<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


鴉の闇、彼女の闇

 少女はふわふわと、低空飛行しながら移動していた。
 ウインダーである彼女にとって、それはおかしなことではないのだが、たまに人に聞かれることもある。
「嬢ちゃん、足が悪いのかね」
「………」
 彼女はふわっとつかみどころのない笑みでその問いをかわしてきた。
 そして、代わりに言うのだ。
「クロウさんに、なにかお願いはありませんか?」
 クロウ、とは少女の名だと言うことを、一発で言い当てることのできる者は少ない。
 正しくは鴉と書いてクロウと読ませる。
 その名の通り、髪も翼も黒い。しかし鴉は美しい金の瞳をし、薄紫のワンピースとつばの広い帽子、同色の靴を履いた風情はどこか雰囲気が柔らかく、幼いながら貴婦人を思わせる。
 そんな彼女はふわふわと、あてもなく飛んでいた。たしかに足に何かあるのか、彼女が地面に足をつけることは少ない。
 ふわふわふわふわ。薄紫のワンピースをまとった彼女は穏やかに風に任せて道を行く。
 やがて、彼女が意図したわけではないが――いつの間にか、街はずれの倉庫群へ出てしまった。
 時は昼。太陽が高い。
 鴉の帽子の広いつばは、大きな影を落とし、彼女の顔に陽射しを与えることはなかったが。
「どいてどいて〜」
 ふと後ろから声がかかり、彼女のすぐ傍を少年が通り過ぎていった。十代半ばを幾ばくか過ぎた歳頃だろうか、そばかすが何となく印象に残る少年だ。
 誰だろう、と鴉は思った。興味を持ったことに意味はない。
 少年は重い荷物を持っていて、倉庫に向かっているのはすぐ分かった。
「あの……」
 鴉は声をかけた。「お荷物少し、お持ちしましょうか?」
 少年は手に小さな袋もいくつか持っていたので、それぐらいなら自分にも手伝えると思ったのだ。
 そばかすの少年が振り向いた。
「あれ? お。ウインダーの女の子〜」
 かわいー、と赤毛の彼はへにゃりと相好を崩す。
 鴉は顔を赤くした。
「あ、あの、お手伝い……」
「あ、いーよいーよ」
「……お手伝いしたいです」
 何となくやっきになって食い下がってみると、少年はじっと鴉を見た後、
「じゃ、お願いしよ」
 にっこりと笑った。
「それにウインダーさんか、あいつが喜ぶかもしれない」
「あいつ……?」
「俺の親友。ついでに会ってくれない?」
 気楽な調子で少年は言った。
 鴉は戸惑いながら、うなずいた。

 ■■■ ■■■

 ルガートと名乗ったそばかすの少年は、宿屋の息子であるらしい。
 17歳にして宿の倉庫整理を担っている彼は、鴉を連れて倉庫に入ると、荷物を置いてから倉庫の奥に行った。
 鴉は暗い倉庫の中で、広いつばの帽子の下、見づらい視界の中、倉庫の壁にかかったとても大きなタペストリを見た。人間1人より大きい。
 ルガートはそのタペストリをめくる。
 鴉は驚いた。そこに、扉があった。
 石戸はどんな細工が施してあるのか、引き戸だ。ルガートは横に壁をごごごと移動させる。
 鴉が覗き込むと、そこには下に向かう階段――
「埃っぽいから気をつけて。口に手をあててるといいよ」
 ルガートは階段を下りていく。言われた通りに口に手をあてて、鴉は後をついていった。
 階段の下に広がっている地下室を見て、目をぱちぱちさせる。何と散らかった部屋だろう。
 ……埃っぽい。
 口に手をあてていても、けほけほと咳が出る。
「ごめんねー」
 先に階段を下りきったルガートは、散らかり放題の部屋の中心部、特に物が積み上がっている場所に行くと、
「起きろーフィグー。かわいいお客さんだー」
 がっしゃがっしゃとがらくたを掘りながら誰かを呼んだ。
 がらがらがっしゃんとがらくたがなだれを起こす。何をしているのか分からず、何をしていいのか分からず、鴉は右往左往した。
 と――がらくたの中心から、眠たそうな声が聞こえてきた。
「だから……俺は眠いんだったら……」
「眠りすぎだ。今日で丸3日寝てるだろ。ちょうどお前の好きなウインダーさんいたから、つれてきたぞ」
「俺はウインダーが好きなわけじゃない……」
「好きじゃん」
「あのな」
「でもあの子かわいいぞ?」
 ほらほらとルガートは誰かの腕を引いている。その『誰か』はのっそりと起き上がった。
 瞬間、
 黒い視線に貫かれて、鴉は動きを封じられた。
「―――」
 美しい――黒水晶のような瞳、だった。その少年が持っていた瞳は。
 歳の頃はルガートより少し下だろうか。その割には大人びた目だと、鴉は思う。
「あの……クロウさん、迷惑でしたか?」
 鴉はもじもじしながら言った。
「クロウさん……」
 黒水晶の目をした少年は眠そうに目をしばたいてから、
「ああ、あなたの名前ですか」
 と面倒くさそうに言った。
 これはいよいよ邪魔をしているようだ。鴉は落ち込んで、
「あの、お邪魔みたいなので帰ります……」
 ぺこりと頭を下げる。帽子が重くてずり落ちた。
「あ、待って! こらフィグ、愛想がないにもほどがある!」
「分かった分かった。別に邪魔じゃありませんよ。変わったウインダーさんですね」
 明らかに歳下の鴉にも丁寧語。鴉は帽子を直してから、改めて黒水晶の目の少年を見た。
「俺はフィグ」
 と彼は言った。「どうやらご存知ないようですが、ちまたでは『クオレ細工師』と呼ばれています」
「くおれ……?」
「うお」
 ルガートが軽く驚いたように親友を見る。「お前が自分からそう名乗るなんて……!」
「うるさい黙れ。まあこの人なら言いふらしたりしないだろうからな……」
「うん、いい子そうだもんな」
 鴉は頬を染める。いい子だなんて、実際にはそんなことはないのだけれど……と自分のことをかんがみていたとき、フィグが言った。
「やってみますか、クオレ」
「え……」
「記憶から取り出すんです」
「記憶」
 鴉はその単語を繰り返す。キオク。自分に何か特別な記憶はあっただろうか。
 ルガートが部屋の隅から椅子を持ってきた。
「はいはい座って〜」
 何だか知らない内に話は進行しているらしい。鴉は言われるままに翼をしまってすとんと椅子に座った。
 フィグが横にやってくる。すっと彼の手が鴉の目に覆いかぶせられた。
「……目を閉じて」
 穏やかな声がする。
 そして、やってくる――暗転。

 ■■■ ■■■

 ――クロウ。
 ああ、覚えている。この声は彼の声だ――
 鴉の住んでいた集落に、1人やってきた青年。
 彼はその体の内に『闇』を飼っていた。集落のウインダーたちは皆恐れた。闇飼い。そう呼んで恐れた。闇とは恐ろしいもの。誰もがそう思っていたから。
 しかしなぜだろう。
 なぜだろう、鴉1人だけ、彼に懐いて。
 クロウ。
 彼に名前を呼ばれ、頭を撫でられるのが好きだった。
 クロウ、『闇』にはね、良い『闇』もあるんだよ。
 教えてくれた。彼は鴉に、そうやって優しい声で。
 そんな彼が恐ろしい『闇』を飼っているはずがない。鴉はそう信じていたから、彼の言葉にうなずいた。『闇』には良い『闇』もいるのですね。
 彼は『闇』を自在に操っていた。
 人々は相変わらずそんな彼を忌避したけれど、鴉だけは。
 鴉だけは逆に。彼と同じように良い『闇』を扱えるようになりたいと。
 毎日彼の後ろをついて回った。
 危ないよ。
 危ないから帰りなさい、クロウ。
 何度言い聞かされても、鴉は頭を縦に振らなかった。
 弟子になります。
 弟子にしてください。
 やれやれと彼は鴉を見下ろし、いつも懐中時計を気にするようになった。鴉を早く帰さないと、集落の風当たりはますます悪くなるから。
 しかし幼い鴉はそんな事情は分からず、ただ無邪気に、そして熱心に彼につきまとった。
 ある日ふと尋ねたことがある。懐中時計を磨いていた彼に、
 ――その懐中時計は大切なのですか?
 彼は淡く微笑んで、
 俺の相棒なんだよ、と言った。
 鴉は無性にその懐中時計が羨ましくなった。それは幼い心に初めて芽生えた嫉妬心、だったのかもしれない。
 つきまとってはいるものの、時間がきたら自分は家に帰らなくてはならない。
 自分も懐中時計のように、いつも彼の傍にいられたら。
 早く彼のパートナーになれたら。
 切に願って、毎日を過ごした。危険だと何度言われてもついていった。
 そんなある日のことだった。

 『闇』には良いものもある。
 だが――悪いものもある。

 彼と向かった洞窟。
 最後まで彼は、危険だよと言い続けていたけれど聞かなかった。
 そして――
 彼の言葉は現実となって。

 襲ってきた。彼に向かって。
 何が起こったのか、鴉には分からなかった。ただ分かったのは、彼が危険だ――ということだけ。
 彼を、とっさにかばって――
 両足にひどい怪我をした。
 しかし次の瞬間、鴉の体は横殴りに殴り飛ばされ、壁に叩きつけられた。
 そしてかすんでいく意識の中、見たのは。
 彼に向かって、振り下ろされた大きな爪――

 数時間後、怪しんだ一族の人間が鴉を見つけて保護した。
 鴉は気を失っていた。目が覚めた瞬間、彼女が口にしたのは彼のことだった。
 "彼はどうなったの?"
 一族は皆視線をそらす。なぜ? なぜ?
 ああ、胸が苦しい。痛い。この突き刺すような痛みはなに?
 瞬間思い出したのは、意識を失う直前に見たあの、恐ろしい光景。

 ――ああ。

 誰に聞くでもなく、鴉はその答に到達した。

 彼は死んだ。
 彼は死んだんだ。


 まだ幼すぎる彼女が知った、大きすぎる喪失――
 両足の怪我などどうでもよかった。どうせ自分はウインダーだ。動くのに不都合はない。
 最後に彼と行った洞窟へ、一族に内緒で向かった。
 彼の遺体はなかった。どうなったのかは分からない。彼に好意的ではなかった鴉の一族が弔ってくれたとは思えず、だとしたら――と思うと全身に怖気が立った。
 彼は、彼は、彼は――

 泣きながら彼の家に帰った。彼の遺品が欲しかった。彼の懐中時計は? 自分の胸を焦がして仕方がなかったあの時計は?
 ない。そのことがますます鴉の心の闇を落とす。
 彼がどうなってしまったのか。ますます恐ろしい推測、否、事実に震えた。

 ――クロウ

 あの優しい声はもう聞けない。
 彼の部屋ですすり泣いていたその時だった。
 窓から風が吹き込んだ。
 ひらりと、彼の机から何かが舞い落ちてきた。
 鴉は何気なくそれを持ち上げ、目を見張った。

 ――鴉へ。

 それは彼女宛の手紙――
 そこには彼女に対する正直な気持ちが、切々と綴られていた。
 ついてきてくれて、本当は嬉しいと。
 自分を理解してくれた人間は他にいなかった。本当に嬉しかったと。
 ――この手紙を君が見る頃には、自分はこの世にいないのだろう。
 クロウ、君なら良い『闇』と仲良くなれる――

 それを、
 読んだとき、
 すべてが決まった。
 鴉のすべてが。
 鴉の生きる道、この先にあるものすべてが。

 『闇』と呼ばれるもの、だけど彼が教えてくれたものはすべて、『光』と同等だったから――

 ■■■ ■■■

 ――目を開けて
 優しい声に導かれ、鴉はそっと瞼を上げた。
 眠っていたような、まどろんでいたような、いや、はっきりと意識があったような――夢を見ていたような。
 夢じゃない。
 あれは現実。
 過去にあったこと。過去にあった真実。
 ふと見ると、目の前に拳に握った手があった。
 ……指の隙間から、光がこぼれ落ちている。きらきら。何て綺麗なんだろう。
「『クオレ』、出来ましたよ」
 とフィグが言った。
「おー、どんなんどんなん?」
 ルガートが顔を覗かせてくる。
「野次馬はどけ」
 そうつれなく言いながら、フィグはそっと掌を開いた。まばゆい光が一瞬走って――それから、落ち着いた色に変わる。
 少年の掌にのっていたのは――見覚えのある懐中時計だった。
 そう、彼の懐中時計だ。
 自分もこの懐中時計のようになりたい。鴉にそう思わせてやまなかった、あの時計だ。
「どうぞ。差し上げますよ」
 とフィグは言った。
 受け取りながら、鴉はフィグを見上げる。
「……今の記憶、フィグさんも共有したの?」
「はい」
「………」
 鴉は微笑む。
「クロウさんは後悔してないよ」
 だって、
 後悔してもどうにもならないですよ――
 何に後悔していないと言い放ったのか、フィグは正確に汲み取ったようだった。
「あなたの道です。あなたと……彼の道です。並んで歩いていくんですよ」
 とフィグは言った。
 鴉はもう一度微笑んだ。

 自分と彼の道。
 並んで歩んでいく。
 だって今、彼は自分の懐中で、心臓の音のように刻を刻んで。
 彼と自分はもう、決して離れることはない……

 足はもう使えないけれど。
 彼女は歩いていく。確かに足跡をつけて。
 『闇』と共に歩む、光の道を――


 ―FIN―


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【3682/鴉/女/外見年齢7歳/闇飼い】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
鴉様
初めまして、笠城夢斗と申します。
このたびは倉庫地下へご来訪ありがとうございました。
クオレ、いかがでしたでしょうか?鴉さんの大切な記憶、大切に書かせて頂いたつもりです。気に入っていただけるとよいのですが。
よろしければ、また遊びにきてくださると嬉しいです。