<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


どこか遠くへ行ってみたい〜アクアーネ村〜



 どこか遠くへ行ってみたい――

 こんな書き置きを残して、彼女は去ってしまった。
 なんでも屋の晴々なる子は憂鬱そうにケーキを口に運んだ。
「珍しいですね。なる子さんが、そんな表情をするの」
 ケーキセットのティーポットを運びに来たルディアは心配そうに声をかけた。いつも店の物品を無意識に壊すほど、迷惑なほど元気だったなる子とは思えないほど彼女が沈んでいたからだ。
「あたしにはね……いつも喧嘩するような憎たらしいココって奴がいたんだけど……『どこか遠くへ行ってみたい――そう、例えばアクアーネ村』って書き置きを残していなくなっちゃったのよ。せっかくまたアルマ通りに店を構えたのに、急にいなくなって……」
 それからなる子の愚痴が続いたのはいうまでもなく。まとめるように、ルディアは言った。
「それじゃあ、ココさんをアクアーネ村から探して連れてこればいいんですね」
「そう。それを誰かにお願いしたいの。それでまた、一言言ってやりたいの。でも、あたしが探してるなんて思われたくない。依頼人は少女N、とでもしておいて」
 そう言い終わると、冷めた紅茶を一気に飲み干した。
「ひどい喧嘩でもしたんですか?」
 恐る恐るルディアは訪ねた。なる子は俯きながら答えた。
「ちょーっと、ね……。謝りたいのに、あいつはアクアーネ村に行っちゃって。旅行かよ!」


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 夏の強い日差しを真っ向に浴び、青々とした葉はさらに芽吹き、輝き、茂らせ――そして秋に向かう姿に変わろうとしていた。
 アクアーネ村へ向かう道中は、そのような草花が覆い茂っていた。
 誰かが手に入れしているのか、どこも緑の砂漠になることなく、行儀よく旅人を迎え、美しい姿で旅人の目を楽しませていた。
 その姿に感動した旅人は歌を歌った。
 とても軽快で心弾む歌だった。
 夏の暑さと爽快さを感じさせる歌だった。
 そのメロディーに触発されて、旅人の同行者は旅の疲れを感じさせぬほど激しく手を叩きながら踊った。
「ねえねえ、その踊りってなんていうの? はじめ見たよ」
 旅人、チコは歌の途中で、同行者、なる子に話しかけた。
 話しかけられたなる子は踊りの格好のまま止まったのだが、その姿が滑稽でチコは面白おかしくて吹き出した。
「もぉ、笑われたら教える気が失せちゃうよ」
 静かに体勢を元に戻しながら言った。
「なら教えなくていいよ」
 そう言ってチコはまた歌いだそうと息を吸い込んだ。
「え、ちょっと! 待ってよ! 言わせてよ!」
「あ! あれってもしかしてアクアーネ村名物のゴンドラじゃない? ほら、あそこ!」
 興奮した様子でチコは遠い先を指差した。
しかし、なる子には何も見えなかった。
「なんにも見えないよ?」
「キミの耳がおかしいんじゃないの? 向こうの方角からゴンドラが揺れる水音が聞こえるし、誰かがゴンドラに乗って遊んでいる姿も見えるのに」
 ちょっとバカにしたように言うと、なる子は頬をふくらませて怒った。
「どーせ、あたしは見えないですよーっだ!」
「あはは! 毎回毎回なる子の反応はおもしろいねぇ」
「……遊ぶな!」


■□■


 アクアーネ村に着いて、すぐ目に飛び込んできたのは大きな川だった。
 水面が太陽光を浴びて、キラキラ光っている。
「うわ〜、綺麗!」
 水面に負けないくらいチコは表情を輝かせていた。
 そんなチコと対照的になる子は水辺に咲いた大きな花の陰に隠れていた。
「……なにしてるの?」
「ココに見つかりたくないの」
「でもココって人をわざわざ探しに来たんだよ? なる子がそんな状態だったら探せないよ。ココって人がどんな人が知らないし」
 なる子は声を潜めながら言った。
「……ココは人間の皮を被った悪魔よ。身分が高いってわけでもないのに暴君な女帝っぽくて……。怒ると本気で魔法ぶつけてきたり、あたしの稼ぎをぶん取って酒を飲みに行ったりするし、迷惑ばっかりかけてくるし……今回だって」
 ふと、なる子が気づくとチコの姿はそこになく、遠くのゴンドラ乗り場で係りの人と楽しそうに話すチコの姿が見えた。
「あ! ちょっと待ってよ! あたしだってアクアーネ村、はじめて来たんだからゴンドラ乗りたい!」


 ゴンドラを楽しんだ二人は、ゴンドラが浮かぶ川が見渡せる丘に腰掛けていた。
 チコは仲良くなったゴンドラ乗り場のおじさんに横笛の民族楽器を借りて、吹いていた。
 最初は独特の吹き方で苦戦したが、一旦コツを掴むと、知っている曲をこの楽器でどんどん吹いていった。
 それを隣で静かになる子は聴いていた。
 魔力を込めて叩いた迦楼羅弓が、独りでにチコの演奏に合わせるように響いた。
 それは川のせせらぎか。それとも、ゴンドラの揺れか。
 心地のよい風か。はたまた魚が跳ねただけか――
 横笛から唇を離し、ふと、チコは思い出したように言った。
「何があったかは聞かないよ」
「へ?」
「あたし、思うんだけど、絆っていうのは、そう簡単に消える物じゃないんでしょう?」
「絆……かぁ」
 ゴンドラ初体験だった二人は、ぐらぐら揺れるゴンドラを必死に掴み、耐える二人だったが、宙返りをするかのように川に落ちてしまった。
 なる子だけ。
 チコはなる子を盾にしてなんとか落ちずにすんだ。
「っくっしゅん! ……くしゃみのような絆だよ。勢いだけすごくて、あとにはなんにも残らない」
 三角座りをしていた腕と足をぎゅっと抱いた。
「ほんとうに、そう思うの? 嘘ついてない? 偽ってない?」
「う……そう思うなら風邪薬でも買ってきてよ!」
 鼻をずるずるさせながらなる子は言ったが、顔を覗き込むとあからさまに避けた。
 ちらっと見えた顔は赤面して、ぐちゃぐちゃになっていた。
「嘘つきは嫌いだよ。こんな状態だったら、すぐにでもエルザードに帰ろっかな」
 いきなり立つと、横笛と迦楼羅弓を抱えて、丘を駆け下りた。
 突然の行動になる子はびっくりした。
「ほ、ほんとうは今すぐにでも会って、謝りたいんだー!」
 足を止めて、チコは振り返った。
「そうじゃなきゃ、おもしろくないよ。かくれんぼしているみたいで楽しいかなって思ったのに。兄さんにおみやげも買いたいから、人が集まってそうな店に行こう」


■■□


 チコは土産物屋が立ち込める一角に足を運ぶと、外れに小さな置物を売る店があった。
 それは聖獣をモチーフにしていて、チコの聖獣ガルーダはもちろん兄さんの聖獣フェニックスもあった。
 ガルーダやフェニックスは美しい石材が羽に使われていて、光を当てると濃淡に光が分かれ、とても綺麗だった。それに、まるで今にも飛んでいきそうな臨場感が、職人の技の高さを物語っていた。
 チコはフェニックスを指で指しながら店主に話しかけた。
 黒い布を被った怪しい女だった。
「これくださいな」
「あら、お目が高いのね。ふふ……あなたみたいに可愛い子なら安くしておくわ」
 女は妖艶な口調話しかけ、細い指でフェニックスを取ると、丁寧に紙で包んでいった。
 黒い布から見える肌は白く、綺麗というか、綺麗すぎるというか……人間にはいなさそうなほど白いと思った。
 物は試しと思い、チコは女に話しかけた。
「って、あんたもしかしてココさん?」
 女はちょうど、チコが持ちやすそうな袋にフェニックスを入れ終えたところだった。
「あら、私ってそんな初対面のお嬢さんにも名の知れた女だったかしら……うふふ、そうよ。私がココよ」
「やっぱり! なる子が教えてくれたココさんの特徴のまま」
 急いで口を手で隠したチコを、顔をレースで隠し、さらにその上から黒い布を被っているココは、チコを見定めるかのように見ていた。
「……この置物はかけやすいわ。興奮して渡すときに、どこかにぶつけないようにね」
「わかってるわよ」
「あぁ、それと……御代はあなたの同行者から貰うから、払わなくていいわ」
 お金を渡しかけた手を引っ込ませて、チコは聞いた。
「え? なんで? ココさんに会ったのって今さっきだし、なる子とはこの村では会ってないでしょ?」
 ココはなにか物事を成功させた後の満足感に満ちた笑みを浮かべていた。
「ゴンドラからなる子を落としたのは私よ? それに、あんなバカが村に入ってきたらすぐにわかるわ。おまけに嘘偽りの特徴をあなたに言うなんて。お仕置きが必要だって思ってね」
 立ち上がったココは、手を二回、ぽん、ぽんと叩いた。
「あのバカがなにか勘違いしていると思うけど、私はただ趣味で作った置物を売るため兼、観光でこのアクアーネ村に来ただけなのよ。ちょっと詩っぽく置手紙を書いただけなのに……ごめんなさいね、迷惑をかけてしまって」
 呆気にとらわれたチコは曖昧に返事をしたが、正直ちょっと飽きていたので、ココというおもしろそうな対象に会えたおかげで、モチベーションが上がっていた。
 さっきまであった小さな置物屋が姿を消していたのだ。
 それにさっきまで見ていた置物を作る技術にも興味がある。
「ココさんって、すごいんですね!」
「えぇ、そうよ。私は最強、完璧なの。あそこでこそこそ隠れているバカと違って、賢くて懐がふか〜いの」
 ココが指をパチンと弾くと、草陰に隠れていたなる子の体がふわりと持ち上がり、チコとココの近くまで引き寄せられてきた。
「ごめん! あたし、てっきりココが隠れて食べていた、おまんじゅうを食べて怒ったからって思って……」
「ねえ、それってどうやってやったの? さっきまで離れたところにいたなる子が、こんな近くに!」
「それはね……」
「なんで二人とも、あたしの話を聞いてないの……とほほ」
 チコとココの会話は堰を切ったように盛り上がり、ココはさっきの術の秘密をやんわり教えながら、今までの武勇伝を誇張しながら話、チコは兄への想いと素晴らしさを語り、両者を魅了した。
 その間、なる子はチコとココの荷物持ちとして、両手にいっぱいの聖獣の置物を抱えていた。
 包み紙から、ちらっと覗き見える聖獣は夕日に照らされて、きらきらと輝いていた。
 チコが買ったフェニックスは、まるで燃え上がるかのように赤く、力強い姿のまま、受け取られた。


 夢を見た。
 ゴンドラが浮かぶ、アクアーネの川辺で水を飲むフェニックスの姿を。
 すべてを包み込むかのような大きな翼を羽ばたかせ、風を起こし、地に別れを告げ、フェニックスは遥か遠くの空へと、飛び立っていった。
 その後ろに続く、ホワイトタイガーやパピヨンたちの姿もあった。
 美しいパレードのはじまりだった。



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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3679/チコ/男性/22歳/歌姫/吟遊詩人】

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         ライター通信          
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 大変長らくお待たせしてしまい、申し訳ありません。
 ライターの田村鈴楼です。
 チコさんの元気よさと、興味あるものとないものとの差を描こうと四苦八苦してみましたが、いかがでしたでしょうか。

 私はこの作品で、またしばらくお休みしようと思って書いていたのですが、とても楽しかったです。
 そうだ。お休みといわず、美しいパレードに、私も参加するということにします。
 いつかまた、パレードがエルザードに戻ってきた時に、お会いしましょう。
 ありがとうございました。