<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


unofficial punishment


 とりわけ俺じゃなきゃ解決できねぇって事でもねぇ。
 戦いの心得を少しでも持ってるなら誰にだって可能な事だ。
 だからって、楽しめないとは限らないだろ?
 理由なんざ後から好きなだけ付け足せばいいさ――


 夕日が沈み、闇が目前に迫る。
 エルザードは既に夜。
 徐々に深まる影の中に、アリアノス館の鉄柵が鈍く光っている。
 その周囲を、騎士団が取り囲む。
 館に潜むテロリストの身柄を確保する為だ。
 ただし――、拘束では無く、保護の名目だったか。
 俺は、館の傍の既に使われなくなった建物に身を潜めて館を伺う。
 その様子を確認した直後。
 同じくどこかで身を潜めている斑咲が、“テレパシー”を通じて俺に囁く。
『…もう一度確認だ。ターゲットが騎士団から身体検査を受け、武器を手放す瞬間だ』
 あぁ、分かっているさ。
 これは黒山羊亭で斑咲から受けた依頼だ。
 解決して欲しい事。至極単純な物だった。
 テロリスト――カール・ディックマンを始末せよ。
 ディックマン――兵舎襲撃、エルザードの政府要人暗殺、さらには、数年前エルザードで執り行われた各国使臣の夜会の開催場所であるゴブリュアス宮の爆破の関与も疑われているテロリストだそうだ。
 その辺りはどうでもいい。
 奴は亡命を希望している。
 国際法上、如何なる犯罪者も、他国が受け入れを表明すれば、亡命権は常に優先される。
 そこが問題だった。
 受け入れ先は――アセシナート。
 あのアセシナート公国の名を聞いて、ちょっと興味を持った。
 奴を雇ったのもアセシナートである疑いが強いらしい。
 通常ならば、このテロリストはエルザードの法に従い、然るべき処罰を下される。
 しかし国際法が壁となり、如何なる理由があろうとも彼を処罰する事は非合法となる。
 仮に騎士団が彼を始末したとして、その非合法性が各国に知れ渡れば、騎士団の存続はおろか、エルザードの国際的地位も危うくなる。
 …面倒な事だが、大国の宿命らしい。
 そこで、斑咲は考えた。
 ディックマンの暗殺を。
 だが、諜報員とは云え、斑咲自身も騎士団の一員。
 万が一彼女の手による暗殺である事が公になれば、やはり騎士団存続に関わる。
 だから――俺にその役目が回って来た。
 当然、この計画は騎士団にも知られてはいない。
 斑咲の独断だ。
 中々粋な事を考える。なるほど、斑咲は確かに騎士団の一員だが、単なる役人根性の騎士ばかりじゃねぇって事か。
 俺は再び館を見据え、目を細める。
 館の内部で――、大勢の騎士達が、テロリストを取り囲んでいる。
 再び、斑咲の“テレパシー”。
『連中の会話を直接聞こえるようにする――』

 ――……これより…、先ずエルザード城へ連行する。
 ――ご苦労さん…。おっと…、小細工は無しだぜ? 騎士団の隊長さんよ。

 俺は、隊長と思しき男の背後で、短剣を抜き去っている騎士が数人いることに気付いた。

 ――俺を始末するか? 部下の暴走で済まされん事ぐらい、あんたも承知のはずだ。
 ――…アセシナートの手先だな?
 ――だったら?
 ――今ここで死を免れても、アセシナートで暗殺されるぞ。
 ――お気遣い感謝するよ。騎士団とは云え、隊長クラスの人間ともなると、政治“屋”の理論が通じるらしい。
 ――…何が云いたい?
 ――穏便に行きましょう――ってこった。

 ディックマンがにやりと笑う。隊長の顔が怒りに満ちる。
『ふっ…、笑ってられるのも今の内ね。法を盾にする事がどれ程危うい物なのか――これから知る事になるのに』
 俺は斑咲の言葉を黙って聞いていた。
 こんな小細工に付き合ってやってる身にもなってみろ、そう返そうかと思ったが、取り敢えず黙っておく。
『――そろそろよ』
 俺は息を飲む。
 騎士達の短剣は全て鞘に納められたところだった。
 ディックマンが満足そうな表情をしている。
 次に、騎士の二人が彼の脇に進む。
 ディックマンが立ち上がる。
 彼が両手を上げた。
 今だ。
 その時。


 ――…!!


 ――異変が起きた。
 俺の魔法で狙撃するより前に、騎士団全員が既に倒れて動かなくなっていた。
 ただ、見て分かるのは、ディックマンだけがそこに佇み、笑みを浮かべている事だけだった。

 …何をした?

 ――…なるほどな。
 奴の手に握られているのは――
 蛇腹剣か。
 刀身が鞭の様に撓っている。
 どこに隠していたのか――腰…、いや、腕に巻いていたのか。
 騎士団の間抜けめ…。
 アセシナートが絡んでいると分かっていて、何故通常の武器の事しか頭に無かった?
 どうやら、エルザードよりもアセシナートの方が、ある意味では“珍しい文化”を取り入れているらしい。
 あの蛇腹剣も恐らくはアセシナートから支給でもされたんだろう。
 それにしても、刀身自体が細いにも関わらず、大勢の騎士団を一瞬で葬るとは。
 何か魔法でも仕込んであるのか。
 となると――
『リルド…』
 斑咲の声が聞こえた。
 彼女もこの光景を目にしたらしい。
 声は淡々としていたが、やはり怒りに満ちている。
『あいつが何をしたか…、分かった?』
「大体はな。あんたは?」
『…見えなかった。今あいつが手にしている得物を見て、漸く気付いたって所』
「魔法だろうな」
『そのようね。…少々厄介になった』
「――厄介?」
 俺は苦笑する。
「何云ってやがる? これで俺達の行動はオフィシャルな物になるだろ? 騎士団の一部隊が全滅。他国への移送が、エルザードにとって危険であると判断された為、エルザードの独断で“始末せざるを得なくなった”。こうシナリオを作ればアンタ達は安泰だ。違うか?」
『乱暴ね…。奴を始末“出来れば”の話なのでしょうけれど?』
「出来るさ。それに、あの武器じゃ、直接戦闘に持ち込むしか無さそうだぜ?」
 俺は皮肉めいた笑みを浮かべていた。斑咲にこの笑みを直接見せられないのが少し残念ではあるが。
 ともあれ。
 もう小細工は不要。
 奴を仕留める。簡単な話になった。
「直接ヤるぞ」
 俺は斑咲に同意を求めた。
 だが、返ってきた答えは、つまらないお約束事だった。
『――状況確認を』
「馬鹿云え。騎士団が全滅。敵が一人立っている。それで十分だろ?」
『ターゲットの得物の素性が確認出来ない。ここは慎重に』
「俺が前衛、アンタは後衛でも何でもいい」
『そんな勝手に』
「俺にもしもの事があってもアンタを恨む事はねえさ。ま、そんな事は無いだろうが」
『――』
 彼女はしばらく黙っていた。
 この沈黙は、俺の力を確信してはいないと云うよりも、彼女自身の感情の問題か。
 恐らく――彼女の知り合いも、あの犠牲者の中にいる。
 怒りを堪えているのは、彼女の声を聞けば想像はつく。
 俺は一瞬迷った。
 なるほど、俺が奴を仕留めるのは恐らくは可能だろう。
 だが、止めは斑咲に譲っても良いのではないか。
 そんな事を考えた。
 …いや、この考えはすぐに消えた。
 馬鹿馬鹿しくなった。
 敵討ちか。
 時代遅れだ。
 もっと単純に行こうぜ。
「――見ていればいい」
 俺は云った。
「見ていればいいさ。――なあ斑咲、ホントはアンタが奴を仕留めたいんだろ?」
『…さあ、ね』
「隠さんでもいい。アンタは奴を憎悪しているはずだ。復讐心は自然な感情だ。…だがな、そんなつまらん感情は捨てるんだな。仮にあんたが奴と交えるとする。あんたは多分強い。あんたが勝つ事も十分考えられる。しかし――、仲間を殺された、そんな憤恨の感情で戦って、“果たして戦いを楽しめるのかね”?」
『…楽しむ?』
「楽しめない戦いなんて戦いとは呼べねえぜ?」
『――あのね』
 その時、ディックマンが動いた。部屋の奥に消える。館の外に出るつもりなのか。
『…話し込んでいる場合じゃなさそうよ』
「ああ、つまりは、やはりヤるのは俺が適任って事で、オーケイ?」
 斑咲からの返事は無かった。だが、今度の沈黙は“肯定”らしかった。
 彼女は云った。
『それでも、奇襲が安全よ』
「面白くないねぇ。それに、あの武器の前じゃ、小賢しいマネは恐らくは命取りだぜ?」
『…まあ、任せる』
 斑咲は苦笑していた。
 彼女の中では、一応の納得を得られたらしい。
 では、俺は遠慮無く、戦いを楽しませて貰う。

 俺は今、建物の内部にいる。
 ディックマンの潜むあの館を見下ろす程の高い建物だ。
 そこから一軒の民家を挟み、館がある。
 俺は窓から身を乗り出す。
 木製の窓枠は湿っていた。
 そこに右足を乗せる。
 風が吹き、俺の髪が舞う。右眼の眼帯が露呈する。
 夕闇の中、目標の館を確かめる。
 斑咲から『目立つ動きをするな』と横槍を入れられるかと思ったが、彼女は何も云って来なかった。
 この屋根の上には当然ながら身を隠す場所など存在しない。
 夜が味方するはずも無い。
 敵が俺の動きに気付けば、襲撃してくるかもしれない。
 だが既に“隠密”の類の行動を、俺は捨てている。
 もう“相手に見つかっても良いのだ”。
『――館の中で仕留める?』
 斑咲が問う。
「いや――戦闘の“流れ”に任せるさ」
 俺は誰にとも無く、呟いた。
 高揚感があれば、それで良かった。
 そして。
 俺は跳んだ。
 民家の屋根に飛び移る。
 まだ館よりも高い位置。
 そのまま走る。
 水の魔法。
 俺の右手から、鋭い水流が膨れ上がる。
 アリアノス館の二階の窓目掛け――
 放つ。
 蛇の様にうねる流体が、館の窓を一気に貫く。
 ガラスが砕け散る。
 丁度人が通れる大きさの穴が開いた瞬間に、俺の身体は館の内部に滑り込んだ。
 着地。周囲を見回す。
 水浸しの床。そして、ガラスの破片。
 それを差し引いても――どうやらここは廃墟に近いらしい。
 ディックマンの単なる住処に過ぎなかったと云う事か。
 まぁ、その辺は問題では無い。
 ともあれ、今の轟音に、奴も気付いたに違いない。
 さて…――迎え撃つか。それとも、こちらから奴を探すか。
 俺は廊下を歩く。
 取り敢えず、先ほど奴がいた部屋の方へ向かう。
 だが、廊下の突き当たりの暗い広間で、床に伏して、荒い息をしている騎士がいた。
 ――先のディックマンの攻撃を受けたか。
 息はまだあったが、絶命寸前と云った所だ。
 何とか逃げ出そうとした様だが、死の縁を彷徨っている。
 そして、血の臭いが鼻を刺激する。
 この様な状況なのに、俺は妙に高揚感を味わっていた。
「……な…んだ…」
 騎士が微かに声を漏らす。
 俺は黙って見下ろしている。
「…お、前…も、あい…つ…の、……仲間、なの…か」
 ――騎士の鎧の隙間を狙う様に、何か細く鋭い物が貫通している。
 鎧自体の損傷が少ない。
 蛇腹剣それだけでここまでの芸当が出来るはずは無い。
 何らかの魔法の力を借りている。
 そして、騎士の鎧の内側の肉体だけを抉る様に、あの刃が侵入したのか。
 あの一瞬で。
 俺は、騎士を案ずるでもなく、問いに答えるでもなく、淡々と状況を確認する。
 そしてこの血――
 駄目だ。この騎士は助かるまい。
 騎士の目が虚ろになった。
 逝ったか…。
 そこに――奴が現れた。

 ゆっくりと歩み寄るそいつを、俺は眺めた。
 たった今俺の起こした“騒ぎ”に慌てふためく風でも無かった。
 貧相な顔つきに見えた。
 革命家気取りの、思い込みの激しい連中と、同じ雰囲気だ。
 こいつがディックマンか。
「――よぉ」
 何となく、俺は笑みを浮かべていた。
 何気なく直立する奴の姿に、どこか落ち着き払った所がある。
 少しは楽しめる。そう直感した。
「やれやれ、まだ元気な“騎士様”がいたとは」
 ディックマンは云った。
 あの蛇腹剣を再び腕に巻いている。
 …そうか、ブレスレットを何重にも重ねた様にも見える。
 これを武器だと見抜く方がどうかしている、と云うべきか。
 騎士団は不運だったな。
 そして、たった今絶命した傍らの騎士も。
「ようこそ。生憎、茶菓子を振舞う場所では無いが」
 ディックマンがにやりと笑う。
 いちいち面倒な台詞を吐く奴だ。
 俺は失笑する。
「――その漫談も、アセシナート仕込みか?」
 ディックマンの表情が一瞬強張った。
 だが、すぐに元の顔に戻る。
「事情に詳しい様だな」
「リルド・ラーケンだ」
「カール・ディックマン…、いや、その様子だと、既にご存知か? まあ、それはいい。客人の用件を問いたい」
「何をしにきたか…――言うまでもねぇか」
 俺は軽くあしらってやる。
「抜きな、楽しもうぜ」
 俺は既に剣を抜き去り、奴を見据えている。
「おっと…、威勢が良いのは結構。だが、本当は――そこに横たわっている騎士殿の遺志を継ぎたい、そう思ってもいるのだろう?」
 だが、俺は取り合わない。
「騎士であるなら如何なる理由で命を落としても何の問題も無い。ましてや、仇討ちの根拠にされる“不名誉”も無い」
 挑発に乗る気は無い。
「つまりは、だ。単なる殺し合いをしようって事さ。――…俺とヤり合うのが怖いはず、無いよな?」
「大した自信だ。その威勢と実力、釣り合っているならば、長生き出来るぞ?」
「アセシナートに魂売ってまで、長生きしたいとは思わねぇケドな」
「――…魂を売る。そいつは違うな。…俺はただ、この聖都エルザードを始めとする、万人に平等な“法”を尊重しているだけなんだよ?」
「悪いが俺に崇高な理念はねぇ」
 俺は再び失笑する。
「平等だか何だか知らねぇが、その裏にあるのはどうせ、アンタがこの世界で感じてきた疎外感ってヤツに過ぎないんだろ? そいつを政治的信条に摩り替えるのは結構。良くあるパターン。何しろ――自然は“平等を嫌う”からな。徹底的に、な」
 ディックマンの表情から余裕が失われるのが分かった。
 俺は云う。
「まだ続けるか?」
「…おいおい。あんまり調子に乗るんじゃないものだよ。むざむざ命を捨てるのはお勧めしない。逃げるなら今の内だ」
 奴の言葉とは裏腹に、怒気を孕んでいた。
「ふん…、アンタとヤり合うのに理由が必要なら――アンタが気に入らない、それで十分だ」
 俺の言葉が終わると同時。
 ディックマンは動いた。
 驚くべき速さで、俺に迫ってくる。
 俺は咄嗟に、奴の動く軌道を予測して剣を横に構え、上体を左に逸らす。
 剣には既に魔法を込めてある。
 甲高い金属の音。
 構えた腕に鈍い振動が伝わる。
 あの蛇腹剣の一閃を放ってきていた。
 その反動を利用して俺はディックマンから距離を取る。
 だが。
 蛇腹剣だけが再び迫る。
「おっと!」
 鞭の様にしなる蛇腹剣は、俺が予想するよりも長いリーチを誇っていた。
 長い。五メートル以上は伸びている。
 何て武器だ。これも魔法か?
 獣の様に暴れまわるその刃は、周囲の壁には一切触れていない。
 やはり何らかの魔法。
「かかって来いよ」
 ディックマンは俺を挑発する。
 やれやれ、アセシナートももう少し人選に気を配るべきだ。どうでも良いが。
「良くそれで、今日まで生き残って来られたもんだな」
 俺は呆れた様に云う。
「アンタの信念やら復讐やらは、ぬるい世界でしか果たせていないらしい」
「何?」
「鈍感め。左肩、見てみ」
 ディックマンは俺の指摘で初めて気付いたらしい。
 その左肩から、血の流れている様を。
 実を云えば、左腕を斬り落とすつもりだったのだが。
 最初に奴と交錯した時、うまくヒットしなかった。
 想像以上のスピードだったからだ。
 まぁそれも、奴の実力じゃあるまい。
 あの武器が奴をサポートしている。
 ついでに、己の力であると思い込ませている。それだけだ。
「アセシナートに恩義など感じていないクセに、良くそこまで“熱心に”働けるな?」
 俺は云った。
「ふん…、利用出来る物は利用する主義なだけだ。俺がアセシナートに忠誠を誓うフリをし、逆に利用してやろうと云うだけの事。無論、奴らはそんな事、気付くまいが。アセシナートの隙を狙い、いずれ実力者の首を獲ってやるつもりさ」
 とことん鈍感な奴だ。俺は思う。
「馬鹿め。それはアセシナートだって同じ事だ。――アセシナートが気付かない、だと? 笑わせるな。アンタのつまらん小細工など、とっくに見通しているだろうさ。もし、アンタがそれ程の実力者なら、こんな所で油なんか売ってないで、さっさと実行に移せばいい。とっくに実行出来ているだろ? だが、アンタは相変らずアセシナートの“犬”として働き続けるぐらいの“芸”しかない。何故か。――アンタに実力が無いからだ」
 ディックマンは沈黙した。
「どうした? 俺のつまらん推理が当たり過ぎていて、言葉も出ないか?」
「黙れ!」
 俺の周囲で、何かが光った。
 光り輝く大きな輪が、宙に浮いて静止している。
 奴の蛇腹剣の刀身に、俺は囲まれていた。
「このまま、あんたの体は真っ二つだ」
 ディックマンは目をむいて、俺を睨み付けた。
「そこまで俺の魂胆を見抜いて、生きて帰れると思うなよ?」
 俺は奴の動きを注視する。
 少々厄介な攻撃だ。
 無傷で済むか?
 下手に動いても、輪の直径が小さくなり、俺を挟み込むのは目に見えている。
 では――
 俺は戦術を組み立てる。
 そして。
 俺は奴に向かって走る。
 輪が小さくなり、俺を挟み込もうとする。
 右手の剣を腰の位置に構える。
 ディックマンが叫ぶ。
「馬鹿め! 俺の方が速い!」
 どうやら、俺の右手の剣が自分の首を狙っている――そう“勘違いしているらしい”。
 俺は走りながら、右手の剣を、“蛇腹剣に”一閃させた。
 既に魔力を込めてある。
 奴自身では無く、蛇腹剣を砕くのだ。
「――!!?」
 ディックマンは驚きの声すら上げなかった。
 金属の粉砕する音。
 蛇腹剣は粉々になる。
 そして左手で別の剣を抜き去る。
 ディックマンを護る物は、もう存在しない。
 断末魔の叫びを聞く事も無かった。
 俺の左手の剣が、奴の首を飛ばしていた。

 その後の館は静寂に満ちていた。
 既に外は暗くなっている。
 暗闇の中、俺はディックマンの四肢を確認する。
 切り取られた首から黒い液体が流れている。
 血の臭い。
 ――いかん。酔う。
 もう少し考えて始末するべきだったか。
 ともあれ、俺の読みは当たった。
 蛇腹剣にも、確かに魔法が込められている。
 だが、俺の剣で粉砕出来るか、試す価値があった。
 あの魔法は、刀身の動きをコントロールする事に集中している。
 と云う事は、刀身の強度そのものを強化するまでには、手が回っていないのではないか。
 どうやら、その通りだったらしい。
 別段、あの蛇腹剣の刀身は過度に硬質でも無かった。
 そうした強化は行われていなかったのだ。
 …まぁ、アセシナートにとっては単なる“捨て駒”だ。
 捨て駒に、無敵の武器が支給されるはずも無いと云う事か。
「リルド」
 背後から女の声がした。
 振り向くと、暗い廊下の向こうに、細いシルエットが見えた。
 斑咲だ。
「終わった様ね」
「――どの辺から見ていた?」
「結構前からよ。『アセシナートが気付かない、だと? 笑わせるな』の辺り」
「なるほど」
「その通りでしょうね」
「ま、俺にとってはどうでもいい事だが」
「でも、少し面倒な始末をして貰うわ。私達がここにいた証拠を消す必要がある」
「あぁ、法がどうとかは知らんが、俺自身がアセシナートの暗殺者に狙われるとも限らんからな」
「…考えてるのね」
「要するに、だ。ディックマンが“俺の攻撃を受けていない事を演出すればいい”訳だ」
 斑咲は少し戸惑った。
「騎士団は誰一人として抜刀していない。…どうする気?」
「なら――、こうするのさ。少し離れてろ」
 俺は精神を集中させる。
 そして、竜化を行う。
 目標は――ディックマンの首と胴体。
 奴が、“自分で召喚した魔物に喰われた”様に見せかけるのだ。
 まず、首を飲み込む。
 そして、胴体は牙を使って腰の辺りまで喰いちぎる。
 腰から、激しく血が流れ、血の臭いが充満する。
 ――どうも俺はこの臭いが…。
 そんな事を思いながら、俺は竜化を解除する。
 斑咲に云う。
「――完全に遺体が消えたら消えたで、本当はどこかで生きているんじゃないか、とか噂になって騒ぎになるだろうからな。腰から下だけ残しておく。…ま、これでも、ディックマンの自爆では無いと見抜く奴もいるだろうが、わざわざそこまで調べ尽くす程の犯罪者でも無いだろ。ディックマンが死ぬ事で、エルザードには少なからずプラスになるんだし、問題にはしないはずだ。――騎士団が抜刀していない事は問題になるかもしれんが…、それはアンタ達で処理してくれ。そこまでの依頼を引き受けた覚えもないからな」
 俺はおどけて見せた。
「いいえ。十分過ぎる気遣いよ。――騎士団に入る事、考えたら? 結構適任かもよ?」
「冗談はよせ」
 俺は笑った。忠誠とか、そんなややこしい事は御免だ。
 ともあれ戦闘は終わった。
 今は血の臭いを嗅ぐ気にもなれん。
 さっさとここから去って、黒山羊亭に行くとするか。


■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)

 整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 /

 3544 / リルド・ラーケン / 男性 / 19歳 / 冒険者


■NPC

 斑咲
 カール・ディックマン