<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


Er mag nicht Sie nicht.



「こんにちは。美味しい紅茶を頂きに参りました。うふふ」
 ある日の午後。喫茶店『BardCage』の扉を開けたのは――その柔らかな微笑みと美しい髪を見ればすぐにわかる。エレメンタリスのシルフェだ。いらっしゃい、と顔を上げたのは、カウンター席で寛いでいたピンキィ・スノウだ。
 シルフェはゆっくりと店内を見回し、ぱちくりと瞬きをすると、口元に手をあてがって小さく呟いた。
「まあ、ガルド様はご不在ですのね。なんだかいつも出迎えて下さるような気持ちになっておりましたけれど」
 そう、いつもウェイターとしてシルフェを迎え、話に付き合ってくれていた……いや、シルフェがガルドの話に付き合っていた、と言う方が正しいか……ガルド・ゴールドの姿が見当たらないのだ。ピンキィが椅子から立ち上がり、「ガルドは買い物よ。だから、今はお留守なの」とウインクした。

「ふふ、わたくし、ガルド様と特等席がセットなのかしら」
 少し残念そうに俯いたシルフェだったが、すぐにぱあっと表情を明るくして、くすくすと笑った。
「ガルドってば、いつもあなたを自分のお気に入りの席に招待するものね。どうする? 今日も特等席に座る?」
 首をちょっと傾げ、カウンターへと入るピンキィ。トレイに紅茶を乗せながら、尾羽を広げてシルフェに尋ねた。
「いいえ、今日は違うお席で。だって……『セット』でしたら、ガルド様もいらっしゃいませんと」
 彼女の言葉に、ピンキィが微笑む。
「そうねえ、やっぱりガルドとシルフェさんが一緒じゃないと、なんとなくあの席も寂しいもの」

「……うふふ、冗談です。そうだったらいいな、って」
 入り口近くのテーブル席に案内されたシルフェが、肩を竦めて見せた。紅茶をテーブルに置きながら、ピンキィは「そう? あたしは冗談とは思わないけれど」と、目を伏せる。席につき、紅茶を眺めるシルフェ。湯気がゆらりと揺れて、芳しい香りが漂ってきた。
「冗談とは思わない、ですか?」
 紅茶の水面に映った自分を見つめながら、まるで独り言のように呟く。「だって、ガルド様からどのように思われているか、わたくしは全然解らないんですもの」
 シルフェの目の前の席を引き、ピンキィが椅子へ座る。ウェーブした髪を肩へ払い、ふふ、と笑った。シルフェはしばらく紅茶を見つめていたが、やがてゆっくりとピンキィへ視線を向ける。足を組み、テーブルへ肘をついて、ピンキィは目を細める。


「ガルドはね、ああ見えて寂しがりやだから」
 指でくるくると髪の毛を巻き、どこか懐かしい物を思い出すような表情をして。
「一緒にお話をしてくれるあなたを、嫌っているはず無いわ。むしろ、大好きと思ってくれているんじゃないかしら?」
 ふわりと解ける髪を、笑顔で見つめながら。「そうでなきゃ、あの髪留めをプレゼントしようだなんて言い出さなかったわよ」
 窓辺に視線を移せば、白い枝と花が、日差しに照らされてきらきらと輝いている。時計がかちかちと少しだけ時を刻み、誰かが食器を片付ける音が遠くから聞こえて来る。シルフェはじっと窓辺を見つめていたが、やがて口元を綻ばせ、目を細めた。
「ふふ、それは嬉しいですわ」
 シルフェの言葉に応えるように、ピンキィが頷く。
「あたし達も、とっても嬉しい。こんな小さな喫茶店の住人を気にかけてくれる人がいて」

 ティーカップへそっと手を伸ばし、描かれた鳥の装飾を少しだけ見つめる。
「それ、ガルドが描いたのよ」
 シルフェが装飾を見つめているのに気付いたピンキィが、凄いでしょ、料理のウデはいまいちなんだけどね、と悪戯っぽく微笑む。ゆっくりとカップを持ち上げ、紅茶を一口口へ含む。香りにたがわぬ味。こくりとそれを飲み込めば、喉の奥までするりと暖めてくれる。
「ガルド、事があればいっつも言うの。自分にも友達が出来た、って。自分みたいなのにも、友達が出来たって」
 自分の言葉にシルフェほんの少しだけ目を見開いたをの見て、ピンキィは自嘲のような苦笑のような笑みを漏らした。窓辺から差し込む光は、依然として明るく、暖かく。空を見れば、だんだんと日が傾いてきている。まだ赤くなっているとは言えずとも、爽やかな青とも言えぬ空。飛ぶ鳥は二羽、その白い翼をはためかせてどこかへと向かっていく。

「ここの話、多分聞いた事はあると思うんだけど……。ここに住む皆は、ちょっとした欠陥品なのよ。あたしも含めて、ね」
 自分の胸に手を置き、目を伏せるピンキィ。
「皆、寿命は数年。いつ死ぬか解らない中で、生きてる」
「まあ」
 シルフェが小さく声を上げた。「本当よ」、と、ピンキィが続ける。あと五年か、二年か。もしかしたら、明日かもしれないの、と。理由は皆それぞれで、詳しくは語れないけれど……察してくれると嬉しいわ。そう言って、やはり笑う。シルフェは表情こそ変えなかったが……どう思いながら、その言葉を聞いていただろうか。
「それでもって、心のどこかが欠けているの。愛する事を知らず、何かを失い、道が無くなって」
 これも人それぞれ。本当はあるべきものが、そこに無い。みんなが集まって、ようやく一人の人間として立つことが出来るような。支えあうと言えば聞こえはいいが、傷を嘗めあっているだけかもしれない。ある人から見れば……心が弱すぎる、と嘲笑され、一蹴されるであろう集団なのだ。本当に馬鹿みたいよね、あたし達。口では笑っていながらも、伏せられた目はどんな感情を映していただろう。ピンキィは膝の上に手を置いて、小さな小さな溜息を付いた。

 ――でも、だからこそ。
「ガルド、故郷では随分酷い目に合っていたから。だから、こうして一緒にお話出来る人がこの喫茶店の中以外にも出来たことが、本当に嬉しいのよ」
 目と目を合わせ、シルフェの瞳を見つめるピンキィ。そこにあるのは悲しみか、憂いか、それとも希望か。しかし、そんな表情を見せたのも一瞬の事。にこり、と笑い、ピンキィは明るい笑顔を作った。
「出会ってくれて、ありがとう。この店に来てくれて、本当にありがとう――」
 どこかから、鳥の鳴き声が聞こえて来る。この時期になるとよく聞く鳥の声だ。決して美しいとは言えない鳴き声。しかし、あるべき声。シルフェは、口元を綻ばせ、俯いた。掛けるべき言葉は思いついていただろうか……。言うべきか言わざるべきか、心のうちに秘めた感情を。シルフェは沈黙を選んだ。窓から差し込む光が、橙色を含んでくる。美しい光が二人の間に作るのは、薄い影だ。照らされるからこそ出来る影。吹く風は優しいだろう、窓をかたかたと揺らしている。時計の針の音――。


「では、ガルドさんにはどうぞ宜しくお願いいたします」
「ええ、勿論。いつもの可愛い子が来たわよ、ってね」
「うふふ」
 では、ごきげんよう。お辞儀をして、シルフェは帰路を辿った。ピンキィが片手を振り、その後姿を見送る。夕日が作る影は長く。遠くから聞こえて来るカラスの声が、どことなく儚げで。ここにあるべき空気はなんだっただろう。そよ風に髪を揺らされ、二人はそっと空を見上げた。ざわざわと鳴る草原。どこかから剥がれ落ちた花弁が、何枚か舞い上がっていった。


 しばらく経って。ノックの音、扉の開く音。金髪を肩へと流しながら、ガルドが店内へと戻ってきた。
「只今。頼まれてたヤツって、これでいいんだろ?」
「あーあ、今更帰って来て」
「何だよ、ピンキィ? ケーキの新作発表は別の日だったろ」
 買い物袋をカウンターに置き、腰に手を当ててピンキィを振り返る。今日のスケジュールは買い物だけだよ、と、ガルドが悪態を付く。

「あなたの友達――あの特等席に一緒に座ってくれる子、さっきまで来てたのよ」
「えー?! あーもう、なんでボクに買い物頼むのさっ。キミが行けば良かったのに!」
「あたしは料理係でしょ? ウェイターの変わりは他の人でも出来るんだから、あなたが買い物にいくべきだったのよ」
「それなら、シロやグレイに頼めば良かったじゃない!」
「うるさいわねっ、大きい声でぐちぐちぐちぐち言わないの!」

 いつもの睨み合いが始まった。が、殴り合いまでには発展せず。口を尖らせながらそっぽを向くガルド。ピンキィは深く溜息をつき、ふふ、と声を漏らした後、やんわりとした、まるで母のような声で囁いた。
「特等席は、あなたと一緒じゃないと座りたくないってさ」
 ガルドが目を見開き、羽を広げる。ホント? と呟けば、ホントよ、とピンキィが頷く。
「あははっ、やっぱり! 嬉しいな、これが友達かっ。次は絶対すれ違わないようにしなきゃな」
 買い物袋を手に、バンザイをしながら軽い足取りでキッチンへと向かうガルド。そうだ、髪留めの使い心地も聞いておかないと! そんな声が聞こえる。テーブルを拭きながら、ピンキィはくすくすと笑っていた。あんな声、久しぶりに聞いたわね。自分で自分の言葉に頷いて、あのテーブル席の窓辺を見つめた。白い枝が、夕日に照らされて、淡く輝く輪郭をえがき出している。


 いつか、彼らの心の崩れた部分を、埋めてくれる誰かが現れてくれるかもしれない。残り僅かかもしれない自分の人生の終末に、後悔をせずに済むかもしれない。それはほんの少しの希望。希望があれば、絶望も知ることになる。それでも構わない、と、思えるようになるだろうか。
 また一人、扉を開くものが現れる。
「いらっしゃいませ!」
 迎える声はどこまでも明るく。閉じられかけている扉の向こうには、赤から黒へと変わっていく空が。夜空には星と月が輝いているものだ。いつかきっと、それに手が届く日が来るだろう。その時まで、決して目を閉じないように……。
 今日も、『BardCage』には人々が訪れる。その中の誰かが、もしかしたら、希望と言う名の星の欠片を……持っているのかもしれない。



おしまい

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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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PC/シルフェ(しるふぇ)/女性/17歳/水操師

NPC/ピンキィ・スノウ(ぴんきぃ・すのう)/無性/24歳/料理人
NPC/ガルド・ゴールド(がるど・ごーるど)/男性/21歳/ウェイター

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ライター通信
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シルフェさん、こんにちは! 北嶋哲也です。
またもや『BardCage』にご来店いただき、誠にありがとうございます。

NPC主体の話になってしまい、もしかしたらつまらなかったかな……と、若干ドキドキしています。
ガルドのことを気に入ってくださって、本当にありがとうございます。
シルフェさんには今度、新作ケーキを振る舞うみたいですよ。
ガルドが横で手を振ってます。ありがとう、と。

では、北嶋でございました。またお会いできましたら、宜しくお願いいたします。