<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


右手に愛を、左手に狂気を

「……例の依頼、聞いてくれる気になったみたいね。この数日、口説いた甲斐があったわ。ちょっと待ってて。すぐ資料を持って来るから」
 ベルファ通りにある黒羊亭では今日も、人々が一夜の蜜を求めて集まっている。飛び交う会話は冒険者の噂話であったり、艶やかな駆け引きまで様々だ。リルドと一緒のテーブルについていたエスメラルダは、少し驚いた顔をして、それからルージュに彩られた唇の端を上げた。
「郊外の古い館に一人の少女が捕らわれているって情報が入ってる。何をどう気に入ったのか知らないけど、館の主人が何処からか攫ってきたって噂。年端もいかない女の子を部屋に閉じ込め花や服で着飾って、怯えて泣く姿を見て楽しむ。……吐き気がするご趣味だと思わない?」
 依頼主の欄には街の有力者の名前が書かれている。個人の嗜好ならば勝手だが、こう話が大きくなってしまっては街の治安、そして経済にも悪影響が出る恐れがある。さすがにそれは避けなければならないと、今回少女の救出の依頼書が作られた。だが冒険者ならば誰でも、というわけにはいかず、エスメラルダが実力と人柄を認めた者にだけにこうして話がやってくるのである。
「トラップや護衛の兵に気をつけて。必要なものがあれば用意できると思う。大丈夫、経費は依頼者持ちだから、あたしや貴方の懐はちっとも痛まないの」
 エスメラルダは悪戯っぽく笑って、人差し指を立てた。
「死なない程度に頑張って。……無事、その子を助け出して頂戴。終わったらまた此処で飲みましょう。その時は、一杯ぐらい奢ってあげるわ」


 出発の日、朝からリルドは気分が悪かった。
 風邪でもひいたのか、或いは古傷でも開いてしまったかと思いを巡らせるも、身体に異常は無いようだ。軽く夕食を済ませ、例の屋敷から少し離れた場所で足を止める。大きな古い桜の樹の下、どこかぼんやりとした気分で目を閉じる。生憎と今夜は薄曇、月はその姿を覆い隠され、大地に届くはずの月光はほんの僅か。
「――……そんな無防備な寝顔を晒して、何を夢見ているんだい」
 リルドがそうして目を閉じ、しばらく経った頃。闇の中から聞き覚えある声がした。
「何が無防備な寝顔だ、コラ。それに寝てねぇよ。……相変わらずだな、シズ」
「やれやれ、久方振りだというのに冷たいご挨拶。涙が出そうだよ。元気そうで何より、リルド」
 酷く嬉しそうにシズはそう言って、赤色の眼を細めた。今宵は動きやすい格好に身を固めて、腰のホルダーには大振りのナイフが装備されているのにリルドは気付く。そう、のんびりと茶を飲む為にシズを呼んだわけではない。
「今夜は長い一夜になりそうだね。――では、行こうか」

 十分も経たない内に、二人は屋敷の前にたどり着いた。
 深夜ということもあってか屋敷はしんと静まり返っていて、夜風が時折木々の葉を揺らすだけだ。けれどそんな音さえ、今のリルドには不吉を暗示しているように感じる。何か、嫌な予感がした。
「君が下見をしてくれたおかげで随分助かったよ。いざとなったら逃走経路を此処から此処へ変更、さっきの桜の樹の所で落ち合おう」
 予めイメルダから渡されていた見取り図を広げ、シズが指で場所をなぞる。相談の結果、シズが陽動役を引き受け、門番が騒いでいる間にリルドが屋敷の中に侵入する作戦でいくことにした。
「……。……なぁ、シズ。アンタが嫌ならこっから先は俺一人でやるから、」
「――リルド」
 言い掛けたリルドを、しかしシズは途中で遮った。いつも浮かべている柔らかな笑みを消し、低く名を呼ぶ。
「君だけに汚れ役を任せはしないさ。この手を血に染めようとも、必要ならば迷わない。……大丈夫、何があっても、君を死なせはしないから」
 そう言い残すと、シズはリルドが何か言う前に軽い身のこなしで薄闇に紛れ消えてしまう。
 冗談か本気か、どちらともつかぬ言葉をリルドは心の内で反芻し、くしゃりと前髪を指で乱した。
「馬鹿野郎。クサイ台詞言いやがって。……これじゃ、死ぬに死ねないじゃねぇか」
 溜息の連発。脱力して肩を落とすも、此処でいつまでもこうしているわけにはいかない。遠く、火事だと門番が騒ぐ声。屋敷の裏口へと向かい、リルドは走り出した。


 地図に書かれていたように、塀のある場所には人一人通れるくらいの穴が見つかった。
 そこから敷地内へ侵入し、裏口から中に入る。施錠はされていたが、硝子の部分を叩き割り鍵を開けることに成功。
 騒ぎ出したのは門番ばかりではなかったようで、護衛らしい屈強な体付きの男たちが集まってきた。一人ではない、ざっと数えたところで人数は十と少し。相手に出来ないことはないが、油断出来ない数だ。
「さーて、少しは楽しませてくれよ……!」
 一階の廊下で男たちに囲まれながら、リルドは口元を不敵な笑みに歪めた。腰からするりと剣を抜き、室内の灯りに刀身を煌かせる。感情の昂ぶりに反応してか、青白い雷が身を包み込んだ。
 飛び掛ってくる男たちの上半身を狙い、勢い良く横に薙ぐ。多人数が相手とあっては、まずその数を減らさなければならない。大振りの刃に切り裂かれ、赤い血が飛び散りリルドの頬をも汚す。生暖かいそれは頬を伝い落ち、舌先で舐め取ると独特の高揚感がリルドを侵していく。剣の届かなかった輩に掌を向け、淡い青色をした氷の欠片を飛ばす。肩を打ち抜かれた男は聞き苦しい悲鳴を上げ、その場に倒れこんだ。残っていた男たちを襲ったのは、室内に存在する筈のないブリザード。風と氷が混じり合い荒れ狂い、数人の男が目元を抑えて転がる。氷の小さな欠片が視界を奪いでもしたのだろう。けれど残った一人が、大きな斧を片手に背後から突如襲い掛かる。
「甘いな、若造。その首、頂く――ッ!」
 男はブリザードに身を紛れ込ませ、後ろからの奇襲を仕掛ける。斧は大きく、身体に当たれば何処であろうと深刻なダメージになるに違いない。リルドは知る由もないが、伯爵が護衛として金を餌に飼って殺すことを何とも思わぬ傭兵たち。けれど肉厚な刃がリルドの体躯に触れる直前――。
「……っぐ、ゥ……」
「後ろとったくらいでイイ気になるなよ」
 正面を向いた侭だったリルドは、見るだけでも面倒だと気だるい顔で後ろを振り返る。得物である斧は無様に折られ、男の足には太い氷槍が突き刺さっている。
 身から溢れた魔力が氷槍と成り、自動的に敵を察知し襲い掛かったのだろう。ずるりと抜けた槍は幾つもの欠片となり、リルドのまわりを警戒して防護し始めた。
 
「な、何だ。貴様、どうやって此処に入った。……ええい、護衛共は一体何をしておるのだ。高い金を支払っているというのに……!」
 一階の隠し扉を開くと、そこには地下へと続く階段があった。何の躊躇も無く開くと、そこには仕立ての良い服を着た太った男が一人。そして部屋の中央には椅子に座り、細い鎖で身体中を拘束された少女がいた。白を基調としたゴシック系のドレスを着ており、長い睫に彩られた鳶色の瞳はぼんやりと宙を見ている。もしかしたら、何も見ていないのかもしれない。薬で意識を奪われているとリルドには予想がついた。そして何より異常なのは、少女の青白い頬やドレスに注がれている、血のような赤い葡萄酒だ。鎖を濡らし、ドレスを濡らし、今は無表情な少女の頬や白い首筋までをも濡らし汚している。
 床には砕け散ったグラス。恐らく侵入者に驚いて割ってしまったのだろう。そのせいで広くない部屋の中にはアルコールの匂いが立ちこめていた。
「へぇ、やるじゃねぇか。ガキ集めて人形ごっこか。けど、大人の遊びにしちゃ……悪趣味だぜ」
 爆発しそうな程感情が昂ぶって仕方ないというのに、リルドの瞳は何処か冷めていた。まだ血の滴る剣の切っ先を、真っ直ぐに男の眼前に向ける。
「か、金なら払う! 幾らでも、望むだけ。だから、殺さないでくれ。痛いのは嫌だ、死ぬのは嫌だ!」
「この子もきっと、そう思ってただろうさ。……さて、お前の血は――どんな味がする?」
 まるで獲物を前にした肉食獣のように、リルドは何処か楽しげに言い放った。
 振り下ろされる刃、男の短い悲鳴、少女の静かな眼差し。そして――――。 



「……余計なことしやがって」
 囚われていた少女を無事に救い出し、応援に掛けつけた冒険者に男を引き渡した後、二人は桜の樹の下で息を整えていた。身体を酷使したせいで、すぐには動けそうにない。
「殺す価値もない。……まったく、私が咄嗟に防護壁を創ったから良かったものの。我を忘れるとは君らしくないな。血にでも酔ったのかい」
「……別に」
 それは事実。だがごめんなさい悪かったですと謝れるほど素直に出来ていなかった。
 そんな様子を見て、シズが仕方ないといった様子で肩を竦め、少し笑った。
「――なるほど。……葡萄酒以上に酔いそうだ」
 リルドの頬に散った返り血をシズは指先で拭い取り、ぺろりと舐める。
 暫しの沈黙の後、リルドの盛大な怒気と大声が鳥たちの眠りを妨げた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3544/リルド・ラーケン/男性/19歳/冒険者】
【NPC0746/シズ・レイフォード/男性/32歳/具象心霊】

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■         ライター通信          ■
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ご参加ありがとうございます。
お届けが遅くなってしまって申し訳ありません。
艶のあるダークな雰囲気を目指してみました。少女の救出、NPCシズとの絡み、如何でしたでしょうか。
愛にしては少々重いかもしれませんが、……。
またご縁がありますことを祈りつつ、失礼致します。