<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


『霧の向こう』

 ソーン中心通りにある、白山羊亭。
 料理が美味しいことで知られる評判の酒場である。
 この酒場では、様々な依頼を受けることができる。

「なあルディア、俺さ、周りの魔力を吸収する方法教わったんだぜっ!」
 ダラン・ローデスという少年が、給仕のルディア・カナーズに得意気にそう言った。
「魔力を吸収? それをすると、凄い魔術が使えるの?」
「んー、それは魔術師の力量次第。俺もそのうちすんげー魔術覚えて、ここですんげー魔術使って見せるからなっ!」
「ここで使われても困ります」
 ルディアは苦笑した。
「で、ルディアは霧の森って知ってるか?」
「聞いたことはあります」
 霧の森とは、聖都エルザードの東に位置する、森のことだ。
 その森は一年中深い霧に包まれている。
 目前に迫るまで、何も目に映ることはない。深い深い霧。
 その先に、どんな景色が広がっているのか、何が存在しているのかは、まだ知られていない。
「あの霧ってさ、植物や精霊が持つ、魔力の影響で発生してるらしいんだよ。それを俺が吸収しちゃえば、先に進めるかもしれねーだろっ!」
「そんなに大量の魔力、人間か吸収できるとは思えないけど……」
「ま、なんとかなるって!」
 ダランはルディアに人を数人手配してほしいと依頼書を手渡す。道中の護衛の為だそうだ。
 不安に思いながらも、同行者がいれば、万が一の時には止めてくれるだろうと、ルディアは依頼書を受け取ることにした。
「霧の、中……空も、周り、も、見えない……方角、わから、なく、なる」
 椅子からぴょんと下りて、ダランの側に少女が一人近付いてきた。
「……そう、なる、と、同じ、場所、ぐる、ぐる、歩い、たり、して……体、力、失う……だから……人間は、道具、使った、よね……?」
「おー、千獣! また一緒に行ってくれるか〜?」
 こくんと頷いた後、首をかしげて考えて……千獣はその道具の名前を思い出す。
「コン……パス……って、いうん、だっけ……それを、持って、いく……」
「コンパスかー。使ったことねーんだよな」
「コンパスなら貸し出ししています。これ、使ってください」
 ルディアが棚の中からコンパスと付近の地図を取り出して、ダランに渡した。
「サンキュー。それじゃ、明日にでも行ってみっか!」
 ダランの言葉に、千獣は首を縦に振った。
 霧の先に何があるのか。
 想像を膨らませて、胸を躍らせるのであった。

    *    *    *    *

 馬車で聖都エルザードを出て数十分後、目的の森近くに到着をする。
 森の側には看板が立っていた。
“この先危険。霧深し”
 とだけ書かれた看板の先には、白い風が流れている。
「うひゃー。森があるのかどうかもわかんねー」
 ダランは驚きの声を上げていた。
「いや、草木の息吹を感じるぞ。動物の気配もある」
 そう言ったのは、虎の霊獣人の虎王丸だ。元々樹海育ちな為、こういった霧や迷いの森の攻略は得意分野なのだ。
「……見えない、けど、ある……」
 千獣にも、森の気配が感じられた。だけれど、この森は少し普通の森とは違うということも、感覚的に分かった。
「それじゃー、行こっか! 未知の世界を目の前にして、冒険しない冒険家は、お金のないお金持ちと一緒だーっ!」
 冒険者のルイン・セフニィが拳を高く上げた。
「おー!」
「行くかー!」
「……うん……!」
 意味不明な掛け声であったが、このメンバーにはつっこみ担当はいないようだった。

 ダランは手を前に伸ばして、手探り状態で障害物を確認していく。
「……無闇、に、先、走った、り、しちゃ、だめ……川……谷、あったら、危険……逸れ、ない、よう、固まって、行動……」
「了解! 皆、俺から離れんなよー」
 千獣の言葉に、ダランは元気良く答える。
 そして、両手を振って周囲の状況を探っていく。
「てかまて。それじゃ意味ねーだろ、魔力を吸収できるようになったんだろ」
「うん、そうなんだけど……」
 ダランは木に左手をついて、もう片方の手で周りを探る。
「あそっか、魔力を吸収するだけじゃ限界が来るよね。それなら、篝火みたいに火の玉を出しながら吸収したらどうかな?」
 ルインがそう提案をする。
 一歩、足を踏み入れると、何も見えなくなる。
 ルインはダランの服の裾を掴んでいた。
 虎王丸は一応ダランの腕を掴んでいる。
 千獣は皆の気配を感じることができるので、自分自身は迷わない確信があった。
 千獣の場所からは、皆の姿は見えない。声だけ届いていた。
 ダランは、魔力の吸収を行なっていないようだ。
「よくわかんねーけど、この霧、確かに普通の霧とはちげぇみたいだし、とりあえず、やってみろよ吸収!」
 虎王丸がそう言うと、ダランが立ち止まって動きを止めた。
「それがさー、確かに俺、吸収はできるようになったんだけど! 動きながらじゃダメみたいでっ。ええっと……」
 止まったまま、ダランが集中をする。
 すると、あたりの霧が薄れていった。
 互いの顔がきちんと見えるようになる。
「でも」
 ダランが声を上げた途端、押し寄せるように霧が溢れていき、辺りはまた真っ白になる。
「集中してたら、歩けないし、声も出せねーし、まして魔術を使いながらなんて無理ってことに気付いた!」
「あはははは」
 ルインは笑いながら、ダランの足に軽く蹴りを入れる。そんなの出発前に確認しておけと言いたい。
「とりあえず、コンパスはボクが持つよ」
 ダランの手からコンパスを受け取って、顔に近づけて方角を確認する。……今のところ、きちんと東に向かっているようだ。とはいえ、まだ数歩しか進んでいないが。
「かといって、この霧全部吸収してから進むってのは、無理だろうしなー」
 虎王丸はしばらく考え、仕方なくダランの腕を引いてあげることにした。
「俺の故郷の人間どもはよ、武術とか何とかで呼吸をすごい大事にしてたぜ? そんな肩に力入れて、息止めて、周囲の気とかがお前ん中入りたいと思うか? もっと気楽にやったらどーなんだよ。お前の能力って、つまりは受け入れるって事だろ?」
 腕を引いて、歩き出す。
「お前が木にぶつからねぇように、腕引いてやっから、もっと楽に集中してみろよ」
「う、うん」
 ルインはダランの服の裾をつかみながら、ため息をひとつついた。
 こんな調子で、本当に森の奥にたどり着けるんだろうか。
 虎王丸と千獣は森に慣れているようであり、霧の中でも慎重ながらも問題なく足を進めていた。
 魔力を吸収するどころか……もしや、このダランって子が足手まといになってない?
 早くもルインは気付いてしまった。寧ろ彼がいない方が楽に進めそうだということに!
 でもそんなことは言わず、変わらずダランの服の裾を掴んで歩いていく。万が一道に迷っても、ルインは魔法で帰還することができるので、それこそ気楽に付き合うことにした。
「ええっと、気楽に気楽にー受け入れる受け入れるー。呼吸……あーわかんねー」
 ダランがぶつぶつと呟いている。
 だけれど、しばらく誰も何も言わずにゆっくりと歩いていたら、次第に霧が晴れてきた。自然に晴れてきたのではなく、それはダランの力だ。
 目を閉じて、自分の身体のことは虎王丸に任せながら、肌で周囲の力を感じ取り、体内に霧を取りこむように魔力を吸収していた。
「おー、凄いじゃん! どうやるの? ボクにも教えてよ!」
 ルインがそう声を掛けた途端、また霧が発生する。
「あ、ごめんー。あとでいいや」
 そう言って、ルインは黙ってついていくことにする。
「んー、そろそろ力放出しないと苦しいカンジ? よくわかんねーけど」
 ダランは小さく呪文を唱えて、風を起こした。
 突然吹き荒れた風に、千獣はぎゅっと目を閉じる。
 飛ばされそうになり、皆、木に捕まって服を押さえる。
「……ふう、なんかすっきりした〜」
 霧が消し飛び、ダランの笑顔が浮かんでいたが、直ぐにまた辺りは霧に覆われる。
「……おどろ、いた……」
 千獣がダランの服をくいくい引っ張った。
「ごめんごめんー。でもさ、雨降らしたら濡れちまうし、火の魔法だと火事起こしたら大変だしーと考えて、風にしたんだよ」
「……うん。……今の、ダラン、の、力?」
「俺の元々の力は全然使ってない〜。吸い込んだ霧の魔力の力を放出しただけっ」
 なんだか得意気な声だった。
「……霧、は、魔力……この、霧、吸う……それ、は、ダランの、力、に、なるの……? 食べ、なく、ても……力に、する、こと、できるの……?」 
「ん? んまあ、俺の力として利用できるってところかな? 吸収しなくても自然の魔力を利用して使う魔術もあるらしいけど、俺にはまだ全然無理でさ〜。だけど、別に食わなくても腹が膨れるとかじゃないぜ? ただ、魔法を発動するエネルギーを身体ん中に溜めておけるってだけで」
「……エネ、ルギー、力、溜めて、おける、って、こと……?」
「うんそう」
 ダランは再び集中をしだす。
 千獣はそんな様子を見ながら、小さな小さな声で呟いた。
「……いい、なぁ……」

 ゆっくりであったが、確実に東へ東へと進んでいた。
 ダランの吸収の力では、僅かに先が見える程度で、空を見ることもできない。
「……でもさ、東に何かがあると決まったわけじゃないんだよね。西側から入ったから、東に進んでいるだけで」
 ルインの疑問の通り、東に行くことが正解だとは言えない。
 尤も、この探索の目的は霧の向こうを見ることであり、他に何の目的があるわけでもないのだが。
 ふと、霧の先に動物の姿が見えた。鹿だろうか……。
 虎王丸は空いている方の手で、首にかかった鎖をぐっとつかんだ。
「この鎖がなければなあ、俺もあいつらの言ってる事がもー少しわかったんだけどなぁ」
「取ればいいじゃん」
 ダランがあっさりと言った。
「取れねーの!」
「それ外すと、虎王丸って、完全な虎になっちまうのか? 俺、人間の虎王丸の方が好きなんだけど……」
 ダランが立ち止まったことで、またあたりは霧に包まれてしまった。
「千獣のように、好きに獣化が出来るようになるだけで虎の姿のままってことはねぇよ」
「ふーん……ま、俺がそのうち虎王丸よりずっと強くなって、外してやるよ」
 顔は見えなかったが、声の調子から自分を案じてくれていると感じ取り……虎王丸は笑みを浮かべてダランの頭をべしっと叩いた。
「期待しねぇでおくよ、ほら、行くぞっ」
 手を引いて、再び歩き出す。

 静かな森の中、静かにゆっくりと歩いていた。
「なんか、霧薄くなった気がしない?」
 最初に気付いたのは、ルインだった。
「そういえば、微妙に……ダラン、周辺の魔力の状態はどうだ?」
 虎王丸がそう言うと、ダランは軽く眉を寄せた。
「そういうのはよくわかんねーんだけど、うーんとうーんと」
 眉間に皺を寄せて、周囲の魔力を探っていく。
「うーん、確かに薄れてきた、ような気もしないでも……」
「……水の、匂い、する……」
「ん? ああ、確かにするな」
 千獣と虎王丸の鼻は、水の香りを感じ取った。
「もう少しか〜? よーし、頑張るぞー!」
 ダランは気合を入れて魔力吸収に努めるのだった。無論、虎王丸に手を引かれつつだが。

 僅か数分後には、ダランが吸収を行なわずとも、周囲の景色が見えるようになっていた。
 水の匂いがする場所へ、千獣が先導をする。
 木々の隙間から、その場所が見えてくる。
 ――そこは小さな、泉だった。
 ちょうどそこの場所だけ、立ち並ぶ木々が途切れており、広場のような開けた空間になっていた。
 泉の奥には、色とりどりの花が咲いている。
 そして、その小さな泉には動物や、蝶や鳥達が集っていた。
 水を飲み、草を食べ、木蔭で休む。
 ここは、動物達の憩いの場所のようだ。
 安らぎに満ちた空間であった。
「行ったら、怖がらしちまうかな?」
 ダランの問いに、虎王丸は腕を組んで考え込んだ。
「うーん、殺気を立てなきゃ平気だとは思うが……」
「それじゃさ、とりあえずここでお昼ご飯にしようか! じゃじゃ〜ん」
 ルインはリュックサックの中から、レジャーシートを取り出し、木蔭に敷いた。
「お弁当、皆持ってきてるんだよね?」
「おう! いわれて見れば、腹が減ったよなあ〜〜〜」
 ダランがシートの上にペタンと座り込む。
 虎王丸と千獣もシートに座り、それぞれ持って来た弁当を出した。
 皆で少しずつ食べることにする。
 人間ではないルインは飲食を必要としなかったが、この雰囲気を楽しみたかったので、自分の分の弁当もちゃんと持ってきていた。
 動物達を驚かせてはいけないので、あまり大きな声は出さずに。
 だけれど、笑い合いながら4人は食事を楽しんだ。
 千獣はふと近くの草花に目を止めた。小さく頭を下げた後、摘まんで、根ごと引き抜いた。
「この、草……花……とって、おく、こと、できない、かな……ファムル、取り、戻し、たら……見て、もらって……薬、に、できない、かな、と、思って……」
「おお? 薬草か〜。診療所で乾燥させてとっておくといいかもな。このあたりって、そういう薬草他にも生えてるのか?」
 ダランの問いに、千獣は首を縦に振った。
「あのお花も綺麗だよね。少し分けてもらおうかな〜」
 ルインは弁当箱を片付けると、レジャーシートから下りて、池の方へと近付いた。
 電子の集合体であるルインは、降り注ぐ光に溶け込むように、動物達の側に行き、花にそっと手を伸ばした。動物達は、ルインに驚きはしなかった。
「なるほど……」
 動物を観察していた虎王丸は、動物達が餌としている草や、薬として食べている草に目星をつける。
「栄養のありそうな草は、栄養剤の材料になるかもしれねーしな、採って帰るか!」
 探索に行くということで、収穫物を運べるよう鞄を持ってきていた。
 その中に、千獣と虎王丸は周辺に生えている薬草を入れていくのであった。

「おい、ダラン! そろそろ帰るぞ」
 僅か数分間の間に、ダランはレジャーシートの上で眠ってしまっていた。
「はい、これ」
 目を覚ましたばかりのダランに、ルインは花で作った飾りを渡した。
「ん? 見たこともない花だ〜。これ本物の花だよな? ルインって器用だなあ……。サンキュ♪」
 ダランはルインの頭に手を置いて撫でながら、立ち上がった。
「ね、魔力を吸収する方法教えてよ!」
「あ、うん……えーと。うーんと……」
 そう言ったまま、ダランは考え込んでしまう。
 だけれど、ルインはダランの側で散々見ていたので大体解っていた。
「集中をして、魔力を感じ取って、体内に呼び込むみたいなカンジかな?」
「うんそう、そんなカンジ! 一緒にやってみっか」
 ダランがルインの手を取って、目を閉じた。
 ルインはダランに呼吸を合わせる。
 同じように、周囲の力を感じ取り、魔力を体内に吸収をするのだった。
 ただ、ダランとルインが違うのは、ダランには普通では考えられないほどの魔力を貯える能力があるということ。
 元々人間ではないルインには、魔力そのもののあり方が違うため、全く同じようにはいかなかった。
「よしダラン、帰りは前方だけから吸収をやってみろよ。必要な場所から、魔力を取る訓練だ」
「分かった!」
 虎王丸の言葉に、ダランは元気に頷いた。

 帰りは、虎王丸が道中につけてきた目印と、コンパスを頼りに戻ることができた。
 ダランを真似て、ルインも吸収を行なっているのを見て、千獣は複雑な気分だった。
 自分もやればできるのだろうか?
 だけれど、自分には魔力というものが理解できていない。
 解らない力をたとえ手に入れることが出来ても、それを活かすことはできない。
 だから無理だなーと思って、ちょっと切なかった。
「よし、それじゃー、自分で歩きながら、周囲数センチだけの吸収を維持してみろ」
「ええーっ」
 虎王丸がダランの腕を離す。
「側にいてやるから、俺の背中が見えるくらいの集中力だけ維持するんだ」
「わ、わかった……」
 ダランは僅かな吸収をしながら、虎王丸の背を必死に追った。

 行きよりもずっと短い時間で、4人は霧の森入り口の、看板の元へと帰還を果たした。
「疲れたー」
 ぺたんとダランは看板の側に座り込む。
 お疲れさま、と千獣はダランの肩をちょんちょんと叩いた。
「歩けないんなら、担いであげようか?」
 小さな子供の姿をしたルインにそう言われて、ダランは吐息を1つついて、立ち上がった。
「ルインじゃ無理無理、俺の方が力あるって!」
 そんなことはないんだけど……。ルインは密かに笑って、労うようにダランの背を叩いた。
「馬車が来たぞ」
 虎王丸の声が響く。
 ルインと千獣は駆け出す。ダランもふらふらとした足取りで、2人に続くのだった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3087 / 千獣 / 女性 / 17歳 / 異界職】
【1070 / 虎王丸 / 男性 / 16歳 / 火炎剣士】
【3677 / ルイン・セフニィ / 女性 / 8歳 / 冒険者】
【NPC / ダラン・ローデス / 男性 / 14歳 / 駆け出し魔術師】

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■         ライター通信          ■
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ライターの川岸満里亜です。
『霧の向こう』にご参加いただき、ありがとうございました。
霧の奥へとたどり着くこともできましたし、ダランの修行にもなりました。
薬草類は診療所へ。花飾りはダランが貰って帰りました。
皆様とほのぼの楽しめた事をとても嬉しく思います。
ご参加ありがとうございました!