。マーオが作ったお菓子を、サティーに届ける為に休憩室へやってきた千獣は、さらに言葉を続けた。
「人間の……慣習だって事は……知っている。好きな人同士が……一緒に暮らす事だって」
「そうね」
 サティーは目を閉じて、そして開き答えた。
「お互いに支えあう事、かしらね。私はあの人が必要だと思った。彼もそう言ってくれた。歌手を辞めてしまうことには抵抗はあったけど、でも、最愛の人と長い時間を過ごしたい。そう思ったの。一緒に幸せを作りたいと思ったから」
「幸せを、作る……?」
「そう」
 サティーが頷いた。
「幸せを作る事。私はこの人となら作っていけると思ったわ。決して、平穏な道ではない事もわかっているけど、きっと頑張れるわ。あの人となら、頑張れる」
「そうか……」
 わかったような、わからないような。千獣は、サティーの顔を見つめ、わずかに笑顔を浮べて呟いた。
「歌……とても良かった」
 誰かを祝福する時の言葉は、人間は何て言ってるっけ。次に繋がる言葉を必死に探し、そしてその言葉は千獣の口から自然に飛び出した。
「結婚……おめでとう……幸せに、ね」
「有難う」
 落ち着いた声で、サティーは答えた。
 最後の曲を披露する時間が来ていたのだ。彼女はもう一度千獣に笑顔を返すと、ステージへと向かった。
 彼女にとっての、ラスト・ステージへ。



 その歌声は、今迄のサティーには決してなかった緊張感が感じられた。
 終わりの時間も近づき、観客に手作りのお菓子を配っていたマーオは、彼女の真剣な眼差しをじっと見つめていた。これで最後、という緊張感が空気を伝わってマーオに届いていた。
「寂しさと嬉しさと、悲しさと喜びが、混ざっているのかな」
 最後の曲を歌い終わった時、酒場に響く拍手を浴びながらサティーは堪えきれず涙を流していた。大勢の人に抱えきれないぐらいの花束を受けて、しばらくの間声も出なかったようであった。
「サティーさんお疲れ様!」
 皆が拍手をしながら口々に叫んだ。
「これは、皆でメッセージを書いた色紙。あの青い髪の女性がアイディアを出してくれたんだ」
 サティーに渡された色紙。それは、常連の客や店のスタッフが、寄せ書きをしたものであった。
「こんなに贈り物を。もう、感謝の言葉も見つかりません」
 拍手はしばらく鳴り止まなかった。マーオはその間に、とっておきの手作り菓子を厨房から運び、拍手がやんだ時にサティーにその箱を渡した。
「これは?」
「あけてみて!」
 マーオから渡された箱を開けたサティーは、驚き目を丸くした。その箱には、小型のウェディングケーキが入っていたのであった。
「僕のとっておきの手作りだよ。フルーツも沢山入っているんだ。旦那さんと、一緒に食べてね?」
「マーオ君、それに皆様。私は、この歌手をして本当に良かったと、今思いを噛み締めています」
 マーオに笑顔を向け、サティーは答えた。
「私は間もなく、この町を離れます。けれど、必ずまた、ここへ戻ってきます。皆様の事は忘れません。絶対に……忘れませんから!」
 最後の方は、涙で声をつかえながらサティーは言った。再度拍手が置き、アンコールの声が酒場にこだました。
 サティーにとっての最後の夜は、マーオ、千獣、サクリファイス、そして酒場のスタッフや観客達によって、最高の夜となったのであった。
 またいつか、彼女に会うかもしれない。その時は、誰もが、この夜の事を思い出すであろう。(終)



◆登場人物◇

【2470/サクリファイス/女性/22歳/狂騎士】
【2679/マーオ/男性/14歳/見習いパティシエ】
【3087/千獣/女性性/17歳//異界職】

◆ライター通信◇

 サクリファイス様

 初めまして。参加有難うございます、WRの朝霧です。
 サクリファイスさんのラストステージへの思いと、盛り上げる為の色々な活動を描かせて頂きました。サクリファイスさんが比較的落ち着いた雰囲気に感じましたので、全体的に物静かな描写となりました。設定などをたまに引用させて頂き、よりサクリファイスさんらしく描けるようにしてみました。

 それでは、どうもありがとうございました。