<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


『黒曜の髑髏』〜夢売り道化の闇〜

「お待ちなさい」
 トリ・アマグが、フィオーラを制する声は、どこか楽しげだった。口元の笑みが柔らかな微笑を上回ることこそ無かったが、それはトリが自身に課した抑制の産物でしかない。

――黒曜の髑髏、なんと素晴らしい……!

 暗い歓喜が、心の内を満たしはじめている。
 だが、三文芝居の終幕には、まだ早い。最高の物語には、最高の終幕がふさわしい。

――哀れなフィオーラ、まずはキミからですね。髑髏をいただく前の、ちょっとした前菜。

 最後の匙加減を推し量る、料理人の心境。
 フィオーラの、自分に対する感情には気付いていた。
 トリの容姿を見つめる目に。歌声に聞き惚れる耳に。
 はじめは取り立てて気にもしなかった。いつものことであったが故に。トリの美貌に、美声に、愚かなる人々はすぐ酔いしれたがる。
 しかし、彼はその域に止まらなかった。常にトリを気遣い、癒しの水気をいつもトリの周囲にめぐらしていた。
 愛の言葉を口にするまでもない。
 彼の行為全てが、トリへの愛の囁きだった。
 誰かに強く愛されていること――、それなりに面白く、心地よくもあり、興味深い体験だった。普段と幾分違う自分を演じられる楽しさも含めて。
 黒曜の髑髏のもたらす高揚感には比べるべくもないが、ここまで楽しませてくれた相手に、多少の敬意を表してやるのも悪くはない。
 愛を切り分けるナイフを、心の中で研ぎあげてゆく。
「貴方が止めても、私はやるよ。いや、やらなければ、ならないんだ。貴方は生きて、全てを見届けて、ほしい。他ならぬ貴方に見届けてもらえるなら、私は呪いのために朽ち果てようとも、悔いはない」
 フィオーラの言葉は、命とひきかえに愛を得ようとするに等しく。なんと、心地よい言葉だろう。これだけの想いを、今から引き裂いてゆくのだと思えば、尚更のこと。

――キミは、本当に楽しませてくれますね。

 口から流れだしたのは、美しい言葉。
「呪いなど、優しいキミには似合いません。それに大切なキミが呪いに蝕まれるなんて……」
 まるで愛に応えるかの台詞。
 こんなロマンスを唄うのは大好きだ。美しい物語。宝石のようにきらめく愛。
「トリ……」
 フィオーラが、トリへと向き直った。
 そっと、抱きしめようと手を伸ばしてくる様が、トリの黒瞳に映りこんでくる。物語につきものの、甘やかな恋人の仕草。けれど、これは現実だ。フィオーラにとっては気の毒なことに。全ては、壊すためだけに作り上げられた、精巧な硝子細工でしかない。
 トリの片手が、密やかに動いた。背負っているリュートに仕込まれた剣へと。
「勿体無いですからね」
 どすり。
 鈍い、音がした。
「トリ……?」
 フィオーラの動きが止まった。
「私の楽しみ……、キミを髑髏に奪われるのも、髑髏をキミに奪われるのも」
 剣を握る指先に、あたたかいものがしたたってくる。
「悪く思わないでください。言葉で止まってくれないのなら、他に方法はありません」
 ゆっくりと、フィオーラが崩れ落ちた。
 剣から手を離し、フィオーラと一緒に落ちるにまかせる。
「ああ、安心してください。急所は外してますから、当分保つでしょう。その剣、抜かないほうがいいですよ。下手に抜いて失血すると……」
 くすり、と小さな笑みをもらす。
「癒し手のキミにこんな説明は不要でした」
「……どう…し…て」
 床の上、力無く見上げてくる、裏切られた者の瞳。報われなかった者の末路。
 いや、報われてはいたのだ。
 まさしくこの瞬間、彼は最も愛されていたのだから。
「素敵ですよ……とても良い顔です。キミの瞳からあふれ落ちる絶望が、私の心を震わせる。ああ、ゾクゾクします」
 フィオーラの傍らに屈み、胸のあたりにそっと顔を寄せる。
 弱まりゆく心臓の音が、流れ込んでくる。
 情愛を理解こそすれ、決して情愛に染まることのない魂ならではの、歪んだ愛の形。
 それでいて、トリの想いは純粋だった。
 キラキラ光る玩具に目を輝かせる幼子のように。
 だからこそ、この上なく無残な行為をなしながら、無邪気に言い放つ。
「けれど、ね。もう、飽きました。あとは大人しく見ていてください」
 前菜は、十分に堪能していた。
 いつもの微笑をたたえて立ち上がると、あっさりとフィオーラに背を向けた。
 もっと素敵な玩具が、本日の主菜が、待っている。
 大切な宝物をおし頂くように、髑髏を手にする。
トリの黒瞳が、髑髏を写して妖しく輝いた。
 髑髏に秘められた怨念が、瞳に乗り移ったかのような、狂気を帯びて。
 いや、乗り移ったのではない。
 もとからトリの中に、それはあったのだ。
 トリの中に満ち満ちた暗い想いと、髑髏に秘められた怨念の共鳴作用。
 トリは小さく笑った。
 いつもの、常態の微笑ではない。
 心底からの笑み。
 髑髏から伝わってくる怨念の波動が、官能的なまでに心を震わせる。
 楽しくて、仕方がなかった。
 背後から耳へと入る、苦しげな喘ぎを伴奏に、古のバラッドを口ずさむ。
 それは、美しい破局の物語。
 救国の英雄と姫の甘いロマンス。
 けれど信じていた姫に裏切られ毒を盛られた英雄は、死の間際に全てを呪い、彼の怨念はかつて己が命を賭けて救った故国を滅亡させる。

――かの英雄は愛なんて幻想を信じたばかりに悲劇に見舞われましたが、キミは、どんな苦しみを舐めてきたのでしょうねえ? どれほどの憎悪を、その身に溜め込んできたのでしょうねえ?

 唄いながら心の内で、黒曜の髑髏へと囁きかける。
 髑髏が小さく震えた。

――オマ……エ……ハ…? ドウ……ナ…ノダ?

 朧な思念は髑髏の応え。
 唄い続けながら、トリは答える。

――昔、ね。真っ黒なカラスを一羽、絞め殺しました。いや焼き殺したんだったかな? ズタズタに引き裂いたような気もします。全部かもしれない。とてもとても楽しくて、嬉しくて、苦しくて、悲しかったですよ。

 答えともいえぬ答え。
 けれど、トリにとっての真実。
 だから。
 バラッドを止めて、はっきりと声にした。
「さあ、連れて行ってください。キミと同じ高みへ。いいえ、私は、さらに昇ります。私の全てをもって、キミとキミに続く髑髏と、そうアセシナート、かの国も、全てを呪う……!」

――イイ……ダロ…ウ。

 髑髏の返事とともに、青い焔がトリの足もとから立ち上り渦巻いた。蛇が巻きつくように、トリの体をからめとり、全身を覆いつくしてゆく。
 灼熱が、トリを襲った。
「この苦痛が、キミの憎悪ですか……! そして私の呪いがさらなる憎悪を引き起こすでしょう。呪いの連鎖…素晴らしい! ああ、命は惜しくなどありません。父の……不死鳥の血が死なせてくれないかもしれませんが、永遠の苦痛だって構いません。人間の持つべきは憎悪の感情。こうした虚しさこそ、人間にあるべき物語」
 焔の熱に悶えながらも、笑いが止まらない。
 全身を焼き尽くされてゆく感覚が、じりじりと滅びゆく己が、心地よかった。
「私は、こんな物語が」
 髑髏を片手に持ったまま、両手を大きく広げる。
 世界を、受け止めるかのように。
「……大好きですよ」
 内より溢れ出る憎悪にひずんだ声音。
 トリ自身知ってか知らずか。
 それは、人間という存在への愛の告白であった。
 地下室に、青い光と哄笑が満ち溢れた。

 その日の正午、アセシナート公都。
 アセシナート特有の黒い建物が林立する要塞都市に、異変が生じた。
 いずこからともなく、美しいバラッドが流れた。
 せつなくも甘い声音に誘われた人々が、源を探して街路にあふれた頃合。
 天がにわかにかき曇った。
 闇色の雲が太陽をかき消し、空を覆いつくしてゆく。
 ぽつり、ぽつり、と天より黒い雫が落ちてきた。
 黒い、雨。
 またたく間にそれは豪雨と化した。
 人々はあわてて屋内へと逃げ込んだ。
 雨は、三日三晩降り続いた。
 三日後、陽光こそ戻ったが、最悪の様相に公都は直面していた。
 雨に打たれた人々が、高熱を発し、あるいは狂気に侵され、毎日のように死にはじめたのだ。常人より遥かに頑健な肉体を誇るモンスターたちすら同様だった。
 それだけではない。
 公都周辺の木々は幹から腐り果て、花々は萎れ枯れ果てた。
 土壌そのものから、侵されていた。
 黒く染まった川面には、魚が腹を見せて浮かんでいる。
 建物の随所に備え付けられた砲台すら、錆つき腐食しはじめていた。
 それでも、人々はあきらめなかった。
 公国首脳部は、各地から人々と資材を集めて公都の再建に着手。
 一年後には、すっかり元通りとはいえないものの、公都は以前の機能を取り戻しつつあった。
 そんなある日、またあのバラッドが流れた。
 繰り返される惨状。
 それでも人々はあきらめない。
 繰り返される再生。
 そう、まるで不死鳥のように。
 そんなことが、十数年続いた。
 公都は何度も蘇った。しかし、その蘇生のたびごとに、さしものアセシナートも少しずつ疲弊していった。
 莫大な費用と人材が、補充されては失われてゆく。
 貪欲に勢力を広げつつあったアセシナートの急速な衰えぶりに、聖都エルザードはじめ諸国は安堵した。
 しかし、その安堵も長くは続かなかった。
 彼らは悟ることになる。
 アセシナートが統率力を失うことによる弊害に。
 公国に忠誠を誓っていたモンスターたちが、方々へと流出をはじめた。
 枷から解き放たれた、統制なき暴力の群れは、世界を侵食してゆき――世界は、麻のごとく乱れた。

   ◆ ◆ ◆

 いずこともしれぬ闇の中。
 拍手の音が鳴り響いていた。
「人間であるがゆえの、愚かしき様相……鳥や獣ではこうはゆきますまいよ。おや?」
 何か気づいたように、夢売り道化フィール・フォールは、大仰に自分の額を一つ叩いて。
「これは失言、此度は鳥の、不死鳥にカラスの性も関りしこと」
 ひいらり、ひらりと、真紅のマントの端を両手でつかんで、羽のようにはためかせつつ、くうるりと一回転。
 正面に向き直るや金の巻き毛を揺らして、かくり、と首がかしげられ。
 道化の片手には一枚のカード。
 描かれているのは、禍々しき黒曜の髑髏。
 ちらと、その図柄を見やって、笑みをもらし。
「……さあて、お客人」  
 つば広帽子を取るや、深く一礼。
「此度の夢は、これにて幕切れ。楽しんで頂けたなら、これ幸い」

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3619/トリ・アマグ/無性/28歳(実年齢444歳)/歌姫/吟遊詩人】
【NPC/フィール・フォール/男/999歳/夢売り道化師】

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■         ライター通信          ■
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 発注ありがとうございます、法印堂です。
 締め切り内とはいえ、お待たせいたしました。
 実は私、悪人というものが、しかもちょっとイっちゃってる系の(失礼)悪というものが…………大好きでございまして(笑)。
 発注頂いたPC設定を拝見した時点でうわあ! しかもプレイングはバッドエンドかかってこい的な漢気があり、もうここでやらずしてどうするか! ってなことで、悪と倒錯の美学全開、強烈にバッドエンドです(笑)。
 大変楽しく書かせていただきましたが、万一、やりすぎでしたら、修正いたしますので、お知らせください。 
 またご縁がありましたら、どうぞお声がけくださいませ。
 
    気に入って頂けますよう祈りつつ 法印堂沙亜羅