<東京怪談ノベル(シングル)>


●幻実を穿て



「畜‥‥生‥‥」
 暗い洞の中、呻く男。洞の外、遥か遠くから、赤黒い足跡が続いている。その終着には岩のような巨躯の青年が座り込んでいる。ガイである。
 だが、いつもの様な豪快さはなりを潜め、全身を包帯と治療のための薬草で覆い、更に赤い血を滲ませたその姿は落ち武者さながら、いや、事実その通りであった。


 彼は、出発前にとある噂を聞いた。
「隣町とを結ぶ街道が魔獣の群れの所為で通れなくなっている」
 と。なればこそ、敢えてガイはその道を通った。原因を解決できれば報酬も出るかもしれないし、何より自らの修行になる。躊躇う理由はどこにも無かった。だが‥‥。
「連中、倒しても倒しても限が無ぇ‥‥。いや、倒れてンのかすら解りゃしねぇ‥‥」
 結果は散々たるものだった。噂通り、魔獣は在た。茶色い毛皮に覆われた、ゴリラとヒグマ足して2で割ったような。だが、群れている気配は無かった。臭いも、その数を裏付けていた。ガイは、それを斥候か何かだと思い、先制攻撃を仕掛けようとした。一気に近づき、その鋼のような拳を振り翳す。その瞬間、魔獣と目が合った。
「遅ぇ!」
 魔獣が気づいても、何かをする前に倒せる。筈だったが。

 拳は宙を斬った。
「何!」
 何故か見失うガイ。標的を確認しようと視線を走らす。その彼の目には、到底信じられない物が映っていた。
「いつの間に‥‥」
 彼は囲まれていた。先ほどまでは気配すら感じなかったのに、今は無数の、オレンジ色の毛皮の魔獣に取り囲まれていた。。
「とにかく、群れている奴は頭さえ潰せば如何にでもなる。頭は‥‥まあいい、手当たり次第に叩き潰す!」
 手近な魔獣から叩き伏せてゆくガイ。だが‥‥。
 ソーンの生物の中には、生まれながらに高度な魔術や幻術を、本能レベルで使いこなせる者がいる。この魔獣もその一種。標的に自らの分身を、実体レベルで認識させる。この術を掛けられれば、恰も群れに襲われているように感じるだろう。だが、ガイはこの魔獣に関する知識を持ち合わせていなかった。
 幻術の中の曖昧な手応え。そして、幾ら蹴散らしても押し寄せる魔獣の群れ。流石のガイも、体力は尽き、気力も萎え果て、傷ついて行く。そして、命辛々逃げついたのが、先程の洞窟だったというわけだ。

「思った以上に‥‥消耗してるか‥‥血も、大分流れちまったみたいだしな‥‥」
 足元には血溜りが出来てしまっている。ここに鏡があれば、血の気を失い、青ざめたガイの顔が映っていることだろう。そんなガイの耳に死神の宣告とも言うべき、魔獣の声が届いた。
『‥‥‥ゥルォォォォ‥‥‥』
「チィ‥‥嗅ぎ付けてきたか‥‥?」
『グルゥオォォォォ‥‥‥』
「打つ手は‥‥もう、これしか無ぇ、か‥‥」
 だんだん近づいて来るうなり声。ガイは、僅かに残された気を丹田に集中し、腕につけたミノタウルスの腕輪を摩りながら、ある決心をするのだった。


『グルル、グル、ルル』
「ガアアアァァァァァ!」
 魔獣が、ガイの潜伏した洞窟を探り当てる。その直後、洞窟内より雄叫びを上げ、鬼神のような表情のガイが飛び出してきた。早速、魔獣は幻術を仕掛け、ガイに分身を見せる。

「ウラララァァァァ!」
『グル! グ、グ?』
 ガイの目には、やはり無数の魔獣が映っていた。だが、その視線の先は、あくまで実体を捉えていた。向かってくる数多の幻影をなぎ払い、押しのけ、一直線に実体に向かい、渾身の右拳を叩き付ける。宙を舞い、2度、3度とバウンドする茶色い魔獣。同時に、幻術が切れ、オレンジ色の魔獣がガイの脳の認識から消えるが、そんな事は今のガイには関係無い。初めから、茶色い魔獣しか見てなかったのだから。
 倒れている魔獣の頭を掴んで引き起こし、もう一方の手で顎を砕くアッパーカット。更によろめいた所に上段後ろ回し蹴り、倒れた所に膝を落とし、そのまま馬乗りになって拳の雨を降らせる。すでに魔獣は生きているのか死んでいるのか解らない。だが、ガイは一心不乱に魔獣を殴打し続ける。先程までの自らの血が、敵の返り血で洗われ切った頃。漸くガイは拳を止め、立ち上がる。魔獣はもう、ピクリとも動かなかった。
「ウオオオオオオォォォォォォォォ!」
 一際大きな大きな咆哮を上げるや、ガイはそのままバタリと後ろに倒れこむ。
「ごぉーっ、がぁーっ‥‥」
 なんとも豪快な鼾を立てるその表情は、数刻前の落ち武者の顔でも、先程の鬼神の顔でもなかった。


 数日後。

「セイッ! ハァッ!」
 死闘の傷もすっかり癒え、調子を取り戻したガイは、暫く洞に滞在し、格闘術の稽古に励んでいた。ハイキックから後ろ回し蹴りへのコンビネーション、そして中段から下段に変化するロー、その他略。
 その傍らには綺麗に骨だけになった魔獣の亡骸。その肉はガイの胃袋へ、その茶色い毛皮は、ガイの腰と両脛に巻きつけられている。大分具合は良さそうだ。
「もしも次があるのなら、あんな事にはならないようにしないとな‥‥」
 どうやら、腕輪の力を使い、さらに自らの気の力を暴走させて漸く得た勝利では納得行かないらしい。
「だが、今回は良い修行になった。俺の未熟さ加減が再認識できたしな」
 死闘は漢を成長させる。今回の戦いを、ガイは一つの教訓として、また過酷な修行に打ち込んで行くのだろう。