<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


アクアーネ村へ

 精霊の森、と呼ばれる森がある。文字通り、精霊が棲む森だ。
 だが、その森には精霊しかいないわけではなかった。
 精霊の森の守護者は、不老不死という枷を自分に課したが、元は人間である。
 そして、
 この森には、他にも人間が住んでいた。

 セレネー。その名は森の守護者が少女につけた名だ。満月の日に森に転がり込んできた。だから、「月(セレネー)」。
 純白のたゆたう長い髪に華奢な体。透き通るような赤い瞳。外見年齢は15歳ほどだが、記憶喪失ゆえに知能が退化している。
 森に来た当初こそぼんやりと生気のないような生活をしていたセレネーだったが、見かねた精霊の森の守護者たる青年が街に彼女を出すようになってから、彼女はみるみるうちに元気になった。
 今では、青年がいなくても、姉代わりの女性とともに街に遊びに行くこともある。

 ある日。
 守護者がとある出来事によって、病魔に臥せた。
 少女はとても悲しんで、日々看病にあけくれた。
 色んな人々の助けもあって、少しずつ容態もよくなってきた青年は、セレネーに言った。
「暑い夏だ。少し遊びに行っておいで」
 実際には、精霊の森の中はほどよい常温で満たされていて、『暑い』などという言葉が出てくるはずはないのだが。
 しかし、森を一歩出れば今はとても暑い季節だと――彼は他ならぬセレネーの口から聞いていた。街に買い物に行った際の感想である。
 青年はそれを聞いて思い出した。
「エルザードの街のね、南西に……アクアーネ村という場所がある」
 あくあーね? とセレネーは小首をかしげた。
「ゴンドラという乗り物が有名な、水の街だ」
 ごんどら? とセレネーはますます首をかしげた。
 青年は微笑んで、
「とても涼しい所のはずだ。たまには遊んできなさい、セレネー」
 セレネーはいやだと言った。
 彼女は、青年が病気で臥せっているのは自分のせいだと知っていた。看病は自分がしなくては。彼から離れてはいけない。
 しかし青年はそれを許さない。
 僕がね、と彼はやつれた顔に微笑みをのせる。
「――アクアーネ村には行ったことがないから。話を聞かせてほしいんだよセレネー。どんな所なのか……」
 あながち嘘ではなかった。芯から嘘では、セレネーを説得することはできなかったに違いない。純粋無垢なために、他人の心には敏感なこの少女を。
 セレネーは青年の顔を見て、やがて渋々こくりとうなずいた。
 ――そんな、2人のやりとりを見ていた人物が1人。
 青年はセレネーから視線を動かして、セレネーの斜め後ろに黙って立っていた少女を見やり、
「千獣[せんじゅ]。キミもセレネーの護衛代わりに行ってきてくれるかな」
 千獣は黙ってうなずいた。
 千獣にとっても大切な青年。しかし知らぬ場所に、セレネーを1人で行かせるわけにはいかなかったから。
 白山羊亭に寄って行くといい――と青年は言った。
「誰か、一緒に遊んでくれる人を探すんだ。その方が楽しめるだろう」
 セレネーが当惑しているのを感じて、少女の肩に手を置き、
「分かっ、た……クルス」
 と、千獣は言った。

 ■■■ ■■■

 白山羊亭に2人で訪れたとき、看板娘のルディアはすぐに気がついてくれた。
「こんにちはー!」
 元気よく挨拶してくるルディアに、セレネーは横に立つ千獣を見上げてから、おそるおそるルディアに視線を戻した。
「あの、ね」
 ずっと一緒に森で暮らしている千獣ゆずりなのか、どこかぎこちないしゃべり方をするセレネーは、「おねがいが、あるの」とルディアに話しかける。
「どうしたんですかあ?」
 ルディアはセレネーよりむしろ千獣を見ていたが、千獣は話すことをセレネーに任せようと思っていた。
 そんな千獣の心をすぐにくみとったのか、ルディアは視線をすぐに一生懸命に話をしようとしているセレネーに移した。
 セレネーはルディアを遠慮がちに見ながら、
「クルス、今、寝てて……」
 そう言えばクルスさんご病気だったっけ、とルディアは思い出したように言った。
「それで、アクアーネ村に、ゴンドラ乗りに、行っておいでって、言われて……」
「アクアーネ村に行くんですか?」
 避暑には最適ですねー、とルディアは笑う。
 それでね、とセレネーは両手の指を組み合わせた。
「おねーちゃんと、一緒に、行くんだけど……他にも、誰か、一緒に遊んでくれる人、探しなさいって……」
 セレネーの言う『おねーちゃん』とは千獣のことだ。ルディアも承知しているので、そこは何も聞かない。
「……一緒に、行ってくれる……怖くない人、いる……?」

 ■■■ ■■■

 ルディアはしばらく考えていたが――どうも、セレネーの言う『怖くない人』という言葉が引っかかってしまったようだ――やがて、振り向いた。
「蟠[わだかま]さん。今のお話聞いてらっしゃいました?」
 話しかけた先には、テーブルに座る1人の美しい人物がいた。いや、人かどうかはこのソーンでは分からない。
 肩までかかる程度の金髪に、輝く宝石のような赤い瞳をしたその人物は、
「聞いていたわ」
 と柔らかい女性言葉で話した。
 しかし、蟠と呼ばれたその人物が女性ではないことを、千獣は知っていた。もっと言えば男性でもない。性別がないのだ。そんな人間がいるわけがなく、つまり蟠は――蟠一号[いちごう]は、人間ではない。
 蟠は手にグリフォンをかたどった美しいハープを抱えていた。吟遊詩人なのである。声が美しいのももっともだ。
「アクアーネ村……凄く楽しそうね。ボクはまだ行った事が無いのだけれど、噂はよく聞くわ」
 と蟠は微笑ましそうに、セレネーを見た。「夏にはちょうどいい場所なんじゃないかしら?」
「あの……」
 千獣がようやく口を開き、「こんにちは……?」
「こんにちは、千獣」
 蟠はふふっと微笑む。「精霊の森ではいつもありがとう」
「ううん……いつも、来て、くれて、嬉しい」
 精霊の森の常連である蟠にとっては、精霊の森に住む千獣は知り合いだ。
「どうですか蟠さん。この子の依頼受けてみませんか?」
 ルディアはにこにこしながらすすめた。
 蟠は微笑して、
「是非同行させて欲しいわね。セレネーちゃんとも仲良くなりたいし」
 椅子から立ち上がり、セレネーにゆっくりと近づいた。優しい笑みのまま、少女の赤い瞳に自分の赤い瞳の色を映す。
「よろしくね」
「よ、よろしく……おねがい、します」
 セレネーはぺこりと頭を下げる。
「えっと、他には……あ、アレスディアさん」
 手近な所にいい人物を見つけ、ルディアは嬉々としてその少女に声をかける。
 呼ばれて、彼女――アレスディア・ヴォルフリートは振り向いた。
 銀灰色の長い髪が、さらりと揺れた。今までこちらをまったく気にしていなかったのか、ルディアの傍に集まっている面々を見ると青い瞳を丸くして、
「ん……? どうしたのだろうか? みんな揃って……」
「アレスディアさんだあ!」
 セレネーが嬉しそうに千獣の服を引っ張る。千獣は優しく微笑んだ。
「アレス、ディア……暇、ある……?」
「千獣殿? いや、すまない話を聞いていなかったのだが」
 精霊の森の常連がここにもいた。セレネーがぱたぱた両腕を振って、話を繰り返した。
 聞き終わったアレスディアは、困り顔でうなった。
「ううむ……」
「あれ? ダメですかあ?」
 ルディアが首をかしげる。「お仕事、抱えてらっしゃるんですか?」
 アレスディアは慌てたように手を振り、
「いや、もちろん、同行することに問題はない。問題はないのだが……」
 やっぱり困り顔で、「しかし、ゴンドラに乗りたい、というと……私などよりもともに乗るに相応しい方がいると思うのだ」
「ふさわしい……?」
 セレネーがきょとんとする。
「その方がいない、という場合はご同乗させていただくが……ううむ」
「いいじゃないの」
 蟠が笑った。「今から野暮なことを言っていないで。セレネーちゃんのために一緒に行きましょうよ」
「ど、同行することに意義はないのだが」
 どうやらアレスディアはゴンドラに乗ることに緊張のようなものを感じているらしい。
「一緒に、いこっ、アレスディア、さん!」
 セレネーが無邪気にアレスディアの腕に抱きつく。
 アレスディアが苦笑して、「そうだな」と応えたとき、白山羊亭に来客。
「お邪魔しまーす、郵便でーす!」
 飛び込んできたのは長い銀髪をなびかせた、身軽そうな少女。
「ルディアさーん。……あれ?」
 と、その少女は目ざとくルディアを見つけるとその周囲にいる人々に首をかしげた。
「セレネー? みんな?」
「ウィノナだあっ」
 セレネーがぴょんっと飛び上がって郵便屋さんに駆け寄っていく。
 抱きつかれて、ウィノナ・ライプニッツは目をしろくろさせた。
「ちょうどいいところに」
 ルディアが指を鳴らした。「ウィノナさんも、依頼に参加されませんかー?」
 飛び込みのウィノナには何が何やら……

 3度目のセレネーの説明に、合点がいったというように、ウィノナは大きくうなずいた。
「行く。行くよボクも」
 彼女としては、セレネーと遊びたい半分、避暑半分。
 行くからには思い切り遊んでやろうという算段である。
 ウィノナがうなずいたのを見て、セレネーが嬉しそうに笑った。
 千獣。蟠。アレスディア。ウィノナ。すでに森に住んでいる千獣を含めて、セレネーにとって馴染み深い、恐れることもない信用できる人たちだ。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか? 今から行けば日が一番高くなる頃にアクアーネ村に着くわよ」
 蟠が提案すると、千獣が、「あまり、森を、離れ、られない、から」と本音を口にする。
「大丈夫だって、クルスなら」
 クルスの魔術の弟子となったウィノナが、笑いながら請け負った。「今日1日くらいたっぷり遊んで行かないと、きっと逆に怒るよ?」
 クルスの病魔をその目で見ている千獣としては、簡単にはうなずけない言葉だったが――
 遊んでこないと逆に怒る。それも多分本当だ。
 千獣がこくりとうなずくと、アレスディアがこほんと咳払いをして、
「アクアーネ村までは馬車にした方がよかろうか。セレネー殿は相変わらず靴を履いておらぬゆえ……」
「そうだね」
 ウィノナが同意して、「ボクに任せて。顔が利くんだよ?」
 とにっと笑った。

 ■■■ ■■■

 セレネーにとっては初めての馬車。ごとごと揺られて、数時間と経たないうちにアクアーネ村に着いた。
 馬車から降り立った瞬間、彼女たちを取り巻いたのは、風に吹かれて送られてくる水の気配。
「わあ……ここからでももう涼しい」
 ウィノナが額に手をかざして村を眺める。
 セレネーがぴょんぴょん飛び跳ねて、
「ねえ、おねーちゃん、おねーちゃん、川、村の中に、いっぱい!」
 指を指しながら、千獣の服を引っ張る。
「そうだ、ね……」
 千獣は優しくセレネーの髪を撫でながら、自分も村を眺めた。
 水の村アクアーネ。
 村中をいくつもの整備された水路が通っている。その上を、人を乗せたゴンドラがいくつも、ゆったりと流れていた。
「この時期はゴンドラが何艘も出ているわねえ」
 蟠が大切にハープを抱きながら、涼しい風に身を任せる。
「早く乗りにいこっ!」
 ウィノナがセレネーの手を取って、走り出す。
「あらあら、せっかちさんねえ」
 笑う蟠の隣で、アレスディアがいまだに、
「私はいてよかったのだろうか……」
 と悩んでいた。
 それを見た千獣が小首をかしげて、
「アレス、ディア……見た、もの、ザボンに……話して、あげて、ね……?」
 アレスディアが懇意にしている、精霊の森の岩の精霊の名を出す。
 アレスディアははっと千獣を見ると、
「い、いや。話すのは千獣殿でもいいと……」
「ザボン、アレス、ディア、好きだよ……」
 にっこりと悪意なく言う千獣に、アレスディアは迷ったあげく、ようやく「……そうだな」とつぶやいた。
「お土産話にはもってこいよ、きっと」
 と蟠が言った。
 さて、メンバーの中でも特に若い2人が先に行ってしまったので、残りの3人はのんびりと歩き出した。
「やっぱり、ゴンドラには乗りたいわよね。あとはどんなものがあるかしら?」
「まぁ、ゴンドラに乗ることも目的ではあるが、それ以外にもせっかく観光地に来たわけだし、街を散策してみようか」
「散、策……」
「散策ね。悪くないわね」
「昨今は『ご当地』が流行っているらしい。アクアーネならではの物産を見て回るのも良いのではないかな」
 アレスディアはなんだかんだで、流行に詳しいところがあったりする。
「物産……お土産」
 蟠がほくほくとした顔で、「綺麗なガラス細工のお土産屋さんとかあれば入ってみたいわね。夏だし、涼しげな空気を感じさせるものがあるといいわね」
「ガラス、細工……?」
 千獣はつい最近、"風鈴"を買ったことを思い出していた。
「残念ながらクルス殿は来られなかったようだが、だからこそ、せめてセレネー殿がいろんなものを見て経験して、クルス殿に語れば良い」
 3人の足はゴンドラ乗り場に向かって進んでいた。
 乗り場ではすでに、ウィノナとセレネーが水先案内人と交渉を始めている。
「さしあたり、セレネーちゃんのお相手はウィノナちゃんに任せればいいかしら」
 蟠ははしゃいでいる2人を目を細めて見ながら、「でも、せっかくだしボクたちもセレネーちゃんとゴンドラに乗りたいわねえ」
「……私は、他に相応しい方がいるなら、別に……」
「そう固いこと言わないの」
 気づくとウィノナが、こちらを向いて手招きしている。
 3人は慌てて歩みを速めた。
「このゴンドラ、3人乗りだって」
 たどりついた年長組に、ウィノナが言った。「ボクとセレネーと、あと1人乗れる。そのあと、セレネー以外のメンバー入れ替えして、もう1周できるよ」
「もう、1周! もう1周!」
 セレネーがきゃぴきゃぴはしゃいでいる。
「あら。じゃあアレスディア、あなたもちゃんと乗れるわ」
 蟠が言った。「ちょうどいいじゃない。先に乗ってきたら?」
「え? わ、私がか?」
「そうよ。遠慮なく行ってらっしゃいな」
「いやその」
「アレス、ディア……行って、らっしゃい……」
 千獣ににっこり微笑まれて、アレスディアは動きを封じられた。
「はいはい。決まったら乗った乗った!」
 ウィノナが強引にアレスディアを引っ張る。アレスディアは戸惑ったまま、先にセレネーが乗り込んでいたゴンドラに乗った。
 水先案内人がオールで水面を弾く。
 乗り場では蟠と千獣が手を振っている。
 水の旅が始まった。

 ■■■ ■■■

 水路は縦横無尽とも言いたくなるほど村中をくまなく走っている。
「すごいね、すごいね!」
 セレネーがしきりにウィノナやアレスディアの服を引っ張った。
「うむ……」
 アレスディアが、まんざらでもなさそうに水路を見つめた。
 水路は太陽光を反射して、きらきらと光の宝石を散りばめたように輝き。
 水先案内人のオールが力強く水面をくぐるたび、起こる水飛沫が空中で光る。
 ウィノナがゴンドラの端に寄り、手を伸ばして水面に触れると、ぱしゃっと水が跳ねた。
「気持ちいいよー、セレネー!」
「ほんとっ?」
 セレネーがつられてウィノナの傍に寄る。ゴンドラ内の重さがかたよって、アレスディアはひそかに位置移動した。
 セレネーはウィノナの真似をして、手をぽちゃんと水の中に入れる。
「つめたいー」
 不思議なもので。
 この暑いさなか、水路の水はそれでも温まらないらしい。
 水に濡れた手で、セレネーは自分の頬をぺちぺち叩く。
「きもちいいー」
 それからもう一度、じゃぼっと水の中に両手をつっこんだ。
 そして手を抜くと、濡れた手を掲げてのそのそとアレスディアに近づき、
「えいっ」
 ぺと。
 アレスディアの頬に触った。
 びくん、とアレスディアは体を跳ねさせた。冷たい。意外なほどの衝撃。
「セセセ、セレネー殿、びっくりさせないでくれぬかな」
「えへへー、アレスディアさんが、びっくり、したー」
 いたずらに成功した子供はぺちぺち手を叩いて喜んだ。
 若い水先案内人が困っているのを、アレスディアは見てとった。おそらく、危険だと注意したいのだろうが、2人があまりに無邪気だから言いあぐねているのだろう。
 その間にも、もう1人のいたずらっ子がセレネーを狙っている。
「そらっ! セレネー!」
 ぱしゃっ。
 水面にくぐらせた手に水をすくい、戻ってこようとしていたセレネーに向かって放つ。
「きゃっ」
 水のかけらたちをまともに受けて、セレネーは声を上げた。「つめたいー」
「もう1回かけるよー」
 ウィノナは手を水面につける。
 セレネーはぷくっと膨れて、
「負けないもんっ」
 自分もべちょっと水に手をつっこんで、
「えーい!」
 がむしゃらにウィノナに向かって水を跳ね飛ばした。
 そこからは2人の水遊び。ゴンドラの中に水滴がどんどんたまっていく。
 水先案内人が困り果てて子供たちを見ている。
「す、すまない。自由にさせてやってくれぬか」
 アレスディアは慌てて、持っていた布でゴンドラの中の水分を吸い取る努力をした。
 苦労性というものは、こういうときに発揮されるもので……。
 アレスディアのひそかな努力のおかげで、ゴンドラ内がびしょ濡れになることはまぬがれた。
 ウィノナがふいにアレスディアを見て、ごめんなさいと言いたげに手をぱちんと叩き合わせた。
 どうやら分かっていてやったらしい、アレスディアは苦笑して、しかしセレネーを楽しませる役割は自分よりウィノナの方が適切だったろうと納得した。
 無邪気な少女たちの水遊びはまだ続く……

 ■■■ ■■■

 ゴンドラ乗り場の近くの川べりに並んで腰を下ろして、千獣と蟠はセレネーたちを乗せたゴンドラを遠目に眺めていた。
「楽しそうねえ」
 蟠がハープを抱いたまま、微笑ましそうに言う。
「うん……」
 千獣は久しぶりにセレネーに笑顔が戻ったことを嬉しく思っていた。
 行き交うゴンドラに乗った人々の顔は穏やかで、水路は水の宝石のように美しく、この村は輝く光の都のようだ。
「襲ってくるような危ない人間もいないようだし、万々歳かしら?」
 蟠の言葉に、千獣はふっと自分の手を見た。
 ……この手で守りたい大切な人と人たちがいる。
 でも、守りたいという気持ちだけでは何も守れない。
 守るためには代償を支払わなければならないことぐらいは知っている。
 白い髪をふわふわなびかせ行くあの娘も、森で臥せっているあの人も、森の皆も、皆、皆守るためなら、自分の何を支払ってでも守る。
 ふと思い出すのは青年の言葉――
 ……心配していると言ってくれた。
 でも、大切な人と人達の危機を前に、自分の身のために飛び出さないなんてことは、ありえない――……
 それは静かに、静かに千獣の心に降り積もっていく思い。
 雪に似て、しかし雪と違い溶けることがない。
 積もり積もって、たしかな形となる。なりつつある。
 人はそれを「思いつめている」と言うのだということを、千獣は知らない。
 ふと――
 傍らから、ぽろん……と優しい音色がして、千獣ははっと我に返った。
 気がつくと蟠が、ハープを膝に乗せ、軽くつまびいていた。
「千獣」
 吟遊詩人の声は、いつだって耳に心地いい。不思議な声だ。
「……キミの横顔は、時々寂しいわ」
「―――」
「キミはとても心優しい人。ボクには真似できないほど。ええ、キミにしかできないことが、この世にはたくさんあるでしょう。そしてそれを行うために、キミが抱えなきゃならない覚悟もきっとたくさん」
 ねえ――、
「キミは、見たい景色はある?」
「え……」
 蟠の言葉に、千獣は当惑声を返した。
 蟠は世にも美しい微笑を千獣に向けて、
「ボクの力は音楽に乗せて幻術を見せること。見たい景色を広げさせることができるわ。さあ、見たい景色は?」
 問われて、千獣はしばらくその言葉の意味を考えてから、視線を泳がせた。
 見たい景色……見たい景色?
「……景色、じゃ、なく、て」
 やがてぽつりと、千獣は言う。
「森が、森の、みんな、が、笑って、る、毎、日……」
 そう、それを護りたくて、自分は己を犠牲にしても構わないと思う。
 蟠は、微苦笑して、ふうと息をついた。
「それは、ボクの力では見せられないわねえ」
 このボクに見せられないものがあるなんてね、と蟠はいたずらっぽく笑う。
 そして、
「同じ質問を、セレネーちゃんにしてみようかしらね」
 と吟遊詩人は言った。
 千獣はこの目の前のハープ詩人の言いたいことが分からず、ただ困惑する。
 なんだろう? 意味は分からないのに、胸が騒ぐ……
「ボクはね、千獣」
 蟠は大空を見上げながら、囁くように言った。
「キミと違ってね。正直、他人のことなんか考えられないのよ。意外かしら? でも自分のことでいっぱいいっぱい。いえ、むしろ――」
 むしろ。
 他人のことを、考えることに利益を見出していない、のかもしれない。
「り、え、き?」
 千獣が慣れない言葉をつっかえながら繰り返す。
 蟠はそんな千獣に、ほらごらん、と空を指差した。
「……今日は、いい天気ね。森では空はあまり見られないでしょう」
「―――」
 つられて見た雲ひとつない大空。
 吸い込まれそうなほど壮大だった。
 その青さの中に鎮座する、太陽の光はすべての源。これほど力あふれた景色はない。
「……こういう景色を、ボクの腕で人に見せることは簡単なのに」
 なぜかしら、と蟠は言った。
「千獣が言ったようなことは、ボクの腕では難しいのね」
「―――」
「いえ、誰かが笑っているところなら……見せられるでしょう。でも、きっとキミの満足するそれではない」
「わだか、ま……?」
 千獣の声に、蟠が目を伏せる。けぶるような睫毛が、瞳に影を落とした。
「――セレネーちゃんは、キミによく似ているから」
 だから、きっとね。
 蟠はそう言って押し黙った。
 千獣には最後まで、その意味が分からなかった。

 ■■■ ■■■

 水路を1周してきたセレネーたちを、立ち上がって迎えた千獣と蟠は、下りてきたウィノナとアレスディアとバトンタッチした。
 千獣は水浸しのセレネーの姿に驚いた。
「ゴンドラ、から、落ちた、の……?」
「違うよ」
 同じくぬれねずみのウィノナが、快活に笑った。「水のかけあいっこで遊んだんだ」
 水先案内人が疲れきった顔をしている。アレスディアが引きつった笑みを見せた。
「セレネー殿。次の1周は……ええと、景色を見るなどされるといいぞ」
「うん!」
 セレネーは乗り場に残ったウィノナとアレスディアにバイバイと手を振る。
 2周目の始まり――

 セレネーはアレスディアに言われた通り、2周目は水遊びではなく景色を見ることに集中した。
 水先案内人が異様にほっとしたようにオールを動かしているのは気のせいだろうか。
「おねーちゃん、おねーちゃん、あそこあそこ、鳥さんっ」
「ほんと、だ……」
「水鳥ねえ。こういうところにも来るものなのかしら」
 千獣の服を引っ張ってあれやこれやと発見するセレネーに、蟠はハープを膝に置いて「セレネーちゃん」と声をかけた。
 セレネーが振り返る。
「何か、見たい景色はある? ボクの歌に乗せて、見せてあげられるわよ」
 蟠の優しい笑みに――
 セレネーはふっと表情を消した。
「セレネー……?」
 千獣は不安に思ってセレネーの肩を抱く。セレネーはうつむいて、
「けしき……」
 小さな声でつぶやいた。
「そう、景色よ。セレネーちゃん」
 そう言った蟠を、上目遣いで見て、
 見たいのは
 と、囁くような声で。
「……クルス、と、おねーちゃん、が、笑ってるところ……」
 千獣が目を見開いた。
 蟠が、くすくすと笑った。
「ほらね千獣。――ごめんねセレネーちゃん。それはボクの力じゃ見せられないみたい」
「そうなの……?」
「代わりに曲を聴かせてあげるわ。どんな曲がいいかしら?」
 えっとねえっとね、とセレネーは一生懸命考えたらしかった。
 そして、
「水のうた!」
「あらあら、難しいリクエストね」
 蟠は笑いながら、ハープの弦に爪を添える――

 爪弾く音はさらさらとせせらぎを
 吟遊詩人の声は爽やかな水のかけらを
 跳ねる水飛沫は、身にかかってもまったくいやではなくて
 その儚い冷たさが、一瞬で全身をかけぬけそして消えていく

 舟歌[カンツォーネ]を歌う役割も持つ水先案内人が、お株をとられて苦笑していた。
 オールは水をかきわけ、ゴンドラを進ませていく。

 ■■■ ■■■

 2周目を終えて帰ってきたセレネーたちを、ウィノナとアレスディアが待っていた。
「森にお土産でもいるだろうか?」
「ボク、行きたい場所がある!」
 ウィノナはセレネーの手を取ってゴンドラから下ろしながら、
「ねえセレネー。服屋へ行こう?」
「ふくや?」
「別の服を着るとクルスたちがかわいいって褒めてくれるかも」
 千獣が一瞬、ぎくりと身を震わせた。
 セレネーの背の刻印のことを、ウィノナは知らなかっただろうか。
 しかしセレネーは、
「ふく!」
 と嬉しそうに声を上げた。「あのね、前に、服、買ってもらったの」
 とある精霊の森の常連の名をあげ、セレネーは嬉しそうに笑う。
「ふしちょうの、服、だったの。きれいだったの」
「あ、ボクより先に考えた人いるのかー」
 ウィノナはがっかりしたようだったが、気を取り直して、「じゃあ今日はその服よりもっとかわいいのを選んであげよう!」
 ひと仕事を終えた水先案内人に、服屋の場所を尋ねる。
 蟠たちがついでにお土産屋の場所も訊いた。お土産屋はいたるところにあるので、村をじっくり回るのがいいとのこと。
「やっぱり散策ね」
「セレネー……疲れ、たら、無理、しないで……」
「ああ、先に飲み物を買いに行った方がよいだろうか――」
 相談しながら彼女たちは和気あいあいとゴンドラ乗り場から離れていった。

 アレスディアの提案に合わせ、ひとまず全員は近場の店で飲み物を買い、それで一休み。
 その後。ウィノナの勢いが一番強いため、最初に向かったのは服屋。
「うわー、涼しそうな服ばっかり!」
 袖なし、さらさらの手触り、柔らかい布地、ひらひらと薄いスカート。
「うーん、セレネーには……やっぱり白か、黄色かな? 瞳赤いけど、原色の赤はあまり……うーん」
「セレネーちゃんには清潔な色が似合うわよ」
「うむ。セレネー殿自身も白がお好きなようであるし」
「………」
 セレネーが本当に一等好きなのは赤色だと知っている千獣は、しかし黙っていた。赤い不死鳥のことを、今は考えたくなかった。
 やがてウィノナとセレネーが選んだのは、袖のない全体的にふわふわとした乳白色のワンピース。
 今の服と違うのは、金と赤で鳥の刺繍がしてあるところだろうか。
「水鳥の柄ね。素敵だわ」
 蟠が褒める。アレスディアがうむとうなずいた。
 試着室に1人で入って――どうやら以前服を買ったときで慣れたらしい――服を着替えてきたセレネーは、皆の前でくるんと回ってみせた。
 ひらひらのスカートが、ふわりと舞い上がってから、セレネーの細い足を優しく包むようにおさまった。
「よく似合う。セレネー殿」
「本当」
「……似合う、よ……」
「さっすがボクの見立てだね!」
 四者四様の反応。セレネーはにこにこと笑っている。
 ウィノナとしては、本当は自分で買ってあげたかったところなのだが、選んだ服は思ったより高かった。困っていると、察した他の3人が黙って少しずつウィノナの手にお金を握らせる。
 すべてはセレネーの知らぬこと。
 セレネーは今、彼らのとても優しく美しい良心で輝いている。

「ガラス細工があるかしらと思っていたら」
 とある土産物屋で、蟠が嬉しそうに口元に手を当てた。
「水晶細工まであるじゃない。素敵だわ」
「ねえ、見て、見て!」
 セレネーとウィノナが騒いでいる。何事かと年長組がそちらを見ると、2人はひとつの大きめの水晶玉を手にしていた。
 その透き通る中央に、可憐な赤い花が一輪浮かんでいる。
「あらやだ、どういう仕組みかしら?」
「光に透かすともっと綺麗なんだよ!」
 ウィノナはその水晶玉を両手で持って太陽に向かい掲げている。
 アレスディアが目を見張った。
「なんと……光に透かすと、赤い花が金色に変わる」
「ふし、ぎ……」
 千獣も目を細めてその水晶に見入る。その中の一輪の花に見入る。
「自然の美しさ、ね。ボクも負けていられないわねえ」
「……その対抗意識は何か間違っているような気がするのだが……」
「あらアレスディア。何か言ったかしら?」
「いいいや、何でもない」
 アレスディアは慌てて、「森への土産物は、あれが一番ではないかな」と言いつくろった。
「たしか精霊の森にも、水の精霊殿が住まう場所には太陽光がよく入ったかと思う。光に透かすことはできるだろう」
「うん」
 千獣が素朴にうなずく。今この場で森のことは、千獣が一番よく知っている。
「クルス、も、薬、飲めば、歩ける、から……」
「うむ。なら安心した」
 セレネーは、その水晶玉を森へのお土産にすることに喜んで賛成した。
 ウィノナは先ほどの服で持っていたお金をほとんど使ってしまったようなので、水晶玉代は千獣とアレスディアが払った。1人蟠は、
「ボクはこっちをお土産用にと思うのよ」
 とガラス細工が並んでいる棚の中を指差す。
 手作りのグラス。3つ、柄がおそろいで並んでいる。
「セレネーちゃんと、千獣と、クルスくん。3人でどう? セレネーちゃんに持たせるのは危ないかしら?」
 千獣は首を振って、「うう、ん、喜ぶ、よ……」と微笑んだ。
 こうして、お土産は決まった。
 お土産屋は見ているだけでも楽しいものだ。持って帰る物を決めた後も、彼女たちは揃って店を回っていた。
 ある店で、
「あ、いいものみーっけ」
 ウィノナが掘り出し物を見つけてきた。
「じゃーん。花火!」
「はなび?」
 セレネーがきょとんとする。
「やっぱり花火は初めてなんだね。ねえ、みんなでやろうよ!」
 蟠がすかさず太陽の位置をたしかめ、
「花火をやるにはまだ日が高いかしら。でもどうせ、お夕飯も食べていくものねえ」
「うむ。その後からぐらいならば、花火もちょうどいいのではなかろうか」
 アレスディアがウィノナから花火を受け取り、「夏の風物詩だ。やらねば損だろう」
 お金は私が払おう――と自ら進み出た。
「花、火……」
 千獣は1人、森に帰るのが遅くなることを心配していた。
 だが、
 ――楽しんでこなくてはクルス自身が怒るだろう――
「……うん。クルス、ごめん、ね……」
 苦しむ彼を放っておくのはとても胸が痛いけれど。今日1日だけ。今日1晩だけ……

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 夕食が終わっても、今は夏だ、まだ日が落ちきっていない。
「明るいわねえ。もう少し暗くなってからの方がいいかしら」
 山あいに落ちていく夕陽を眺めながら、蟠がつぶやくと、
「うむ」
 花火を抱えたアレスディアが同意する。
「わー、きれい、きれい」
 セレネーとウィノナがまた騒いでいるので、何かと思えばあの水晶玉。
 今度は夕陽にかざしているらしい、年長組が覗きに行くと、
「なんと……」
 アレスディアが本日2度目の感嘆の声を上げた。「これは美しい。純白の花に変わるのか」
「純白。セレネーちゃんにぴったりだわ」
「セレネー……よかった、ね」
「うん!」
 夕陽が傾いていくのを横目に見つつ、騒ぐセレネーとウィノナを後ろから年長組が補佐するような形で歩きながら、彼らは花火によさそうな場所を探す。
 やがてウィノナが、
「あ、この野原いいな」
 と足を止めた。
 一行の動きが止まる。そこは少し村からはずれた、しかし水路も見えれば豊かな木々も見え、反対側には遠目に山も見えるいい場所だった。
「人通りが少ない方が危なくないからね」
 と、ウィノナはもちろん花火の危険性を言ったのだが――
 日が、落ちると。
 逆にその場所は、『危険』になる。
 ――1番にその気配を感じ取ったのは、獣並みの感覚を持つ千獣だった。
 はっと村側に視線をやり、体に緊張をみなぎらせる。
 その千獣の変貌に敏感に気づき、アレスディアが。続いて、蟠が。
 最後に、セレネーと騒いでいたために少し気がそれていたウィノナが、はっと顔を上げた。
「誰だ!?」
 ウィノナが誰何する。
 ややあって、木々の陰から数人の男たちが現れた。
 数人――いや、ゆうに10人を超えている。
「女子供だけの旅人……」
 蟠も女性とみなしているらしいいかつい男たちは、舌なめずりをしながら、ゆっくり近づいてくる。
 ウィノナが花火のために点けた火で、男たちの手にしていた大斧がぎらりと鈍く光った。
「こんなうまそうなご馳走はねえなあ!」
 嬉々とした声とともに、男たちはおどりかかってきた。
「させん!」
 アレスディアがルーンアームを男の1人の頭から叩き下ろす。どごお、と男は顔面から地面にめりこんだ。
「不貞の輩は一切近づかせぬ」
 コマンドを唱えて装備するまでもない。こちらは護衛役が強力だ。
「……セレネー、に、何か、したら、許さない……」
 すわった目つきで赤い瞳を光らせ、千獣が男の1人の懐に飛び込む。次の瞬間には、男は腕をつかまれ背中から地面に叩きつけられていた。
「いやね、ケチがつくわ」
 蟠は飛びかかってきた男を身を低くしてかわし、脇腹に肘を叩き込んだ。蟠はこう見えて腕力がある。脇腹に痛打をくらった男がそのまま地面に倒れこむ。
 ウィノナはセレネーを背後に隠し、自分たちを狙ってきた男を見すえた。
 するっと指先を空中に走らせる。印――
「止刻!」
 術が発動し、男がウィノナにつかみかかろうとする体勢のまま固まった。
 すぐさま駆け寄ってきた千獣が、刻の止まったままの男を力任せに遠くに放り投げる。
「賊……盗賊団かしら人売りかしら。どちらでもいいけれど」
 言いながら、蟠がさらに1人の男のあごに掌底を突き上げ、ノックダウンさせた。
 アレスディアはひるんだ残りの男たちの中に飛び込んだ。装備前のルーンアームを打撃用に使い、次々と男たちを沈めていく。
 千獣はウィノナのさらに前に立ち、アレスディアをかわして襲ってくる男たちを次々と撃破した。
 ウィノナはひたすら両手を広げてセレネーを護った。
 できれば、セレネーの視界に戦いが入らぬよう――
「ぐ……う……」
 最後の1人を地面に沈めて、アレスディアはルーンアームを突きつける。
「今までもこのようにして旅人を襲ってきたのか」
「ぐふ……う……」
「くっ。やはり観光地ともなると、賊の格好の餌になってしまうのだな」
 美しい水の村の裏側など、知りたくもなかったが――
「官憲を呼んでこよう。……残念だが、花火はその後だ」
「うん」
 ウィノナが、セレネーを抱きしめていた。
 セレネーは、
「みんなが、怪我、しちゃったよう……」
 と泣きそうな声で繰り返す。
 蟠が服の裾を払ってセレネーに近づくと、その白い髪を撫でて、
「大丈夫、誰も怪我なんかしてないわ」
「あっちの、男の、人、たちは?」
 言われて、蟠もウィノナも絶句する。
「男の人たち、怪我、した」
 ――当たり前のように撃破した賊だったが――
 セレネーの中に、悪人というカテゴリは、基本的にないのだ。そのことを、誰もが忘れていた。
「セレネー……ごめん、ね」
 千獣がセレネーの泣きそうにゆがんだ頬に手を当てる。
 それを気にしながらも、アレスディアは1人、官憲を呼びにその場を立ち去った。

 ■■■ ■■■

 意地悪な空からは、月も星も顔を隠してしまった。
 うかない顔のセレネーの表情を照らすのは、花火のために点けた小さな種火。
「セレネー。ほら」
 ウィノナが手に持つタイプの花火の先端に火を点ける。
 じゅわっと激しく燃える音がして、色鮮やかな火の芸術があふれだした。
 セレネーの赤い瞳に、ぱちぱちと広がる色とりどりの光。
 たちまちのうちに、少女の頬が紅潮してきた。
「きれい……!」
 今日何度目か分からぬその感動の言葉は、ぱちぱちと拍手とともにこぼれでた。
「はい、セレネーちゃんもこれを持って、同じようにね。あ、人には向けないように」
 蟠がてきぱきと花火を1本セレネーの手に持たせる。
 ウィノナはくるんと半回転して花火の火を辺りに散らした。
 セレネーはそれを羨望のまなざしで見た後、おそるおそる種火に自分の持った花火を近づけた。
 ぱちぱちぱち……しゅぼっ
 勢いよく噴き出してきた光。
 どんどんと色を変えていく。セレネーはウィノナの真似をして、体ごとくるくると動いて火花を散らす。
「こらこら、危ないわよ」
 蟠が苦笑する。「気をつけて」とアレスディアが心配げに言った。
 千獣がまぶしそうに見つめる目の前で。
「あははっ!」
 白い髪の少女は光を手に、まばゆく燃える燃える燃える――
「小型打ち上げ花火もあるわね」
「ねずみ花火もあるようだ」
 蟠とアレスディアが次々と花火に火を点けていく。
 大地ではくるくると回る不思議な花火が駆け回り、
 大空には小さな花が咲く。
 光のかけら。熱い熱が、今は嫌ではなくて。
 火が、花開く。
 鮮やかな光が、花開く。

 ―――……

 ■■■ ■■■

 1晩寝ずに過ごした5人は、翌朝早くに出立した。
 行きと同じく馬車で。
「精霊の森に行きましょう」
 一刻も早く――
「クルスくんのところへ――」

 彼はきっと待っていることだろう、送り出した娘たちが笑顔で帰ってくることを。
 アレスディアがふと千獣を見ると、千獣は胸の上に手を置いていた。
「どうなされた? 千獣殿」
「ううん……」
 千獣は微笑んだ。
「今、ここ、に、いっぱ、い……光、と、まぶしい、きれい、が、詰まって、る」
 アレスディアが微笑む。
 ひそかにそれを聞いていた蟠が、満足気にポロンとハープをつまびく。
 ウィノナはセレネーの笑顔を保っていて。
 がたごと揺れる馬車の中、かわいい笑い声が漏れる。

 この声ごと、持って帰れたらいい、森へと。
 セレネーの、帰る場所へと――


 ―FIN―

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】
【3087/千獣/女/外見年齢17歳/獣使い】
【3166/蟠一号/無性/外見年齢26歳/吟遊詩人】
【3368/ウィノナ・ライプニッツ/女/14歳/郵便屋】

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■         ライター通信          ■
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千獣様
こんにちは、笠城夢斗です。
このたびはセレネーの夏休みにお付き合いくださり、ありがとうございました。
メンバーの中に、ちょうど千獣さんとお話するとよいのではないかと思える方がいらしたので、このような展開にしてみましたが、いかがでしたでしょうか。
ではまた、どこかでお会いできますように……