<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


最後の一日


「もしも……自分があと一日、つまり今日までしか生きられないと知ったらどうする」
 黒山羊亭のカウンター。クロウ・ニクロムは、黒いハードカバーの本を片手に、そう呟いた。
「人生のシナリオの残りが、今日の分しかないってことさ。非常にワクワクしないかい」
カウンターを指で叩き、くすりと笑う。彼は鳥人だ。手の甲までを黒い羽毛に覆われており、なんとなく禍々しさを感じさせる。足を組み、頬杖を付き、彼はゆっくりと息を吐いた。口元に笑みを絶やさないまま。

「それで、依頼があるからここに来たんでしょうね?」
 目の前の少年を見やり、エスメラルダは溜息をついた。黒山羊亭の空気には似合わない、あどけなさの少し残る少年。依頼が無いのならば早く帰らせてしまいたい、そんな思いを込めた溜息だ。
「勿論。まあまあ簡単な依頼だよ」
片手の本をカウンターに置き、彼は両方の肘をカウンターへ降ろした。
「あと一日しか寿命が無いヤタガラスを、外で遊ばせてやって欲しいんだ」


 その奇形のカラスは、ヤタと呼ばれていた。ヤタがクロウに拾われたのは、一ヶ月ほど前の事だ。三本の足を持ち、右目を失ったままふらふらと歩いていたヤタは、もう既に片方の羽を悪くしていた。嘴の隙間から出る鳴き声はひゅうひゅうと言うか細いもので、もう数日も生きられないことは目に見えていた。クロウは自らの魔法を使い、ヤタを本の中の住人にしたが、その本の中でさえも数ヶ月しか生きられない運命のシナリオを付けられてしまったのだと言う。そして今日、本の中からヤタを出して、最後の一日を迎えさせてやるのだと言う。

「ずっと檻の中で過ごさせてそのまま死なせるより、まだいいだろう?」
 銀色の巻き毛を指で弄くり、クロウはふうと息を吐いた。
「全く、この本の魔法もまだまだ不完全だ。何故永遠の命すら与えられないのか――」
差し出されたグラスの水を一口だけ飲み、本を開く。エスメラルダはそれを黙ったまま見つめていた。
「僕はまだこのエルザードと言う街に詳しくない。勿論、この周りの環境にもだ。だから、あんたに頼んで、この辺りに詳しい人間やらを集めてもらおうと思っている。ヤタの為だ。なんとかしてもらう」
苦笑とも微笑みとも付かない表情を浮かべ、エスメラルダは「そう」と頷いた。
「ヤタの通訳は無論、僕がしよう。報酬は無し……だと、嬉しくないか。そうだな、ヤタとの物語を一つ読んでやろう」
これでも吟遊詩人の見習いなのでね、と、クロウは笑った。こちらも、嘲笑や苦笑に似た、それでも表情の無い笑みだった。
「最後の一日は、ただのカラスにとってだって、楽しい物にしてやりたいと。そう願っている」



 クロウの呼びかけに集まったのは、二人の少年、松浪・心語(まつなみ・しんご)と湖泉・遼介(こいずみ・りょうすけ)。三人は黒山羊亭から外に出て、聖都からほんの少し歩いたところにある草原へ出向いていた。空にはうっすらと雲が掛かっており、風は思ったよりも涼しく頬を撫でる。ざわざわと鳴る草達が朝露を散らし、きらきらと輝いた。

「短命の、はぐれ者……か」
 クロウからヤタの半生を語られた心語が、自嘲とも取れる笑みを浮かべた。
「俺に、……似ている……」
 その言葉に、クロウは目を伏せた。手に持った本の表紙をそっと撫で、瞼をゆっくりと開ける。
「それは是非、ヤタにも伝えよう。あんただけじゃない、と」
 後半の言葉は、誰に向けたものであったか。太陽がちらと雲の間から顔を出し、すぐに隠れた。

「なあ、あんた、魔法使えるんだろ。何かの魔法で元の姿に戻すとか、他にも何かの力を借りたりして、治してやれないのかよ」
「それが出来たら、とっくの昔になんとかしているさ。色々な町を飛び回って、様々な魔法を試した。けれど、無理だった」
 遼介はまだ言葉を続けようとしたが、無理なんだ、とクロウが呟くと、開きかけていた口を閉じた。
「命が惜しいのは皆同じ。もしも命を取り戻せる薬があったら、殆どの生き物が手を伸ばすだろう?」
 死が訪れない生き物などいない。避けるべきものではない。もしかしたら、生き物が生きるのは、死を通して自らの命の価値を学ぶ為なのかもしれない。生き長らえることがしあわせだとは限らない。だからこそ、あんた達に依頼をしたんだ、と、クロウが笑った。僕はしあわせを教えられるような者ではない、と。

「今日一日、ヤタにしあわせを教えてやってくれ。鳥だって、あんた達と同じだ。しあわせを知らずに死にたいなど思わないだろう」
 僅かに嫌味っぽい笑みを作り、本を開く。ほんの少し黄ばんだページがぱらぱらと捲られ、最後の最後のあたり、しおりの添えてある場所で止まる。ページには隙間なく文字が書かれており、次のページにも続いているようだった。クロウは深呼吸をし、背中の翼を開くと、言葉になっていない言葉のような呪文を唱えだした。一つの言葉が紡がれる度、刻まれた文字がうっすらと光る。全ての文字が白く輝き、光が本の上に白い影を作ったかと思うと、しゅるりと言う音と共に、一羽のカラスが現れた。光が消えると同時に、カラスはぺたりとしりもちを付くように本の上へと着地した。くるるおう、と、小さな鳴き声を出す。
「これがヤタだ」
 右の翼をだらりと垂らし、右の眼窩には目玉が無い。震える三本の足が、やっとの思い出体重を支えていると言った様子だ。くるるおう、と、再び鳴き声。あまりにも弱弱しい姿に、心語と遼介は思わず言葉を詰まらせた。なんと言葉を掛けるべきか、と。
「『はじめまして』」
 クロウが言葉を紡ぐ。二人は顔を上げ、彼へ視線を向けた。
「ヤタの言葉だ。翻訳は任せてくれ」
 ヤタがひょいひょいと首を傾げ、クロウの方を向く。

「ええと。俺は、湖泉遼介。宜しくな、ヤタ」
「……俺は、松浪心語。……今日は、宜しく頼む」
 二人の言葉を、クロウがヤタへと伝える。ぼそぼそと小さな声で、笛のような音を喉の奥から出しているようだ。ヤタは首をかしげながら聞いていたが、翻訳が終わった直後、ひょうろろうと細く鳴き、残っている方の目で二人を見た。左の翼をぱたぱたと羽ばたかせ、ころろろと喉を鳴らすように囀る。
「『こちらこそ』、と。本の中以外の友達が居なかったから、嬉しいそうだ」
 クロウがそう言った瞬間、バランスを崩したのか、ヤタが本の上ですてんと転んでしまった。それでも首を上げ、三本の足で立ち上がり、再びころろと鳴く。
「『ありがとう』、だそうだ」
 心語と遼介が顔を見合わせる。
「命の煌きある者との会話は、彼の夢だったんだよ」
 病気の鳥特有のぼさぼさとした羽毛。それでも胸を張って、ヤタはくるるおうと鳴いた。“健常”なカラスには程遠い鳴き声であったが……。
「無理に明るく振舞えとは言わないし、ヤタの望むこと全てを叶えてくれとも言わない。ただ、彼が満足出来るような一日になるのなら。僕はそんな一日を願うことにするよ。……あくまで、僕は、だが」


「よし! それだったら、一回街に戻ろうぜ。俺、一個思いついた!」
 遼介がぽんと手を打ち、返事も待たずに聖都の方へと駆け出す。ヤタがくるるると鳴き、着いて行きたい! と言わんばかりに翼をはためかせ、本を持つクロウの手をくすぐった。
「あれは……命の煌きと言うより、鏡で光を反射させて遊ぶヤツに似ているな」
 早くしないとおいてくぞ〜、と手を振る遼介を見、クロウが顔をしかめる。
「それが、……良いのではないだろうか? 俺に出来ることと言ったら……ヤタを肩に乗せ、飛んでみたいところを……代わりに歩いてみせることくらいしか、出来ないだろうから」
 本の上でくるると鳴くヤタを見つめ、指を差し出す心語。ヤタは左目で心語の目を見ると、彼の指をちょんと突付き、くるるると鳴いたかと思うと、恐る恐ると言った様子で本から指へと乗り移った。三本の足はいかにも頼りなげで危なっかしい。心語が手を動かしヤタを肩まで誘導すると、ヤタは肩へと飛び移った。鉤爪で心語の肩をはっしと掴み、止まり木に止まる鳥のように姿勢を屈める。落ち着いたように羽を膨らませれば、ふわふわした腹毛が肌に当たる。くるるおう、と、耳元で鳴き声がした。
「『今は遼介に着いて行ってみたい』そうだ」
 街への入り口へ続く道で大きくてを振っている遼介を見、首をひょいと傾げるクロウ。
「良ければ、そのままヤタの翼代わりになってもらえると嬉しいね」
「……ああ、解った」
 ヤタを肩に乗せたまま、心語が歩き出す。クロウはその後をついて歩いてきた。少しでも速く歩くと、肩の上のヤタは足を滑らせてしまうだろう。しかし、残された時間は多いとは言えないし、何よりヤタが楽しそうにくるると鳴くので、あまりゆっくり歩くことも出来なかった。
(優しくて、大きい肩。お父さんのようです。人間のお父さんが出来たみたいです)
 ヤタの言葉に、クロウが瞬きをする。草原の景色を眺め、遠くで揺れる森を眺め、そして無限に広がる空を眺め。……以前から、ヤタの口からは、空を飛びたいという言葉は発せられなかった。飛べないと本能で悟ったのか、それとも諦めているのか。空を飛ぶ鳥も、何度だって眺めてきたはずなのに。
(本当のお父さんも、きっと同じ空の下です)
 ヤタの声は、今まで聞いたそれよりも、元気だった。クロウは思考を止め、小さな鳥の声で、相槌を打った。


 聖都の門を潜れば、外とは大違いの景色が広がる。人々の行き交う大通り、屋根まで手の届かないほどの高い建物、きらきらと水を噴出す噴水。遼介には見せたい物があったのだが、ヤタがあっちも見たいこっちも見たいと言うので、三人は文字通り子供の世話をしている様に振り回されてしまった。嬉しそうなくるるるると言う鳴き声が何度も響き、その度に少年たちは顔を見合わせた。鳥は人間のように表情を作ることが出来ないが、喜びを歌うことは出来るのだ。

「あったあった、この店だ」
 遼介がそう言って手招きをし、心語へヤタを預からせてくれないかと頼む。ヤタを肩に乗せると、遼介は店の前に立って、ショーケースを眺めた。指を刺し店員に何かを注文したかと思うと、一つの食べ物……アイスクリームを片手に、二人のほうへと戻ってきた。
「俺、ここのアイス好きだからさ」
 顎をひょいと動かし、アイス屋を指す遼介。自分で一口アイスを食べ、美味しい! と目を細めると、店で貰ったスプーンでアイスを掬って、今度はヤタへと差し出した。
「ヤタ、食べてみな。上手いから、さ」
 恐る恐る嘴を近づけ、つんつんとアイスを突付くヤタ。ひゅるりと動く舌でちょいと嘗めると、美味しいよ、とでも言うようにるるうと鳴いた。遼介がクロウを見れば、クロウは遼介の疑問を肯定するように頷く。ヤタはアイスを嘴で突付いたり舌で嘗めたりして、あっという間にスプーン一杯分のそれを平らげてしまった。
「どうやら、……気に入った、様だな」
「だな! ああ良かった。甘いものが嫌いだったらどうしようかと思った」

 アイスを食べ終わった遼介は、再び心語へヤタを托し、買い物してくる! と言い残して街へ出て行ってしまった。
「ヤタが嬉しそうにしていると、他人事とは思えないほど僕も嬉しくなる。……ガラじゃあないけれどね」
 遼介を見送り、クロウは腕組みをしながら苦笑した。ヤタはアイスの味が忘れられないようで、アイス屋をじっと眺めては遼介が走っていった方向へ顔を向け、また食べたいなとでも言うかのようにくうと鳴いた。
「あんたも、ヤタに自分が似ている、と言ったね」
「……、ああ」
「僕もだよ。先祖の血の濃さの関係でね」
 相槌の代わりに、心語はほんの少しだけ俯いた。クロウは辛さも苦しさも感じさせない表情で、まるで旅行の予定を語るかのように、ぽつぽつと言葉を並べていく。
「あと二年もあれば、死んでもおかしくないだろうな、僕は。ヤタに比べれば長い時間だが、人間にとってはどうなのだろうか。僕は寧ろ、死を楽しみに感じるよ。この世のしがらみから取り払われ、安らぎも苦しみも無く闇の中を彷徨うことが出来るようになるだろうか」
 それから沈黙を破る物は無かった。相変わらず、街の人々の足音や、風に揺れる木々のざわめき、空を飛ぶ小鳥達の歌声は響いていたが。どこか湿気のある空気は、乾いた暑い風に吹き飛ばされ、噴水の水と霧が一緒になって飛んでくる。


「ごめんな、貴重な時間を無駄にしちまって」
「構わないさ。日暮れにはまだ時間があるしね」
 ところで、何を買ってきたんだい。クロウが聞くと、遼介は一つの瓶を抱えていた紙袋から取り出した。
「水の中に潜れるようになる魔力のある薬。鳥にも効くかって聞いたら、ちゃんと効くらしいから」
 そして、自分の分のシュノーケルを手に持ち、これも使うんだ、と笑う。
「ヤタに、海の中を見せてやろうと思ってさ。本当は空の上の景色を見せたかったんだけど、俺は飛べないから」
 さて、急がなきゃな。そう言って、遼介は早足に歩き出した。心語とクロウが後を追う。
「近くの海岸に、俺の水中バイクがあるんだ。そこから沖に出る」
 あのへんだよ、と、指を指す。なるほどあまり遠く無い所に森があり、木々の陰の間から海が顔を出している。始めてみる海に、ヤタは感動してくれるだろうか。不安と期待で胸を一杯にしながら、遼介は歩きつづけた。後ろから、楽しみだよと言うように、くるるおうと高めの鳴き声がする。羽をはたはたと羽ばたかす音。どうにも好奇心旺盛なカラスである。心語がくすぐったそうに首を傾げヤタへ視線を向ければ、ヤタは少ししょんぼりした様子で羽毛をたたんだ。それでも、これから見る景色に心を躍らせ、瞳を輝かせていたが。

「ヤタ、これが海だ! 広いだろ?」
 森を抜ければ、空と同じくらいに広く広がる海が現れる。深い青、白い波。波の音や砂、目の前に広がる水平線に、ヤタは目をぱちくりとさせた。しかし驚いたのも一瞬の間。早く連れて行って! と、遼介の肩に飛び移る。
「さ、潜ってみようぜ。薬を飲んだなら潜れるはずだから。しっかり捕まってろよ!」
 心語とクロウに見送られながら、水中バイクは沖を目指して発進した。ヤタは姿勢を低くして吹き付ける潮風に飛ばされないように必死に遼介へとしがみ付いている。海の風は独特の香りをしている。ヤタはたまに小さくくしゃみをした。
「寒かったか? 悪い悪い」
 遼介は笑い、バイクの速度を落とす。掻き分けられた海水が白い尾になって海を横切る。ヤタがきょろきょろと辺りを見回している。どこまでも続く青い海。太陽の光できらきらと光る、一面の水。遼介が差し出した瓶から薬を少し飲み、ヤタは船の縁に降りた。

 シュノーケルをつけた遼介が海へ飛び込み、ヤタに腕を差し出す。揺れる船と上がる水しぶきにヤタは少々戸惑っていたが、意を決したように遼介の腕へと飛び移った。遼介は同じく魔道具屋で買っておいたビンへ海水を入れ、そこにヤタを入れ、ビンをさかさまにして海の中へと潜っていった。ヤタはやはり驚いていたが、海の感覚にすぐに慣れたのか、ビンの口から顔を出したり、足や羽を動かしたりして、小さな海水浴を楽しんでいた。

「空を飛ぶカラスじゃ、絶対に見えない景色なんだ! もしかしたら、ヤタが一番最初に海の中を見たカラスかもな」
 海上に上がった後、遼介はヤタへ声をかける。ヤタはビンから顔を出し、それをじっと聞いていた。言葉は通じなかったかもしれないが……遼介の笑顔と少し誇らしげな感情を、ヤタはしっかりと受け止めただろう。
「クロウ、ヤタに海の中の何が見たいかって聞いてくれるか?」
 手を振ってクロウを呼べば、彼が滑るように海上を飛んでくる。翻訳を承知し、クロウが鳥語でヤタと小さな会話をした。
「『もう一度、魚が見たい。滑るように、飛ぶように泳ぐ魚たちを』と」
 遼介は了解と元気に返事をし、ヤタに目配せをすると、再び水中へ潜った。目指すは、珊瑚礁。悠々と泳ぐ色鮮やかな魚たちと共に、虹色の森を泳ぎまわる。ヤタは何度も首を傾げ、遼介の真似をして足を動かし、魚とすれ違う時にはるるるおうと声を掛けた。人懐っこい魚たちはビンの傍までやって来て、口でビンを突付いてくれた。ヤタがお返しに中からビンを突付けば、魚がまた返事をする。何度か海上へ上がり、そしてまた潜り、遼介とヤタは海の景色を心行くまで楽しんだ。
「綺麗だろ。世界には、これと同じくらい、いや、これよりももっと綺麗な景色が沢山あるんだ!」
 海から浜辺へ戻ってきた遼介が、ヤタへ語りかける。
「それでな、その場所には、沢山の生き物が住んでるんだ。ヤタも、この世界に住む命の一人なんだぜ」
 つまり、俺達の友達だ! 遼介はにかっと笑い、ヤタの首のあたりの羽毛をくすぐった。ヤタはきゅるる、くるるおうと鳴いて、小さく羽を広げた。そして、遼介の指にまるで頬擦りをするように、顔の羽毛を擦りつける。くるるおう。
「『はじめての友達。しあわせです』と言っている」
 クロウの方を振り向き、遼介は再び微笑んだ。命の煌き。それは誰にでもある、誰にでも輝かせられる物なのだ。



「日暮れ、だな」
 浜辺から続く森を抜け、草原に差し掛かった頃。クロウの言葉に、二人は顔を上げた。心語の肩へと映ったヤタは、首の付け根の羽毛を膨らまし、瞬きをした。日は大分傾き、空の色も変わってきている。
「空が見える……静かで、穏やかな……場所に行こう。……丘のある、草原が良い……だろうな」
 そう言って、心語が歩き出す。海を離れ、草原の道を歩き、辺りに手ごろな場所が無いかと周囲を見渡す。数分ほど歩いた後、幸運にも小さな丘を見つけた。風の吹く丘。朝に空を覆っていた雲は晴れ、オレンジ色に染まりかけた空が一面に広がっている。遠くを見れば、地平線が顔を覗かせている。

「なあ、ヤタ。俺たちはこれでさよならだけど、ずっと友達で居ような」
 ヤタの羽毛を撫でて、遼介が呟く。
「太陽神の使い……、か。最後の最後まで、……その生を、見届けよう」
 心語も、その指でヤタの頭をくいと撫でた。ヤタは尾羽を広げ、ゆっくりと首をかしげると、高い声で、くうと鳴いた。


 緑の絨毯が延々と続く、小さな丘。そこに辿り着いた時は、ヤタはもう羽毛を膨らませ、目を瞑りかけていた。クロウがその身体を抱きかかえ、丘の頂上へと降ろす。ヤタは三本の足でその地面を踏みしめようとしたが、そのままはたりとくずれ落ちた。左の翼をはためかせるが、もう身体を起こすことも、立ち上がることも出来ない。ヤタはくるるおうと鳴いた。そして、うっすらと目を開く。見えているかいないのか、それは誰にも解らない。

「『さようなら』、『さようなら』。『さようなら』」
 日が落ちる。クロウは目を瞑り、手を合わせた。二人は顔を伏せ、痙攣をはじめたヤタをじっと見つめていた。ひくり、ひくりと、翼を動かす。開いた嘴から細い息が少しだけ音を立てている。ひゅう、ひゅう、耳を澄ませば聞こえる微かな呼吸。心臓の鼓動が弱まっていくのが解る。何かを掴もうとするようにもがく足も、やがて動きをなくしていく。ひくり。ひくり。痙攣の感覚が、だんだんと長くなってきた。

「『ありがとう。友達。さようなら。……さようなら』」
 その言葉を最後に、ヤタの心臓は止まった。そこに残るのは、間違いなく先ほどまで生きて呼吸をしていたヤタの亡骸。等しく受けた生を、等しく受ける死によって奪われた生命。風が吹き、ばさばさになってしまった羽毛をほんの少しだけ撫でる。
 一つの命が、ここで終わりを迎えた。クロウは跪き、再び手を合わせて祈る。聞こえるのは、風の音。空は夕闇に染まろうとしていた。静かな夜が、やってくる。



「さあ、報酬の物語だ。どんな話が欲しいかい」
 黒山羊亭の隅のテーブル。羊皮紙を広げ羽ペンを持ち、クロウは少年へ問い掛けた。
「俺への報酬は、……不要だが」
 心語が呟き、目を瞑る。長い呼吸をして、しばらく考え込むような仕草を見せた後、瞼を少しだけ開き、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「もし、可能なら。……ヤタがもう一度生を受け、……平凡でも……自由に空を飛び、子孫を残し……寿命を全うする。そんな話を、……作ってくれないか」
 クロウは頷き、目の前の羊皮紙に文章を綴る。
『命の煌き 〜しあわせもののヤタ〜』
 迷いなく綴られていく物語の上に、羽ばたく一羽のカラスが見える。翼を大きく広げ、風を一杯に受け、かあとよく響く声で鳴く。傍にはほんの少し小柄なカラス。そしてその後ろに、小さなカラスが何羽も並んで飛んでいた。先頭のカラスがかあと鳴けば、応えるように彼らもかあと鳴く。しあわせそうなカラス達。しあわせに生きるカラス達。そんな物語が書かれていき、そして浮かんでくる。心語は目を瞑り、カラス達の声を聞いていた。
『ありがとう!』
『ありがとう!』
 確かに、そう聞こえた気がした。


 ヤタの墓は、未だあの場所に残っている。空の良く見える、小高い丘の上。風に乗って、ヤタの魂は……その翼を羽ばたかせ、天に昇って行った事であろう。幻でない、本当の命ある友人たちに守られて。どこまでも高く、遠くに。


おしまい

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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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PC/松浪・心語(まつなみ・しんご)/男性/12歳/傭兵
PC/湖泉・遼介(こいずみ・りょうすけ)/男性/15歳/ヴィジョン使い・武道家

NPC/クロウ・ニクロム(くろう・にくろむ)/男性/16歳/吟遊詩人

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ライター通信
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こんにちははじめまして、北嶋と申す者です。
この度はご参加ありがとうございました!
肩を貸してもらったヤタは、きっと初めて歩くいろいろな景色を眺めながら、
松浪・心語さんを信頼し、ぬくもりをその心に預けたでしょう。
きっと松浪さんのことは忘れることなく、あの世でも永遠に歌い継ぐことと思います。

では、北嶋でした。またお会いできましたら、宜しくお願い致します。