<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
氷の息吹
ざわざわと街中が騒がしくなっていく。
黒山羊亭の外でもいつになく人の声がどよめいていた。
「何かしら?」
そうエスメラルダが口にしたとたん、バタンッと扉がひらく。街の住人が瞳を輝かせ、うわついた声で。
「みんな! そ、空を見てみろ!」
その一言で黒山羊亭にいた客、依頼を吟味していた旅人、エスメラルダも全員外へ出た。
青い空から舞い、宝石のように輝く小さな粒が雨のように降り注いでいた。
突然このようなことが起こったらしい。街の人たちは口々に「ダイヤモンドダストだ!」と浮かれている。夏も終わろうとしているこの時期に、ダイヤモンドダスト現象が起こるはずもなく、数人は訝しがっていた。
それは数日続く。最後の足掻きと照りつける太陽の下でも。
異常気象なのか、それとも何か原因があるのか。
どうやら旅人によると、聖都エルザードだけだという。そしてその源は風に運ばれているわけでもなく、近くの山から一筋のダイヤモンドダストが流れ込んでいるらしい。その山に飛竜がいるとの目撃情報もあるが関連性はあるのだろうか。
***
そして。エスメラルダが貼った依頼を読み、シルフェは引き受けることにした。今も降り続けるダイアモンドダストは気になっていたから。
黒山羊亭から外に出ると、太陽の光に反射して星のように輝くダイアモンドダストが街を覆う。
その時。エルザード一帯にしわがれた重い声が街中に広がった。
≪人間よ、返せ! 我のものを返せ!≫
その怒号は窓を震わせ、地響きを与えた。体をつんざく音に恐れをなして家に避難したり、エルザードから逃げていく人まで現れる。
「あらまあ、何でしょう」
驚きもせず、臆しないシルフェ。
「全員に聞こえてるようですね。何者かは分かりかねますけど返せと仰るからには何かを取られた、ですとかでしょうか」
周りの騒ぎを遠巻きに独り言を呟く。青い瞳が空を見上げた。毛先が透明で青く長い髪がふわりと揺れる。
宙に目線を投げて。
「もしもぅし。何を返せと仰せですか? わたくしの声が聞こえるのでしたら、詳しく教えて頂ければと思います」
水のように澄んだ声。
空に尋ねることなど誰もしないだろう。返せと言う誰かに聞こえるはずはないと考えるから。しかし、四大元素から生まれたとされる種族、エレメンタリスだからか会話することができた。
≪むっ? ……お主は誰だ!?≫
「名を求めるのなら、そちらから名乗って頂けますか?」
あくまでシルフェは笑顔だ。
≪……まあ、いいだろう。我は飛竜のラダラだ≫
「わたくしはシルフェです。もう一度お聞きしますけど、何を返せと仰せですか?」
≪……卵だ。我の子が盗まれたのだ!≫
大きな叫びにまた街に雷が落ちたかのように激震が走る。隠れていた住人は「ひっ!」と怯えていた。だが怖いもの知らずに映るシルフェとラダラのやりとりをじっと見守っていた。シルフェが飛竜を怒らせれば街はひとたまりもないだろう。無事成功するよう祈っていた。
「盗まれた? どういうことでしょうか?」
ラダラは打って変わって黙り込む。何やら思案しているらしい。
「お手伝いするとしても、今のままでは情報収集からになりますよ」
≪返してくれるのか?≫
「それは分かりかねますわ。探し物が見つかるとも限りませんし。でも見つけ出したいと思っています」
≪……いいだろう≫
「ところで、このダイアモンドダスト現象はラダラさんが?」
≪ああ。我々の言葉では氷の雨と言うがな。憎きあやつに向けて放っているのだ≫
「どなたのことでしょうか?」
シルフェは首を傾げる。
≪卵を奪った人間だ! この氷の雨は毒だ。数日間かけてじっくりと体を蝕んでいく≫
「では、街の人たちが危ないのでは?」
他人事のように尋ねる。
≪心配いらん――と言いたいところだが、長く居座れば同じ運命を辿ることになるだろう≫
その瞬間、住民全員が真っ青になった。青白く今にも崩れ落ちそうなほどに。
そこにパニックに陥った「いやー!」という叫び声で放心が解ける。住民たちは慌てて荷物を集め、怒涛の勢いで街を去っていく。去り際に飛竜へ罵倒しののしるつわものもいた。
動じない様子でシルフェは続ける。
「盗んだ方はもう逃亡されてるかもしれません」
≪いや、まだその街にいる。我のうろこを忍ばせておいた。感じるのだ≫
「あら。でも、ラダラさんのお声はその人にも届いてるのではないでしょうか」
≪それはぬかりない。あのうろこは目に見えても掴めないのだ≫
そうして必要な情報を聞き出した後、シルフェは盗んだという人間を探すことにした。重ねて、飛竜から別のうろこを渡される。ダイアモンドダストに混じって、シルフェの元に飛んできたうろこを。
純白のうろこは滑らかで光沢があり、慎重に扱わなければ手を切りそうなほど鋭利な刃。このうろこで探せば、もう一つのうろこへ辿り着くという。互いに引き合い、百歩以内に近づけば黒く変色し、離れれば透明になっていくものだった。
■卵
一枚のうろこを手に持ち、閑散とした街中を歩き回る。疲れをみせずに何時間もうろうろと歩き続けた。
飛竜の声は誰もが聞いていた。シルフェの声は街の端まで届かなかったが、瞬く間に噂がさ迷う。街に残った住民たちは騙されているんじゃないか、探し物などないんじゃないか、と憶測が出始め乱れていく。
シルフェを盗み見するだけで近づこうとはしない。しかし、奇妙で恐ろしいことは早く解決してほしい願いもあり、「頑張れー!」と応援してくれる人もいたのだ。
しばらく探し続け、足が徐々に痛くなっていく頃。三叉路に差し掛かったところでうろこが光り始める。歩けば歩くほど、黒くにごっていく。
「この辺りでしょうか。出来れば卵を持って行って差し上げたいところです」
うろこが示す通りに歩いていく。十字路に入れば、うろこをかざして道を探した。
*
「ここでしょうか」
月のように輝いていた純白のうろこは、ほとんど漆黒に染まっていた。黒い宝石のように。
扉に手をかけようとすると、突然開く。
「こうしちゃいられないわ!」
ブランド物に身を包んだ女性が現れた。手荷物が山ほどあり、よく二本の細い腕で抱えていられるものだ、と不思議に思う。
「早く街を出なきゃ!」
金髪を振り乱し、今にも駆け出すその女性の腕を引き止める。
「ここに卵を持っている方はいらっしゃいませんか?」
おっとりと、だが直球で尋ねるシルフェ。
「え、卵ですって!?」
驚愕で目を合わせる。
「な、なんのことかしら!? 私はそんなもの持っていなくてよ?」
挙動不審な態度に、シルフェは冷静にうろこをかざす。
まだ一点の白さが残っていたそれは、さあっと一斉に真っ黒なうろこに変化する。
「あなたですね」
確信を持って問いかけられ、女性の顔が引きつる。職業柄、荷物が多くてすぐに出かけられなかったことが敗因。その間にラダラと交渉した水操師がやってくることになった。
「だったら、何ですの?」
「お返しください」
にっこりと笑顔で応じる。ますます女性は引きつり青筋が浮かんだ。
「返さないわよ! 貴重な卵を返すものですか! これは売り物なの。コレクターである私がせっかくの商売道具を手放すものですか!」
「お認めになりましたね。これで、もう終わりですよ?」
「え?」
満面の笑みと共に、うろこが妖しく輝きを増す。ポケットに入っていた女性のうろこも反応を示し、お互いが引き合うように点滅を繰り返す。
「え、どういうこと? なんなの!?」
戸惑いを隠せず、嫌な汗が流れる。
その間にも点滅が早くなり、光が最高値に達した時――
二人の姿は消えていた。
■飛竜
次に目を開けた時、立っている場所は神殿が一つ入りそうなほど広い洞窟だった。空気は肌寒く足元から冷気が立ち昇ってくる。外に通じる穴から聖都エルザードが眼下に広がっていた。飛竜がいるという噂の山だった。
「ここはっ――!」
女性の第一声が洞窟に響き、こだまする。反響する声はいつまでも鳴り止まない。
「まあ」
ワンテンポ遅れてシルフェは声を上げるが、驚いた様子はなかった。
≪シルフェとやら。連れてきおったか≫
背後から土を踏み鳴らして近づく。
二人は振り返ると、その姿に目を丸くした。
「あなたがラダラさん?」
≪そうだ≫
頭の中で声がした。洞窟に拾われてない音。
ラダラはどう見ても飛竜。だが、まだ子供。シルフェよりも背が低く、体も人間一人が手を回せるほどの大きさしかない。
「ぷっ! あはははははっ!」
女コレクターは大声で腹の底から笑い転げる。
「あんた、そんなナリでしたの? 私は飛竜というからもっとバカデカイと思っていたのよ。洞窟もこれ見よがしに広いし。だからあんたがいない時を狙って持ち出したのに! それがこんなチビだったなんて!」
笑いを堪え切れなくて涙まで滲んできた。
≪では氷を吹いてやろうか。一瞬で凍結するぞ≫
その刹那。ビタッと笑いが止む。その言葉が冗談ではないことに気づかない人ではなかった。コレクターであるためにいくつもの修羅場を潜り抜けている。
飛竜は何千年も生きる。姿が子供でも数百年は時を重ねている。侮れば、その分自分の身を脅かすことになるのだ。
「まあ、そうピリピリなさらなくても宜しいのではないでしょうか。……あなたは今、卵をお持ちですよね」
後半は女コレクターに向けて問う。度胸が据わり過ぎているのか、緊迫した空気を壊した。
「……持ってるわ」
「今はお返しになったらいかがでしょうか。飛竜さんに人間ごときがかなうはずありません」
「くっ」
女性は歯を食いしばる。飛竜と互いに譲れない眼光を飛ばしあう。
「ああ、一応ですけど」
シルフェは独り言のように呟く。
「もしかしたら飛竜さんが何か誤解されていたり、いわゆる”イチャモン”をつけていらっしゃったり、そんな可能性も。いいえ口には致しません。失礼ですもの」
だが、か細い声は飛竜の耳に届いていた。
≪声に出とるぞ、シルフェとやら≫
「あらまあ」
無意識に考えていることをしゃべっていたらしい。目をまばたく。
≪言っておくが、我は何も誤解などしとらん。卵も我の卵だ。他の者の卵であればすぐ気づく。こやつもつい先刻認めたしな≫
「あら、そうですね」
≪卵を返すのか、返さないのか。返さなければ、ここから一歩も出さん≫
一歩竜の足が踏み込む。じりじりとその距離を縮め、長い尻尾を地面に叩きつけていた。怒りをあらわにして殺気立っている。そのたびに女コレクターは後ずさり、手元をごそごそと探っていた。
ついに背後の足場がなくなり、先は切り立った崖。落ちればひとたまりもない。崖の下を覗けば目がくらんで、そのまま奈落へ吸い込まれそうだ。
女性はニヤリと微笑み、卵を取り出す。
ダチョウの卵ほどの大きな殻は黒く、小さな白い斑点があった。
「この卵をここから落としますわよ」
崖の下から鋭い風が吹き上がってくる。
≪やってみろ。その前にこの爪でお前を引き裂き、卵を取り戻す。どっちが速いか賭けるか?≫
女性の挑発をさらりと受け流す。
想像しなくても勝負は見えていた。
「ふん、あきらめないわ。今日はこれで引き下がるけど覚えてらっしゃい!」
逃げるように洞窟の入口から下に伸びた山道を降りていった。負ける勝負はせず、潔い。
≪口だけは達者だな≫
女コレクターが逃げたと同時に投げられた卵は、竜の手におさまっていた。
≪お主には世話になった≫
「いいえ。探し出しただけですし」
≪いや、お主がいなければ街を破壊しておったかもしれん≫
口元に手を添えて。
「まあ。そうならなくて良かったです」
そして帰り際。飛竜から贈り物を頂いた。
持っていたものと同じ純白のうろこだ。一度だけ願いを叶えるという。ただし、人の理を外れない程度の範囲で、という注意があった。大きな欲を叶えようとすると、その願いに自身が食われてしまうという。
洞窟へ瞬間移動したのも、このうろこのおかげだ。二つあわせ、罪を認めた時、自動的に移動するようしておいたらしい。もし認めなくても別の手段はあったらしいが。女性を探す前、説明は受けていたが詳細までは聞かされなかった。飛竜の声は全員聞いていたから。
こうして無事、依頼は解決した。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 // PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2994 // シルフェ / 女 / 17 / 水操師
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■ ライター通信 ■
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シルフェ様、はじめまして。発注ありがとうございます。
このたびは「氷の息吹」にご参加くださり嬉しかったです。
依頼どうでしたでしょうか? 未熟で至らない点が多々あり申し訳ありません。
贈り物はぜひ受け取ってください。どこかで使って頂ければと思います。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
リテイクなどありましたら、ご遠慮なくどうぞ。
また、どこかでお逢いできることを祈って。
水綺浬 拝
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