<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


なんでも屋ギリアン


「……用件を言いたまえ」
 するりと部屋に入ってきた相手に、壁際の机に向かったまま、ギリアンは声をかけた。
 パイプと牛刀、レース編みのショール、小型モンスターの骨格標本、繕い物に老婆の肖像画――なんでも屋の面目躍如たる品々には目もくれず、窓からの夕日を浴びて、背の高い娘が彼の前に立つ。あちこちに呪符を織り込んだ包帯を巻きつけていながら陰惨さの感じられない、独特な雰囲気の持ち主は、千獣(せんじゅ)と名乗った。
「……これ……取れなく、て……」
 書類の山を種類ごとに紙挟みに綴じて抽斗にしまい、話を聞こうとした鼻先に突き出された物に、ギリアンの片眉が上がった。千獣の顔と、彼女が鷲掴みにしている、複雑に編み込まれたお下げ髪とを見比べる。
「“取れない”? 何が──何か、糊とか飴などがこびりついた、ということか?」
「……よく、見て……」
「では、失敬」
 襟足から毛先まで黒地に紅の太い組紐のようになった髪を掌に乗せ、しげしげと眺め、
「ふむ。君は薬草園の人かね?……違う? それは妙だな」
 ギリアンは立ち上がって書棚から大判の書籍を引き出すと、開いたページを千獣の側に向けて机に置いた。専門用語だらけの論文の隅に、ひょろりとした木が描かれている。
「君の髪に絡まっているのは、この近辺では薬草園にしかない珍種だ」
「そう……なの?」
「ちなみに、一般公開はされていない」
「そう、なんだ……」
「先夜、薬草園で捕物があったと聞いている」
「うん、あった、よ……」
「職員でもない君が、職員しか関わることのできない希少植物が髪に絡まるような羽目に陥ったのはなぜかね?」
「わから、ない……」
「文献によれば、こいつはある程度まで成長すると数年から数十年を休眠状態ですごすそうだ。何らかの条件下で動物が接近すると目覚め、種を覆う棘で毛皮に付着して別の土地に移動する。運び手にはもっぱら大型の獣が選ばれるとあるが……君は熊か狼か?」
「人間、だ、よ……」
 茫洋とした赤い瞳の奥に一瞬揺れたのは苦笑か、単なる光の反射だろうか。そもそも素直に答えるわりに状況が掴めない。ギリアンは肩をすくめた。
「まあ、状況が過酷であればあるほど棘が蔓状に伸びてしっかり絡みつくそうだから、早とちりで君にくっついたのかもしれないな。で、僕からの助言だが、今すぐ街を出たまえ。環境が変われば種は勝手に落下するし、蔓も簡単に外れる筈だ」
 話は終わったと本を閉じ、机をまわって出口にエスコートしようとしたギリアンは、しかし、予想外の反応に再び眉をつり上げた。
「それ、は、できない……」
 千獣はかぶりを振り、つけ加えた。
「だから……困って、るん、だ……」


 千獣はここ半月、薬草園の夜間警備に携わっていた。
 滞在中のいわくつきの学者が、巷間高値で取引される希少成分を抽出していることが外部に漏れ、不審者の徘徊が目に余るようになったためである。日頃から近隣の研究施設と防犯に協力しあい、また職員達も花盗人と強弁する窃盗犯を捕える程度の心得はあるとはいえ、先日のような武装したごろつき相手となれば分が悪い。件の学者が世紀の実験とやらを終えて引き上げるまでは、気が抜けないのだ。
 髪、というより首筋あたりに妙な違和感をおぼえたのは、二日前の見回り中だった。夜が明けて帰宅する頃には症状も消えていたので、錯覚だろうとやり過ごした。昨夜も再び表現しようのない感触があったが、やはり朝には薄れていたので、ただ不思議に思うだけだった。
 そして今日、薬草園へ向かう道すがら、三度目の違和感に思わず手をやると、梳かしたまま背に垂らしていた髪が、結ったように細く固まっているではないか。慌てて見れば、紅い革紐状の物がむしり取ることもできぬほど細かく絡みついている。ともあれ目的地へと歩きだすと、長いお下げになった髪がきつく引っ張られた。足を止めるか方角を変えると治まるが、薬草園へ行こうとすると激しく痛みだす。どうしたものかとあぐねて、あたりを見回したところで、
「──うちの看板が目に入った、と?」
 訥々と語られる経緯を辛抱強く聞いていたギリアンが、そこで口を挟んだ。千獣が頷く。
「なんでも、屋、さん、なら、なんとか、なる、かも……って……」
「その“なんとか”のうちに、薬草園からなるべく離れた場所を数日ぶらつくという手軽にして最良な選択肢はないわけだ」
「一度、引き、受けた、仕事は、最後、まで、やる、から……もし、なんとか、ならない、なら、このまま、我慢、する……」
 やや棘のある物言いに気を悪くするふうもなく、きっぱりと告げる千獣に、
「それはお勧めしかねるな」
 ギリアンはいったんは閉じた本のページを繰り、改めて記述を追いつつ、眉根を寄せた。
「要は新天地に根を下ろすべく見込んだ運び手が何度も古巣に戻るものだから、痺れをきらしたのだ。今は凝りすぎた三つ編みくらいでおさまっているが、おそらく蔓はもっと伸びるし、痛みも増すだろう。最終最後には毒も出すぞ。仕事を投げるわけにいかないなら、いっそ絡んでいる髪ごと、ばっさり切ってしまったらどうかね? ざんぎり頭が嫌でなければ、だが」
「髪、切る、のは、平気、だけど……これ、は、どう、なるの……?」
「人を選んだ前例がないのでなんとも言えないが、休眠状態に戻るか、あるいはまるごと枯れるのではないかな」
「そう……」
「切るついでに体裁よく整えよう。準備をするから待っていてくれたまえ」
 理容師も兼ねているらしきなんでも屋はそう言うと、踵を返した。次の間との境で何とはなしに振り向くと、椅子に掛けた千獣が両手に髪を捧げ持って俯いていた。
「ごめん、ね……せっかく、私を、選んで、くれ、たのに……もし、今の、仕事が、ちゃんと、終わる、まで、待ってて、くれたら……遠く、に、連れて、いって、あげる、から……」
 頑張って、ともはや髪と分ちがたく交じりあった植物に真摯に語りかける姿を眺めるギリアンの眉が、ぐい、と上がる。ややあって首の長い壜と上等な毛皮のストールと茶道具を抱えて戻ってきた彼に、千獣が首をかしげた。
「鋏、とか、櫛は……?」
「切る以外の“なんとか”を思いついた。試してみる価値はある」
 ふさふさとした漆黒の毛皮に壜の中味を振りかけると、甘く、ひんやりとして、かすかな刺激臭が漂う。
「それ、何……?」
「話せば長いな。本来はこういう使い方をしない物、とだけ言っておこう。さあ、これで髪をくるんで……そう、蔓の部分は全て覆って……よし、暫く待とう。とりあえずお茶でもあがりたまえ」
 暮れ方のぼんやりとした明るさの中、両名は無言で緑茶をすすり、菓子皿の干菓子をつまんだ。どちらも沈黙が苦にならない性分のため、傍目はどうあれ穏やかな休憩時間である。二杯目を飲み干したところでギリアンは千獣の背後に回り、ストールで髪をしごくように、ゆっくりと引き抜いた。
「あ……!」
 千獣は目を見張った。違和感も痛みも、もうなかった。動きにつれて空気をはらんでふわりと広がる、細かくウェーブのかかった髪だけが紅い蔦の名残だった。
「ふむ。存外うまくいったな」
 ギリアンがぼそりと呟き、机の上でストールを解く。千獣も横から覗き込んだ。すっかり色褪せ、乾き、縮んだ蔓の山をかき分けると、オナモミに似た、小指の爪半分くらいのルビー色の種子が三つ、棘を毛皮に絡ませていた。
「これ、が……?」
「ああ。君にくっついて外の世界を目指した植物の種だ。かなり小さくなったが、まだ力は残っていそうだな……君の励ましが効いたのかも知れない」
「よかった……」
 ほっと安堵の息をつき、千獣は今度はギリアンに向き直った。
「あり、がと……お代、は……」
 けれども、なんでも屋はしかめっつらをいっそうしかめて手を振った。先刻の壜を指し示し、
「思わぬところで新しい使い道が実証できたし、君が薬草園での仕事を終えるまで珍しい物を手元に置いておける。今回はこれで十分だ」
「でも……」
「気が済まないかね? なら、これを撒いたら首尾を教えてくれたまえ。商売柄、どこで役に立つかわからないからな」
 あくまで丁重かつ有無をいわせず今度こそ出口へエスコートし、扉を開ける。日はまさに落ちようとしていた。
「わかった……じゃあ、行く、ね……」
 身を翻し、星のまたたきはじめた空の下をたちまち駆け去ってゆく千獣を見送り、あの調子では他の植物にも好かれているのではないか……とふと思うギリアンであった。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 3087 / 千獣(せんじゅ) / 女性 / 17歳(実年齢999歳)/ 異界職 】

【 NPC / ギリアン / なんでも屋 】

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■         ライター通信          ■
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千獣様

こんにちは、三芭ロウです。お待たせ致しました。
この度はギリアンへの依頼、ありがとうございました。
行きがかり上抱え込んでしまった困り事、ということで、このような感じにしてみました。
なお、謎の植物渾身の編み込み効果により、千獣様は軽くウェイビーヘアになっております。
それでは、ご縁がありましたらまた宜しくお願い致します。