<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


やっぱりあいつは悪い虫。

 ――…今日はとってもいい天気。
 だからボクは、兄さんをデートに誘ってみた。

 ――…空も青く澄んでいて、いいお天気だと思っていたところ。
 チコにせがまれて、一緒にお散歩する事になりました。



 と、そんな訳で。
 チコと呼ばれた金髪碧眼で長身痩躯の元気そうな青年――印象としてはむしろ幼い少年――と、彼に兄さんと呼ばれた下半身がカラスな有翼人にして、闇が具現化したような何処か次元の違う麗人――男性か女性かすら判別し難い何処か超越した美貌の人物――の二人は微笑ましく連れ立って聖都エルザードの通りを歩いていた。
 歩いていると言っても、特に行先の当てがある訳ではない。
 純粋に散歩である。
 空を緑を、自然を眺め、風を感じる。適度な運動にもなる。あまり押し付けがましくない程度の人の声も聞こえてくる。何か商売をしているのか、日常生活の一環か。炊事、洗濯、井戸端会議。笑い合う声。
 鳥の囀りも時々耳に届く。通りがかる様々な種族に職業の旅人。吟遊詩人や様々な芸人が休憩していたり芸を披露していたり。…天使の広場が近くなってくると、そんな光景が多くなってくる。
 が、チコとしてはその辺の事は実は結構どうでも良かったりする。
 …それは派手な事や面白い事は好きである。吟遊詩人をしている事もあり、芸事や音楽など興味が向けば積極的に追い求める方である。けれど、今日この場での賑々しい色々やら気持ちのいい天気については――あくまで今の自分たち二人を飾る背景としか思っていない。
 今のチコにとって興味が向いている事――一番大切な事は、連れ立っている『兄さん』ことトリ・アマグの事だけになる。チコはアマグさえ――姉さん、いや『兄さん』さえ居ればそれでいい。『兄さん』と連れ立って二人だけで一緒に散歩をしている今と言う時間が、チコにとっては何物にも代え難いくらいとてもとても重要かつ嬉しい事になる訳で。
 アマグは実際は無性だが、チコはアマグの事を姉として見ている――その上で慕っている。けれど呼び方はいつも『兄さん』。…姉さんと呼ぶと悪い虫が付きそうだから――それに『兄さん』と呼んでも嘘になる訳じゃないから否定はされない訳で。だからチコは親愛をこめてアマグの事を『兄さん』といつも呼んでいる。
 隣に並んで歩いているのもいいが、それだけと言うのもつまらない。チコは少し上体を折って、横からアマグの顔を覗き込んでみる。反応してくれるかなと待ってみる。アマグはすぐに気付いて静かな微笑みを返してくる。それだけでもチコは嬉しい。気持ちの良い日和ですねとアマグの声が掛けられる。うんと思いきり頷くチコ。アマグと並んで歩いていたところから少し離れて、チコは両手を大きく広げて気持ち良さそうにくるりとターンをして見せる。ただ言葉で返すのではなく全身で表現する。嬉しそうに、あはは、と笑いながらアマグの正面に出る。出たそのまま、アマグの進路を塞ぐのでは無くアマグが歩くのに合わせて後ろ歩き。
「とっても風が気持ちいいよ。兄さんと一緒だからもあるかもしれないね?」
「こらこら。そんな事ばかり言っていて。後ろ向きに歩いていては危ないですよ。チコ」
 気を付けなさい。と――アマグがチコに注意したところで。
 どん、と音がした――案の定、ぶつかった。
 チコは、わ、と驚くと同時にびくりと縮こまる。背中がぶつかってしまった事で驚いただけじゃなく、人と接触した事それ自体に反応して硬直してしまう。それ以上の反応ができない。
 代わりに、すみません、とアマグの方がチコとぶつかってしまった相手にすかさず謝罪している。
 そのぶつかってしまった相手の方からも、殆ど同時に、すみません、と謝罪された。
 が。
 謝った同士でお互いの声を聞き顔を合わせるなり、その相手とアマグは、おや、あら、と意外そうな驚きの声を上げる事になる。

 ………………後ろ向きに歩いていたチコの背中とぶつかったのは、天使の広場にいつも居る吟遊詩人、カレン・ヴイオルドその人であったから。



 すみませんこちらこそ旅人さんと話し込んでしまっていて気付かずに。いえいえこちらこそ後ろ向きで歩いていた方が悪いですよ。そんな気にしないで下さい。カレンさんこそ。いえいえ貴方の方こそ。…硬直から解放されチコが反応出来るようになるまでに、カレンとアマグの間ではそれだけたくさんの言葉が交わされている。ごく普通に。知り合いであるように。それも結構、仲が良いように。両方で親しげな微笑みを浮かべてさえいる。
 それだけでもチコは不安になった。…兄さんがボクだけを見ていない。他の人を見ている。本当にそうなのか作ってそうなのかはわからないけれど――金髪碧眼の女のひとを。煌びやかな服装や、竪琴を携えたその姿からチコやアマグと同じ吟遊詩人らしくもあるその人。その人と兄さんが当然みたいに談笑している。…あれ? え? 兄さんが? そんな事有り得るの? 兄さんがそんなの有り得ない。でも楽しそう。兄さんがわざわざそんな風に付き合って見せなきゃならない必要がある人なの? …なんで? 困惑しつつチコはアマグの顔を見て、女性――カレンの顔を見る。代わる代わるその顔を交互に見て――内容としては謝り合っているだけだとは言え自分を蚊帳の外に置いた上での二人の会話を聞いて、ちょっと待ってよと途方に暮れかける。
 と、そこで。
 謝罪がてらカレンとにこやかに談笑していたアマグが、やっとチコを見た――チコを見てから、カレンを見た。
「ああ、そうそう。これが初対面になるんでしたね、チコ。こちらはカレン・ヴイオルドさん」
「初めまして。トリにはいつも色々とお世話になってるんだ。チコちゃん、でいいのかな?」
 アマグの紹介を受け、カレンはチコへとにこり。
 チコはそんなカレンを暫し見る。…いつもお世話になっているって。チコちゃんっていきなりそんな馴れ馴れしく。何がどうなっているのかわからない。
 と、カレンを見たまま茫然と止まっているチコに代わり、今度はアマグがチコの事をカレンに紹介しようとする――また、アマグがカレンに笑い掛けている!
 …先に声が出ていた。
「ダメー!!」
「「?」」
 いきなりチコに叫ばれてきょとんとするカレンとアマグ。が、チコはそんな二人の間に慌てて割って入りつつ、力一杯叫んでいる。
「兄さんはボクのものなの! 近付いちゃダメー!!!」
 叫びながら、チコは思い切り両手を広げて前に出、アマグを自分の背に庇っている。いきなり目の前でそうされたカレンはと言うと、何事かと目を瞬かせている。アマグの方はと言うと、おやおや、と声では困ったように言いつつも、態度の方では特に気にせずいつものアルカイックスマイルのまま素直に庇われて?いる。
 …さて、これはどうしたら良いのだろう。困ったカレンは取り敢えず彼と連れ立っていたアマグの方に直接助けを求めようとその姿を見る――が、それだけの事でもチコはびくりと怯えたように身体を震わせる。震わせた上でカレンに対し、毛を逆立てた仔猫の如き態度で健気に威嚇。威嚇なのはわかるが、カレンにしてみれば申し訳無いながらも何処か微笑ましく見えてしまう。…彼の印象があまりにも幼く見えてしまうが故だろうか。
 と、庇われて?いたアマグの方が、何事も無かったようにチコの横に平然と出て来た。
「…まぁこんな子ですが、弟のチコです」
 そして改めて、あっさりと紹介。
 兄さんッ、と悲鳴に近いチコの声。
 ああ、と破顔するカレン。
「兄さんって呼んでたとは思ったけど、やっぱり弟さんで良いんだね。…チコちゃん。お兄さんに紹介された通りに私はカレンって言うんだ。宜しくね?」
 チコに微笑み掛けつつ、カレンは握手を求めるよう右手を差し出す。
 が、チコはそんなカレンをじーっと睨み付けたままで反応しようとしない。
 そのまま少しして、チコはささっとアマグの後ろに隠れると――その後ろからこっそり顔だけ出している。相変わらずその目はカレンを睨んでいる。来るな近付くな握手なんてするもんかッ、とその目が雄弁に訴えている。
 カレン、困惑。
 …えーと?
「…何か悪い事したかな?」
 差し出した手を取り敢えず引っ込め、カレンは小首を傾げつつ取り敢えずチコに訊いてみる。
 すぐに答えが返って来た。
「自分の胸に手を当てて聞いてみればいいんだっ」
「…」
 はて。
 自分の胸に聞いてみるも何も、たった今顔を合わせたばかりで何が嫌われる要素になるのかカレンには皆目わからない。
 が。
 自分が今さっきチコと出遭ってからの――同時にアマグと出遭ってからのやりとりを冷静に思い返し、一つ可能性が思い付いた。…つまり、チコはアマグと二人で連れ立って歩いていた訳で。そこに自分と言う全然予定していなかった要素が入って来た訳だから?
 カレンはアマグの後ろをやや大袈裟に覗き込むようにして、チコに改めて訊いてみる。
「…チコちゃん。お兄さんの事、大好きなのかな?」
「当たり前っ。兄さんに手ぇ出したら許さないんだからっ! 兄さんが優しいからって図に乗るなっ!」
「…そっか、やっぱり」
 じゃあここはひとまず…退散した方が良いって事になるのかな?
 と、チコの反応を受け、誰に言うでも無くカレンがひとりごちたところで。
 兄弟からは正反対の反応が来た。…兄も弟も有翼人――弟の方は翼が無い為一見ただの人間だがそれでも種族としては有翼人――なのでそれなりに耳は良い訳で、誰に言うでもないカレンの小さな呟きをも聞き漏らしていない。
 チコの方は――カレンの呟きを耳にし、よしっとばかりにアマグの背後で喜んでいる。
 対してアマグの方は――カレンの呟きに喜んでいるチコの様子に気付いているのかいないのか、いえいえそんなお気遣いなさらず、とやんわりカレンを引き止めていた。
 それを聞くなり、チコは見るからにがーん、とショックを受けている。
 が、アマグの方は気にせずさらり。
「…折角お会いしたところなんですから。偶然と言うのも縁の一つでしょう?」
「うん…そう思ってもらえると嬉しいけどね。…私もトリの弟さんに会ったのは初めてだし、出来ればもう少しお話ししてみたいなって思うんだけど…」
 言いながらカレンはチコをちらり。
 見られたチコは、ふんっとカレンからそっぽを向く。
 それを見てからカレンはアマグを見る。
「…駄目っぽい、かな?」
 と、続けた途端にまたチコはアマグとカレンの間に割って入ってくる――カレンがアマグを見た事に速攻チェックを入れている。
「兄さんのこと見ちゃダメーっ!!」
「…それは困りました。チコは、人と顔も見ずに話せと?」
「話すのもやー!! 兄さんはボクのものなんだっ!!!」
「…ねぇトリ。やっぱりここは私が退散したら丸く収まるんじゃないかと思うんだけど」
「ああもうっ、兄さんのこと軽々しく呼び捨てるなー!!」
「…」
「…」
 さて。
 このままでは何だかまともに話すらできそうにない。
 果たしてこれからどうするべきなのか、うーん、とばかりに顎に手を当て悩むカレン。アマグもアマグでそんなカレンに、どうしましょう? と視線で問うている。と、すかさずダメダメダメー! とチコが頑張って割って入ってくる。…堂々巡りである。
 暫し考えたカレンは、よし、とばかりに頷いた。
 そして、携えていた竪琴を持ち直して構えると、その弦を、ぴん、と一度爪弾いている。
 予期せぬ綺麗な音にチコはきょとんとする。
 チコのその顔を見て、カレンはちょっと澄ましてばらりと一気に竪琴を弾く――澄んだ重厚な音がそれだけで周囲の人目を攫う。
「――…では一曲。お兄さんが大好きな弟さんのお話など」



 驚いた。
 カレンが突然謳い出したのは即興の歌曲。題材は…どうやらチコの事。コミカルさを感じさせつつも必死で一所懸命、一途に兄を想っている様子が聴いていて良くわかるような。
 …気付けば周囲に人だかりも出来ていた。
 それも当然だったかもしれない。その時カレンに良い感情を抱いていなかったチコでさえ、その歌曲とパフォーマンスには素直に感動してしまっているくらいだったのだから。とても即興とは思えない、濃やかで綺麗な詩と音で紡がれたそれ。チコは慌ててぶんぶんと頭を振る。今聴いたカレンの歌曲を振り払おうとする――いやいや懐柔されてどうするんだこれは兄さんの気を惹こうとしてやってるだけなんだと思おうとする。
 それでもやっぱり――自分が備え持っている感覚の方でもう、良い歌曲だと、演奏だと実感してしまう。
 思っているところで、カレンが歌を終え、竪琴の演奏も終える。聴いてくれた周囲の人だかりに優雅に一礼すると、ふぅと小さく息を吐く。それから再びチコを見た。
 秘密めかして、こそり。
「私は貴方とお兄さんとのデートにはお邪魔みたいだからね?」
「――ッ!」
 殆ど不意打ち。言われたチコはぼんっと音を立てそうな勢いで赤くなる。カレンはそこに笑い掛けると、じゃ、とだけ残してあっさり去って行く。カレンは去る時にアマグにも小さく手を振っており、アマグもそれに微笑みと会釈を返したりしてはいたのだが、チコはそこには反応し損ねた。
 ともあれ、ひとまずカレンが立ち去った事でチコはほっとする。…居なくなった。言う事を聞いてくれた。ダメだって言ったら離れてくれた。兄さんとのデートの邪魔…って言う事は、あの人にはボクと兄さんがちゃんとデートしてるように見えたって事だよね? …じゃあ、ひょっとして違ったのかな。あの人、兄さんの事好きな訳じゃなかったのかな。なんか悪い事しちゃったのかな。…少し、そんな気もして来た。
 チコは恐る恐るアマグの様子を窺ってみる。…兄さんにも悪い事しちゃったのかなとちょっとだけ思う。アマグの表情には特に目立った変化はない。いつも通りのアルカイックスマイルでカレンの背を見送っている。
 アマグの方もアマグの方ですぐにチコの様子に気付く。…何か気にしているようなこちらの顔色を窺っているような態度の弟。その理由を色々と考えてみて、これまで弟が取っていたカレンへの態度の事が思い至る。
 とは言え、チコは私に近付く相手には…幾ら諌めたとしても結局いつもああなので。
 逆に、何故今の場合に限って気にしているのだろう? とも思う。
 訊いてみた。
「…どうしました、チコ?」
「…。…ううん、なんでもないっ」
 訊くと元気に返してくる。
 けれど何か…思うところがあるようでもあり。
 アマグはさて、と小首を傾げる。…果たしてチコは何を気にしているのだろうか。少し考えてみる。
 …何となく、見当が付いた。
「素敵な歌曲でしょう?」
「…えっ」
「今のカレンさんの歌です。そう思いませんでしたか?」
「…ん。うん…綺麗な歌だとは思ったけど…」
「でしょう。…良かったですね。チコ。カレンさんに謳ってもらえて。羨ましいくらい。本当に」
 カレンさんは素敵な歌をお作りになりますからね。
 即興の歌ですら、あの完成度です。
 それに彼女は、演奏も歌唱力も素晴らしいですから。
 …そう続けるアマグの顔に浮かぶのは、にこにこといつものアルカイックスマイルより素直に嬉しそうな――何処か普段より、感情が見えるような気がする笑顔。
 チコ、停止。
 …兄さんはそう簡単にそんな反応はしない。

 …やっぱりやっぱり今の歌。
 兄さんの気を惹く為に歌ったんだあいつ。
 やっぱりあいつは兄さんが好きなんだ。
 …兄さんがそんな思惑に引っ掛けられちゃうなんてダメ!
 そんなこと絶対有り得ないんだっ!

 やっぱりボクは悪い事なんかしてなかった!!!
 ――やっぱりあいつは悪い虫だっ!!!

【了】